第五章 和風パスタとあすかワールド3
橘とあすかはクロノ株式会社のすぐ近くにあるそこそこのホテルに泊まることになった。車はホテルへ向かう途中ガソリンスタンドで燃料を補給し、今は地下の駐車場に停めてある。
私物のスポーツバックを床に置いて、橘は「疲れたー」とベッドへダイブした。あすかが部屋の入り口で「お前は何もやってないだろ」と言いたげな視線を送っているが、車の助手席で長時間座らせられるこっちの身にもなってほしい。暇や退屈はやがて苦痛に変わる。そして苦痛には、必ず疲労が伴うのだ。
――ヒューマノイドも疲れたりするのだろうか?
「あすかは疲れてないの?」少し気になった。
「橘ちゃんよりは間違いなく疲れてる」とあすか。「ていうか、運転で肩こった」
「肩、揉んであげよっか」
「遠慮しとく。それより……」あすかは部屋の奥へ歩いて行って、大きめの窓を開けた。「クロノ株式会社の内部を探っておきたい」
「ああ」
ぼやき、橘はベッドから起き上がって、床のスポーツバックからわりと高性能な双眼鏡を取り出した。クロノ株式会社、ね。物騒な名前の上、『組織』とつながっている可能性がある危険な会社だ。……また殺し合いにならないと良いけど。
窓際にいるあすかの隣で橘は外へ目を凝らした。ダメだ。クロノ株式会社なんてかいてある建物は見つからない。このホテル、本当に「すぐ近く」にあるのだろうか?
「私の目じゃ見えない」と橘。
「私の目だと見えてるんだけどね」と苦笑してあすか。
そういえば、図書館でも同じようなことがあったけ。ヒューマノイドは並の人間よりずっと視力が高いのかもしれない。――透視能力が備わっているのかも。
「そこまでチートじゃないよ」あすかは橘の心を見透かしたように言った。
「ただ、ちょっと他人より目が良いだけ」
そんな訳あるか、と思ったが口には出さない。橘は双眼鏡を覗き込み、改めてクロノ株式会社を探す。――見つけた。コンクリートで塗り固められた三階建ての小さなビル。三階横長の窓には大きく「クロノ株式会社」とかかれている。なんとなく、橘は名探偵コナンの「毛利探偵事務所」を連想した。
「中の様子は……」言いながら、橘は双眼鏡のレンズの倍率を上げる。さらに近くなったクロノ株式会社の窓を覗き、内部の様子を伺う(幸いにも、この時窓にカーテンはかかっていなかった)。――窓のすぐ内側に男が三人。全員黒スーツを着ている。武器を所持している可能性は?
橘の疑問を代弁するようにあすか言った。「敵は武器を持っていると思う?」
橘は頭を横に振る。「分からない」
できれば、敵には武器を持っていないでほしい。武器さえ持っていなければ戦闘をする必要もないし、一日に何度も「殺し合い」をしなくて済む。橘の予定では、あとはシャワーを浴びて夕食を食べて歯磨きして寝るだけだ。うん、それが一番望ましい。
――と、橘がそんなことを考えたその時。
黒スーツの男三人に動きがあった。窓の奥から現れた仲間の男三人と持ち場を交代したのだ。どうやら、窓の見張りは順番に変わっていくらしい。橘は少し呆れた。あからさまに怪しい動き。「この会社が『組織』と繋がっていますよー」と自分たちでアピールしているようなものだ。もしかして、あえて気づかれるようにしているのか?――いいや、それは考え過ぎか。
黒スーツの男は去り際に、懐から取り出した拳銃を仲間の男に手渡した。「あっ」決まりだった。これでもう戦闘は免れない。「うわー……」
「どうした?」あすかが訊いてきた。
「黒スーツの男が拳銃持ってた。これでまた殺し合い決定だわ」
「みたいだな」
「あすかは嫌じゃないの?」
「別に。『手掛かり』を手に入れるのなら早いほうが良い」
「……あっそ」
双眼鏡をベッドに放り投げて、橘は「プイっ」と窓にそっぽを向いた。あすかの発言を察するに、クロノ株式会社には今日の夜中あたりに襲撃するのだろう。当然、橘も強制参加だ。このあとの予定に面倒事が一つ増えた。
「ちょっとシャワー浴びてくる」うんざりした気分ごと、お湯で洗い流してしまおう。「あすかも一緒に入る?」
「やめとく」あすかは首を振った。「暇だし、下の売店で何か買ってくるよ」
「何買うの?」
「トランプ」
「ふうん」――二人だけでトランプできるの?
「二人でもできるトランプゲームならいくつか知ってるよ」また心を見透かしたようにあすかが言った。「ポーカーやブラックジャック、バカラにテキサスホームデム……まあ、どれもギャンブルなんだけど」
「面白そうね」橘は目を輝かせ、「良い暇つぶしになりそう」
「決まりだね」あすかは笑い、部屋のドアに手をかけた。ドアノブを回して出て行く直前、あすかは小さな声で訊いた。「……なあ、夕食はどうする?」
思わずニヤリとしてしまった。「お腹は空かない構造って話だったけど」
あすかは恥ずかしそうに言った。「人間の食文化に興味が湧いたって言っただろ」
やっぱりこの子可愛い! 衝動的に抱きつきたくたったが、橘は何とか自制した。笑顔で「うんうん」と頷く。「オーケー。私がシャワーを浴びたら夕食にしましょう」
「了解」とあすかも笑顔で答えた。
橘は思った。どうせまた「殺し合い」をするのなら暇な時間を有意義に使おう。トランプゲームは面白そうだし、ホテルのレストランであすかの反応を楽しむこともできそうだ。
あすかは下の売店へ向かい、橘はバスルームへ急いだ。