第六章 人間に最も近いロボット2
二時間ほどで高速を降り、橘とあすかを乗せた車はのんびりと物静かな住宅地を走る。運転するあすかの話によれば、数年前にここの住宅地は住民を増やすことを目標に大幅改築されたらしい。なるほど、確かにここの住宅はどれも綺麗だし、環境整備も進んでいる。
助手席の窓から外を覗き、橘は「へえ」と小さく呟いた。アスファルトの車道に沿って植えられている街路樹の向こう側に、カラフルなパネルで敷き詰められた歩行道がある。それも、結構可愛いデザイン。――この旅が終わったら、ここに引っ越してしまおうかしら。
車内ではまたあすかが適当に選んだ曲が流れている。軽快なピアノの音。ドライブにはぴったりの、ノリの良いジャズ。こういう時、あすかにはセンスがあると橘は思う。本当に適当に選んでいるのだろうか? むう、少し気になる所だ。
車が右へ右折した。予定では、原さんの自宅は大体二時間で到着することになっている。橘はズボンのポケットから携帯を取り出し、現在の時刻を確認した。一〇時三〇分。ホテルから出発してそろそろ二時間経つ。
もうすぐ原さんの自宅へ着きそうな気がしたので、橘はあすかに「もうすぐ着きそう?」と訊いてみた。
「もう少しかな」鼻歌交じりにあすかが答えた。
「そう」橘は果たして、一体どんな家なのだろうと想像してみた。原さんはヒューマノイドやロボットを開発している博士だ。きっと、かなりごつい家に違いない。家の外装は真っ白だとか、構造が全部鉄筋コンクリートでできているとか。敷地には警護のロボットが闊歩していたりするのだろうか?
「夢膨らんでるところで悪いんだけど」あすかは笑う。「父さんの家は橘ちゃんが想像しているよりずっと地味だぞ」
「え、そうなの?」
「見れば分かる。――さ、着いた」
車体が止まり、橘とあすかは荷物を持って車を降りた。すっかり眩しくなった日差しに一瞬目をつむり、橘はバッグを地面に下ろす。目の前には、もう原さんの家がある。あすかは地味だと言っていたが、一応期待はしておくことにした。「うっし」気お取り直して、橘は視線を前方へやる。
――――そしてそこに建っていたのは、なんの特徴もない普通の一軒家だった。
やはり改築されているだけあって綺麗ではある。家の表面はクリーム色で塗られており、まだ新築だと思われてもおかしくないだろう。しかし、ここは住宅地だ。見た目が全く同じの一軒家を、橘はすでに何十宅も見ている。現にこの家の両隣にも、等間隔で全く同じの一軒家が建てられていた。地味だと聞いて大体察してはいたけど、これはあまりにも地味すぎるわ! 敷地にロボットもいないじゃない!! ――まあ、流石にそれは冗談だとして。
「本当に地味ね。特徴もクソもない」
「だろ」あすかはそう言うと、ドア横のインターホンをポチっと押した。
しばらくすると、インターホンの奥から返答があった。
『はいはい。どちら様でしょう』
「私だ。あすか」
『おお、結構早く帰ってきたね。待ってて、今開けるから』
通話が切れ、やや遅れたタイミングでドアがガチャりと開いた。玄関から細身の中年男性が顔を覗かせる。――間違いない。この人が原さんだ。なぜか白衣を羽織っているが、なかなか様になっている。なるほど、博士という生き物は自宅でも肌身離さず白衣をみにつけているのか。
「お帰り、あすか」原さんは短い髪を軽くかきながら言った。「……おや、知らない顔の子がいるね」
「あ……」橘は緊張気味に一度お辞儀をした。「橘あすかと言います。はじめまして」
「はじめまして。――もしかして君、あすかのお友達?」
「はい。そんなところです」友達? どうなんだろう。
「そうか……」
原さんは少し考えた様子で、橘とあすかを交互に見比べた。そしてなにか思いついた表情になり、「パン」と両手を叩いた。
「うちのあすかが誰かを連れてきたということは、きっと何かしでかそうとしているのに違いないんだろうが、まあその話はあとだ。まずは家へ入りなさい」
原さんは笑顔で言った。
「何はともかく、ようこそ、我が家へ」
・
家の横に車を移動させたあすかが戻ってきた。
原さんに促され、橘とあすかは家の中へ入る。前にいるあすかが玄関で靴を脱ぎ、靴のかかとを揃えて置いたので、橘もそれに従う。靴を脱いで、丁寧にあすかの靴の隣に並べる。――と、そこで橘は玄関に靴が三足しかないのに気がついた。もしかして原さんは独身なのだろうか。
玄関の先にはすぐ2階へ続く階段があり、三人はそこを素通りして廊下を歩く。やがて原さんが立ち止まると、廊下の左側に大きな扉があることが分かった。一階のこの位置から考えるに、多分リビングだろう。
「さあ、入って」
そう言って原さんは扉を横に引き、二人を先にリビングへ入れる。
リビングを一目見て橘が抱いた感想は、なんとも清潔な部屋、だった。自分が住んでいたマンションの部屋もかなり清潔な方だったが、このリビングはさらにその上を行っている。橘は周囲を見渡した。なるほど、部屋が清潔に見えるのは、必要最低限の家具しか置いていないからかもしれない。部屋の奥にはキッチンがある。
キッチンの手前にはテーブルがあり、木製の椅子が四つ配置されている。――独身っぽいのに、なぜ椅子が四つもあるのだろう。玄関の靴と同様、やはりそこが気になる。
橘は椅子に座らせられた。隣にはあすかが座っている。原さんは二人が椅子に座っているのを確認すると、思い出したようにキッチンへ向かった。どうやら、もてなしの食べ物を出す気でいるらしい。しかし、数分キッチンを行ったり来たりする原さんは、すぐ諦めたような顔になった。
空っぽの冷蔵庫を指差して、原さんは言う。
「ごめんね。ご覧の通り、今はなにも買ってないんだ」
特にお腹は空いていないので問題ない。「大丈夫です。すいません、なんだか気を使わせちゃったみたいで」
「そう? なら良いんだけど。でもねえ……」原さんは困ったように髪をかいた。
「今日の昼食が何もないのはちょっと」
「私が買い物行ってこようか?」椅子から立ち上がってあすかは言った。
「うん。そうしてもらえると助かる」
「まかしといて」
あすかはそう言うと、足早にリビングをあとにした。手ぶらで出て行ってしまったようだが、お金を持たせなくて大丈夫だったのだろうか。橘は少し心配になった。が、すぐに思い直す。あすかは札束をいくつも持っているのだ、お金の心配をする必要はない。
――――リビングには橘と、原さんだけになった。
これはこれで、なかなか難しいことのように思えた。さすがに橘も、初対面の男性といきなり二人きりになってしまうと正直気まずい。殺しの依頼主ならいきなり話を切り出すことができるのだが、原さんはそうではない。彼はヒューマノイドやロボットを専攻する博士だ。――どう話しかけたら良いのだろう?
橘が真剣に悩み始めると、原さんがキッチンから出てきた。食べ物探しにだいぶ背中を使ったようで、実に痛そうに、自分の背中をさすっている。原さんはふとキッチンの手前にある椅子に目をやり、一呼吸置いてゆっくり腰掛けた。
自分のテーブル越しに原さんが座っている、という現状に、橘の気まずさは更に増した。いよいよ、何を言ったら良いのか分からなくなってきた。原さんは私といて気まずくないのだろうか? 見たところ、原さんに橘と同じ気まずさは感じられない。
原さんは一度咳払いし、
「さて、あすかにいなくなってもらった所で」
といきなり話を切り出してきた。
いきなりだったので、橘は少しドキリとした。
「何か話すことが?」
「まあね。君と話をするために、わざわざあすかには一度席を外してもらったんだ」
「話、とは」
「もちろん、君たちがしでかそうとしていることについてだよ」
「……あすかさんから何も聞いていらっしゃらないのですか?」
原さんは苦笑いして、「以前から何かしでかそうとしていることは気づいていたんだけど、彼女、しぶってなかなか教えてくれないんだよね」
「なるほど」――原さんはあすかの父親だし、教えても平気だよね。
橘はあすかと初めて出会ったところからなるべく詳しく、事の詳細を話した。
「ふむ……」
話を聞き終え、原さんは納得したように頷いた。
「大体理解したよ。だけど――まるで夢のような話だ。とても現実味が持てないな」
「そうですね。私も最初はそうでした」しかし、確かに建物は消失し、人間も消される。途中から『組織』の連中と戦うようになったし、なによりあの「あすかワールド」という言葉。徐々に、橘の頭の中でこの夢のような話が現実味を帯び始めてきている。
「君の目的は失われた記憶を取り戻すこと」原さんは独り言のように呟いた。
「はい」橘は頷く。
「では、あすかの目的は?」
予想外の質問に、一瞬言葉が詰まった。
「あ、あすかさんは、『この世界の正体を知りたい』と言っていましたが……」
「具体的には、ちょっと違うかな」原さんは首を振った。
「どいうことでしょう」
「具体的に言うとね、彼女は『創造主に会いたい』んだよ」
そりゃあそうだろう、と橘は思う。手っ取り早くこの世界の正体を知りたいのなら、この世界を作った創造主に直接会ってしまえばいい。それについては橘も同意見だし、あすかもその気でいるのだろう。私がそれくらい分かっていないとでも?
「それも、少し違うな」橘の考えを見透かしたように原さんは言う。
「え?」
「確かに創造主と直接会ってしまえば話は手っ取り早い。簡単に『真実』を知ることもできる。……でもね、あすかの真の目的は別にある」
「真の、目的?」それは、橘がずっと気になっていたことだ。
「単純だよ。つまり――――――」
原さんは一拍置いて、完結に答えた。
「あすかは、人間になろうとしている」