第114話 友誼の誓い
「大変お見苦しい姿を見せてすみませんでした。」
僕は恥ずかしくて顔を上げられないまま2人に対して土下座していた。
どこに溜まってたんだというほど流した涙がようやく枯れると無性に恥ずかしくなって慌てて作倉さんから離れた。
作倉さんは菩薩みたいな穏やかな笑みを浮かべていて、その顔を直視できなかったりするのも土下座の理由の1つだった。
「本当は危ないことをやめてほしいですけど、半場君が決めることですから私は何も言いません。ただ、無事に帰ってきてくださいね?」
恐る恐る顔をあげると作倉さんに後光が差しているように見えた。
「君は、女神様?」
「違いますよ。いっぱい悩んで決めたんです。」
清らかな心の持ち主だと思う。
本当に神様とか天使とかなんじゃないかと思ってしまう非日常が標準になりつつある僕だった。
一通り話が一段落したところでコホンと咳払いが広間に響いた。
向き直ると琴さんはお茶を飲んでため息を漏らしていた。
絶対に別の意味のため息だ、あれは。
「面白いお話を聞かせていただきました。よもや男泣きの現場に立ち会うことになろうとは思いませんでしたが。」
「うわあああぁ!」
穴があったら入りたいというかもう自分で穴掘って埋まりたいくらい恥ずかしい。
「よしよし。」
頭を撫でてくれる作倉さんは聖女に違いない。
「何はともあれ半場陸さんが疑問に思っていた叶さんの同席については理解していただけましたね。」
さも当然のように切り出してきたが僕は一言もそのことに触れてはいない。
作倉さんも気付いて先に話し出したのだから隠す理由もないが。
「事情に精通しているから話しても大丈夫、それだけだと理由としては弱い気がしますが、まあ、いいです。」
どうせ琴さんは隠していることを不用意に晒すような間抜けではない。
腹黒とまでは言わないがかなりの策士と見た。
琴さんは僕が姿勢を正したのを見てコクリと頷いた。
「それでは、わたくしのお話を始めましょうか。半場陸さん、この太宮神社に"太宮様"がいらっしゃることをご存知ですか?」
「いえ。太宮神社の祀っている神様のことですか?」
神社というものは大抵天照大神とか須佐ノ男命の分社を祀っている所が多いようだが壱葉には太宮信仰でもあったのだろうか。
「"太宮様"はその目をもってふりかかる災いを見、人々の営みを守ってくださる神として崇められています。」
「…」
それが未来視。
だけどいかにそんな力があっても実在しない神様ではあまり意味がない。
僕の考えを見透かしたように琴さんは目を細めて首を横に振った。
「いらっしゃるのですよ。"太宮様"は。今なお人々の運命を見、道を示す生神として。」
「私も"太宮様"に教えてもらった通りにして半場君と会ったんです。」
琴さんの言葉だけだと半信半疑というか眉唾物だと思ったが作倉さんが実際に会ったのだとすれば話は別だ。
第三者の視点から観測されたなら巫女としての特殊な力が神様を人として認識したという仮説は成り立たなくなる。
「つまり予知能力を持っているのは琴さんではなく"太宮様"ってことですか?」
琴さんは頷くと懐からひだ折りにされた和紙を取り出した。
「こちらに"太宮様"にしたためていただいた本日の予言があります。半場陸さんの未来視が本物かどうか、試させていただきます。」
それが僕に会いたがっていた理由らしい。
"太宮様"の完全性を証明したいのか、はたまた別の目的があるのかは知らないが僕も"太宮様"の予言には興味がある。
「まずは"太宮様"の予言を読み上げます。…車が神社の前を通過する。黒猫が飛び出してきてハンドル操作を誤り追突する。」
なんとも救いのない予言だ。
作倉さんは不安そうにしているし。
「猫と運転手がどうなるかは分からないんですか?」
「はい。"太宮様"の卜占は過程を見るものですので結果は示されません。起こる未来はもはや予言ではありませんので。」
それは確かに言えることではある。
結果の見えた世界に未知に対する期待や恐怖はない。
感動も後悔もない人生などもはや人の生ではない。
ならばこそInnocent Visionは"化け物"の力と言える。
意識を左目から頭の中に集中する。
閉じた瞳の奥で朱色の輝きが明滅を繰り返し、やがてある光景が浮かび上がった。
「…ふぅ。」
目を開けると2人は不思議そうに僕を見ていた。
ちょっと座ったまま居眠りしたようなものだから無理もない。
「終わったのですか?」
「そう…ですね。でも、知らない方がいいと思います。」
僕は深いため息をつく。
あんなもの、見なければよかったと後悔しているところだ。
だがそれは当然のように2人には伝わらない。
「あの、もしかして死んじゃうんですか?」
「あー、うん。そう。」
そう、死んでしまう。
作倉さんは立ち上がって僕の手を掴んだ。
「それなら助けないと…」
キキキキーッ、ドカン
無駄だと知りつつ立ち上がろうとした直後、静かな境内に悲鳴のようなブレーキ音が響き、衝突音で止んだ。
「まさか、今のが?」
作倉さんはそう呟くと同時に駆け出していた。
「待って、作倉さん!」
手を伸ばすが止められず、立ち上がる途中だったため出遅れた。
行かせては、見せてはならない。
あんな光景を作倉さんには。
僕は畳を蹴って駆け出す。
部屋を出る直前に見えた琴さんの冷たい表情に背筋がゾクリと震えた。
作倉さんを追って鳥居の方に駆け出すと作倉さんは神社を飛び出そうとしていた。
「作倉さん、ダメだ!」
鳥居を抜けたところで作倉さんは立ち止まった。
僕は全力で地面を蹴って近づく。
柵の向こうに電信柱に追突して煙をあげているのが見える。
作倉さんをあそこに近づけてはいけない。
作倉さんは鳥居を出たところから動かず事故現場を見ていた。
「はあ、はあ。作倉さん。」
やっと追い付いて呼吸を整えていると
「…これが、半場君の見たものですか?」
震えるか細い声が聞こえた。
「そうだよ。」
僕は作倉さんの肩に手を置いて同じ方向を見る。
そこには…
「てめぇのせいで車がおしゃかじゃねえか!くそが!」
怒りの形相で黒猫を蹴り飛ばす男がいた。
猫はすでに動かないが男はそれでも蹴り続ける。
「ひどい。」
作倉さんが口に手を当てて泣きそうになりながら目をそらした。
「だから、見てほしくなかったんだ。」
肩を抱きながら太宮神社に戻る。
足取りはさっきとは違って重々しい。
「ごめんなさい。私が飛び出したせいで。」
「いや、僕の方こそちゃんと説明すればよかった。でも運転手に猫が…なんて説明しづらくて。」
とにかく後味が悪い。
僕たちは無言のまま広間に戻ろうとして本殿の前に琴さんが立っていることに気が付いた。
出る前に見たのと同じように表情は冷たかった。
「琴先輩?」
作倉さんも変化に気付いたようで不安げに声をかけた。
「拝見させていただきました。その力は結果を見るのですね?」
その言葉に含まれているのは怒り。
だけどはぐらかしても意味はない。
「結果だったり途中経過だったり決まってませんけどね。」
ほぼ望んだ未来を見られるようになったとはいえやはり万能ではない。
この星が終わる日とかは見えないので限度は存在するのだろう。
「わたくしが求めたのはより洗礼された未来視。選択される道に起こりうる事象を提示し人生の標とするものを求めていました。しかし、半場陸さんの見る未来は結果なのですね。それはもはや占いではなく観測です。わたくしは結果を知る術を認めません。」
過程と結果。
同じ未来視でありながら違うものを見る僕を琴さんは認めないと言った。
冷たい態度は失望によるものか。
「貴方のその目は邪眼、悪魔の目のように思います。」
「神社の巫女さんに言われると本当っぽいな。」
冗談を言いながらも僕の心は熱を失っていく。
結局僕は"化け物"で"人"は離れていくのだと思い知らされて。
「ですから叶さん、こちらに…」
「それじゃあ帰りましょうか、半場君。」
琴さんが差し出した手を完全に無視する形で作倉さんが僕の手を取った。
僕も琴さんも驚いて固まってしまった。
「か、叶さん?」
琴さんが震える手を差し伸ばすがとても弱々しい。
さっきまでの威厳は何処にもなかった。
「私は半場君を信じるって決めました。だから琴先輩が半場君を信じられないなら、私は半場君を選びます。」
なんというか照れくさい。
だって聞きようによっては告白だし。
本人にその気はないだろうけど。
で、フラれた琴さんは真っ白け。
もう可哀想なくらいガーンてなって茫然自失だ。
「あの、そんな、叶さん…」
作倉さんは迷子みたいに弱々しい琴さんにつーんと顔を背けた。
(作倉さんがここまでするなんて、…そういうことか。)
ここまであからさまな態度だとその真意に気付きそうなものだが冷静な判断力を失っている今の琴さんでは無理か。
この世の終わりみたいな顔をしている。
「私は琴先輩の何ですか?」
「友達です。」
「私にとって半場君は友達です。それじゃあ友達の友達は何ですか?」
まるで保母さんが子供に言い聞かせるように作倉さんは琴さんを導いていく。
「それは…」
琴さんの躊躇いは至極真っ当な反応だ。
いい加減可哀想になってきたので妥協点を作ろうとしたら
「(しー)」
作倉さんが口の前に指を立てて何も言うなとジェスチャーした。
(本当に、強くなったな。)
作倉さんに任せよう。
僕は成り行きを見守ることにした。
「琴先輩は偏屈です。」
「へ、偏屈?」
「はい。友達がいないことを嘆いてるのにわざと巫女服のまま登校したり、悪い占いで怖がらせたからって人との距離を取ったり。」
いつになく作倉さんが強気だ。
一見追い込んでいるように聞こえる言葉も琴さんを思いやってこそだと伝わってくる。
「友達が欲しいなら自分から動かないとダメです。」
それでも人は簡単に自分の生き方を変えられない。
人は弱い生き物だから。
「叶さんがいてくださればそれで…」
「…。行きましょう、半場君。」
頑なな琴さんにとうとう作倉さんは背を向けて出口に向かって歩き出した。
一応僕も作倉さんについていく。
境内を出るまでに琴さんが声をかけてくれば解決、もしもなければ…きっと今の作倉さんは本当に縁を切ってしまいそうな気がする。
一歩をゆっくりにしても前に進む以上リミットは迫る。
(いざとなれば僕が身を引けばまた仲良くなれるだろう。)
作倉さんの努力を無にすることになったとしても琴さんを悲しませるのは本意ではない。
僕なんかより、作倉さんは琴さんと仲良くするべきだと思うから。
「ま、待ってください!」
琴さんの声が聞こえた。
作倉さんはフッと優しく微笑みつつも振り返れば怒ったような顔をしている。
「どうしました?」
「わたくしは、…叶さんと友達でいたいです。ですから…半場陸さんも、友達です。」
言い終えると同時に膝から崩れ落ちた琴さんに慌てて駆け寄る。
琴さんは憔悴しながらも健気に笑った。
「貴方の力は好きませんが、人間性は思っていたよりもまともで安心しました。半場陸さん、よろしくお願いします。」
友達になる相手に対するには仰々しく、それでいてあまり褒めていない言葉だけど今は素直に友達が出来たことを喜ぶことにした。
「こちらこそ、よろしく。」
立ち上がるのに手を貸すとわずかに迷いを見せた後
「ありがとうございます。」
手を取って立ち上がった。
敵対に近い状態までいったのを考えると十分な成果だろう。
それを見た作倉さんは僕たちの手に触れてきた。
「やっぱり仲良くするのがいいですよ。」
僕たちは苦笑を浮かべつつ作倉さんの言葉に素直に従うことにした。
「これからも友達ですよね、叶さん。」
「はい。」
「そこに僕も加わったと。よろしくね、叶さん。」
「はい。よろし…くお願、い…?」
作倉さんが突然赤くなっていく。
「折角だし僕も名前で呼んでみようと思ったんだけど、叶の方がよかった?」
「え!?いえ、叶さんは叶さんで大丈夫ですよ!?はい!」
とても挙動不審。
3人で握り合ってる手からも叶さんの熱が伝わってくる。
「わ、私、手、…」
「叶さん、暫く会わないうちに積極的になったよね。」
「!!…キュウ。」
よほど恥ずかしかったのか倒れる叶さんだった。