咳もくしゃみも怖くない
昼食中、何度か結衣ちゃんからの熱い視線を感じた。
お母さんはまだのようで、知り合いもおらず、寂しいようだ。
途中何回か、手を振ってあげた。
貴子はいつものように婦人科の患者さんと同じ席になり、それぞれの住んでいる場所の話になった。
結構バラバラだったので、地元でないと曖昧な過去の記憶しかない。
「そこ潰れたよ」、「今はそこは○○だよ」、等の話になり、なかなか楽しかった。
食器を片付けに結衣ちゃんの食器を見るとほとんど食べていない。
「食欲ないの?」
「ううん。喉が痛くて食べれないの」
嬉しそうに、応える。
独りで食堂に残って食べるのは寂しいだろう。
「箸置いてくるね」
「ウン」
嬉しそうである。
トイレと歯磨きを手短に済ませ、食堂に戻る。
模範解答を作りながら、話し相手になってあげた。
貴子は小学生の頃は体が小さかったので、給食が食べきれずよく残って食べていたものだ。
2月後半の生まれで背もクラスで一番小さかった。
今から考えれば、ひどい話だ。
早生まれの体の小さな女の子に、同じだけの量を食べろと言うのは無理がある。
今だったら、そんなことはないだろう。
当時は、残さず食べるのが当たり前で、好き嫌いなどもっての他だった。
給食の後に掃除で、掃除の時間に独りで残って食べていたのを思い出し、食事中の結衣ちゃんを独りにするのは気が引けた。
時間がかかったが、結衣ちゃんは全部食べた。
太り気味の子だったので、量は問題なかったのだろう。
看護師さんが薬を飲ませに来た。
「食べれたね。喉痛くなかった?」
カラになった食器を見て言う。
「痛くなかったよ」
オイオイ。さっき、痛くて食べられないって言ってたじゃないか。
そうは思ったが、本人の自尊心を傷つけないよう貴子は何も言わず苦笑していた。
薬はシロップのようだ。
「残ってるよ」
看護師さんに言われて、容器を見るとシロップがまだ少し残っていた。
「全部飲んでね」
薬剤師としては見過ごせない。
薬の量は考えられているのだ。
全部飲んでもらわなければ。
職場じゃないのに、つい口出ししてしまった。
昼食が終わって、”数独”の続きをやらせる。
途中、間違えていたが、あえて間違いは指摘しない。
何事にも、自分で気づくことが大事である。
「間違えちゃった」「わかんない」そう言われたときだけ、助け舟を出した。
貴子は模範解答も作り終えたので、お茶を飲みつつ、食堂の本棚に置いてあった文芸春秋を読んだ。
看護師さんに呼ばれて行ったので、病室に戻った。
はぁ。ようやく解放、かな。
トイレを済ませ、ベット上で新聞を広げようとしたら、結衣ちゃんが入ってきた。
「続きは?」
「やる?」
「ウン」
暇なようである。
仕方ないなぁと思いつつ、笑顔でベットを降りようとすると、結衣ちゃんの携帯が震えたようである。
「お母さんが来なかったらまた来るね」
そう言って、出て行った。
しばらくすると、結衣ちゃんとお母さんが入ってきた。
「すっかりお世話になっちゃったみたいで、ありがとうございました」
「いえいえ。私も暇だったので」
とりあえず半分嘘をつく。優しい嘘である。こういう嘘は世の中、必要だ。
「みんなに話しかけても冷たくあしらわれたみたいで。ショートカットのお姉さんとずっと一緒にいるって聞きました」
「いやいや…。暇だったので」
それしか言うことがない。もうちょっとボキャブラリーがあると良いのだが。
「助かっちゃいました。洗濯したくて…。ありがとうございました。またお願いします」
あー。
「明日、退院なんです…」
「えー。…でも、良かったですね」
残念そうに、でも良かったという顔をする。
「はい」
結衣ちゃんとバイバイをして、別れた。
夕飯はお母さんがついていたので貴子の出る幕はなかった。
夕飯のときは、婦人科患者の間では、今時の子供の名前の話になり、自分の名前の由来等の話もした。
織田さんが、”キラキラネーム”と呼び、それいい!と、みんなで今まで見たり聞いたりしたキラキラネームを言い合った。
幼稚園の先生が2人、高校の先生が1人おり、母親も多かったので、盛り上がった。
貴子も、患者の名前で驚いたもの等、話した。
貴子が今まで一番衝撃を受けた名前は”素敵”君、だった。
読めない名前や感心する名前もあったが、”素敵”君、はインパクトがあった。
混んでいる薬局で、患者の名前を読んで患者が来るまで顔はわからないほどだった。
処方箋を見ると、14歳男性。
どんな素敵な子なんだろうと、名前を呼んで、来たのはニキビがいっぱいの学ランのごく普通の子で、名前負けしていた。
ジャニーズ系を想像していた薬局スタッフは、気が抜けたものである。
ちなみに、貴子の名前の由来は、母親の尊敬していた女性の名前である。
夜、テレビをつけるのももったいないので、食堂で文芸春秋の続きを読んだ。
芥川賞受賞作が載っていて、興味を持った。
普段は芥川賞作品など読まないので、良い機会だと思ったのだ。
もう、咳もくしゃみも怖くないほどに回復していた。




