第107話 転機の訪れ
花鳳グループ所有のゴルフ場の損害とジュエリア関連の犯行は敵対する企業の妨害工作であるとして花鳳グループ総帥の花鳳朱雀は必ずや犯人を見つけ出すと表明した。
撫子の怪我もそのゴルフ場襲撃の折りに負ったものとし葵衣が責められる形となったが撫子本人の強い要望で解任は免れた。
それらの雑務をこなしている内に冬休みは残り1日となっていた。
「ふぅ。」
撫子は自室の質のいい椅子の背もたれに深く背中を預けた。
途端にため息が漏れる。
すぐさまサイドテーブルに香り高い紅茶が差し出される。
当然葵衣の淹れたものだ。
「お疲れのご様子です。本日はお休みになられてはいかがですか?」
撫子はありがとうと言って紅茶を手に取る。
紅茶に映る自分の顔がひどく窶れて見えてまたため息が出た。
「そういうわけにもいかないわ。ジュエリアの工場の再建計画と全国展開を早急に進めなければならないのだから。」
撫子としては卒業までにその下地を作っておきたいところだった。
ジェムの襲撃がなくすべてが順調に進んでいたのなら今ごろ海外でのんびりと過ごしていたのだろうから思い出すだけで憎しみで左目が輝いてしまう。
荒れる心を熱い紅茶でクールダウンさせながら撫子は天井を見上げる。
「…葵衣。ジュエルの様子はどうなっているの?」
「芳しくありません。"Innocent Vision"およびジェムとの戦闘で6割が負傷、さらにソーサリスとの戦闘のトラウマからジュエル脱会希望者が約半数に上りジュエルは最盛期の3割弱です。」
3割。
100人強の人員はたった一度の戦いで3分の1になってしまった。
「…3割の方がわたくしたちの理想を理解してくださったと解釈しておきましょう。」
「はい。」
葵衣は一呼吸置いてから話を再開した。
「ヴァルキリーですが確認した限り戦意や自信を喪失した方はいらっしゃいません。良子様や美保様、…姉さんもですが、精力的に"Innocent Vision"およびジェムの探索を続けています。」
ヘレナも本来ならそちらにいただろうが彼女は今、祖国に帰省している。
卒業後の進路が自国での進学なのでその準備とのことだった。
4月になればヘレナはヴァルキリーから去る。
撫子自身も今のようには関われなくなるだろう。
ヘレナが出立前に言ってきた。
「ワタクシがいない間に"Innocent Vision"を見つけておいてくださいな。ただし、手出しは無用ですわよ。ワタクシが直々に葬らなければ気がすみませんわ。」
撫子は苦笑してカップを置いた。
自分はInnocent Visionの力を目の当たりにして怯えているというのに皆なんと逞しいのかと。
「皆さんは大切な同志です。無理はしないよう伝えておいて。」
「承りました。」
尤も葵衣は言われる前に撫子の意思を読み取って通達している。
撫子の補佐役は伊達ではないのだ。
撫子は再び注がれた紅茶に口をつけてわずかに眉を潜めた。
「味にご不満がおありでしたか?それでしたらすぐに代えを用意致します。」
察しすぎる葵衣が静かに慌てるのを手で制す。
紅茶の味ではない。
顔をしかめたのは宿敵の姿を思い出してしまったからだった。
「…敵勢戦力。"Innocent Vision"とジェムについての新しい情報は?」
「特にはございません。これまでの"Innocent Vision"の活動範囲から壱葉周辺の住宅および住民のデータを検証し、高層マンション『羽佐間由紀夫』名義の一室が11月時点からライフラインの使用量が増加していることを突き止めました。羽佐間由紀夫は"Innocent Vision"の羽佐間由良の実父であるため潜伏場所と判断しまして配下の者に潜入させましたがすでにもぬけの殻でした。それ以降4人が纏まって潜伏している様子は確認されていません。ジェムにつきましてもゴルフ場での襲撃以降は鳴りを潜めたままで動きを見せておりません。」
「インヴィと魔女、"Innocent Vision"とジェムは繋がっていると思う?」
「その線は薄いと判断致します。"Innocent Vision"は以前からジェムになる前の人命救助を行っていました。それが人を介さないジェムに変わったとしても受け入れるとは思えません。」
真面目に答える葵衣に撫子はクスリと笑う。
「なぜ笑われるのですか?」
「葵衣はインヴィを信頼しているのね。」
「それほど面識があるわけではありませんが半場陸様は誠実な人間だと考えます。そして強い信念をお持ちです。お嬢様と同様に。」
方向性が違うのが残念ですが、葵衣はそう付け加えて押し黙った。
撫子は椅子から立ち上がって窓辺に移動した。
窓の外にはもうすぐ夜が訪れようとしていた。
明日学校に行けば何か変わるのだろうか。
(わたくしたちはこれからどうすればいいのでしょう?)
敵の姿は見えず、味方も瓦解して、年末に考えていたのとは別の意味での変化に戸惑いを隠せないでいる。
(なんであれ、わたくしは理想を追い続けるしかありませんね。)
立ちふさがるものを打ち倒す。
今はそんな単純さもいいかと思った。
「ふぅ。そうね、今日は早めに休みます。葵衣、背中を流してもらえるかしら?」
そのためには暗い顔はしていられない。
撫子は明るく振り返るが葵衣は困惑気味だ。
「私だけが抜け駆けしますと姉さんが泣いて暴れます。」
緑里の事となると表情が顔に出やすい葵衣をいとおしく思いながら撫子は葵衣の反論を無視して手を引く。
「わたくしは今入りたいのよ。」
撫子の珍しいわがままに葵衣は目を白黒させたがやがて諦めたように頭を垂れた。
「…仰せのままに。」
「ふふ。葵衣はわたくしが洗ってあげるから安心なさい。」
「お嬢様にそんなことをさせるわけには参りません。」
「お嬢様命令。」
「くっ、卑怯です。」
大浴場へと向かっていく2人はどこか楽しげで年相応の少女に見えた。
叶は太宮神社を訪問していた。
クリスマスは真奈美の病室でささやかなパーティー。
年越しは裕子の発案で病院に忍び込んで5人で迎え、その後見つかって逃亡劇を繰り広げ、翌日は懲りずに初詣の後に病室を訪れて談笑とイベントを真奈美を含めた5人で過ごしていた。
そして三ヶ日を両親の実家で過ごしたりちょっと餅の食べ過ぎで体重計が怖くなって走ったりと日々を過ごし、明日から新学期だという日の午後、琴から連絡を受けたのだった。
初詣で少し話をしたとはいえちゃんとした挨拶をしていなかったと気付いた叶は太宮神社に向かい
「さあ、たんと召し上がってください。」
と振る舞われた餅入りお汁粉に
(ダイエットは明日から、明日から、明日から…)
と念仏を唱えながらいただいたのだった。
出向いた時間が遅かったこともあり話し込んでいる内に外が暗くなっていた。
「まだ5時過ぎなのにもう真っ暗ですね。」
「冬ですから。暗くなると危ないですね。お帰りになりますか?」
はいと答えようとした叶だったが微妙に琴が泣きそうだったので言い出せず
「…それじゃあ、もう少しだけ。」
「そうですか。」
口調は素っ気ないが尻尾があったなら千切れんばかりに振りそうなほど琴は嬉しそうな顔をしていた。
(琴先輩、意外と寂しがり屋さんなんだ。)
より一層の親しみを抱いて上げようとしていた腰を下ろす。
とはいえ休み中の近況報告は来てからの数時間で一通り話し終えてしまったため咄嗟に話題が思い付かず叶は黙ってしまう。
琴はと言えば上機嫌な様子でお茶を飲んでいた。
「あれから半場陸さんと連絡は取れましたか?」
本当に世間話のように話題を振られたため叶は一瞬何を聞かれたのか理解できなかった。
だが理解すると同時に表情は暗く沈んでしまう。
「連絡はないです。半場君、無事だといいんですけど。」
クリスマスイブに見掛けたとき、陸は命に関わるような戦いに赴くところだった。
つまり最悪の場合命を落としている可能性もあるということだ。
悪い想像に叶は身を震わせた。
対して琴はふむと思案げにお茶を飲み干す。
「様々な人の星の巡りが大きく変化しています。先月の24日からです。そしてもう1つの転機が明日訪れます。」
予言めいた言葉に叶は湯飲みを持ったまま首をかしげる。
「"太宮様"の予言ですか?」
「いえ、これは私の卜占、星を使った占いです。せっかくですから叶さんの恋愛占いもして差し上げましょうか?」
「あ、えと…」
叶は頷きそうになったが陸の安否は不明なのだ。
もしかしたら星になってしまった陸との恋愛を占っても空しいだけだ。
叶は陸の安否が確定してからにしようと思って首を横に振った。
「そうですね。星になった半場陸さんで星占いでは皮肉にもなりませんね。ふふ。」
「は、半場君は星になってません!」
確定事項のように笑う琴に慌ててツッコミを入れた。
(琴先輩って時々凄く鋭いよね。まるで…)
「別に心を読んでいる、そんなファンタジーな力は持っていませんよ。」
またもや言い当てられて叶は目を見開いて驚いた。
「叶さんの顔に書いてあるだけです。」
「そ、そうですか?」
叶はペタペタと自分の顔を触ってみるが当然分かるわけもなく、琴はおかしそうにクスクスと笑うだけだった。
「でもどういう意味なんですか?明日に転機があるって言われても良いことなのか悪いことなのかわかりませんよ?」
「それは受け取る方にとって千差万別、悲喜こもごもありましょう。宝くじの1万円の当選が高いと思うか低いと思うかは人それぞれだということと同じです。」
「あはは…」
いきなり俗な例えを持ち出されて叶は苦笑する。
確かに占いなんてものは自分の都合のいい解釈を得るものだ。
琴がここで何か例をあげたとしても叶が喜ぶ内容かは分からない。
そういうものなのだ。
「それじゃあ明日を楽しみに待っていればいいんですね?」
「楽しめるかどうかは保証できませんが、心構えはそれで構いません。何が出るか分からないビックリ箱の中身をお楽しみに。」
中身がかわらないと楽しめるかわからないが琴は楽しそうに見えた。
「琴先輩は何が起こるのか知ってるんですか?」
楽しそうにしているのだからとりあえず悪いことではなさそうだと思ったが
「いえ、何が起こるのかはわたくしもさっぱりわかりませんよ?」
あっさりと否定されてしまった。
そうなるとなぜ琴が楽しそうにしているのか思い当たらない。
(…もしかして。)
叶はふと心当たりというか疑念を抱いた。
時計を見れば少しずつ遅い時間に近づいていっている。
「…琴先輩。このまま話を引き延ばして私を泊まらせようとしてませんよね?」
瞬間、琴が笑顔のまま固まった。
相変わらず変なところで強引な人だ。
「…元日は人で溢れ返りますが1週間も経てば閑古鳥が鳴く有り様。お友達のいないわたくしは寂しくて寂しくて…よよよ。」
芝居がかった泣き方にジト目を向ける叶だが琴の言い分も分からなくもない。
「ご両親はいらっしゃらないのですか?」
「今は出払っています。正月はいろいろと忙しいもので。」
「でも"太宮様"が…」
その名前を出すと琴はとても曖昧な笑みを浮かべた。
「"太宮様"は仙人のような方なので生活がわたくしたちとは大きく違います。それに今日のように楽しく雑談ができる相手ではありません。」
白装束で声も出さない予言者は確かに特殊な存在だ。
一緒にいて楽しいかと言われると返答に困ってしまう。
「でもダメです。明日の転機がもし半場君に関わることだとしたら、その、色々と準備が必要ですし。」
恥ずかしげに告げる叶を見て琴は納得した様子で頷く。
「なるほど。いざというときのため見せられる下着に変えたいと言うことですか。」
「!!ちーがーいーまーすー!」
叶は真っ赤になって叫ぶ。
そんな期待が一瞬頭をよぎりはしたが首を激しく横に振って打ち消す。
「と、とにかく!明日から学校ですしやることがありますから今日は帰らせてもらいます。」
琴は真剣な叶から目をそらし時計の方を見たあとため息をついた。
「…わかりました。気をつけてお帰りください。」
「あ、はい。」
意外とあっさりと返してくれたことに首をかしげながら叶は帰路につく。
途中交通事故でもあったらしくパトカーと救急車が帰り道に止まっていた。
叶はその脇を通りすぎながら思い出す。
「琴先輩、時計を見て笑ってたみたいだったけど何かあったのかな?」
叶は特段気にした様子もなく、今度聞いてみようと思いながら帰って行った。
琴の示した転機まであとわずか。