第105話 一人の決戦
「おら、どうしたんだ?俺を殺すんだろ?」
ゴルフ場は見るも無惨な姿に様変わりしていた。
整っていたフェアウェイには大穴が空いて抉れ、周囲の林もまた折れ、倒れ、時には根本から抜けたように地面にその身を投げ出していた。
遠雷の音が響く。
雨は止んでいたがそれが余計に世界の静けさと戦闘の苛烈さの差違を生じさせていた。
由良はギギギと絶え間なく震え続けるクリスタロスを手に鬼神のごとき戦いを繰り広げていた。
「やあああ!」
果敢に斬りかかったジュエルはクリスタロスに剣が触れた瞬間、その震動だけで剣を握っていられなくなった。
それを隙と見て金槌を振り下ろしたジュエルはクリスタロスの突きによって槌の部分を粉々に粉砕された。
由良の振るう振動の刃が空気の悲鳴を上げさせながら振るわれる。
呆然自失とするジュエルがその攻撃を避けられたのは偶然腰が抜けたからだ。
あのままでは金槌同様に首から先が粉微塵にぶちまけられたことだろう。
その容赦のなさがジュエルから急速に戦意を奪っていく。
いくら名声と栄光を求めるジュエルとはいえ命あっての物種だ。
葵衣は瓦解しかけていく軍勢に指示を出しながら戦慄していた。
「あれがクリスタロスの真の姿ですか。」
まさに破壊の権化。
触れるものすべてを傷つけそうな雰囲気は由良を初めてソーサリスとしてヴァルキリーに勧誘に行ったときに見た姿を彷彿とさせた。
(復讐の鬼。ですがあんな無茶がいつまでも続くわけがありません。)
クリスタロスの奏でる音は悲鳴のようだ。
相手の武器を弾くほどの震動体を握っていて影響が出ないわけがない。
(尤も、その限界よりも先にこちらが崩れるのが先でしょう。)
すでに包囲陣形は完全に形を無くし、中には敗走するジュエルまで出ていた。
まだ由良にも理性が残っているのか人死は出ていないが誰かが被害に会えば恐慌に陥るほどに危険な状態だった。
「どうした、どうしたっ!」
嘆きの声を上げ続けるクリスタロス、壊れたように暴れ続ける由良。
今の葵衣にこの暴動を止める術はなかった。
僕はボンヤリとした視界の中で空を見上げていた。
すべてがボケているから何がどれなのかわからない。
ただキンキンと耳の奥に響く金属音と大地が鳴動するような震動が伝わってきた。
(あの光が、来る。)
狙いは僕じゃない。
金属音は近くから聞こえるから明夜とも違う。
蘭さんの気配がすぐそこにあるから…
(由良さんが危ない。)
僕は上も下も右も左も前も後ろもわからない世界で必死に手を伸ばした。
由良さんを助けて、と。
(さすがです、お嬢様。)
葵衣は絶妙のタイミングで放たれた撫子の一撃に内心で笑みを作った。
撤退の合図として決めておいたセレスタイトを掲げて回す。
攻め込もうとしていたジュエルが退き、由良がそれに疑問を持ったときにはすでに光は高空から迫ってきていた。
「またあれか!」
由良は忌々しげに光の柱を睨み付けて音震波をぶつけるがあっさりと打ち消されてしまった。
「なら超音壁で!」
由良はクリスタロスを地面に突き立てて巨大な超音壁を展開し、コロナと直撃する。
だが圧倒的なエネルギーの塊の怒濤は薄い障壁など容易に打ち砕いて由良に迫った。
「くっ!」
「そこでまたまたランちゃん登場!」
陸の時の焼き回しのように飛び込んできた蘭はアイギスを展開、わずかに勢いを弱めた光を受け止めた。
「はふぅ、間に合ったぁ。」
へなへなと座り込む蘭を見て由良も危機を脱したことに安堵した。
クリスタロスの悲鳴が徐々に収まり由良も全身から力を抜いた。
「助かったぞ、蘭。」
「りっくんが寝言で由良ちゃんを助けてって言ったから。」
由良の目がスッと細まる。
先ほどの激情の姿も怖いがこれはこれで怖い。
「それは、陸を置いてきたってことか?」
「…あ。」
蘭は今さら気付いたと言うように冷や汗を流した。
そんな重大な情報を葵衣が聞き逃すわけもなく
「すぐにインヴィを襲撃します。」
残ったジュエルを引き連れて蘭が来た方向へ駆けていった。
「まずい!早く行くぞ。」
「もう走れないよぉ。」
本当にすっからかんな蘭は非難の声をあげるが由良は聞いちゃいない。
蘭の小さい体を小脇に抱える。
「行くぞ!」
「おぉ。」
へにょったままの蘭をぶら下げて由良もすぐに後を追った。
ガギン
視線の先でヘレナと緑里が木に叩きつけられているのが見えた。
明夜とアフロディーテである。
だが様子がおかしい。
手当たり次第にジュエルに詰め寄っては投げ捨てていく。
「何だ?」
「んー?」
由良だけでなく葵衣たちまで困惑する中
「陸はどこ?」
明夜の声が聞こえて今度こそ大混乱になった。
僕は誰もいないゴルフ場を走っていた。
「ハッ、ハッ。」
運動不足の体が恨めしい。
だけど足を止めるわけにはいかない。
千載一遇のチャンス。
皆の意識が僕から完全に外れた瞬間に目が覚めたことに運命じみたものを感じながら戦場をこっそり抜け出してきた。
(夢で見たのは、あそこか。)
頭の中にゴルフ場の地図を思い浮かべて目的地へと向かう。
だが、これも夢で見た通りすんなりとはいかない。
「いたわ!」
「私の手柄!」
(追い付かれた!?いや、彼女たちは確か、八重花のジュエル。)
エスメラルダで操られていたのにもう動けている彼女らに驚嘆しながらなんとかして逃げ出す。
向こうも手負いだから足は遅い。
しかも2人で
「私の獲物よ!」
「私のよ!」
と口論して邪魔しあっているのでむしろ僕の方が早いくらいだった。
(あと少し。)
もう目的地まではすぐだ。
だがここまで来て背後に変化があった。
「こうなったらどっちが先にインヴィを倒せるか勝負よ!」
「望むところよ!」
小競り合いを続けていた2人のジュエルの標的が僕に移り変わり背筋に冷たいものを感じた。
しかも泣きっ面に蜂。
向かっていた目的地の横合いからも八重花のジュエルが現れたのだ。
「ここまできたら負けられない!」
一気に林に駆け込んで少しでも目眩ましにするが身体能力が上がっているジュエルは容易に追い付いてきた。
鋭い剣撃が縦横無尽に襲ってくる。
「うわっ!」
逃げているわけではないから向かう先に救いはない。
周囲には敵がいて向かう先は斜面。
僕が足を止めると後ろから迫っていたジュエルも足を止めた。
「私が最初に見つけたのよ。」
「私よ。」
「早い者勝ちだって。」
口々に自己主張しながらも針のむしろのように剣の先が向けられる。
恐怖はある。
だけどそれは目の前の敵に対してではない。
はたして僕に生き残れるだけの運があるか、それだけが怖い。
ジリジリと詰め寄ってくるジュエルはギラギラと瞳をたぎらせ、ギラギラとした刃を突き付けてくる。
「南無三。」
僕はぐっと膝を落とし、崖に向かって後ろ向きに飛び込んだ。
「わああーー!」
それは自分の声だったのか、それともジュエルの悲鳴だったのかわからないまま僕は斜面を転がり落ちていった。
「いたたた!」
斜面をズルズルと落ちていく。
後ろ向きに落ちたのは本気で危なかったがどうにか体勢を立て直して足の裏で滑り降りていた。
それでも木の枝や草が全身にぶつかって痛い。
だがとうとう底が見えてきた。
その場所は林の奥にぽっかりと浮かぶ広場のようだった。
まるで童話で動物たちが集会を開くような場所の中心に人影があった。
手には太陽の意匠を付けた杖を持つヴァルキリーのトップ、花鳳撫子だ。
僕が広場に足を踏み入れると花鳳はゆっくりと顔をこちらに向けた。
「正直、ここまで来られるとは思っていませんでした。」
その割に驚いた様子はない。
来られないと思う一方であるいは来るかもしれないと思っていたのだろう。
僕はさらに一歩踏み出す。
「最後は両組織のトップ同士の戦い。決着としてこれほど相応しい舞台はないと思いますよ。」
花鳳はフッと目を閉じて微笑み、ソルシエールを振るった。
「この状況で怯えることなくいられる貴方を恐ろしく思います。」
花鳳は石突を地面に打ち付けて決意の宿る目をしていた。
「ですがこの因縁をこの場で終わらせ、わたくしたちヴァルキリーは理想への一歩を踏み出させていただきます。」
花鳳の闘志に呼応したように雷が空を走った。
雷の逆光で見えた花鳳の左目が力強く朱色に輝く。
「アヴェンチュリン。」
花鳳の呼ぶ声に応えてソルシエール・アヴェンチュリンの太陽の意匠が輝き出す。
「その光、やっぱりあの光の柱は…」
「わたくしのソルシエール、アヴェンチュリンのグラマリー、コロナです。」
事も無げにいうがあの火力は他を圧倒するものだ。
あんなものを撃たれたら僕は消し炭さえも残らない。
背筋に張り付いた恐怖を押し込めて僕はさらに一歩前に出る。
花鳳が悲しげに目を細めた。
「…貴方には、いったい何が見えているのでしょうね。最後まで理解できませんでした。」
「教えてあげますよ。戦いじゃない場所でなら。」
僕は今でもこんな戦いは望んでいない。
だけどもう引き下がれないところまで来ているから
「…参ります。」
(さて、どうしたものか。)
僕は何の策もないままヴァルキリーの長との戦闘を開始した。
花鳳がアヴェンチュリンを掲げると拳大の光が浮かび上がった。
それはまるで小さな太陽、当たってただで済むとは思えない。
「はぁ!」
振るわれるアヴェンチュリンに合わせて横に跳ぶと予想以上に速い弾速で光弾が地面を弾き飛ばした。
「やはりかわしますか。ならば!」
完全に当てずっぽうだったが花鳳は僕が"見た"と勘違いして警戒を強めた。
2つ、3つと光弾が花鳳の回りに浮かぶ。
「サンスフィア、これらすべてをかわせますか?」
(かわせません!)
とは言えないのでサンスフィアに意識を集中して軌道を予測する。
(全弾ぶつけるとは思えないから二発目までは誘導か?)
一発目が足元に炸裂、浮き足だった状態で脇腹の間近を駆け抜けていく。
ここで反対側に逃げると次の3発目が当たるはず。
「くぅ!」
僕は恐怖で逃げようとする体を無理矢理押し戻して光弾が通りすぎた側に体を倒す。
傾く視界の隅で駆け抜けていく三発目の光弾を見送った。
さらなる追撃が来る前に立ち上がり構えを取る。
「…。」
花鳳が押し黙ってわずかに怯えを見せた。
せっかく精神的に優位なので背中をダラダラと流れる冷や汗を必死に隠して平静を装う。
(理屈立てた攻撃だから逆に読みやすい。)
適当に散発すれば避けようがないのにそれをしないのは花鳳の性格か矜恃か。
とにかくこちらとしてはありがたい。
(コロナを撃たれる前になんとか花鳳を倒さないと。)
一応ポケットにはスタンガンが入っているがジュエルだった芦屋さんに効かなかったものがソーサリスの花鳳に効くとは思えない。
水場ならあるいはと思ったが周囲には川も池もないし雨も止んでしまっている。
つくづく僕は神様という存在に嫌われているらしい。
「何を狙っているのです、Innocent Vision?わたくしを打倒する秘策があるというのですか?」
「さあ、どうですかね?」
(そんなものはないけどね。)
ここで虚勢を張れるのだから僕の土壇場の度胸も大したものだ。
花鳳は警戒を露にし、手にしたアヴェンチュリンを強く握り締めた。
ブンと振るうと光の帯が僕と花鳳の間に現れる。
「何を企んでいるのかわかりませんが近づかれる前に排除させていただきます。」
さらにアヴェンチュリンを上から振り下ろすと光の帯は十字架を成した。
それを弾くと光の十字架が押し寄せてくる。
(幅の広いだけの弾丸とも思えない。)
僕は咄嗟に身を翻して林へと駆け出した。
「ソーラークルセイド!」
直後光の十字架が閃光を放ち、無数のサンスフィアとして四散する。
どうにか木の後ろに隠れたが木の表皮を抉り、地面を穿つ光の渦が皮膚を焦がす。
光の瀑布が過ぎ去った後、童話に出てくるような穏やかな広場は荒廃した荒れ地へと姿を変えていた。
その中心で鬼気迫る表情で佇む花鳳がいた。
「これでも駄目でしたか。もう、手加減は出来ませんね。」
花鳳は僕を見ていない。
僕の向こう側に見えるInnocent Visionの影に怯え、その影を僕ごと消そうとしている。
チリチリと頭の奥が焼けるように痛んだ。
顔をしかめながら見つめる先で、花鳳はアヴェンチュリンを天高く掲げ
「コロナの光をもってこの世界から消滅して戴きます。」
僕の終わりを宣告した。