6:コハクの秘密
久しぶりに定時に登校したものの、授業にはまったく身が入らなかった。
先生の言っていた、『ウロボロスのシンボル』。蛇教徒達はそれを身に着けている。
もしかしたら、この学校にもいるかもしれない。そう考えてしまうと、キリがなかった。
「――もう授業終わった」
声がした方を向けば、コハクが僕の顔をじっと見ていた。
「テツヤ、何か考え事?」
「いや、大した事じゃないんだ」
笑い返してから、鞄に教科書を詰め込む。
真っ白なノートを見つめて、コハクが自分の鞄を漁り始めた。
「これ、貸しておく」
手渡してくれたのは、彼女のノートだった。
「助かるけど、良いのかい?」
「テツヤの役に立つなら」
「そうか。ありがとう」
小さく頷いて、僕の手を引いた。
「コハクも一緒に帰る」
「わかったよ。スズ――」
隣の席に座っているスズが、ムッとした顔で僕達を見つめていた。
何か気に障る様な事をしただろうか。
「……帰りましょうか」
そう言って、僕達を置いて教室から出ていった。
「スズ、嫉妬してる」
「なんとなく、僕もそんな気がした……」
もちろん、スズとはそんな関係ではない。むしろ、兄妹に近い間柄だと思っている。
けれど、この状況は少しばかり気まずい。
先をどんどん進むスズの後ろを、コハクと手を繋ぎながら歩いていた。
何度も手を離そうとしたが、彼女にぎゅっと握られたまま、断固として離してくれそうもなかった。
「今日はコハクの勝ち」
何を競い合っているのかわからないが、僕を巻き込まないでほしい。
「えっと、コハクの家はあっちじゃなかった?」
「今日は図書館に行く」
「何か用事?」
こくり、とコハクが頷く。
図書館に行く理由なんて、先生と会うくらいしか思いつかない。本を読むための空間とは言えない建物だからだ。
それは果たして図書館と言って大丈夫なのかは、とっくの昔から考えない事にしていた。
「おかえり、ご主人様」
図書館に帰ると、ミーテが出迎えてくれた。
そんな僕とミーテをの姿を見て、スズの表情がさらに曇る。
「……ご主人様?」
スズには僕とミーテの主従関係について、まだ伝えていなかった。
今後も伝える気はなかったのだが、こんなにも早くにバレてしまうとは。
「スズ、これは――」
「ミーテさん。テツヤさんとはどんなご関係に?」
「うん? 主従関係だよ?」
ミーテの言葉を聞いて、すぐにスズは僕に向き直った。
呆れ返った顔を僕に向け、口を開いた。
「小さい女の子がお好きみたいですね」
「……その誤解は、どうしたら解けるかな?」
「行動で示すしかありませんよ。ですよね、コハクさん」
スズの視線の先には、コハクが――僕の腕に抱きついていた彼女の姿があった。
コハクは無表情で、じっとミーテを見つめている。
すると、ミーテが何故か勝ち誇ったかの如く、コハクに不敵な笑みを見せた。
どうしてこうなった。
「ご主人様。ボクは何をしたら良い?」
「僕の部屋で待機しててほしい……」
「うん。ご主人様の部屋で待ってるね」
違う意味合いで聞こえる言い方をしないでもらいたい。
お蔭でコハクからは思い切り腕に抱きつかれ、スズにはそっぽを向かれてしまった。
「テツヤ、趣味悪い」
「僕にとっては胃に悪い……」
このままでは、どんどん雲行きが怪しくなってしまう。
だからといって、今は打開する術がないのだが。
先生がすぐに現れないという事は、どこかで僕達を眺めて楽しんでいるという事だろう。
まさかとは思うが、こんな光景を見たいがためにコハクを呼んだとは思えない。
「先生、そろそろ出てきてください……」
僕の言葉に答えてか、ホール転移の魔法陣が現れた。
中から現れた先生は、やはり笑っていた。
「お前さんにはいつも楽しませてもらえるな」
「楽しませてるつもりはないんですけど……」
「それは悪い事をしたな。さて――」
僕の腕をしっかりと抱きしめたままのコハクに視線を向けて、先生は続ける。
「来てもらって早速で悪いが、お前さんの家を見せてやってくれないか?」
「コハクの家?」
「少しばかり気になる事があってな。テツヤ、お前さんも付いていけ」
いきなりそんな事を言われても、状況が掴めない。
それに、スズはどうするのだろうか。
「スズは、今日は私の手伝いだ」
「……わかりました」
「不満そうだな?」
「何でもありません」
スズの返答に、先生は僕に向かってにやりと笑んだ。
また、何か悪い事でも考えているのだろう。
「気を付けて行け。何が起こるかわからないからな」
曲がりなりにもコハクの住んでいる家だ。何が起こるかなんて、大体の事は予想がつく。
もちろん、他の要素があるならば別だが。
「行こう、テツヤ」
「あ、ああ。それじゃ――」
「いってらっしゃい、テツヤさん」
そう僕に対して言った、スズの笑顔が怖かった。
「……ここがコハクの家?」
こくり、と彼女が頷く。しかし、不審な点しか見当たらなかった。
ボロボロの木造二階建て。とても人が住める状態とは思えない外装だ。
今にして考えてみれば、コハクの家を見るのはこれが初めてかもしれない。
まさか、こんな所に住んでいたとは、思いもしなかった。
「テツヤ?」
「あ、ああ。何でもないよ」
小首を傾げ、それから僕の手を引いて家の中に入っていった。
「これは……」
内装は外装とはまったく違い、新居同然だった。
外装はカモフラージュだった。とは、正直思えなかったが。
「お邪魔します……」
僕の手を引いたまま、リビングの前を通るコハク。
「おかえり、コハク。お客さんかい?」
父親らしき人物から声を掛けられた。
だが、コハクは何も答えなかった。何かあるのだろうか。
「友達のテツヤと申します。お邪魔させて――」
コハクに手を引かれ、半ば無理やりリビングから遠ざけられる。
何かあるのか問おうにも、まずはここから離れた方が良いと判断した。
コハクに連れられ、やってきたのは彼女の私室だった。
扉を閉め、彼女がすぐに鍵を掛ける。もう、何かあるとしか思えない。
「コハク、一つ聞いても良いかい?」
そう聞けば、彼女は首を振った。
あまり詮索してほしくないらしい。
「わかった。これ以上は聞かないよ」
こくり、とコハクが頷く。今はまだ、様子を見るしかない。
「着替える」
そう言って、ブレザーを脱ぎ始める。
慌てて部屋から出ようとすると、後ろから彼女に掴まれた。
「ここにいて」
「でも、さすがにそれは……」
「ここにいて……」
俯きながら、そう言う彼女の手は、少し震えていた。
振り返ってその手を握り返し、僕は頷いた。
「わかったよ。だけど、他の所を見てるからね」
僕の返事に頷いてから、早々に服を脱ぎ始める。
彼女を背に、衣擦れの音を聞きながら、ここまでの事を考え始めた。
まず、コハクとその父親の間には、人には言えない何かがある。
そして、この部屋で一人になる事を恐れている。
彼女の身の回りでは、一体何が起こっているのだろうか。
「終わった」
コハクの声に振り向けば、私服姿の彼女の姿があった。
やはり身の丈に合っていない、大きなセーターらしき服を着こんでいる。
隠したい何かがあるからこそ、身の丈に合っていない服を選んでいるのだろうか。
唯一見えている素足には傷や痣がないのは、少しばかり僕を安心させた。
「テツヤ、一つお願いしても良い?」
「うん? 話してみて」
「今日は泊まっていって」
いきなりそんな事を言われても、返答に困る。
だが、彼女は真剣な眼差しで僕を見つめていた。
「……何があったか、教えてくれるかい?」
そう問うと、コハクが僕に抱きついてきた。
震えている彼女を抱き寄せ、頭を撫でる。
これ以上は、何も聞き出せそうにはなかった。
「泊まっていくよ。コハクがそれで安心できるなら」
「……ありがとう」
しばらく彼女を抱きしめたまま、緊迫した時間が流れていった。
夜になっても、コハクはずっと僕に寄り添っていた。
学校では一切見せない、彼女の素顔。それが今、はっきりと見えていた。
「少しは落ち着いた?」
こくり、とコハクは頷く。
ずっと震えていた彼女も、ようやく安心したのか、震えも止まっていた。
「困っていたら、いつでも呼んでくれて良かったんだよ?」
「……見せたくなかった」
だから先生は僕に、コハクの家に向かうように言ったのだろうか。
こんな方法でしか、彼女の家に行く事はできないと判断して。
「コハクの事は必ず守るよ」
僕を見上げ、嬉しそうに微笑んで頷いた。
彼女のこんな顔を見たのは初めてかもしれない。
それだけ、彼女は追い詰められていたのだろう。
本来ならば休めるはずの自宅で、気楽に休む事が出来なかったのだから。
「もう寝よう?」
コハクが机に置かれていた時計を見て、僕の手を引く。
二人揃って彼女のベッドに座るが、これからどうするのだろう。
「えっと、僕は床で寝るよ」
そう言うと、コハクが首を何度も振った。
だからと言って、一緒に寝る訳には――
「お願い」
「えっと……」
「ダメ?」
純粋な目で僕を見上げ、僕の返答を待っていた。
ここまでされたら、僕も答えない訳にはいかない。
「わかったよ。それでコハクが安心するなら」
そう返答すると、また彼女に抱きつかれた。
抱き寄せて、優しく頭を撫でる。
今の僕には、これくらいの事しかできない。それが悔しくてならなかった。
ベッドに入っても、コハクは僕を離そうとしなかった。
逆に目が覚めてしまうが、今回ばかりはどうしようもない。
安心した様に眠る彼女の寝息が、今は心地良かった。
彼女を抱きしめて、僕も目を瞑った時だった。
「――コハク」
閉じたドアの先から、男の声が聞こえた。
声から察するに、昼間にリビングで出迎えてくれた、コハクの父親だろう。
ピクリ、とコハクが身体を震わせ、目を覚ました。
間違いない。彼女を不安にさせていたのは、彼女の父親だ。
起き上がり、ドアを見つめる。
鍵が掛かっているから、仮に破ろうとしてもすぐには入れないはずだ。
背中には身体を震わせている、コハクがくっついていた。
懐から絵筆を取り出し、何があっても大丈夫な様に、ドアに向かって絵筆を向ける。
「コハク、ここを開けてくれないか?」
僕の背で震えたままのコハクは、一向に動こうとはしない。
彼女を庇う様にしながら、息を飲む。
ガチャガチャとドアノブが何度も回る。
そして、大きな音を立ててドアが軋んだ。破るつもりだ。
やがて破れかけたドアの隙間から見えたのは――
「嘘だろ……」
腐りきった顔をした何者かが、ドアを突き破ろうとしていたのだった。
ここまで読んで頂き、ありがとうございます。
次回はまた1週間前後で投稿したいと思っています。
では、また次回まで。




