突然の腹痛
卵巣嚢腫と診断され経過観察中の貴子が、突然腹痛を起こします。
卵巣嚢腫と診断され、6日が経った。
ネットで少し検索するものの、心配しすぎても仕方ない、とあまり真剣に考えず過ごしてきた。
職場での雑談で、「この前検診に行ったら、卵巣嚢腫があるって言われちゃいました」と言ってはみたものの、次の生理が来たら治ってるみたいで、と付け加え、あまりその話は盛り上がらず他の話題に移っていっていた。
普段は女性だけの職場なので、そういう会話も貴子には苦にならない。
別に事実だし、誰にでも起こり得ることだし。
貴子はそう思っていた。
しかし、年上の職場の同僚は「爆弾抱えてるんですから」と気遣ってくれ、そんなつもりがなかった貴子はかえって恐縮してしまうほどだった。
その日も、いつものように出勤準備をしていた。
「出ないなぁ」
貴子はトイレから出て呟いた。
最近便秘気味なのだ。
貴子は健康体質で、若い女性に多いと言われる便秘もなかった。
とは言っても、3日便通がないことも多々あった。
しかし、腹部膨慢感もなく、苦痛に感じないため、便秘はないと思っていた。
医学的にもこの程度では「便秘症」にはならない。
昨日・今日と便通はなく、便がそこまできている感覚はあったが硬くて動かないような感じだった。
ま。仕方ない。
こういうことは今までも何回もあった。
貴子は気にせず、職場に向かった。
今日は木曜日。今日の貴子の仕事は午前中だけだった。
外は晴天。10月初旬の晴天である。外は心地良い気温だ。
こういう日は歩きよね。
貴子は職場に向かって歩き出した。
職場まで徒歩で15分ほどである。
時間も十分余裕がある。
貴子は明るい時間帯に帰ってこれるならある程度の距離は車を使わず徒歩で済ませる。
あまり近い距離で車を使っても、それこそデメリットの方が大きい。貴子はそう考えていた。
エコじゃないし。
貴子はあえて前向きな理由を探した。
元々貧乏性なので、ガソリン代節約・バッテリーの無駄な消耗を防ぐ、という理由も頭には浮かんでいたが。
人間、自分のことは肯定したい。
そんなことを考えて歩いていると、違和感を感じた。
お腹?
お腹が痛い気がする。
便秘かなぁ。
気にせず歩いていると、違和感はどんどんひどくなってきた。
トイレ入ったら良くなるかな。
ちょっとここで一休みしようか。。。
しかし、吐き気が襲ってきた。
路上で吐いてしまうのは気が引けた。
もう少しで職場に着く。
職場につけばトイレもある。
コンビにはだいぶ前に通ってしまったし、トイレを貸してもらえそうなところは辺りにはなかった。
職場が一番近い。
もうちょっと頑張ろう。
吐き気と戦いながら歩いた。
職場に着く頃には吐き気はおさまったが、お腹の痛みが強くなってきていた。
もしかして、卵巣?
茎捻転は立っていられないほどの痛みのはずだ。
茎捻転ではないだろう。
卵巣破裂?
そう思いながら、職場を開け、トイレに入る。
トイレに入って服を下げ便座に座る。
ふらつきを感じながら用を足そうとするが、何もでない。
ふらつきはひどくなる。
この体勢でここで倒れたら恥ずかしすぎる。
何とか服を上げ、トイレを出る。
患者用待合室のソファに座り、楽な体制を探す。
少し横になる体制が一番楽なようだ。
この頃には冷や汗が滴り落ちるくらいになっていた。
ふと、扉が開いた。
年下の同僚が入ってきた。
「おはようございます」
何でそんな場所に?という雰囲気だが、いつものように挨拶してくる。
「ちょっと調子悪くて。しばらくここにいさせて」
おはようの挨拶もできず、そう呟いた。
「何か薬、飲みますか?」
思いもつかなかった。
「うーん」
少し考え、「ブスコパンとお水、もらえるかな」
「わかりました」
貴子のマグカップに水をいれ、すぐに持ってきてくれた。
ブスコパンは腹痛を止めるのに使われる薬だ。専門的には、鎮痙剤、痙攣を止める薬、である。
貴子は今の痛みは腸が動きすぎている痛み、と判断したのだ。
薬剤師なので、その辺の対処は専門的である。
ありがたく、薬と水を受け取りそっと飲む。
これで良くなるかな。
そんな想いとは裏腹に吐き気が襲ってきた。
「ヤバイ。吐き気」
そう呟いて、トイレに入る。
ここで吐いたら大塚さんに聞こえちゃう。
そうは思ったが、そんなことを言ってる場合ではなくなった。
いいや。吐けばスッキリする。
貴子はトイレの便器に向かって吐いた。
1度では吐ききれず、何回か吐く。
数回吐いたところで少しスッキリしてきたので、水を流し、様子を見る。
お腹はまだ痛い。
ヤバイかな。。。
盲腸が破れて腹膜炎になったときとかって確かこんな感じになるのよね。。。
ヤバイかな。。。
吐き気がおさまってきて少し動けるようになり、大塚を呼ぶ。
なかなか聞こえないようで、3回目でようやく聞こえたようだ。
「悪いんだけど、バックとってくれる?」
心配そうな大塚が、貴子が放置したバックを持ってきてくれる。
お礼を言ったか言わないか、もうどうでもよくなってきた。
携帯を取り出し、財布から木之下クリニックの診察券を取り出し、電話をかける。
携帯で時間を確認すると、8時35分。
診察は9時からだから、出てくれないかも。
そう思いながら、携帯を耳に当てる。
予想に反して3コール目くらいで電話がつながった。
「はい。木之下クリニック、院長の木之下です」
聞き覚えのある医師の声がした。
受付の事務か看護師が出るものと思っていた貴子は、ちょっと驚いたが、医師が出てうれしかった。
話がすぐ通じるはずだ。
現状を途切れ途切れに説明する。声を出すのが辛い。
医師の方は貴子の氏名・生年月日・診察券の番号を確認し、カルテを出してきたようだ。
「嚢腫が破裂した、とかってことあり得ますか?」
貴子はやっとのことで声を絞り出す。
医師は淡々と答える。
「あり得ませんね。聞いた限りでは婦人科が原因ではありません。消化器か内科を受診して下さい」
切られそうになり、貴子は慌てて話しかけた。
「明日、受診してもいいですか?」
心配なら受診しても良いと言われ、少し安心して電話を切る。
婦人科が原因でないなら、茎捻転ではないということだ。
今の貴子には茎捻転が一番怖い。茎捻転が起こると、卵巣を摘出することが多いからだ。
症状の方も治まってきたようだ。
トイレを出る。
出ると、小宮山がいた。
今日は臨時で来た男性薬剤師である。
「大丈夫ですか?」
「受診してきた方がいいですよ」
小宮山と大塚に交互に言われる。
貴子は答える元気もなくロッカーに歩み寄り、サンダルに履き替える。
「いやいや。仕事は無理なんじゃ…」
「靴履いてるのが辛いんです」
そう言って、のろのろと履き替える。
「山田クリニックに受診してきて下さい」
大塚が言う。山田クリニックは貴子の職場の近くのクリニックである。
貴子の職場が扱うのは、ほとんどがそのクリニックからの処方箋である。
貴子はしばらく黙る。
確かに仕事は無理そうだ。
お腹は痛い。
薬も吐いてしまったし。
「じゃぁ、申し訳ないけど受診してきていいですか?」
誰ともなく、呟く。
「どーぞどーぞ」
小宮山と大塚はほとんど同時に発した。
大塚はバックを持ってくれた。
のろのろと大塚の後に続く。
大塚が受付で事情を説明してくれている。
貴子は待合室のソファに座り、大塚を待った。
「ありがとう。あとは大丈夫だから。本当にゴメンね」
大塚は心配そうに貴子を見て「じゃぁ…」と去って行った。
ホント、良い子よね。
貴子は大塚を見送り、腹痛と戦っていた。