表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
午前三時、202号室の団欒  作者: 西田三郎
7/10

その朝、あたしは早く目覚めた

 その夜、あたしは裏野ハイツには帰らなかった。


 大学で裕子を見つけて、飲みに誘う。

 ちょうど週末だった、ということもあったが……特に、理由は言わなかった。

 あたしはあんまりお酒に強くない。裕子はけっこう飲む。


 居酒屋で、飲んで、飲んで、飲んだ。

 どうでもいいバカ話をして、大声で笑った。

自分でもかなりヘンなテンションだったと思う。


裕子は最初、戸惑っていたみたいだけど、彼女も酔いが回っていくうちに、あたしに合わせて浮かれ、騒ぎ始めた。


とにかく、裏野ハイツに帰りたくなかった。

あたしはベロベロに酔っ払い、裕子のマンションに泊めてもらうことにした。

……というか、裕子を飲みに誘ったのはそれが目的だったのだけど。


裕子の部屋で入れ違いにシャワーを浴び、裕子は自分のベッドで、あたしは床にクッションを敷いて寝た。眠りに落ちる少し前、裕子に声を掛けてみる。


「やっぱり、友達って大事だよね」

「え、なにそんなワザトラシイこと言ってんの?」

「ううん……なんでもない。裕子……ずっとあたしの友達でいてね」

「今日はヘンだよ、あんた」


あたしは寝返りを打って、ベッドの上で目を閉じている裕子を見た。


「ヘンだったかな?」

「なんかあったの?」


確かに、ここ数日、いろんなことがありすぎた。

いや、いろんなことがあった、というのは、すべてあたしの主観のなかでの出来事だ。

 それを、いったいどうやって裕子に説明すればいいのだろう?

どうやって、理解してもらえればいいのだろう?


「……なんでもない」

「そっか……じゃ、わたし寝ちゃうからね」

「うん、おやすみ」


裏野ハイツの部屋よりも、ずっと狭いワンルームだけれど、ここなら深夜に、隣の部屋から食べ物の匂いがただよってくることはない。

人が騒ぐ声が、聞こえてくることもない。


少なくとも、今晩のあたしは安全だ。


あたしは、目を閉じた。

ゆうべ、ほとんど眠れなかったうえに、散々お酒を飲んだせいだろう。

電池が切れたみたいに、あたしは眠りに落ちた。








 朝日があたしの顔を照らしている。

近くの公園から、蝉がわめき立ている。


近くの公園……?


ここは裕子の部屋だけど、この蝉の声は裏野ハイツで毎朝聞かされている、あの公園からの喧騒とそっくりだ。


トーストを焼く匂い。

コーヒーの香り。

フライパンで、ベーコンかハムの脂がはぜる音。


(え……裕子、あたしに朝ごはん作ってくれてるの?)


あたしは目を開いた。

東向きの窓からの朝日。見慣れた天井……いや、少し違う。

木目の雰囲気もシミも、見慣れた天井とは少し違う。


(う、嘘でしょ?)


ここは裏野ハイツだ。

慌ててベッドの上で半身を起こす。


ダイニングキッチンに、パジャマ姿の後ろ姿が見えた。

男だ。白髪混じりの、中肉中背の後ろ姿。

鼻歌を歌いながら、その男がキッチンで朝食を作っている。

裏野ハイツの、あたしの部屋ではない別の部屋で。


「あっ……あのっ……えっ?」


そのときあたしは、自分がなにひとつ身につけていないことに気づいた。

男が、あたしに振り返る。


「あっ……起きたんだね? もうすぐ朝ごはんができるよ、お姫さま」


 あの男だ。

一昨日の夜、201号室のお婆さんが階段を登るのを手伝っていたとき、親切に手を貸してくれた、 あの101号室の男。

スーツ姿ではなかったけれど、あのときと同じ愛想のいい優しそうな笑顔で、あたしを見ている。


あたしは自分の胸が丸出しになっていることに気づいて、慌ててシーツを搔きよせて隠した。

 そして、ベッドの上で後ずさる。


「こっ……ここ、どこ? 」

男性はフライパンを手に、きょとんとして言った。

「どこって……部屋じゃないか」

「な、なんであたしが、ここにいるの?」


男性はにっこり笑うと、やれやれ、という感じで肩をすくめ、フライパンをレンジに戻してレンジの火を止めた。

そして……愛想のいい笑みを浮かべたまま、あたしのほうに歩いてくる。


「どうしたの? 寝ぼけてるの?」

「こっ……来ないでっ!」


あたしはお尻のうしろにあった枕を引っ掴むと、男性に投げつけた。

枕が男性の顔に当たる。でも、男性は愛想のいい笑みを崩さない。


「お姫さまは、ずいぶん寝ぼけてるみたいだなあ……ここは僕たちの部屋。裏野ハウス101号室。君は、僕と半年前からこの部屋で暮らしている……それは、なぜだと思う?」

「し、知らないわよっ! な、なんであたし、ハダカなの? あんた、あたしに何をしたの? ……あたしの服はどこ?」


また、男性が肩をすくめる。“やれやれ”の仕草だ。


「ゆうべのこと、ぜんぜん覚えてないの? 結婚して半年……きのうの君はなんというかいつになく……はげしかったよ」


 一昨日の夜、おばあさんから聞いたことばがよみがえる。


『……たしか、えらい若い奥さんと一緒に暮らしたはるみたいやで……お姉ちゃんと変わらんくらいの、若い女の子と……』


あたしは叫んでいた。


裏野ハイツ中どころか、この町全域に響き渡るような金切声で。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ