第103話 闇に舞う白鶴
由良がヘレナと激戦を繰り広げている横でもまた攻防が繰り広げられていた。
「行け、護法童子!」
剣を手にした屈強な男たちが緑里の命令で飛び上がり、人とは思えない不規則な軌道で飛来する。
「…見える。」
だが明夜はランダムに飛び回りながら時折襲ってくる護法童子の攻撃をまるで予測しているかのように的確に両手の刃で対処していた。
ギロチンのように垂直に落ちてくる刃をかわし、
鮫の背ビレのように地面を滑り迫ってくる護法童子を地面に突き立てた剣で両断、
一斉に襲いかかってきた4体の護法童子を片手で2体ずつ同時に応戦する。
「当たらない。」
護法童子の動きが単調な訳ではない。
むしろ1つとして同じ動きをすることがない6体の人形は予測することなど不可能と思えた。
だが明夜は当たらない。
ギリギリで避ける事はあってもそれは引き付けて倒すための手段でありただの一発も明夜には触れていない。
「護法童子が一発も当たらないなんて!」
明夜は予測して避けているわけではない。
自身に襲い掛かる敵だけを正確に見極めて行動しているだけだ。
明夜の洞察眼と反応速度をもって初めて成せる芸当だった。
縦横無尽に跳ね回った護法童子は結局明夜にすべて分断されて地面に紙切れを残すだけとなった。
明夜は両の刃を血払いするように振るい感情のない目で緑里を見据えた。
「もうおしまい?」
「…護法童子がこうも簡単にやられるとは思わなかったよ。」
一撃をくわえることも出来ないまま護法童子が負けたというのに緑里は存外に冷静だった。
懐から取り出したのは
「折り紙?」
「そう。何の変哲もないただの折り紙だよ。」
緑里はベリルを地面に突き立てると台を使わず手だけで折り紙を折り始めた。
折れ目は正しく寸分の狂いもなく、手際は淀みなく、1枚の紙が見る間に立体へと形を変えていく。
「護法童子は人形、その意味は剣を持ち知恵を使って敵を狩る者。」
緑里の手は止まらない。
それは誰しも一度は見たことのある形を成した。
「折り鶴。」
「人形は剣と力で敵を切り刻む。だけどそれが当たらないならもっと速く攻撃するしかないよね。」
緑里が息を吹きかけると折り鶴は風に乗って飛んだように緑里の手から離れてフワフワと浮遊した。
明夜は両手をダラリとぶら下げたような構えで緑里と折り鶴を見ていた。
向こうではギンギンと激しくぶつかり合う音が断続的に続いていたがこちらは無言の時間が続いていた。
ゆらゆらと空に浮かぶ折り鶴が
「行け!」
緑里の掛け声で銃弾のように高速で飛来した。
「!」
明夜は咄嗟に身を屈めて避けたが舞い上がった髪の端が鋭利な刃物で切られたように宙を舞った。
明夜は次撃に備えて飛び上がり周囲を警戒したが折り鶴はすでに緑里の手に戻っていた。
「白鶴は護法童子と違って複雑な動きまできないけど、速いよ。」
再び撃ち出された白鶴を明夜は右の刃で打ち砕く。
直撃とギリギリのタイミングだったがかわせないほどではなかった。
「これでも、私は倒せない。」
「そう。なら…これならどうかな?」
顔を上げた明夜はわずかに目を見開いて硬直した。
緑里の周囲には8つの白鶴がフワフワと舞っていた。
「白鶴は複雑な動きは出来ない。その分、制御は簡単なんだよね。」
緑里がベリルを差し向けると白鶴が一斉に明夜の方を向いた。
明夜がグッと剣を握って構えを取る。
「さあ、切り刻むんだ!」
緑里の声で鶴の魔弾が射出された。
僕は暗がりの中、2組の戦いを観察していた。
(海原緑里は操作系、あの鶴は速くて厄介だけど明夜は大丈夫だろう。問題はヘレナ・ディオンのセレナイトのグラマリーだ。)
今僕たちがいる空間を闇へと引きずり込んだソルシエール。
黒いマントを羽織ったヘレナのスピードと合わせた目眩ましかと思っていた。
(だけどあの音震波。セレナイトのグラマリーはなんなんだ?)
ある意味何でもありなソルシエールだが一応筋は通っていて属性のようなものが存在するらしい。
神峰の光刃とエスメラルダも一見全く違うように見えるが「光を操る」点が共通している。
下沢のコランダムも中に敵を誘い込めば攻撃だがあの青い壁は盾となる。
「境界」を作る能力なのだろう。
蘭さんはわりと出来ることが多いがあれも「鏡を使ったトリック」をソルシエールの力で補完している。
つまりソルシエールの持つ能力は大元になる「何か」がある。
(だったら何かあるはずだ。ヘレナの能力に当てはまるものが。)
由良さんはひたすらにヘレナを倒すために攻撃を繰り返している。
玻璃で斬りかかり、音震波を放つ。
さすがに僕や明夜が近くにいるため超音振は使わないがあらゆる手を使って攻め立てる。
しかしヘレナは大鎌に似合わずスピードがあるため当たらず、音震波は防がれ返される。
今も音震波は振るった鎌に掻き消されて打ち返されていた。
(…鎌が光っていた。音震波を打ち消す時と、放つ時。)
それは奪う能力の発動を示しているように思う。
だけどそれだけでは不十分だ。
この状況すべてを説明できるものを見つけないと。
ポタリ
答えが見つからず唸っていると頬に冷たい感触があった。
相当雲が厚かったのでとうとう降りだしたようだ。
空を見上げるが闇に隠れて雲は確認できない。
その時、闇の向こうでキラリと光が見えた気がして
「わぷっ!」
鼻の頭に落ちてきた雨粒に驚いてしまった。
(今のは…)
根気強く雨に顔をさらしながら空を見上げているとキラ、キラと時々光るものが見えた。
(もしかして、そういうことなのか。)
僕は見えかけた光明を逃がさないため
「わー、雨が降ってきた!」
わざとらしく声をあげながら戦場から駆け出した。
「お待ちなさい、インヴィ!」
「おっと、逃げるなよ。」
「くっ、ミドリ!」
「こう暗いとうまく狙えないよ!」
白鶴が脇を駆け抜けていったが続きは無かった。
明夜と由良さんから非難の声はない。
信頼に応えるため、僕は駆け出した。
陸が闇の奥へと消えていくのを見てヘレナは小さく唇を噛んだ。
由良はそんな些細な変化に気付いた。
「陸に逃げられるとまずいものでもあるのか?」
「そんなもの!…ありませんわ。」
実に分かりやすい肯定表現にクックッと由良は喉の奥で笑った。
「随分と余裕ですのね。傷だらけなのはアナタですのに。」
ヘレナの言う通りこれまでの戦闘で由良は押されていた。
特に音震波をことごとく無力化され、反対に打ち返されるため戦術が接近戦主体にならざるを得なかった。
そして接近戦ではヘレナに分があった。
「いい加減諦めてはどうです?一思いに首を跳ねて差し上げますわ。」
「あいにく俺は諦めが悪くてな。倒れるときは前のめりと決めてんだ。」
「カミカゼですか。悪しき日本の精神には反吐が出ますわ。」
ヘレナは不快げに顔を歪めた。
いつまで経っても戦争の遺恨は、それが戦争を経験していない世代であっても消えはしない。
「その割りには日本語うまいじゃないか。」
由良はそんなものは気にしない。
必要なのは今、そして未来だけ。
まさに今、ヘレナの日本語が達者なことを素直に感心している。
「お、お黙りなさい!」
ヘレナは顔を真っ赤にして吠える。
それは怒りというよりは照れ隠しに見えたがさすがにこれ以上は本気でセレナイトのツッコミが入りそうなので口をつぐむ。
(それに、時間稼ぎはできた。)
あとは陸がどう動くか。
戦闘に関してはほとんどInnocent Visionが見えなかったらしいので自分で動くしかない。
陸が何に気付いたかにも依るが
「まあ、待ってるだけじゃ退屈だ。そろそろ攻めるか。」
由良は陸の到着を待つのではなく自分から動く方に出た。
「攻める?これまでどんな攻撃もワタクシに届いていないのにですの?」
嘲るヘレナを尻目に由良は靴の調子を確かめたり体を回して準備運動をする。
ヘレナの沸点メーターが一段階上がった。
「セレナイトのグラマリーを見破れないアナタにワタクシは倒せませんわ。」
「誰が決めた?」
怪訝な顔をするヘレナに由良は自信に満ちた不敵な笑みを見せた。
玻璃を指で弾くとキィィンと甲高い音が響き渡った。
「相手の手の内を分からなきゃ勝てないなんて誰が決めた?勝負ってのは強い方が勝つ、それだけだ。」
ヘレナの沸点メーターが振り切れて2人の戦いが再開した。
黙視すら出来ないような速さで白鶴が舞い踊る。
その空飛ぶ回転ノコギリのような攻撃が8つ。
普通なら一撃で切り刻まれるような攻撃を明夜は超人的な反応速度で対応する。
圧倒的に優位に立っているはずの緑里が戦慄を覚えるほどだった。
(何なんだよ、柚木明夜は?白鶴を避け続けられる人間なんてボクは知らない。)
白鶴は制御が甘いとはいえ緑里は逃げ道を塞ぐように飛ばしている。
仰け反らせて上から、横に跳ばせて背後から、あるいは上に跳ばせて全方位からと簡単な戦略に基づいて白鶴を放っている。
それを明夜はかわし続ける。
すべてを避けきれているわけではなく服はボロボロになりかけているが致命傷らしき傷は見られない。
(きっと良子みたいな身体能力強化系のグラマリーなんだ。そうじゃなければおかしい。)
パンッ
また1つ白鶴が弾け跳んだ。
グラマリーで強化されているとはいえ高速で飛び続ければガタが来るし明夜に斬られれば効力を失う。
今回は後者で明夜の刃の腹で叩き落とされてひしゃげていた。
緑里は懐に手を入れる。
もう折り紙がない。
あるのは切り札の酒呑童子の式だけだった。
(ここまで手こずるなんて、予想外だったよ。)
バッと緑里が手を上げると白鶴は空中でピタリと動きを止め、緑里の手に戻り元の折り紙に戻った。
明夜は息を弾ませているものの表情は初めから変わらず何を考えているのかわからない。
「もうおしまい?」
護法童子の時と同じことを言われて緑里の頭にカッと血が上った。
「酒呑童子!」
バッと投げ上げた血のような赤に染まった紙人形が空へと舞い、赤鬼の姿で大地に降り立った。
「行け!」
赤き鬼神が天高く飛び上がり明夜の周囲に…
サッ
明夜はその直前に回避。
酒呑童子の円陣は空のままくるくると円運動を開始した。
「この技は陸から聞いてる。中に入らなければ問題ない。」
「ぐぅ!」
痛いところを突かれて緑里は唸った。
普通は空中から降りてくる酒呑童子は高速で下を抜けるのは至難の技だが明夜やルビヌスを使った良子には抜かれてしまう欠点があった。
操作系の能力は直接戦闘型と相性が悪いことが多いのである。
「だけど酒呑童子はかごめだけじゃない。」
セレスタイトを振るうと酒呑童子は陣形を変更、横一列に並んで剣をカクカクと振り回しながら高速で前進し始めた。
「行け、肉の壁!」
「いろんな意味で痛い。」
明夜は迫り来る酒呑童子に向けて駆け出し
シャキン
シャキン
酒呑童子という集団を×の字に切り裂いた。
ズザッと足音を立てて勢いを殺した明夜は立ち上がって振り返り
「今度こそ、もうおしまい?」
まるで願うように呟いた。
僕は暗闇の林を手探りで進んでいた。
普通の夜とは違って本当に光がほとんどないので気を抜いていると目の前にある木にぶつかりそうだった。
「まさに一寸先は闇。」
うまいことを言っても今は誰もツッコんでくれない。
だけど今さら戻るわけにもいかない。
僕の仮説が正しければこの先にセレナイトのグラマリーの謎を解く鍵が隠されている。
僕は注意しながらひたすらに前へ、ヘレナから離れる道を進んだ。
徐々に周囲の闇が薄くなり景色が見えてきて足並みが早くなる。
闇から抜け出すために最後には駆け出していた僕はとうとう闇を抜けた。
振り返ればそこにあったのは闇のドーム。
いや、その表現は正しくないか。
つまりこれはソルシエール・セレナイトの能力の副産物でしかない。
「奪う能力で間違ってなかったんだ。ただ、奪うものが周囲の空間の光にまで及んでいたから気付かなかった。」
つまりは常に光を奪っているからヘレナに近づくほど闇は濃くなる。
そして刀身が輝いたとき相手の技を奪い取る。
(おそらく奪うためには鎌で受け止めながら発動させないといけない。それなら本体にもダメージが通る超音振なら奪われずに倒せる。)
僕はそれを知らせるために急いで戻り
すでに戦いは終わっていた。