第五章 和風パスタとあすかワールド4
橘がシャワーを浴びてバスルームを出ると、ちょうど一階の売店からあすかが戻ってきていた。あすかのベッドの上に新品のトランプが置いてある。鼻を鳴らして上機嫌なあすかを見て察するに、どうやら、満足のいく買い物ができたらしい。
橘は、窓から外を眺めているあすかに話しかけた。
「様子はどう?」
「たった今、建物の明かりが消えた」
「中の敵は?」
敵――『組織』と繋がっているかもしれないクロノ株式会社を警護している、怪しい黒スーツの男達。
あすかは「分からない」と首を横に振った。「けど、明かりが消えても社員が一人も出てこないのは、少し妙だな」
「確かに」と橘は頷いた。「黒スーツの男達だけじゃなくて、社員も全員グルなのかな」
「どうだろう。とりあえず、様子見かな」
「そうね。でも今は、夕食が先よ」
「あ、そうだった」
「もう、言いだしたのはあすかなのよ」と呆れたように橘。
「ごめんごめん」とあすかは苦笑い。
窓を離れ、橘とあすかは足早に部屋を出た。また新しい疑惑が生まれたが、今はそんなことより、ホテルのレストランへ向かう方が優先だった。午後六時三〇分。レストランの食べ放題でスペシャルメニューが並ぶ時間帯だ。
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「美味しかった!」
ホテルのレストランの帰り道、お腹を軽く叩いてあすかが言った。ちょっと興奮気味だ。
「そうね。私も大満足だわ」――ふふ、別の意味でね。
橘はニッコリと答え、ポケットからこっそり携帯を取り出した。
手のひらサイズの小さな画面に映っているのは、食事中に橘が隠し撮りしたあすかの微笑ましい写真の数々。確実に写メのスキルが上がってきているな、と橘は内心ガッツポーズした。殺し屋の仕事で身につけた偽造工作はしっかり身についている。食べ物の味より、こっちの方がいろいろ美味しかった。――それに、パスタに勝てる食べ物なんてこの世に存在しないんだから。
エレベーターで上の階にあがり、しばらく通路を進んで、橘とあすかは部屋に戻った。
橘は早速、それがお決まりかのようにベッドへダイブ。ふかふかな布団のたしかな弾力が体に跳ね返ってきて、最高に心地良い感触。布団に顔をうずめ、橘は部屋で何をしようか少しだけ考えた。――夕食も食べたし、ここは予定通り、トランプをしよう。
ベッドの上でゴロゴロしながら、橘は言った。
「ねーあすか、トランプしましょ」
対して、また窓から敵の様子を伺うあすかの反応は真剣だった。
「ちょっと待って」
橘は「ん?」と顔を上げた。
「また敵に動きが?」
「ううん。なんか、建物の窓全てにシャッターが降ろされてる」
「それが、なにか問題なの?」
「さっきは窓にシャッターなんて降ろされてなかった。それに、シャッターの隙間から微かに明かりが漏れている。これは――――」
「見られたらマズい事をやっているに違いないわね」橘があとを引き取って言った。
「……どうする?」
「銃を持った怪しい黒スーツ集団に社内で悪いことやってる臭全開の真っ黒な会社。殺し屋に皆殺しを依頼するにはうってつけの内容ね」
「つまり、皆殺し決定ってこと?」口笛を吹いて、あすかが訊いた。
「うん。皆殺し決定」橘はベッドから立ち上がった。「眠くなってきたし、殺し合いは早めに済ましちゃいたいわ。できれば今すぐにでも」
もう十分外も暗いし、人気も少ないので、殺しをするには丁度良いコンディションだ。銃を使っても、銃声はうまく自動車がかき消してくれるだろう。トランプはお預けになってしまうが仕方がない。やりたい気持ちをぐっとこらえて、ここは我慢することにする。
先に部屋のドアを開け、あすかはポツリと呟いた。
「ちゃっちゃと終わらせて、橘ちゃんのお望み通り、楽しいトランプゲームをすることにしますか」