⑤三大変態ERO
ポカポカとした陽気が降り注ぐ、そんな爽快な昼下がり。
秀英学園の中心。学生たちの集う中央食堂に、龍弥はやって来ていた。
中央食堂は一度に三千人以上を収容できる、広大な敷地面積を持つ建物であった。二十四時間営業の食堂内はフードコートになっており、ヨーロッパ、アメリカ、日本食、さらにはファーストフードチェーン店など、ありとあらゆる料理が用意されている。
「まだかよ、あの変態……」
その入り口付近で、彼はある人物を待っていた。
「ごっめーん!! 待った~」
すると甲高いが野太い声とともに、メガネ男子が手を振ってやって来た。
「キモい!! そしてかなり待ったんですけど。……三十分遅刻だ」
龍弥はそのメガネ――怜司に、不満の声を漏らす。
「そこは『全然、今来たとこ~』だろ。常識的に考えて。時間に生真面目な不良なんて、流行らないぞ」
「アンタが食堂で飯を食おうって言ったんだろ!? まずは謝罪しろ!!」
龍弥と怜司はコンビを結成した記念に、中央食堂で食事を摂るという約束をしていた。不良なのに無駄に几帳面な龍弥は、約束した時刻の十分前には到着していた。
そして一見真面目そうな怜司は、申し訳なさそうな態度すらしない。
「よし、入るぞ」
「都合が悪くなると無視か!!」
マイペースに怜司は食堂の入り口を指さす。
その仕草に龍弥はやはり不満しかないが、怜司に真っ当な対応を期待するのが間違いだと気づき、すぐに諦めた。
「つーか、あんまり気が乗らないんですけど……」
建物へと足を踏み入れる怜司の横を、龍弥は苦い顔をして歩く。
「む? なぜだ?」
怜司はその言葉の意味を計り兼ねた。
「いや、それは……」
食券機の前にまでやって来て、二人は大勢の学生たちの固まりを捉える。
彼らの何人かは、龍弥の姿を見て渋い顔を浮かべた。
「……こういうことだよ」
彼は学園では良く知られた不良なのである。出回っている噂では、目を合わせると殴られる、横を通るだけで蹴られる、などと好き勝手な誹謗中傷を受けていた。
だから龍弥は人の多い所など嫌だったのだが、対して怜司はあっけらかんとした表情になった。
「何だ。それなら問題ない」
「え……?」
学生たちの目など気にも留めず、怜司は食券機の列へ近づいていく。
「……ん? うわあああ、ひ、氷室先輩だあああああ!?」
一人の学生が怜司の姿を見て、大声を上げる。
「ええ!? マジか!? 何でここに!?」
「いやあああああああ!?」
するとその声に呼応するように、各地で驚きと悲鳴が沸きあがった。
「……は? 何これ?」
突然の事態に理解が出来ない龍弥。良く分からいが、学生たちは怜司の姿を見ただけで、その場から泣き叫びながら逃げていく。
龍弥をほったらかしにして、一帯は阿鼻叫喚の嵐となった。
「はあ? 誰? 氷室って? そんなに有名なのか?」
「お前知らないのかよ!? 秀英学園を影から操る存在……ERO、ドエーロ、エロルド・オイルという三大変態。その中の一人、ERO……それが氷室先輩だって言われているんだぞ!? ……三人の英知が集結すると、この学園に居る女子全員のスリーサイズが分かるって話だ」
「そんなヤバい人なのか!?」
少し離れた所から、学生たちの話声が聞こえてきた。
龍弥はそれを聞いて思考が停止する。三大変態? ERO? 何言ってんの? こいつら馬鹿なのか。
半信半疑というか、困惑するしかない龍弥は、ゆっくりと怜司の方を見やる。
その視線に気づいた怜司は、キリッとした顔つきになった。
「私がEROです」
「カッコつけんな!!」
ようやく現実に返って来ることができた龍弥は、渾身の力でツッコんだ。
「あんた馬鹿なの!? つーか、三大変態って……なんでそんな、不名誉な称号を付けられてんだよ!? 文句はないのか!?」
口から火が出そうな勢いで、彼は怜司を捲し立てる。
「ええー、でもEROって、かなりカッコいいと思って付けたんだが」
「自分で命名したのかよ!? ならWINWINじゃねえか!?」
そうだった。氷室怜司は度肝を抜くような変態だった。なら三大変態でも問題はない。……あれ? これでいいのか?
龍弥の感性は少しずつ狂い始めていた。
「とにかく露払いは出来た。さっさと食事にしよう。今日は俺の奢りだ」
「奢ってもらえるのは有り難いんだけど、何だろう……この複雑な気持ち」
龍弥はこの異常さに慣れつつあった自分に、若干の焦りと危機感を抱く。強い気持ちを持とう。自分はまともな不良なのだ。不良らしく、この変態の金で飯にありつこう。
龍弥がそんな不可解な覚悟を決める中、怜司はさっさと食券を提出して、自分たちの席をどこにしようか思案していた。
「あそこの席がいいな、外の様子を見渡すことが出来る。もしかしたら、女子のパンツが見れるやもしれん」
彼が指を指したのは、窓際の席だった。
「食事に集中しろ。……大体、あっちは席が埋まってるよ」
「ふむ……」
すると何を思ったのか。怜司は窓際の二人席、そこで談笑する男女に話しかける。
「そこのお前達。この席を譲ってくれないか?」
突然の怜司のお願いに、カップルは顔をしかめる。
「はあ!? 何だテメエ? 悪いが他を当たれや!!」
「マー君、もっと優しくしてあげて。かわいそう~」
男子は怜司へと敵意をむき出しにし、女子は馬鹿にするような笑みを浮かべる。
「……何やってんだよ」
龍弥は怜司の奇行に頭を抱え、その場を飛び出そうとする。
だが怜司は焦る素振りも見せず、非常に緩慢な動きで、男子生徒の耳元に口を近づける。
そして何かボソボソと呟く。
怜司の耳打ちに、男子生徒は顔を真っ青にした。
「……ア、アハハ……し、仕方ないな~!! そんなに頼まれたら、譲らざるを得ないな~!!」
さっきまで悪態をついていた男子生徒は、訓練された兵士のようにその場を立ち上がって、怜司へと席を促す。
「え? ちょ、ちょっと、マー君!? 何で!?」
「うるさい!! とにかく、俺は猛烈に、この御方に、席が譲りたいんだ!!」
龍弥は彼の豹変ぶりに驚きを隠せない。何言ってんだコイツは? さっきまでテメエ呼ばわりだったのに、御方って。
一方の怜司は満足そうに、男子生徒へと語りかける。
「いや~、済まない。無理を言ってしまって。代わりに、君にはこれをあげよう」
怜司は彼へと一枚の紙か写真のようなものを手渡す。
それを見て、男子生徒の顔が凍りつく。
「……し、失礼します!!」
そして女を連れて、一目散に駆け出して行ってしまった。
「……何だ今の? 先輩、一体何をしたんだ?」
彼の常軌を逸した行動の理由を、龍弥は尋ねた。
「ああ、今の男はな、何人もの女と同時に交際している浮気野郎だ。一緒に居た女は、何番目だったか……忘れた。ちなみに渡したのは、他の女との密会を写真に収めたモノだ」
「うわ、そうなのか!! ……というか、何でそんなこと知ってんだ!?」
他人の事情に首を突っ込んでいる怜司に、龍弥は驚きと変態チックなものを感じる。
「知的好奇心という奴だ」
「情熱の注ぎ方……間違いすぎだろ……」
さすがに自業自得のような気がするが、この変態に目を付けられてしまった事にだけは、彼に同情を禁じ得ない龍弥である。というかそう考えると、自分は相当に不幸だな、と悲しい気持ちになった。
「さてと、ランチが運ばれてくるまで、今後のことを話し合おうか」
二人は席に着き、外の風景を眺めながら話を始めた。
「分かっていると思うが、俺とお前はこれから、コンビで決闘に参加することになる」
決闘――それは、秀英学園の持つ特殊な取り決めの一つであり、学園での学生ランキングを決定する対戦のことであった。
内容は単純明快。何事かの種目で学生同士の対戦を行い、勝利すればランクは上昇し、負ければランクは落ちてしまう。ただそれだけである。
「それはまあ、分かりますけど。先輩……アンタ、正直強いんですか?」
「いや、貧弱だ。お前とは比べ物にならないくらいにな」
首を振ってそう答える怜司の姿を見て、龍弥は以前見た彼の学生証を思い出す。
9921位。それは学生数一万人を超すこの学園において、大した順位ではない。むしろ三年生であることを考えれば、圧倒的に物足りないぐらいである。
「だから基本的に格闘戦の際は、お前に頑張ってもらう必要がある。そして俺は後衛……お前に指示を送る指揮官として行動するつもりだ」
「……まあ、それしかないでしょうね」
こうなることは、さすがの龍弥にも分かっていた。怜司が弱いのなら、自分が体を張ることになるだろう、と。
それに龍弥の強さは、こと格闘戦においては無類の強さを誇るのだから。
怜司は龍弥の言葉に頷きながらも話を続ける。
「とは言え、秀英学園の決闘というヤツは格闘戦だけではない。知性、精神力、人脈、権力、財力、ありとあらゆる力が必要になる」
怜司のいう事は尤もだった。
学生同士で行われる決闘であるが、その種目は参加者だけで自由に決めて良いというルールが存在する。運営に決闘を行う旨を伝え、勝ち負けを判断する審判を準備さえすれば、あとは当人たちに任せる。参加者で将棋やチェスを行っても良いし、じゃんけんで勝敗を決しても良いのである。
そうなれば腕力など意味は成さない。他の力が重要になってくる。
「お前は単純な戦闘力だけなら大したものだ。しかし、他の力に関しては、正直な所、自分でも首を傾げてしまうぐらいだろう? だから、それは俺がカバーする」
龍弥はその発言に文句が言いたかったが、その通りなので黙っていることにした。
「……まあ、言いたいことは分かりましたし、それでいいですよ」
ひとまず最低限の確認を済ませ、龍弥と怜司は次の段階へと進む。
怜司は目を瞑って言葉を紡ぐ。
「それでは最後だ。互いに自分の秘密を教え合うことにするか」
「……そうですね」
龍弥もその申し出に、真剣な表情のまま頷く。
彼らの告白する秘密。それはこの学園で戦う、最大の武器にして、おいそれと他人には打ち明けられないほどの事柄。
まさしく諸刃の剣と言えるものだった。
怜司は龍弥の返答に頷き返し、胸ポケットから折りたたんだ紙を取り出した。
「……え? 何これ?」
予想した物と違う。というか、物が出て来たことに龍弥は困惑する。
不可解な気分のままだったが、怜司の方を見ると、その顔は真剣そのもの。
嫌な予感がする。だと言うのに、龍弥はその紙を広げてしまった。
それはアンケートらしきものだった。
『男性版変態アンケート!!
あなたの好きな女性のタイプをお答えください。
(例:高慢でプライドが高く、エロい体つきの女)
それはなぜですか?
(例:プライドを粉々に破壊して、アへ顔ダブルピース状態にしたいから)
あなたの理想とするプロポーズの言葉をお答えください。
(例:毎日、裸エプロンで味噌汁を作ってください)
あなたの性癖を表す思い出をお書きください。
(例:人の家の前で、ウンコを全力で漏らそうとしたこと)
あなたはどのような時に興奮しますか?
(例:オムツパンツを履いて、何食わぬ顔で生活する時)
あなたは変態ですか?
(例:いいえ、紳士です) 』
「何じゃこりゃあああああ!?」
やっぱり嫌な物だった。何で開いたんだろうか。激しい後悔に駆られる龍弥だが、怜司へとツッコまざるを得ない。
彼の方を睨み付けると、そこには満面の笑みを浮かべる怜司の姿があった。
「さあ早く書いてくれ。それを記入した時、俺達はまた一歩前へ進める」
親指を立ててウインクする変態。
「どこへだよ!? 何だこのアンケート!? 途中からどんどんヤバくなって、それを隠す気もないじゃねえか!? つーかこの解答例、アンタのだろ!?」
「親切設計だろう?」
「心折設計だろうが!! 辛うじてまともに見える質問すら、変態的に見えるわ!! もしや、アンタ今もオムツパンツ履いてんのか!? これじゃ本当に、三大変態EROじゃんか!! 何が紳士だ,、この野郎!!」
色々と問題があるが、まずタイトルが『男性版変態アンケート』と有ったのが一番ヤバかった。女性版がある、という事実。それが信じられなかった。そもそもこのアンケート、変態を対象にしている。つまり怜司から見て……そういうことなのか?
真面目なテンションで臨んだことへの、怒りと恥辱に染まる龍弥。
「お、今お前……さては興奮しているな?」
眼鏡をクイッと動かしながら、怜司は尋ねる。
「そうだけど、これはそうじゃねえよ!! テメエと同じにすんな!!」
広かったはずの食堂に、龍弥の声が虚しく響いた。