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①変態と不良の邂逅

 時刻は午後二時過ぎ。


 五十嵐龍弥いがらしりゅうやは自らが住んでいる寮の一室で、惰眠を貪っていた。カーテンの隙間からは光が差し込み、八畳程度の広さがある一室、その全容を明らかにした。部屋の床にはカップ麺やインスタント食品の山が築かれており、彼の食生活が大変不健康極まりないことを物語っていた。


 普通の高校生であるならば、とうの昔に学校へと授業を受けに登校しているはずである。


 しかし、彼の通う秀英学園しゅうえいがくえんは通常の高校とは異なるシステムを採用していた。


 学生たちは大学のように、履修したい授業をあらかじめ登録し、自らが立てたカリキュラムに従って単位を取得する。龍弥の場合、本日は授業がほとんどなく、このように壮大な寝坊をすることも可能であった。


 とは言え、彼は例え授業があったとしても部屋から出る気はない。最近は校舎にすら足を踏み入れていないのでる。いわゆる彼は、不良というレッテルの貼られている生徒なのだった。


 すると突然、チャイムが鳴る音が部屋に響き渡る。


『五十嵐龍弥。居るのは分かっているぞ。早く出て来い』


 龍弥が安息な眠りについている中、何者かが彼の部屋を訪れる。


「……あ~、誰だよ。……ピンポンピンポン、うるせえな……」


 激しいチャイムのラッシュに、龍弥は布団を被ることで逃れようとする。


『お前の氷室怜司先輩が来てやったぞ。だから早く開けてくれ』


 いつの間に俺の先輩になったのか。龍弥は氷室怜司という名前を聞いて、辟易とした思いに駆られた。


 ここ二週間ほど毎日のように通い詰めてくる学生、それが氷室怜司であった。現在龍弥は秀英学園の二年生であり、一方怜司は三年生。学年で言えば怜司は当然先輩になるものの、人嫌いの龍弥にとって、そう簡単に先輩などという存在に関わりたくはない。


 初めは玄関やインターフォン越しに対応していたが、いくら拒絶の言葉をぶつけてもやって来るため、龍弥はやり方を変えるようにしていた。


「……寝よ」


 ここ数日はこのように完全無視を決め込むことで、何とか怜司と会話するのを回避しようしていた。消極的な作戦だが反応がない以上、いずれ向こうも諦める。などと龍弥は考えていた。


 だが、ドアの向こうに居る人間は簡単には引き下がらない。


『磯野、野球やろうぜ!!』


 龍弥の苗字は磯野ではない。ナチュラルに名前を間違えることで、反応を引き出そうとしているのが見え見えである。浅はかだったな。

 龍弥はもうこの手には一度引っ掛かっていた。人間は学習するのだ。


『磯野、サッカーしようぜ!! ボールお前な』


 いや、それは誰も家から出ないだろ。どこのガキ大将発言だ。あと名前は間違えたままかよ。などと龍弥は心の中でキッチリとツッコみを入れる。


 龍弥はおかしい所は正すという、不良にあるまじき感性を持っていた。


『お願いだ。五十嵐龍弥、バナナもあるぞ』


 龍弥はゴリラではない。ここで名前をキチンと呼ばれるのは、龍弥にとって逆に不満である。龍弥は不良であって、バナナが好きなゴリラではないのだ。


 龍弥はベッドの上で小さく深呼吸する。ここまでは何とか耐え忍ぶことが出来た。彼は成長しているのである。今日は我慢の最長記録を更新しつつあった。


 そんな龍弥を尻目に、怜司はドアを激しくノックし始めた。


『くそ、頼む。実は腹を壊しているんだ。早く部屋に入れてくれ。このままでは漏らしてしまう。もちろんお前の期待通り、大きいやつをだ。……俺がウンコマンと呼ばれても良いのか?』


「……期待しとらんわ」


 ついつい小さい声でツッコみをしてしまった。新しい手法で来られてしまった以上、龍弥には対策の仕様がない。最早ツッコんでしまうのは性分なのだ。


 だが幸いにも小声であったから、怜司には聞こえていないだろう。


 浅はかなり、氷室怜司。ドアの前でウンコを漏らすなど、普通の人間には出来ない。この男に限っては正直分からないが、漏らしてしまえば立場が危うくなるのは怜司の方である。学園中の人間からウンコマンと呼ばれるようになれば、龍弥の下を訪れるなどという行為も止めるようになるだろう。


 龍弥は遂に怜司との戦いに勝利する予感がしていた。


『――うわ!? アンタ何やってんだ!? こんな往来で下半身を出そうとして!! 変態か!? 変態なのか!? 変態ですね!? 変態だ!!』


「……は?」


 勝利の女神が物凄い速度で遠ざかって行くのを、龍弥は肌で感じた。一体何が起こっている? 寮の住民が怜司を発見したようであるが、発言内容からすると、本気でウンコを漏らそうとしているようだ。


『いや違うんだ。この部屋の住人に、ウンコを漏らせば俺と熱い夜を過ごしてくれると言われて、仕方なくやっているんだ。だからこれは違うんだ。俺は決して公衆の場でケツを出して排便するなどという、大変興味深く、興奮するシチュエーションなんて望んでいないんだ』


「はあ!?」


 まさかの風評被害が龍弥を襲う。このままでは龍弥と怜司がタダならぬ関係であると隣人たちに誤解されてしまう。いや、それだけではない。このままもし本当にウンコを漏らせば、それも龍弥の指示したこと……つまり龍弥もウンコマン被害を受けることになる。


『アンタ何言ってるのか分かってんのか!? その理由が真実だとしても、変態であることには変わりないぞ!? つーか興奮すんのかよ!? やっぱ変態じゃん!? 俺の隣の部屋は、毎夜そんな男達の熱い密会場になっていたのか!?』


 居合わせた男子学生らしき声が、龍弥の代わりにしっかりとツッコむ。それは大変ありがたい話であったが、最後の内容によると、龍弥の家が変態の集会場のようなものだと考えられているようだ。これはマズイ。


 龍弥はベッドから体を起こし、どう対処すべきかと頭を巡らす。


『アンタも来るか? ヤツのドリルを味わったら、もう普通のウンコは出来ないぜ』


『ふざけるな!! 俺の部屋のトイレは、まだウォシュレット完備じゃねえんだよ』


 ツッコむところはそこだろうか。ウォシュレットはウンコをした後に使用する物だ。ここは本来、普通のウンコが出来ないとかいう前提がおかしいはず。普通じゃないウンコをすることは認めるのか。それと龍弥のドリルはどういう風に使用されるのか。というかドリルとは何を指すのか。


「って違う!! クソ、何やってんだよ!? ホントにドアの前でウンコする気か!?」


 龍弥は扉を睨み付けながらも、事態の進行を黙って聞くことしか出来ない。


『心配するな。ホラ、このようにすれば問題ない』


『……てめえ!! オムツを!? オムツを履く者……オムツァーだったのか!?』


 オムツァー? 一体どこの業界用語だろうか。段々と龍弥は、見知らぬ男子生徒のツッコみ能力に懐疑的になっていく。というか、オムツを履いていることを確認したということは、すでにズボンは脱いでいるのか。いや、その前に何でオムツを履いているのか。


 ダメだ気になってしまう。気づかない内に龍弥はベッドから脱出していた。


『一度公衆の場で出すと、もうケツの穴がガバガバになってしまってな。……もう俺には肛門括約筋が信用できない。……分かってるのか、肛門!! 一度失った信頼は、そう簡単に取り戻せやしないんだぞ!!』


「オイオイオイ!? 何やってんの!? 何で自分の肛門と会話してんの!?」


 龍弥はダメだと思いながらも、もう心の声を押しとどめることが出来なかった。扉の向こうで巻き起こっている事案はすでに犯罪だ。事件はトイレではなく、ドアの前で起きているのだ。


『うわ!? 止めろ、ケツを出すな!! こっちを向くな!! 止めてえええええええ!? マンモスが、うわっ…………立派ですね』


 何ちょっと感心してんだ。というかヤバい。マジでウンコする気だ。龍弥はそんな事を考えながら、玄関へとダッシュする。


「うわああああああ、待てええええええ!? 俺ん家の前でウンコすんなああああああ!!」


 龍弥は有らん限りの力で玄関を駆け抜け、扉を開く。


 彼の視界に映った光景は、メガネ男子たる氷室怜司と太めの男子生徒の二人が並んでいる、という光景だった。


 特に怜司はちゃんとズボンを履いていた。


「やっと出て来てくれたか。全く、見ず知らずの人に協力してもらったのだぞ。……どうもすいません、ご迷惑をお掛けしまして」


「いえいえ、私も楽しかったです」


 彼らは礼儀正しく、互いに軽く会釈をしながら笑顔で話す。


「……は?」


 龍弥は事態が全く飲み込めない。扉を開けた先には、変態が居るはずであったが、現状そんな様子は全くない。


「何? どういうこと? ウンコは?」


 全然頭のまわらない様子の龍弥は、思わず怜司に問い質してしまう。今日の我慢記録はここまでだった。


「何を言っているんだお前は。高校生にもなって、ウンコを公衆の面前で出すわけないだろう。全く、常識が無いぞ」


 やれやれと両手を振りながら、怜司は龍弥の問に答える。


「その通りですよ。ちなみに、私の部屋のトイレはウォシュレット付いてますから」


 隣人である太めの男子生徒も、自分の部屋のトイレについて語る。


「んなこと聞いてないわ!! そしてアンタみたいな変態に言われたくないわ!! 何なんだよ!? ウンコだとかオムツだとか!? 人をからかうのも大概にしろ!!」


 ようやく龍弥は自分が嵌められたのだと理解した。してやられたと思った彼は、今にも殴りかかりそうな勢いである。


 その剣幕に眉ひとつ動かさず、怜司は反論する。


「いや待て、オムツは本当だぞ」


「ええ、私も見て驚きました」


「履いてんのかよ!? それは本当でもダメだろ!? 何考えてんだよ!? 変態なのかよ!?」


 今度は怒りから困惑へと龍弥の脳内が移り変わった。意味が分からない。オムツだとかウンコだとか、一七歳にもなってこんな事で悩まなければならないこの状況が。


 悲しい表情の龍弥に対し、何かを察したように怜司は語りかける。


「オムツも悪くないぞ」


「オツムが悪いわ!!」


 即座に切り返す。が、何ともオヤジギャクのようになってしまった。


「…………ほう」


「ほう……じゃねえよ!! 何感心してんだ!? 何か恥ずかしくなってきただろうが!!」


 好き勝手やっておきながら、そこにはハッキリとした反応を示す怜司。その表情は『ふーむ、私はそういうカンジの大好きですよ』みたいな一定の評価を龍弥に与えていた。


 それが尚の事恥ずかしくて、龍弥は死にたくなった。


「オムツとオツムねえ……」


 一方、太めの男子生徒には嘲笑された。


「なーにをニヤニヤしてんだテメエ!! 腹立つわ!! その柔らかそうな腹の肉に、一撃食らわすぞ!!」


 顔を真っ赤にして龍弥は拳を付き出そうとする。怜司はその挙動を抑えようと、龍弥の前に立ちはだかった。


「やっぱりケツから出させたいのか?」


「何でウンコに結び付けてんだ!?」


「おいおい。ケツから出るのはウンコだけではないぞ」


「いやウンコだけだよ!! どうなってんだアンタの体は!?」


 相手にすればするほど、怜司のペースに持って行かれてしまう。この状態にまで来ると、龍弥にはどうしようもなかった。不良の象徴たる暴力に訴えるのも吝かではないが、それをすると負けた様な気持ちになってしまう。


「何でも良いだろ。今更俺に振り向いたって、簡単には教えないもん」


「何女子ぶってんだ!? もん、じゃねえよ!! あと別に知りたくねえよ!!」


「私は興味深いと思います」


 そしてこの太めの男子生徒は何なのか。明らかに言動が常軌を逸しつつある。


「テメエは一体何なんだよ!? 何でさっきよりも紳士っぽくなってんの? 変態か? 変態なのか? 変態ですね!? 変態だ!!」


 もうヒートアップしてきた自分を抑えられない。龍弥はさっき聞いていたやり取りから、リズム感が密かに気に入っていた変態四段活用を再現する。


 怜司はその様子にまたもや感心する。


「もう自分の物にしてしまったか。意欲的なヤツだな全く、流石だ」


「そこは別に向上心があるわけじゃねえ!!」


 そしてこの技を使っていた、変態的な隣人が龍弥へと詰め寄る。


「私も鼻が高……いえ、股間が高いです」


「何で今言い直した!? 無理やり下ネタにすんな!!」


 無理やりは良くない。自然体が大事なのだと龍弥は思った。


****


 数分後、冷静になった龍弥は自らの行動を激しく後悔していた。


「何なんだよもう……」


 彼は部屋のドアの横で体操座りのポーズになっている。先ほどの太めの男子生徒は、怜司と一言二言話して、この場を去って行った。どうやら怜司の仕込みだったようだ。


 怜司は未熟な後輩を励ますような、温かい言葉を投げかける。


「そう落ち込むな。お前もあと一年もすれば俺達に追いつける」


「いや、変態レベルが足りなくて凹んでるわけじゃないから」


 その言葉を聞いて、更に疲れがたまった。


「とにかく中に入ろう。……飯も買ってきてやったぞ。お前、まだ食事を摂っていないだろう?」


 怜司は両手に二人分の弁当を掲げる。


 そう言えば、何も食べていなかったなと龍弥は思った。


「……チ、すぐに帰って下さいよ」


 片方の弁当を仕方なく受け取り、二人はともに部屋へと入る。


 結局、今日も氷室怜司を家に上げることになった。


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