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pf.A.T.E.M.--Automat1c replicating Transistor Elucidate M0dule

虹葉の夢

作者: 猩々飛蝗

 葉と葉の間をどう日光が抜ければこのように成るのかは分からないけれど、林全体に淡い虹色がオーロラのように映されてとても幻想的な様相を醸し出している。

 たった一つしかない道を進み、今、木々を抜ける……

「ふう、間に合った、道を曲がるとき、夢であることを否定しなければならないから、間に合わないかと思ったよ」

「そうかい、けれどそれは君の病的な勘違いに過ぎないから、それを遅れた理由にされたらこちらの損失は君の無視できないところだろう」

「すまないね、さて」

彼の家に続く道は現実離れした美しさを持っており、私は日課であるはずの彼との対談を実際に彼と話しているとき以外信じることが出来ない。

 記憶には残っているのだが、家に帰ると自分が夕方から夜にかけて外を彷徨いながら下らない妄想をしている精神異常者である可能性が若干この対談が真実である可能性より大きくなるのだ。

 彼にその話をしたところ、「私が君の病気であるなら、それが嘘であった時、悩んでいる君が病気だ」と言われた。

 今ここに私がいる以上、私はこの当否については断言できない。

 毎日ここが本当にあるのかを疑いながらここに来るのであるが夕方白と橙の中間辺りに日が来た頃に虹色の林を結局見つける。

 私は彼を慕っていて、大切にしている。彼の思想はロジカルでありつつ暖かい、万物に通じているだろうと錯覚する程に。

 彼は病気なのだ。

 何の病気かは教えてくれないが、恐らく命にかかわる。

 仕事も忙しくなっているし、だからこそ彼との時間を大切にしたい。

「だからこそイノシシは人の鏡だよ」

おっと、聞いていなかったので何を言っているのかさっぱり分からない

「ごめん、もう一度お願い」

「いいとも」

こうして今日も夜は更ける。

 夜道を別れ、家に向かう帰り道。もったいぶられた猪と人の話は実は彼一流のジョークで、どんな人も結局死に向かって一直線。

 そんなことを、言っていたらしい。彼のそういう死生観には、きっと自分の病気に起因する部分も多いのだろう。

 彼はこの世と隔絶された世で暮らしている、仙人のような人なのだと初めのころは思っていたのだけれど。

 どうも違うらしい。

 埃を被ったテレビはコンセントにつながっていて、ニュース番組を見ているのを目撃したことがある。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 東の空が少し明るい。

 なんてことだ、話すぎたらしい。

 仕事場にはせめて十時に着きたいし、家に帰ってどれだけ寝られるだろう。

 そんなことを考えている内にアパートに到着していた。

 明日が日曜であることにも気が付かなかった私は、さっさと歯を磨いてすぐに床に就いた。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 夢、これは夢だろうか。

 ああ、これは彼と初めて出会った時だ……

 特に趣味もない私の唯一の暇潰しが森林浴で、疲れが取れるという目的での趣味だから、結局実務的なことしか私には出来ないのかと、夢の中のもう一人の私が木陰から私を嘲笑する。家の近くにあの林があると知り、森林浴による疲労回復は移動で疲れて本末転倒という失敗をしたことがある私は一も二もなくそこへ行ったのだ。

 そこで道に倒れていた彼を見つけたのだ。病気の発作だったらしい。その時は当然まだ知らなかったのだが。

「ん、あれ?ねえ!君、大丈夫ですか!」

私は彼を揺すぶり、どうしたらいいか分からず口を開けて固まった。

 彼が死んでいる可能性が頭を過る。

 何故だろう、普段の心の動き方を自身で検証してみる程度のことはいつもしている。

 大学では脳科学を専攻しており、自身の感情を冷ややかに上から眺めるのは一種の快感を伴う。

 ある種の悟りのような感覚と共に、それを意味の無さと感じない自分よりも優れた者などいないであろうという、行きすぎた自負の下で流されるまま生きてきた。

 ああ、なんと愚かだったのだろう。

 人の死に直面した途端こんなにも心を乱し、来る日も来る日も考え続け、無視すべきと結論付けた生の対極は私を予想だにしなかった焦燥の渦へと巻きこんでいるではないか。

 虹色に照らされ、怪しげな瞳でこちらを眺める彼によって私は身の器の小ささを思い知っているではないか。

 ん?眺める?

「どうしたのですか」

私は安堵によってその場にへたり込んでしまった。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 ……変な夢を見た。

 大学時代の夢だ、あの頃は考え方も個的な物だった、それを彼に自慢げに話して、苦笑いとともに話される彼の解釈に良く感動したものだっけ。

 だけれどまあ悲しいもので、これらはただの妄想なのだろう。

 自身の人生観の劇的な変化によってもたらされた人格の変質とも言えそうな改革が想像の人物として具現化することのなんと皮肉なことだろう。

 ああ、空腹だ、一昨日作って冷凍しておいたキッシュを電子レンジで温めて頬張る。

 今食べているこのキッシュはあんな幻想的で非現実的な彼が存在しないことの証明要因になりうるだろうか。

 そんなことを考えている内に、本当は彼が実在しているのではないかという気持ちになってくる。

「あれ、このキッシュ作ったのって金曜日じゃなかったっけ……」

自身に対する呆れが今までの思考を押し流す。

 キッシュを咀嚼しているうちに思考がまた私の頭のドアベルを鳴らす。彼が存在せず、彼に私が感動すること、その両方が真実なら、私は私に感動していることになる。まだ見ぬ私を見つけ、自らと同一視できず、分離した存在としてのみ理解し、感動する。そう考えると自尊心が満たされもし、また自分への一抹の嫌悪感に襲われもする。

 そしてまた私は夕方、あの道を歩き、彼と会い、言葉を交わす。話はいつも世間話に始まる。

 彼と話している時に、彼が存在せず、私の受け入れ得ぬ私の投影が彼なのだと思うことは段々増えてきている。あるいはより自分で同一視できない自分が増殖しているのかも知れないが。

 彼はいつも何かを書いている。

 真新しいとも少し古いとも見えるキャンパスノートに速くも遅くも無く何かを書いている。

「無限大の問題は大抵の場合量子論によって説明されるであろうという持論があってね」

もう三年そうしている姿を見ているはずなのに、新品のノートを新しく使い始める所も、ノートを使い終わり、どこか、そう、引き出しなどから新しいノートを取り出しているところも見たことがない。

「J・J・トムソンの相転移論、この前証明されて自称ではなくなった熱力学第四法則によれば何かしらの物理量が発散すれば相が転換されるそうだ、発散は無限大に付随するものだろ」

使い終わったノートはどこかのクローゼットにでも山積みになっているのだろうか。

「経済学におけるいわゆる流行もの、一部の需要が急激に上昇する反応は明らかに相転移だから、あれは量子的な問題だと思うんだよ――」

彼がノートを閉じる。

「もう9時半だ、帰った方がいい」

「え、ああ、そうだね」

彼が寝台から立ち上がり、スリッパを履いて支度をした私を玄関まで送ってくれた。

「それじゃあ、また明日」

「――ああ、明日は来ると良い、明日はね」

「……はあ、じゃあね」

別れを告げて彼の家を発つ、少し後ろを振り返ると彼の家が見える。

 夕方は虹色に輝く林も夜はなりを潜めている、少し寂しくなって後ろを振り返るがもう彼の家は見えない。

 夜になると下がる気温は、昼間の蒸し暑さに合わせた格好の私から熱を奪った風に対し、体は骨格筋の振動だけでは足りないと判断したらしい。

 私は脳髄の深くにある原初的な恐怖という自己防衛機能を震え上がらせながら、足早にアパートへの道を急いだ。

 やはり彼は私の妄想等ではない。歩きながら

 私はそう考える。

 私は彼の家に入ったのだ。

 相変わらず埃を被った、コードの差してあるテレビがあり、固めのソファーに私は座ったのだ。

 しかし、この程度の経験を私は何度もしており、その上で彼が私の妄想、私の受け入れ得ぬ私なのだという考えが私にこびりつき、惑わせる。アパートに着いた私は、指紋・虹彩・静脈の三段階認証を行う為にドアノブを二、三秒握り、ドアを直視した。

 鍵が音もなく開き、私が子供の頃にはまだ一般家庭には浸透していなかったこのシステムに時代の流れを感じる。

 この安アパートには近年流行りのベイパーバスなどついていない。

 シャワーを捻り噴出する水に与えられた方向性は、多くの分子の間に作用する力とともに思考組織を形成することを許されないだろうか。

 あるいはシャワーの噴出口の形に十分な複雑性を与え、面の形に縦方向の歪みを加えれば可能なのではないか。

 時間的な変化をもって思考とするときに、同じ出力からのエネルギーは現実世界において何に当てはまるかを考え、諦める。

 人間的な価値判断基準をもった水が噴き出すシャワーがあったとして、そのシャワーを浴びることによって自身が受ける、群の判断機構の予想を超えるエラー、吐き気がする。

 お風呂に入ると考え込んでしまう。

 この小学校時代からの癖は治ることなく、数々の思考結果は私自身にセメントの如く降りかかる。

 固まることを恐れては、思考する余地を守るために思考をしないということに成り、だったらより良い思考によりピカソの絵のごとく固まってやろうというのが信条だった。

 今は比較的どうでもいいのだけれど。

 体全体でお湯からの熱を受け取り、めぐる血行の中で水車的にブドウ糖以外のエネルギーで回る脳髄が繋げていくその繋がりのグループは、人間社会のように初めから海で分断されており、最初に入力された情報は文明進化を遂げる。

 方向性は判別できなくなり、最初に入力されたゾウという情報は拡散し、すべての言葉の意味は小さな思考を繊維とした意図に、糸になり、紡がれた服を着て歩くのはゾウでもあり全てである、その服の上で何でもできるようになった文明が滅びを待つ。

 結局の所何が何だか分からず、どこかで止めるには問いが必要だからこそ問いに憧れ、縛られて死ぬのだ――

 ああ、もう上がろう。

 お風呂から上がると留守電が入っていた。

 母親から、たまには帰って来いと、いつでもいるからと。

 明日は海の日だ、急に帰れば驚くかもしれないが、リニア一本で行ける上に研究所も忙しくなりそうなので明日帰ることにした。

 今日はもう寝よう。

 私が歩く圧力の変化は振動としてセンサーに伝えられ、足下の仄かな明かりを点灯させる。風呂上がりの私にはまだ思考がこびりつき、惑わせる。

 私の歩行で発生する振動は、シャワーによる方向性の付加と同じ側面を持ちはしまいか。

 かくして湯上がりの軽く朦朧とした思考はあり得ない発想、発展、収束、忘却のステップを踏む。紡ぎ出されたリズムに乗って、思考はまた踊る。阿波踊りだろうか、それともいい感じのワルツ?

 ベッドに体を横たえながら、それは私に意識の隔絶を許さない。眠れずに考え続ける。

 まあいい。とりあえず明日は実家に帰ろう。眠れぬついでに明日のリニアの時刻表を検索する……

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 ホームに立つ、暑い、ああ、お風呂との違いは何だろうか、思考が捗らない。

 地下を通らないリニアは久々で、少しワクワクしてしまうのは慣れないからだけなのだろうか。

 窓の外に見える景色はいつも拭い切れない新鮮さを持っていて、夏でも山々に見える緑はやっぱり体感温度を下げてくれるであろう気がするのは結局整った空調システムの為だろうと思うのだけれど、ああ、心地いい、目の前がぐるぐる回る、高い音が美的感覚に訴えかけてくる、この曲は聞いたことがある、ディープラーニングの進歩によって初めて出来たブランドのクラシック音楽だ、当時は大ヒットを巻き起こすとともに作曲作業の機械化、変質化によって社会問題にもなったらしい。

モーツァルトとショパンの曲をすべて学習させてから作らせるという暴挙により、それまでのささやかなものとは異色の音楽が出来る、一度聞けば混乱し、傑作を期待していた人々は理解のために何度も聞く。

 多くの人々の音楽センスが崩壊し、安定化のためかどうかは知らないがロックミュージックの売り上げがひそかに伸びたらしい、めげずに理解をしようと努めた人々は、音楽に感情が籠っていないため心に響か無いのだという謎の理屈を展開し、その曲の感情を切り出して繋げるという意味の分からない作業の末、なぜか大成功を収めディープラーニングの音楽のアレンジをするディープコンポーザーとして作曲家に取って代わった。

 急に体を襲う爆風、白と緑とでも青とでも黒とでも言えそうな色が交互に視界に入ってくる。

 冴えわたる頭、なびく髪をおさえて我に返る。

 そうか、さっきのはリニアの到着音か、明らかに熱中症の症状が出かけていた私は水を飲み、汗を拭いて開くドアから先に広がるであろう冷気を想像し、歓喜し、恐れを抱く。

 急に体を冷やして大丈夫だろうか。

 席に座ると、案の定少し寒くなってきて、座席に備え付けられているタオルケットに身をくるみ、空調を切る。

 プルルルといってベルが鳴り、扉が閉まったらしい。

 発信音は古くからこの駅で使われているものらしいが、詳しくは知らない。

 流れゆく景色を窓から眺める。

 町だ、街並みだ、彼がいる場所を詳しく地図などで調べたことはないが、此処からでは見えないだろう。

 林の存在は夢であることが望ましいが、ここから見えてしまったら私はどんな反応をするだろうか、ああ、在るんだ、と思って普段通りに過ごす気もするけれど、 ショックを受けて行かなくなる気もする。

 街並みは加速して行く。

 人々は原始の道具を持ち、マンモスではなくゾウになぜか突進してゆく。

 ゾウは世界を支えきれずに文明は滅亡するだろう、戦争による、争いによる発展に浮かれた人間共は瀕死のゾウに機関銃で追い打ちをかけた。

 銃の中の火薬は十分な複雑性により遺憾なく知能を発揮するが、化学反応により一瞬にして死をむかえる。

 芸術家たちはキャンパスの上に書き出したゾウの着ていた衣服の模写が予言図であることに気づき、芸術的な観点は初めて人類の役にたったのであるが、世論は滅びの運命よりも虚の上にたつ平和に重きを置き、そんな過程を通り熟成した交通手段は哲学の根本的な進化は究極であるかのように錯覚させ、自身で紡がれ、編まれ、ゾウの服に成り下がるのだ。

 繰り返す概念の外側にいるのは飛び出た繊維なのであるが、その繊維は同じ飛び出た繊維同士でしか紡がれないなどということは決してなく、量子的な確立に基づいてそこに存在している訳でも無いが、そんな状態と想像の概念の外側がどう違うかは実験が常にされ、データも揃っているにもかかわらず予測できない。

 彼はそんなところを知ることが出来る唯一の人であるように思えるのは間違いだろうが、それは一種の憧れだ。

 そんな彼が分かれて有象無象が溢れ出てくる。

 蛍光色の強い厚塗りのそれらが私にたどり着く前に消えてゆく……

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 …………は……てん……終点……です

 アナウンスに目を覚ます、どうやら眠っていたようだ。

 急いでタオルケットを畳み、ドアへ向かう。

 プルルルという音とともにドアが開く。

 ああ、此処だ、故郷の匂い、静けさ、一緒に降りてくる人などほぼいない。

リニアが引かれているのはひとえにその伝統で名を馳せる夏祭りのおかげだ。

 欠伸をしながら伸びをして、一つ深呼吸をしてから歩き出した。

 最早強烈に押し寄せ、引き戻り、勢い全ての思索、思考を共に連れていった郷愁の念は、今日の夕方、彼に会う予定であることなどほぼ完全に忘れさせていた。

 駅からバスに一時間程揺られ、道は林を二つに割き始める。

 林!瞬間脳裏に走った電光で彼との約束を思い出し、焦燥に駆られたが、連絡の術もなく、また少し早くこちらを発てば間に合いそうでもあったので、私はなんとか平静を保ち続けられた。

 同時に、そこまであの時間を私が余りに必要としていると気付き、軽く愕然ともした。

 バスは道を順調に、安全を十分に確保した、自動運転じみているという、実態に即した感想を抱かせつつ進んでいった。

 ああ、なんて不運な、空の色は判別できても、雨粒が散乱した光が混じったそれは本当に空の色なのか。

 風が鳴り、雷が地面を割る。

 バスは止まった、小さいころからの思い出で溢れる窓の外の山々は、表面の騒めきと共にいつもよりも大きくそびえ立つ。ああ、彼は待っているだろうか、何時ものようにベッドの上で何かを書きながら。夕飯も食べていくことになり、親は喜んだ。私は苦笑いを浮かべて細かい心情の変化を母親に伝えようとするが、そんなものが分かってもらえた試しなど一度もなく、よく考えると誰に伝わった試しもないのに懲りずにこんなことを続けているのは私だけではない、はず――

 彼のことだから少しくらい約束を破っても特に何も言わないだろうけど、良心を咎められる部分は拭えない。

 山菜を食べるのは久しぶりで、とても美味しかった。

 自身が高校の頃まで使っていた部屋には面白いものが沢山あった、折り紙の類はほぼ残っていなかったけど、押入れをあさっていたら使い残された折り紙があったので鶴を折ってみる、久しぶりの感覚、私のなけなしの芸術センスでも理解することができる単純で厚みを感じさせない幾何学模様に研ぎ澄まされてゆく感覚、心地よい、夕飯を食べて寝る前に思いもよらない幸運に恵まれた私はそのままの気分を壊さないように布団に入った。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――― 

 同じ夢を見る、形成されていく自己の社会解釈、増してゆくループの速度と共に概念の間の繋がりは切れるという意味での平均化を果たす。ああ、まただ、また自身は彼の存在を確認する、彼が分かれ飛び出してくる有象無象は折り紙と違い理解できない曲線を描き私に届かないうちに消えて――

 行かせてなるものか、とでも言うように繊維が集まってきた……

 私を概念の外側に編み上げて、彼を中心に形成されているであろう蛍光色の滲んだ空間に確かな足をもって歩を進める。繊維は染められてゆく、この世のすべてを内包しているかのような有象無象は私を取り込み、溶かしていく。意識に思考が伴わなければ行けないのはこの場合自身が思考であるからなのだけれど、セメントのように硬く絡まった信条は再燃を果たして溶けるものかと一般化を拒むのだ。

 一般の形が平均の直線でないことを信じている私はもはや抵抗を感じない。

 混ざる思考、一体化したからこそ見える数々の光はそれぞれの波長でまとまり、一斉に目に飛び込んできた。

 幻想的な虹色、心地よく木々の間を過ぎてゆく風。

 光は、なぜ混ざると白になるのか、複雑性は虹色の方があるのに――屹度こっちの方が綺麗なのに。

 行かなければいけない、夜になる前に。

 歩を進める、小道はどこまでも続き、何時もよりも長い道のりに顔をしかめる。

あ、ここは彼に出会った所だ、ここで昼食を食べたこともあったような、無かったような……

 まだだろうか、まだ抜けないのか、焦燥に駆られ急ぎ足になる。

 走る、走る、泣きそうになる、走って、ああ、もう嫌だと、なぜ行かなかったんだと、後悔する、駄目なのかと、許されないのかと、走る、走って、走って―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 たどり着いて、しまった……

「やあ、やっと来たようだね」

「あ、うん、来たよ、来たとも」

「そうだとも、君はやってきたのだ」

部屋は何時もより広かった、終始寝間着だった彼はきちんとしたシャツを身に着けている。

 窓から射す虹色の光は室内の明かりに負けて薄くなり、現実味が一気に増す、増しているのは現実味であってもそれは予想だ。

 何とも言えない苦しさと安堵を感じている私に判断など出来るはずも無いではないか、勧められて席に座る。

「さあ、今日も始めようか」

「そうだね」

とは言っても何を話すのか、

「質問はないかね」

「えっ」

彼は何についての質問をしろと言うのだろうか、

「ああ、無いのか、無いのは寂しい、何といっても今日は最後の対談なのに」

「最後、君は死ぬのか?」

「それが最初の質問だね、よろしい」

「死であるのはどんなときかな、例えば私が君の言うような病気の症状だったとして、私の死とは君が死ぬことであるのか君の病気が完治することであるのか、どっちだね」

「いや、君が私の病気である場合、きみはそもそも生きていないだろう」

「……そうかい、私は生きていないから死ぬことも出来ないという訳だね、分かった、しかし、私が質量を持った人物であったなら、君は私が死んだとしか解釈できないことは確かなのだ、君がどちらの解釈で私を取っても結果は変わらず、少なくとも君の人生に大した影響を与えることはないだろう、私が死ぬか死なないかなどということは全くもってどうでもいいのだ、他に質問は?」

「そうだ、あのノートにはいったい何を書いていたの」

「あのノートかい?あれには自身のことを写し書きしていたのだよ、君から貰った大切な問いによって思考の止めどころを見つけたから」

そう言って彼は私にノートを手渡す、そこには私がよく知る町の風景や多角形を無限の小ささから同じ物を使わずに積み重ねたようなモノでゾウがかいてあり、あるページには色が、音が、形が、味が、匂いが、手触りが書いてあった。

「これは、」

「君の記憶さ、この事実により君は私が死なないのではないかと勘ぐったかも知れない、しかしそれは違うのだ、私が書いていたとされるそれの内容が君の記憶であると断定できるのは現在この場所この瞬間だけであるから」

「何を言っているのかが分からないよ」

「そんなことはどうでもいい、君からの質問が無いのであれば最後にこちらの要件を伝えよう」

「君の話だ、君はただ生きている内に大切なのは死なないことよりも死なない方向に進むことだと言ったけれども、それは違う、そうだとしても、それを自覚しないことが大切なんだ、死なない方向に進むことは仕組みであり、目的でない、仕組みを意味と捉えるのは無理があるし、その二つが似通っていても意思と体感はすべて脳髄の内に詰まっていて相互を改変し続けるものなんだよ、私には君が死ぬのを阻止することはできないが、今の君が死なないことは君が将来永劫死なないことと同じくらい価値があるから、君は私が考えたことに賛同し、慕ってくれたものと思う、私の感謝は計り知れない。私が死ぬか、生きていないかしても、それは将来私が死ぬか、生きていないと君に知覚されることと同じくらい意味がなく、喜ばしいことなんだ、君は私のことなど忘れて、生きることを自覚しながら、生きる意味を自覚しないで生きてくれ」

「君は――あなたは、もう行くのかい」

景色が分解される、あらゆるものがほどかれていく、手触りが、

「その質問への回答はあやふやにせざるを得ない」

「え、」

匂いが、

「その質問の答えは君がこじつけるしかないんだ」

「あれ、おかしいな」

味が、

「全ての物事は確率であるから」

「待ってくれ!私はまだ君と話したいことが!」

形が、

「さようなら、君がいてくれて本当によかった」

「ああ、最後に、一つだけ……」

音が、

「君…………あ………………たの……たけ……」

「あ…………で……た、…….いた……す」

色がほどけて、全ての方向に全てがあふれる、彼に伸ばした手はないも掴めず、全てを掴んでまた消える――

溢れ出る感覚は濁流の如く押し寄せてきて、意識は浮上する。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 朝だ、心地の良い朝だ、何か夢を見ていた気がするけど、覚えていない。

「あれ、おかしいな」

頬を伝う涙は、なにか諦めのようなものを私に与えた――

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 あれからずいぶん経つ、私が約束を忘れ彼に会いに行かなかった次の日。

 皮肉なほどに晴れ渡った空の下あの林を探したが見つからなかった。

 不思議なことに彼がいなくなったのは分かり、薄情な奴だとは思ったけれど諦めはすんなりとついた。

 まあ、そんなもんだったのだろう。

 今年も夏が巡ってきたがこの町とももうさよならだ、仕事の都合で東京に行かなければならず、両親とも更に距離が開いて中々会えなくなるだろう。この駅が最寄り駅なのも今日までと思っても惜別も最早枯れていた。

 リニア乗る為にホームで待っているとどこからともなく一枚の葉が飛んできた。

「あっ!」

その葉の影は、虹色をしていた。

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