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午前三時、202号室の団欒  作者: 西田三郎
2/10

すき焼き

 その夜。

 バイトのない日だったので、結構夜更かししてからベッドに入った。

 さすがにここのところ、クーラーを点けずには眠れない。

 それに、女の一人暮らしで窓を開けて寝るのは不用心だし。

 おかげさまで、ぐっすりと眠ることができた。

 あの声を聞くまでは。



(…………ほら、もっと飲んで!)

(おっとっと……こぼれる、こぼれるよ)

(もう肉、食べられるよ。ほら、もっと食べなよ)

(ママ! ママ!)

(まだまだ肉も野菜もいっぱいあるから、ほら、もっとビール飲んで!)



 ……最初は、夢だと思った。

 実際、あたしはその声のせいで、家族ですき焼きパーティをやっている夢を見た。

 夢のなかで、わたしも、父も、母も、妹も……笑いながらすき焼きを囲んでいた……でもあたしは、たとえ夢であってもその光景に違和感を抱いていた。

 



(それでは……の……を祝して……カンパーイ!)

(カンパーイ!)




 そこで、飛び起きた。

 部屋はしんとしていた。クーラーが静かな音を立てるだけで。

 まるであたしが飛び起きたのを合図に、一斉に宴がお開きになったように。


(夢……?)


 時計を見ると3時前だった。

 あたしは1LDKの部屋の奥にある洋室の北側の壁にベッドをくっつけ、東向きのベランダを枕にして眠っている。

 そうすると、差し込んだ朝日が気持よく起こしてくれるので。


 声のした方向を見る……やはり、隣の部屋からだ。

(……いや、夢じゃない。だって……)

 なぜなら、かすかなすき焼きの香りがこちらに届いている。

 ほんの少し、タバコの匂いもする。

(ってことは……隣? でも……夜中の3時だし)

 ベッドから半身を起こして、南側にある押入れと物入れの殺風景な風景を見つめた。

 もう、声は聞こえてこない……ただ、残り香だけが残っている。

 

 物音がしたとするなら、隣の202号室からだ。

 なぜならあたしの部屋は、2階に3つある部屋の中で一番北側の203号室。

 大学から帰ってきたときに会ったあの3人家族の、ちょうど真上になる。


(でも……隣の部屋って確か……)


 ずっと空き室だったはずだ。

 少なくとも、あたしがこのマンションに越してきてからは。


(それに、夜中の3時にすき焼き? それに子供の声もしたけど……)


 子供といえば……このマンションで見かけたことがある子供は、この部屋の真下にに住んでいるあの子……タカユキくん、だっけ? ……だけだ。


 ふつうなら、夢だと思ってそのまま寝直しただろう。

でも、すき焼きの匂いがあたしを寝かせなかった。

辺りは静まり返っている。壁に掛けた時計がカチコチいう音。

どこかかなり遠くから、救急車だかパトカーだかのサイレンの音。

近くの公園で、カラスが鳴く声。

静かだ。普段、深夜に聞こえてくる自然な音以外、なにも聞こえない。


(…………やっぱり、夢?)


でもすき焼きの残り香は残っている。

あたしは近くにあったフード付きパーカーを羽織り、お財布だけを握って部屋を出た。

 とにかく、あの濃厚な、甘ったるい肉の匂いから逃れたかった。


部屋を出て、隣……202号室の表札を見た。

表札は掛かっていない。


外付けの階段を降りて、ハイツの前のガレージに出た。

タカユキくんが描いた6つの箱と、たくさんの人影の絵が残っている。

あたしはなぜか、それを水たまりみたいに避けて敷地から外に出た。


ハイツの裏手にある一番近いコンビニまで歩く。

こんな時間に女の子の一人歩きは危険かと思われるだろうけれど、幸い、このあたりの治安はものすごくいい……と聞いている。


コンビニに着いたとき、雑誌コーナーに一人男性がいた。


(……あれ?)


30代くらいの、痩せて背の高い男性だった。

髪はボサボサで、ヒゲは伸び放題。

いかにもだらしない、ネズミ色の上下ジャージにサンダル姿。

あまり、近寄りたくないタイプだったけど、あたしはなぜか……その人をどこかで見かけたような気がした。


ダイエットペプシを買う。

コンビニの店員さんは、はじめて見る眠そうな太った男の子で、たぶんわたしと同じくらいの年頃だろう。

はじめて見るのも無理はない。

なぜなら、あたしがこんな時間にこのコンビニに来るのははじめてだから。


会計をすませたとき、ちょうど雑誌コーナーにいた男性が店を出て行った。

立ち読みだけで、結局なにも買わなかったようだ。

別に追いかけるつもりじゃなかったが、あたしが店を出ると、前方にくたびれた足取りで歩くネズミ色のジャージ姿が見えた。


あたしは裏野ハイツに向かって、ゆっくり歩き出した。

男性があまりにもダラダラとした足取りだったので、追い越さないように気をつけながら。


(……でも、あの人……ほんとにどこかで……それに……えっ?)


ジャージの背中を尾行しているような感じになっている。

なぜなら彼は裏野ハイツの裏手を回り込んで、確実にハイツの方向をめざしていたからだ。


(ってことは……同じアパートの住人?)


 それなら、前に見かけたことがあっても不思議ではない。

 でも……なぜか、違和感を拭い去ることができない。

 予想どおり、男性は裏野ハイツの敷地内に入っていった。

 あたしはまるでほんとうに彼を尾行している刑事みたいに、近くの電柱の影に隠れて、彼が鍵を取り出し……一階の真ん中の部屋、102号室に入っていくのを見守った。


 102号室の明かりが灯る。

 あたしはそれでも、電柱の陰から動けないでいた。

なぜなら……コンビニで見かけた彼の顔をどこで見かけたか、急に思い出したからだ。



 前に彼を見たとき、彼は髪の毛を茶髪に染めていた。

あんなに髪の毛を、ボサボサにはしていなかった。

少しヤンキーがはいっているけど、身綺麗にして、明るく笑っていた。


あたしが彼を前に見かけたのは、確か1ヶ月ほど前に大学から帰宅したとき。

彼は若くて綺麗でギャルが奥さんと、小さな男の子……タカユキくんと一緒に外食に出かけようとしているところだった。


 そう、彼は……彼ら家族は、103号室で暮らしているはずだ。

あたしの記憶が確かならば。

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