第109話 炎の激情
僕はてっきりクラスメイトに嫌われていると思っていたが意外とみんな心配してくれていたらしく遊びに誘ってくれた。
尤も2ヶ月の間何をしていたのか興味津々な様子だったので本命がどちらかは言うまでもなかったが。
「悟りを開くために人里離れたところで修行を…」
と言ったら当然冗談扱いされたが要約するとわりと真実に近かったりする。
高層マンションの上層階という人里離れたところで生き抜くために策を練り幾度も厳しい戦いを繰り広げてきた。
これは修行と言えるだろう。
つまり嘘ではない。
言い回しでは山籠りにしか聞こえないだろうがそれは解釈する相手の自由だ。
猛獣という名のソーサリスに襲われたりコロナという名の自然災害に見回れたこともぼかして語るとわりかし真実味が出てきてみんな山籠りの方向で納得していた。
「いやー、俺は半場が芦屋を傷つけた犯人じゃないって信じてたぜ。」
「わ、バカッ!」
その発言で場が一気に気まずくなった。
これがみんなの一番聞きたかったこと。
みんなすまなそうにしているものの瞳の奥の好奇心は隠そうとしていない。
「で、どうなの?」
誰かが聞いた。
ここで違うと嘘をつくのは難しいことじゃない。
だけど僕は
「…。」
曖昧に笑うだけにした。
クラスメイトたちは困惑した様子だったがその後は不安を忘れるようにはしゃいでいた。
「じゃあ、またな。」
「また大スペクタクルの修行の話聞かせてね。」
そして日暮れまで遊んだところで解散となった。
彼らとこうして遊ぶことはもうないだろう。
今は物珍しさで近づいてきている彼らもまたすぐに離れていく。
それは目に見えていた。
「さてと。」
予想以上に時間がかかってしまった。
本当は今日中にすませたい用事があったのだが今からでは時間が悪い。
明日以降に持ち越しだ。
「明日以降、時間取れるかな?」
今日はたまたま久住さんたちが全員用事で来られなかったが明日からはまた毎日のように騒がしい日々に巻き込まれることだろう。
それは実に心躍るがたまには自分の時間というのも欲しくなるものだ。
「まあ、なんとかなるかな。」
時間はある。
相手の出方次第だが余裕はあると見ていい。
「今日は帰ろ。」
僕は向かう予定だった場所とは反対の家に向かう道を歩き出した。
肌を刺すような冷気に満ちた町を抜けていく。
大通りを歩き、住宅街に入り、自宅へと直接繋がる道から一本外れた道を歩く。
さすがに生まれ育った町なので道を一本外れたくらいでは迷うこともない。
そのまま家に到着する…
ピリリリリリ
そのタイミングで電話が鳴った。
「…やっぱり、そううまくは行かないか。」
僕は苦笑して携帯を取り出す。
ディスプレイに表示された名前は…
「りく、今から会いたい。」
東條八重花。
翌朝、美保と悠莉が一緒に登校していると
「2人とも。おはよう。」
爽やかに良子が声をかけた。
「おはようございます、良子先輩。」
「おはようございます。」
2人が挨拶すると良子は隣に並んで歩き出した。
「うちらと一緒でいいんですか?東條にアタックかけないと。」
「押して駄目なら引いてみろと諺にありますが東條さんの場合には興味を持たれるくらいには押し続けないと引いたときにあっさり捨てられてしまいますよ?」
悠莉は心配するような言動のわりにウフフと笑っている。
現状がまさにしんな感じなので良子は内心凹むが根性で持ち直した。
「や、八重花は恥ずかしがり屋だから、ゆっくりと打ち解けていくさ。」
「はぁ。」
「ふふ、頑張ってください。」
どう考えても報われないと思うのだが2人はあえて突っ込まない。
美保は純粋に不憫に思ってのことだが悠莉は良子の苦難を楽しむためである。
相変わらず屈折している。
「それにしてもクリスマスとか正月の初詣とかに東條を誘わなかったんですか?仲良くなるなら絶好のチャンスじゃないですか。」
「…もちろん誘ったよ。だけど『ヴァルキリーよりも繋がりの深い人たちと一緒に過ごしますから』ってどっちも断られた。」
良子はどんどん朝の爽やかさを失っていく。
見るからにしょぼくれていて皆の憧れる等々力良子の威厳は微塵もなかった。
「芦屋真奈美さんたちのことですね。確かにいつ襲ってくるかもわからない野獣のような等々力先輩よりも気心の知れた友人と過ごした方がイベントは楽しいでしょう。」
グサリと良子の胸に杭が突き刺さる。
なんかもう泣きそうだ。
「それに…」
「悠莉、ストップ。インヴィよ。」
美保が固い声で止めた。
目を向けると路地の先から陸が通学路に合流してきていた。
美保たちには気付いていない。
他の生徒同様に学校に向かっている。
「周りにうちらがいるのに警戒してないね。このまま駆け寄って斬りかかれば案外簡単に殺せるんじゃない?」
さすがにそれはないと言葉で否定できないほどに陸は無防備だった。
「やりますか、美保さん?」
やるなら一瞬。
美保のエスメラルダで生徒を操るか良子のルビヌスを使うのが望ましい。
「そうだね。」
「美保、あれを見なよ。」
良子が人の波を指差した。
その中に八重花の姿があった。
ゆっくりと陸との距離を縮めている。
「何をなさるつもりでしょうか?」
「奇襲、だろうね。さすが八重花だ。」
「それならうちらは崩れたところで一気に攻め込むってことで。」
3人は頷き合い、八重花の動向に気を配った。
八重花は不自然さがなく徐々に陸に迫る。3人分の距離が2人分に、そして1人分に。とうとう陸を射程圏に捉えた。
(さあ、行くんだ、八重花!君の力を見せてやれ!)
良子の思いが通じたのか八重花はグッと地面を蹴って勢いをつけ
「おはよう、りく。」
そのまま抱きついた。
続こうとしていた美保たちは予想外の展開につんのめりそうになった。
「お、おはよう。朝からそれはやめて。」
「嫌よ。」
八重花は喜色満面、陸の腕に抱きついていた。
陸も恥ずかしそうではあるものの無理やり引き剥がそうとはしない。
というかちょっと嬉しそうにも見えた。
唖然とする3人に気付かず陸たちは寄り添いながら校門の向こうへと消えていった。
キーンコーンカーンコーン
「なんじゃありゃー!」
たっぷり予鈴まで意識を飛ばしていた美保は叫んだ。
「八重花が、あんなに楽しそうに…」
良子は自分に向けられない笑顔が陸には惜し気もなく向けられていることに絶望していた。
「…少し、羨ましいですね。」
悠莉は寂しげに微笑んでいた。
それは昨晩のこと。
八重花に呼び出されたのは駅から家に直接帰れる道の途中にある小さな公園だった。
普通に帰っていれば会っていた。
だからこそ道を外れたのだが。
「呼び出されて素直に応じるんだから僕もお人好しだ。」
八重花とはもう少し時間を置いて落ち着いてから話したかったが本人が待てないというのなら仕方がない。
公園の入り口では鞄を提げた八重花が僕の到着を待っていた。
「ごめん、お待たせ。」
「…私を避けて帰ろうとしたのによく言うわ。」
やはりバレていたようで八重花はとても不機嫌だった。
ムッとしたまま公園の中に入っていくので僕もそれに続く。
公園と言ってもベンチと広場とも言えないならされた土地があるだけなので必然的に八重花はベンチに座った。
「隣に座ったら?」
「いや、いいよ。」
僕はベンチの脇に慎ましく植えられた木に背中を預けた。
八重花はたいそう不満げだったがため息をついただけだった。
「りくには色々と言いたいことがあるわ。」
「そうだろうね。」
別れの挨拶は電話だけで突然居なくなったし、
僕を探すためにしまいにはソルシエールを手にさせてしまうし、
この前の戦いでは騙し討ちみたいなこともしてしまった。
怒ってるのは当然だし殴られるくらいは覚悟の上だ。
だけど、八重花は笑っていた。
その喜びを隠しきれない表情に僕はうすら寒いものを感じた。
「りくが私に何も説明しないでいなくなったのはソルシエールの秘密を知らせるわけにはいかなかったからよね?」
「うん。」
そう、あの時、"人"であることを捨てようとしたときに謝ったのは八重花が一般人だったからだ。
「だけど私はその後ソルシエールを手に入れた。」
「僕は何も知らずに過ごしてほしかったけどね。」
八重花は一瞬寂しげに目を伏せた。
聡明な八重花は僕の心情を理解はしてくれている。
それでも意思を曲げてはくれないだろう。
八重花はそっと袖に手を伸ばし肘の辺りまで制服と上着を捲りあげた。
そこには細い傷が残っていた。
「さあ、私はもう何も知らない一般人じゃないわ。そしてりくにはこの傷の責任をとってもらわないといけないわね。」
八重花は街灯の下で勝ち誇った笑みを浮かべていた。
確かにここまで求めてくれる相手はそうはいない。
自らの身を闇へと貶めてまで追いかけてきてくれて敵対してまでも求めてくれるのは嬉しい。
だけど、違うのだ。
「少なくとも今の八重花の想いには答えられないよ。」
八重花の笑みがゆっくりと崩れていく。
その裏にあったのは冷たい怒り。
「それは"Innocent Vision"のソーサリスがいるから?りくはあいつらのものだとでも言うの?」
八重花は立ち上がり詰め寄ってきた。
泣きそうとも叫び出しそうとも取れる表情で左目に朱色が宿る。
「やっぱりりくの周りにまとわりつく女を全部排除しないとりくは私の所には帰ってきてくれないのね?」
「違うよ。そうじゃない。」
「違わないわ。現にりくは私を拒絶したもの!」
八重花は乱雑に頭を振り乱しながら左手を振るった。
外気の冷たさが一瞬で吹き飛び、代わりに炎が世界に熱を生み出す。
顕現したジオードを八重花は僕に突き付けた。
いつかはこうなると思っていた。
淡い外灯の光しか届かない公園で朱色の瞳が闇に妖しく輝いている。
ゴウと青い炎が蛇のようにうねりこちらに向けて鎌首をもたげてきた。
「りく、絶対に逃がさない。」
八重花はソルシエールの切っ先を突きつけてきた。
紅蓮の炎が八重花の本気を照らし出す。
「八重花…」
対する僕は丸腰。
本気のソーサリスとやり合って勝ち目などあるわけがない。
それでも僕は逃げようとは思わなかった。
だって八重花は僕を探していて、僕も八重花に会わなければならなかったから。
「りくは誰にも渡さない。」
炎のソルシエールと同じように烈火の意思を秘めた瞳で睨み付けてくる八重花。
「…八重花は変わったようで変わらないね。その想いはソルシエールを手に入れる前からあったんでしょ?」
八重花の瞳がわずかに揺れる。
それは動揺。
「そうよ。私はりくに近づく女が許せない。柚木明夜も羽佐間由良も江戸川蘭も、下沢悠莉も、それに叶だって、誰にもりくは渡さない。」
「みんなを傷つけたら僕が八重花を嫌いになるとしても?」
意地の悪い質問だと思う。
八重花は唇を噛んで僕を睨み付ける。
「…たとえりくが本気でそう考えているとしても、私は諦めないわ。」
八重花はまっすぐ僕の目を見て宣言した。
朱に染まった目がなんだか泣いているように見えた。
「そっか。…ちょっとだけ、嬉しいよ。そこまで言ってもらえると。」
「え?」
呆気にとられた様子で八重花がジオードを下ろす。
僕はずっと愛情を知らずに生きてきた。
海の思いにようやく気付いたとはいえ今さらだ。
だから、目の前でこうして激しい想いをぶつけられると不謹慎ながら嬉しくなってしまったのだ。
「ふぅ、りくは少し変わったわね。」
八重花は呆れた様子でソルシエールを消した。
急に熱気が消えて寒さが身に染みる。
「変わったかな?それはいい意味で?それとも悪い方?」
「そうね。逞しくなったわ。身も心も。ますます欲しくなった。」
八重花はぺろりと唇を舐めて僕を流し見た。
そんな仕草に色気を感じて頬が熱くなる。
八重花がそれを見逃してくれるわけもなく
「ふふ。」
意味深な笑みを浮かべたまま上目遣いに覗き込んできた。
そしてそのまま胸に飛び込んできた。
「八重花?」
「…ずっと会いたかったんだから、これくらいはいいでしょ?」
八重花はぎゅっと僕の胸に顔を埋めている。
耳が赤くなっているから自分でやっておいて照れてるのかもしれない。
かく言う僕も恥ずかしいのだが。
「抱き締めてくれても、その先があってもバチは当たらないわよ?」
「次の機会があったらね。」
「残念。」
八重花はスッと身を離すとすっかり上機嫌に鞄を手に取った。
「私の意思は変わらないわ。りくを絶対に私にメロメロにさせてみせる。」
内容が変わっていた。
本質の一面はそうなのだろうがそれがすべてではないことは分かっている。
「楽しい3学期にしましょうね、りく。」
「うん、そうだね。」
それでも僕は都合の悪い部分に目を瞑って頷いた。
僕はそのために帰ってきたのだから。