⑥弱者と愚者
中央食堂の一角で言争っていた龍弥と怜司だが、配膳係の人が頼んでいた定食を持ってきたために、仕方なく休戦することとなった。
踏んだり蹴ったりな龍弥は、その後公衆の面前で大声を出してしまった事を恥じて、嘘のように静かになってしまった。
現在彼らはほとんど食べ終わった食器を前に、のんびりと食後の余韻に浸っていた。
「む? あれは……」
龍弥がコンビを組んだことを後悔している中、怜司はとある女生徒の姿を発見した。
「……アレはお前の知り合いだろう? 確か、水瀬彩月だったな……」
その言葉を聞いて、龍弥は彼の視線の先を向く。
そこには食べ終わった食器を運ぶ彩月の姿があった。
「……何で知ってんだよ?」
龍弥は怜司の口から彼女の名前が出たことを訝しんだ。
「俺はお前のコンビになろうと躍起だったんだぞ。交友関係や噂、そして性癖、そのくらい当然把握している」
「最後おかしいのあったぞ!?」
不服を申し立てる龍弥を無視し、怜司は勢いよく席を立った。
「おい、水瀬!!」
彼は何を思ったのか、彩月の名前を大声で叫んだ。
「オイ!? ちょっと――」
その行動に焦る龍弥。飛びついて怜司を制止しようとするが、時すでに遅く、彼女は二人の下へとやって来た。
「……はい? あの、どちら様――――ッ!?」
何事かという表情を浮かべる彩月だが、龍弥を視界に捉え、その表情が凍りついた。
「初めましてだな。俺の名前は氷室怜司と言う。学年は三年だ。今はお前の幼馴染である五十嵐龍弥、彼とコンビを組ませてもらっている」
「え――!?」
怜司の突然の発言に、彩月は目を見開いて驚く。そして当の本人である龍弥へと鋭い視線を向けた。
「……本当なの? アンタ……」
「いや、まあ……」
彼女の問いかけに、龍弥は言葉を濁す。彼は早くこの場を脱出したかった。
だがそんな龍弥などお構いなしに、怜司は淡々と話を続ける。
「コンビを組もうと申し出たら、二つ返事で了承してくれてな。すでにお互いの性癖まで理解しあっている」
「ほぼ間違いじゃねえか!? いい加減にしろ!!」
必死に否定する龍弥だが、彩月はそれを聞いて眉をひそめた。
「……やめといた方が良いですよ、コイツとコンビなんて。百害あって一利なしです」
彩月ははっきりとした中傷の言葉を述べる。
だが怜司は表情一つ崩さない。それどころか、龍弥を褒めるような言葉を並べ立て始めた。
「そうか? 俺は微塵もそう思わんがな。ここ数日過ごして分かったが、俺のパートナーはコイツしかない……そう思ったぐらいなのだが?」
自信満々に、少しも淀むことなく、彼ははっきりと言い切った。
怜司の言葉に、彩月の剣幕がより厳しい物へと変わる。
「……何を言ってるんですか。コイツはこの学園でも有名な不良ですよ? 百人に聞いたら、百人が屑だって答えます」
「なるほど。どうやら俺は百一人目みたいだな。これは大発見」
茶化すような怜司の物言いに、彩月は段々と苛立ちを露わにする。
「そもそも他のヤツがどう思うかなんて、俺には無関係だ。誰が何と言おうと、他ならぬ自分が、その人間がどんなヤツなのかを理解していればそれで良い。短い期間だが、俺は龍弥を、他人に後ろ指を指されるような人間だとは思わなかった。そして、それは間違いない事実だと確信している。……水瀬。お前は龍弥の近くに居た癖に、そんなことも分からなかったのか?」
「――な!?」
怜司の予想外の反撃に、彩月は激しく動揺する。
そしてそれは龍弥も例外ではなかった。
彼は信じられないものを見るように、怜司の姿を観察した。何をそんなに自信満々に、自分の事を理解しているなどと言えるのか。彼には全く分からない。およそ尋常ではない行動を取る怜司であるが、龍弥への態度が最も謎だった。
すると彩月の後方から、長髪の女子生徒が現れた。
「ちょっと、彩月……アンタどこ行ってんのよ? ……って、この人達……誰?」
彼女はどうやら彩月の友人か何かの用であるが、当の彩月はそれどころではない様子である。
「……氷室先輩って言いましたっけ? 今だけですよ、そんなこと言えるのは……!!」
語気を強め、敵意を隠そうともせず、彩月はそう言い放った。その姿は一見すると、怨嗟か、もしくは嫉妬から来る物のようであった。
「やれやれ、酷い言われようだな。龍弥、お前一体何をしたんだ? この幼馴染からは、相当なツンを感じるぞ?」
「……」
怜司の問いかけに、龍弥はただ沈黙する。
「ちょっと待って……氷室って、あの変態の!? 彩月!! ヤバいって、その人!!」
彩月の友人らしき女子生徒は、氷室という名前に戦々恐々とした反応を示す。
「この人……女子にセクハラまがいの事をしたり、人の秘密を根掘り葉掘り探って、脅迫したりするっていう話よ!? だから、関わったらヤバいって!!」
怜司の悪評を聞いたことがあったのか、彼女は彩月へと耳打ちする。それを聞いた彩月は、蔑むような目つきで怜司へと向き直った。
「……へえ、そうだったんですか。どおりで龍弥に声かけるわけですね。そんな最低な人だったなんて。……龍弥、こんな人と組むなんて、アンタ本当に落ちたわね」
彩月は吐き捨てるようなセリフを龍弥にぶつける。
彼女の言葉に、怜司は両手を上げて、手に負えないといった素振りをする。
「おやおや。またもや人から聞いた話だけで、俺がどんな人間かを分かったつもりになったようだな? 俺にもツンを見せるなんて……サービス精神旺盛だな」
「何言ってんのよ!? アンタが変態の最低野郎っていうのは本当でしょう!? 私は直接、被害にあった子から話を聞いたんだから!!」
悪びれもしない怜司に女子生徒は食って掛かる。
「……貴様の名前は、坂本涼子だな?」
怜司はメガネを怪しく光らせた。
「……は? 何で私の名前を……」
「お前は俺を最低野郎だと罵るが、お前はどうなんだ?」
自分の事を知っている怜司に、涼子と呼ばれた女性徒はたじろいでしまう。
「……何が言いたいのよ!?」
涼子は狼狽えながらも、必死に言い返す。
すると彩月が彼らの間に割って入った。
「ちょっと待ってください。……先輩、涼子は私の大事な友達です。彼女を馬鹿にするようなら、私も黙っていません」
彼女を庇い、怜司へと挑む様な態度を見せる彩月に、涼子は安堵の表情を浮かべる。
「――佐々木君」
だが怜司は余裕の表情のまま、ある男性の名前を呟いた。
「……は? 誰ですか、その人?」
彩月は聞いたこともない人の名に困惑する。佐々木君、その名前には龍弥も当然の如く心当たりはなかった。
怜司は三人を見回して、ゆっくりと彼の事を説明し始めた。
「佐々木君とは、坂本涼子が男女交際をしている相手の事だ。同じ二年生に在籍している、真面目で優しい男子生徒。……しかし、ある事情によって現在彼は入院している」
「――何でそれを!?」
涼子は目ん玉をひん剥いて、驚愕を露わにする。
「……涼子!? 誰かと付き合ってたの!? 私には何にも……」
そのやり取りを見ていた彩月は、友人の知られざる恋愛事情に戦慄する。
「え!? あ、いや、言おうと思ったんだけど……その……」
涼子はあたふたと何かを言おうとするが、怜司が笑いながら答えた。
「無茶言うな、水瀬。坂本と佐々木君は、今や破局寸前なんだ。そんな状態で、彼の事を紹介できるわけがないだろう? そもそも佐々木君が入院したのは、その女が原因なのだからな」
「え!? そうなの!?」
彩月は突然明らかになった、友人の崖っぷちな恋模様に驚愕する。
涼子は怜司の執拗な指摘に、顔が真っ青になっていた。
「佐々木君は、坂本からの執拗なメンヘラ攻撃によって、体調を著しく崩してしまったのだ。夜中に何度もかかる電話の音。他の女子と話しただけで数時間に渡る説教。掛ける言葉を少し間違えるだけで、『私なんて要らないんだ……死にたい』とSNSで呟かれる始末。ホント、涙なしには語れないな」
「うるせええええええ!! アンタに何が分かるのよ!? そもそも、その話!! 一体誰から聞いたのよ!?」
涼子は末期の力を振り絞って、怜司へと挑む。
「え? 本人だが?」
「うがあああああああ!? 嘘だああああああ!? 佐々木君がそんなことを、アンタなんかに話すはずがない!!」
顔を真っ赤にして、涙を流しながら暴れ出す涼子。
その姿を見て、龍弥は悲しい気持ちになった。怜司の玩具になってしまうと、あんな風になるのか。彼女の行動は若干行き過ぎだが、男女間の事柄なのだから、当人たちだけで話し合えば済む話のはず。だと言うのに弄ばれるなんてかわいそう。と、龍弥は彼女に同情した。
一方の怜司は楽しそうに、さらに話を続ける。
「彼からはこんなことも聞いた。『佐々木君が寂しくないように、アタシの下着をあげるね。これでアタシが居なくても、問題なく夜を越せるね』……お前がそんな事を、彼に言ったと。……流石にないと思うぞ」
「あががががががが!? 嘘だああああああ!? 佐々木くんんんんん!!」
彼女は最早、人語を話すことすら困難になる程、狂ってしまった。
「……涼子、それはちょっと……」
涼子の言動に、彩月は苦虫を潰した様な表情になった。友人が思いの外、変態であることにショックを受けているようだ。
そして龍弥は我関せずを決め込んでいたが、とりあえず彼女に同情するのは止めることにする。そして変態に絡まれた佐々木君へと、涙を禁じ得ない所存だった。
怜司は頷きながら、尚も口火を切る。
「ああ。普通の男子には、まずは裸の写真とかを送るべきだ」
「そうじゃねえだろ!? それも変態だろうが!?」
我慢できなくなった龍弥は、これ以上事態がおかしくなるのを防ぐために、怜司へとツッコむことにした。
「え? でもステップアップが急だと、相手もびっくりするだろ? 彼は俺達と違って、まだまだなんだから」
「いや変態のキャリアアッププランについて、異議があったわけじゃねえ!! あとドサクサに紛れて、俺の事まで変態に加えんな!! 俺は普通だ!!」
佐々木君という男子まで、変態の餌食にするわけにはいかない。彼が変態によって心に傷を負ったというなら、龍弥は少なからず彼の力にならなければならない。変態に巻き込まれてしまった者の、見えない連帯感のようなものがそこにはあった。
「くそおおおおおお!! 何でアンタみたいな変態が!! 許せないいいいいい!!」
変態的な行動で、佐々木君という健全で普通な男子を追いつめた涼子は、怜司を親の仇のように睨み付ける。
「お前達が人から聞いた印象だけで、俺達を好き勝手言うからだぞ。まずは自分達から改めてはどうだ? とりあえず、裸土下座でもしておけ」
「やっぱり変態じゃん!?」
先ほどまで危険な雰囲気に包まれていた空間は、現状さらに危機的な状況へと移行していた。
早く帰りたい、と切に願う龍弥。
「もし白黒決着を付けたいのなら、勝負するか? この学園ならではの、正しいやり方で」
怜司は人差し指を立てて、そう彼女たちに提案する。
「……決闘ですか?」
彩月の言葉に、怜司はニヤリと詠美を浮かべる。
「その通りだ。二対二のオーソドックスなバトル……やる気はあるか?」
生徒間で揉め事が起きた場合は、決闘でケリを付ける。それは秀英学園で生活を送る彼らにとって、常識のような物。不満があるのなら、双方とも相手を力でねじ伏せる。秀英学園という弱肉強食の世界では、強い物こそ正しいのである。
怜司の挑発的な態度に、涼子は鼻で笑って言い返す。
「アンタ正気!? 知ってるのよ、アタシは!! ……アンタが能力者じゃないってことを!!」
「……何だと!?」
龍弥は涼子の言葉に驚愕する。
能力。それはこの学園に住まう学生たちが持ち合わせる特殊な力のことである。
ある者は手から炎を起こし、またある者は何もない空間に武器を作り出す。現実には考えられないような、不可能を可能にする力。
秀英学園では、全ての学生に能力を得るための機会が与えられており、才覚さえあれば、誰でもこの摩訶不思議な力を行使することが出来る。そしてより優れたエリートを養成するという目的で、彼らに能力を用いた競争を行わせてる。
それは逆に言えば、能力を持たない者――一般人のままでは、圧倒的な不利に立たされることを意味していた。
事の重大さを理解している龍弥は、まじまじと怜司を見つめる。
「おいおい、俺に興味津々か? いつでも俺の事は教えるぞ? 何から何まで……な」
「結構です!! というかアンタ、能力を使えないのだとしたら、無条件のバトルだとヤバだろ……」
怜司が無能力者であるという事実に、龍弥は危機感を抱く。能力者と一般人では、知恵比べぐらいなら何とかなるが、格闘戦などの直接的な対決では話にならない。事実、この学園のランキング上位は、全て能力を持つ者によって占拠されている。
が、怜司は少しも不安そうな素振りを見せない。
「能力なんて、無くても問題ない。大体、お前が居れば負けることはない。……お前の力は、この二人が束になっても問題ないぐらいに強いだろ?」
その言葉に彩月はキッと目を細める。
「大した自信、いや他力本願ですね。卑怯なことしか出来ないくせに」
どうやら彩月にとって怜司は、最低な人間であると決めつけられたようである。
「それで、どうするんだ? 受けるのか? それとも尻尾を巻いて逃げるか?」
怜司の一方的な挑発に、涼子が雄たけびを上げた。
「アンタは叩き潰す!! そして佐々木君を取り戻す!!」
大した意気込みであるが、さすがにそれは無理だろうと龍弥は思った。例え龍弥たちに勝利したとしても、その願いが叶うことは無い。むしろ、佐々木君という会ったこともない被害者にとって、取り戻されるのは余りにも惨い。
怜司は涼子の了承を確認し、次に彩月の方へ目線を移す。
「私もやります。……どうやら痛い目を見なきゃ、分からないやつが居るので」
「――ッ」
彩月の冷たい視線に、龍弥は体が熱くなった。
彼女と関わるのは龍弥にとって不快以外の何物でもない。彼は本来、彼女とは何も接点を持たないまま、日々を過ごしたかった。
――だが、向かって来るというならば、薙ぎ払うだけだ。誰であろうとも。
龍弥は、昔は仲良かったはずの幼馴染を敵と見なした。
「良いだろう。では明日、四人で決闘を行う。場所は学園側に決めさせることにしよう。それでいいな?」
全員が怜司の言葉に頷き、ここに決戦の火蓋が切って落とされた。
「ついにこの時が来たな、龍弥。……俺達の初戦が」
怜司は傍らの龍弥にそう呟く。
「……そうですね」
龍弥は彩月を見つめながら、怜司へと答える。
彼女の目には、殺意に近いほどの感情が宿っていた。
「……」
丁度いい機会かもしれない、と龍弥は思う。
それは自らの中に燻っていた、願いや憎しみに決着を付けることを意味していた。