9:力の代償
「――すぐに治してあげるからね、コハク」
男はそう言うと、変形した左腕を振り上げ、床に叩きつけた。
部屋が揺れ、振動と共に僕に向かって亀裂が入っていく。
転がる様にして避けると、亀裂は僕の隣を抜けて止まり、そして火を吹きだした。
燃える木造のリビング。けれど火は広がらず、すぐに消えていった。
「神様がくれた力なのに、拒む訳ないよね、コハク?」
男の言葉に、コハクは首を振る。
「拒む、と言っているが?」
「君は黙っていろ!」
――ものすごい衝撃だった。
男の一振りを伏せてかわせば、頭上を通り抜けただけで辺りの空気が振動し、轟音で何も聞こえなくなる。
遅れてやってきた風圧に耐えられず、そのまま壁に叩きつけられた。
「うぐっ――!」
目前に伸びてきた男の左腕からコハクを庇うと、引きはがされる様に掴まれ、そして投げ飛ばされた。
痛みで声が出ない。骨を何本かやったらしい。
何よりも痛手なのは、右手が動かない事。
身を庇っただけでもこの始末。使えなくなってしまった右手で何が描ける?
激痛で歪む視界の先に、倒れているコハクに手を伸ばす男の姿が見えた。
「もう保ちそうにないね。ここで薬を使おうか」
ポケットから取り出したのは、何かの薬品の入った小瓶だった。
このままでは、またコハクに薬を使われてしまう。
何か手は。せめて、明確に描ける物があれば――どうやってあの男に描くというのだろう。
近くに転がっていた木片を拾い、男に向ける。
何を、どうやって、描く。考えている暇なんて、もうない。
ワイシャツの上から右腕に文字を描く。血で滲んで見える文字は「Cure」。治療ではなく、無理やり『治す』。
体内のマナを消費しながら急速に治っていく右手は、痛みこそあれ動きはする。
次は男の身体にどう描くか。右手は動くが身体はもう動きそうにない。魔力の消耗が思ったより激しかった。
ふらふらになりながら男を見ると、突然視界が真っ赤に染まり、男の左腕に魔法陣らしき物が見えた。
無意識のうちに右手を伸ばし、男に描かれていた魔法陣をなぞっていた。焼ける様に痛む左目を一切気にせずに。
叫び声が聞こえた。男の苦痛に歪む悲鳴だ。
男の左腕が砕け散り、力なく倒れていく男の姿が見えた。
痛みに耐えかねて左目を押さえ、右目だけでその行く末を眺めていた。
「テツ、ヤ……?」
動かなくなった男から離れる様に、ふらふらとコハクが歩いてくる。
やがて僕に辿り着くと、崩れる様にその場に座り、小瓶を渡してきた。
「これ、先生に……」
手渡された物は、男がコハクに使おうとしていた薬品の入った瓶だ。
どうしてこんなものを先生に渡す必要が……?
「――先生」
そう呼ぶも、返事は返ってこない。それもそのはず、結界が張られていてもおかしくはない。
木片で床に文字を刻む。
「Destruction」。コハクの闇ごと破壊する、そんな気持ちで。
ここまで読んで頂き、ありがとうございます。
次回はまた1週間前後と考えています。
では、また次回まで。




