手術2日後、夜
夕飯は、白米、白身魚の唐揚げ、生麩と三つ葉のお澄まし、かぼちゃと小豆の煮物。
主治医の悪口など言い合い、婦人科入院患者同士で笑い転げていた。
貴子は主治医に何の不満もなかったので、言う悪口もなかったが。
お腹の傷が痛むので必死に我慢したが、耐え切れず、何度も笑ってしまった。
夕飯から戻って、携帯をチェックすると、父の施設から着信が入っていた。
母からはメールが届いていた。
何だろ…。
メールをチェックする。
"お父さんが高熱でT病院に入院したって"
え。。。
こういう連絡、今しないでよー。
私はどうにもできない。。。
とりあえず、承知したこと、体が自由に動かず何もできないこと、を返信する。
便通がないので、お腹が張って痛い。
酸化マグネシウム、ミヤBM、ヘム鉄を飲んだ。
便通はあったが、豆粒のようなもの6個くらいで張りは改善されない。
うー苦し。
…なのにぃ。
父親が入院したとしても、今の状況では何もできない。
お腹の張りは、だんだん痛みに変わってきた。
トイレに行って、しばらく居座っていた。
何とかお腹に力が入らないものの、踏ん張る。
数分奮闘すると、硬い便が出た感じがし、その後は下痢のように流れ出ていった。
ホースに詰まってた石が取れたような感じがした。
トイレから、戻って、母親からまた来たメールを読み、返信をしようとするが、便意をもよおしトイレに駆け込む。
また下痢のような便通があった。
カマ、多かったかな。。。
酸化マグネシウムが効きすぎている感じがした。
便通を促すため、直人と電話する予定になっていた。
直人と電話すると、安心するのか電話中に便意をもよおすことが多い。
便秘になってからは、特にそうだった。
今回は、便通がきてしまったので、便通を促すという目的はなくなったが、話したい気分だった。
直人は"どうする?"とメールしてきたが、"予定通り"と返信していた。
食堂には、出産で入院しているらしき母親と生まれたばかりの子、そのご主人らしき人がいた。
病み上がりなので、お邪魔することにし、中に入った。
「おっ。元気そうだな。手術2日目でそれかー。医学は発達したもんだな」
直人は思ったより貴子が元気で驚いたようだ。
「医学の発達だけじゃないかもよー。貴子ちゃんの脅威の回復力もあるでしょ。ま、熱出ちゃったけどね」
「まぁなー。お前って意外とタフなんだな。それは新しい発見。あと、熱は出るよ。普通普通」
ふーん。
直人は今まで骨折で3回入院したことがある。
野球を小さい頃からやっていて、そこそこの実力だったらしい。
スポーツ選手だから、ということで、それなりの専門病院で手術してもらったそうだ。
一通りの会話が済んだあとで、貴子は鬱憤を晴らすことにした。
父親が入院した連絡が来たこと、手術が終わってすぐ母親が帰ったことなど、母親に対する不満を口にする。
母親の性格はわかっていたので、怒っていたわけではないが、話したかった。
貴子としては、娘に心配させないように"施設から連絡あったかもしれないけど、大丈夫だから。こっちでやっとくから安心してね"くらいのメールが欲しかった。
こっちは体が思うように動かないので、何もできないのだ。
「まぁまぁ。そんなもんだって」
とりあえず、慰めてもらう。
話しただけでスッキリした。
まだ無理しない方がいいと直人に言われ、名残惜しいが電話を早めに切り上げる。
と言っても、1時間以上話してしまっていたが。
病室に戻ると、織田さんは吐き気で苦しんでいる様子だった。
ホント、薬の副作用って人それぞれなんだな。。。
貴子は全く吐き気は感じなかった。
その日はあまり眠れなかった。
頭が冴えてしまっている。
全身麻酔の反動かもしれない。
あと、腹腔鏡手術のときに入れたガスのせいか、内臓以外の胸部や腹部が何となく痛い。
ガスがたまっている感じがした。
ベットを真っ平らにすると痛いので、自分でベット下のレバーで調度良いように調整した。
少し上半身を起こした方が楽だった。
織田さんが苦しんでいるのが気になるので、ウォークマンを聴いていた。
NHKのラジオドラマはいい暇つぶしになった。
夜中の2時半くらいまで眠れないと、もう開き直った。
今日は眠れないや。
そう思ったくらいから、明け方4時くらいまではうとうとしていたらしく、記憶がない。
そのごはまた冴えてしまったので、ウォークマンでラジオを聴いたり、日記を書いたりしていた。
昨日の夜からは左を下にして横になれるようになっていた。
傷が左側なので、手術直後は左を下にすることができなかった。
今は腹ばいで日記も書けるようになっていた。
眠れない日の夜は長い。
消灯が解除される6時が待ち遠しかった。




