『保育士ですが、なにか?』
ジャンルがよくわからないので文学を選択しました。もしイメージと違っていたらごめんなさい。よければ感想などお願いします。
『保育士ですが、なにか?』
古今東西、こどもが好きな女性というのは男性からある程度安定した人気があったりするもので、例えば、保育士などは合コンで男性に受けの良い職業ベストファイブに入るそうです。ほんと、こういうのってどれくらい信頼できるんですかね。よくやるなぁと思います。
こどもが好きな人に悪い人はいないだろう。とか、どこか母性的な印象を受けるんでしょうか。まぁ、実際こどもが嫌いでこんな職に就く人もいないんでしょうけど……えっ? 私の仕事? 保育士ですが、なにか?
◆
季節は夏に差し掛かり、実家の大きな木に蝉が張り付いてやかましくうっとしい季節となりました。
いやまぁ、蝉単体ではまだ我慢がきくんですけどね……。ほら、この時期のこどもって蝉の抜け殻とか集めたりするじゃないですか。楽しいんだろうなってのは解るんですけど何十匹も集まった抜け殻を見せびらかされても乙女心あふれる私はぞっとしかしません。
ま、今はお盆休みということで、のんびりと私は休暇中の身。若いエネルギーによってすり減らされた鋭気を、昼間からごろごろすることで回復中なのですが……
「こうめー!」
木陰によってひゃっこくなった木造の床をドタドタと踏み鳴らして駆け寄ってくる声。
床に耳を着けて横になっている私としては騒がしさが公害レベルです。
「もぅ、なんなんですかー」
「ぅわっ――」
「えっ――?」
一瞬の内に私の視界に映る景色がスローモーション。私は、与えられたこの僅かな時間で現状を把握しようとします。こちらに駆け寄る親戚のこども――ああ、急いで走ってたから足を滑らせたんですねー……と、それだけならまだ、ただ微笑ましい男の子なんです。問題は彼の不自然な体勢です。
彼は服をまくり上げて大きなポケットを作っていました。状況から察するに、服で作ったあの大きなポケットには、私に見せびらかしたい何かが入っているのでしょう…………この季節のこどもって蝉の抜け殻集めるの好きですよね。
服をまくり上げていた手が受け身を取ろうと服の裾から離れます。当然、あの大きなポケットは弾けるように元の姿に戻っていきます。
彼の大量の蝉の抜け殻を吐き出しながら……
降り注ぐ蝉の抜け殻……宙を舞う蝉の抜け殻……日の光を浴びて小麦色に光りながら私めがけて飛んでくる蝉の抜け殻……もう、卒倒ものです。
「きゃあああぁぁっ――!」
先程は、普段使わない声帯を使ってしまいました。
「……もう、ついてないですよね?」
「ちゃんと全部とったよ」
「もしまだついてたら今度君の大好きなハンバーグの中に混ぜちゃいますからね」
「――っ?」
おお、この脅しは効いたようです。やや焦りながらまだ私に抜け殻がついていないか捜索が再開されます。
「……というのは冗談ですよ。嘘です。ハンバーグに蝉なんて入れません」
もったいないですからね、お肉が。
「よかったぁ……小梅なら本当にいれそうだもん」
この子は、私をどんな人だと認識してるんでしょうかね。
この男の子は私の兄のこども。つまりは私の甥っ子です。お盆休みを利用したので当然と言えば当然なのですが、実家への帰省のタイミングが見事にバッティングしてしまいました。
この子はのんびりとくつろぎたい私の平穏を打ち砕くには充分すぎる障害です。私が職場で受け持っている子達よりお兄さんな筈なのですが……こどもが蝉の抜け殻から卒業するのって案外遅いです。
「なあ、こうめー」
「なんですか? って、それよりも、お姉さんである私を『小梅』と呼び捨てにするのはいけなくないですか。お姉さん、もしくは先生と呼んでください」
この子には私がこの子の『叔母さん』に当たる事は当面伏せておきましょう。まだ若い内から叔母さん呼ばわれは遠慮したいですし。
「でも、呼び捨てでいいって小梅言ったぞ!」
うっ……それ何年前の発言だと思ってるんですか。君がまだ三、四歳の時の話ですよ?
はぁ。しまったなぁ……。こういう時のこどもの記憶力と大人の揚げ足を難なくとる正論は、なんとも論破するのに予想以上に体力を使うんですよね。
「はぁ……わかりました。過去の私自身の過ちと、君の正論に免じて呼び捨てを許可します」
正直、めんどくさいですしねぇ。
「?」
小首をかしげてしまっています。この困惑顔はとてもかわいくて好きです。
「『こうめ』のままでいいってことですよ」
「やったっ! こうめっ! こうめっ!」
ま、年を重ねるにつれいずれ直るでしょう。
ちなみに、今更ですが『小梅』というのは私の本名ではありません。皆様お気付きかもしれませんが、私って妙に考え屋というか、理屈っぽいというか。そんな性格のせいか眉間にしわがよることがたびたび……つまり、梅干しとのしわつながりで『小梅』というあだ名な訳で。さらに、それはいつの間にか家族にまで浸透してしまったのです。すごく不本意。
それに、この性格がわざわいしてかプライベートではなんだかこどもに対してドライになってしまうんですよね。いやはや、皆様にハートフルな職場の私をお見せできなくてほんとに残念です。
「ところで、君のお母さんはどうしたんですか?」
「? 母さんはばあちゃんと買い物行くって言ってた」
……つまり、私はこの子のお守りと留守番を押し付けられてしまったのですね。はぁ。母さんもお義姉さんもせめて一言かけてくれてもいいじゃないですか。
「めんどくさがると思ったんじゃない?」
「勝手に心を読まないでください」
「声に出してたよ」
「まあ、留守番といってもやることなんてないですし、別に構わないんですけどね。どうします? いっそ私と一緒にお昼寝しませんか?」
「こうめー、俺お腹すいた」
ごろごろして過ごすという私の素敵な休日に何やら暗雲が……
「さぁて、もう一眠り……」
「こうめーごはんー!」
「ええー、だって保育士の仕事にだって『お昼ご飯をつくる』なんてないのに」
どうしてプライベートでそんなめんどくさいことをしなくてはいけないんでしょう。
「こうめー、なあ何かつくってよー」
「ほら、お母さん達にお姉ちゃんの邪魔しちゃダメって言われませんでしたか?」
「母さんとばあちゃんは小梅にご飯つくってもらえって言ってたよ」
うぅ……はぁ。しょうがないですね。
「……お素麺でいいですか?」
「俺、ホットケーキがいい!」
「……なんでここでホットケーキなんですか」
「えっ? 簡単だしおいしいよ?」
「そうですけど、作ってる時暑いじゃないですか」
「素麺だって茹でるじゃん」
「うぅ……それは、そうなんですけど」
だってお素麺のほうがつくるの簡単なんですもん。お鍋にお水を入れてお素麺を入れて茹でてあげたらはい出来上がるんですよ? 洗い物だってお素麺の方が断然楽なのに……
「なあ、こうめー、頼むよー。俺も手伝うからさぁー」
「ええぇ……」
「こうめー、つくってつくって! ホットケーキホットケーキ!」
ああ、このホットケーキを切実に欲するこどもの声と夏真っ盛りの蝉達の合唱に、私の聴覚は見事に板挟みにされた感じです。十秒も耐えられる気がしません。既に私の根負けの結果は見えています。
「ああもうっ! わかりました! わかりましたから! ただし、洗い物する時もちゃんと手伝うんですよ?」
「ホントにっ? やった! やるやる! 俺なんでもするよ」
「食べた食器も自分で洗い場に持っていくんですよ?」
「わかった!」
それでは、最後に一番大事なことを……
「焦がしても文句言っちゃダメですよ?」
その場のテンションがガクッと落ち込み、蝉の声も心なしか止んだ気がしました。若干涼しいです。
「……忘れてた」
後から発覚するのも嫌なので先に言っとく事にします。私は料理が得意ではないのです。
「なあ、こうめーホントに大丈夫?」
「大丈夫ですよ。牛乳だって、お砂糖だってちゃんと計量しましたから」
さすがに料理ができないからといってお砂糖とお塩を間違えたり、小麦粉にくしゃみをして全身粉まみれ、なんてベタなミスはしません。
ホットケーキに関して言えば、ただ焦がしてしまう可能性が周りの人の平均値より若干……いえ、いくぶんか高いと言うだけです。そう、ただそれだけの話なのです。
「それに、今回は市販のホットケーキミックスを使っているから牛乳と卵を入れて混ぜて焼くだけですよ」
ま、その焼く工程が一番の難関なんですけどね……。
なんてことを考えている間にホットケーキの素は混ぜあがりました。牛乳とミックス粉に卵が混ざったそれはどことなく黄味がかっていて甘い香りがします。
「小梅! 小梅! もういい?」
「ええ。こういうのは混ぜすぎると生地が膨らまなくなってしまうらしいですからね」
まあ、それと私がふんわり焼き上げられるかは別問題なんですけどね。はは。
そんな一抹の不安を抱きながら、ホットケーキの素をドロッとお玉ですくい熱したフライパンの中へ。
ジューゥという音と共に甘いにおいが引き立ってゆきます。
「もう、このままでも食べられるのでは?」
「小梅! 生、生っ!」
まったく、冗談ですよーぅだ。
けど、こんな冗談が言える今は、私が落ち着いている証拠だったりするのです。まあ、料理なんて久しぶりでどこか気が張っていたんでしょうかね。
こうやって一段落ついて冷静になってみると…………あついです。
なぜでしょう……フライパンのジューゥと言う音が何故か蝉の合唱のメインボーカルに聞こえてきます。
先程まで甘いにおいが際立っていた香ばしい生地の香りが、鼻孔を刺激する温い熱風にしか感じられません。
私の頬を一筋の滴が通り落ちました。汗です。
…………あー、暑い。もういっそ早くひっくり返して、さっさと終わらせちゃいましょう。生焼けでも焦がすよりはましな気もしますし。
「小梅まだ?」
「はいはい。今ひっくり返しますからね」
その結果。生焼けのホットケーキが食卓に並んだとしても恨まないでくださいね。そう、急かす方が悪いのです。と、理不尽にも心の中で言い逃れの言葉を選定。
「ほっ」
やや、焼き上がりの弾力を感じる生地の下にフライ返しを滑り込ませ、手早く持ち上げるようにして生地をひっくり返します。この時のフォームの美しさと華麗さは、ホットケーキの焼き上がりとは関係なく一生の自慢話の種となる気がします。
ペチャっと言う落下音からの、ジューゥという生地が焼ける音がまぶたを閉じる私に自己主張を再開しました。恐る恐るというよりは、じっくりと覚悟を決めるようにして視界を取り戻していきます。そう、生焼けのホットケーキを確認するために……。
しかし、そんな私のマイナス思考な予想と覚悟とは裏腹に、ひっくり返されたホットケーキはうす黄金色にこんがりと焼きあがっていました。
「おおっ?」
「うわっ! 小梅すげえ! 俺また焦がすと思ってた!」
なんて失礼な! と、思わなくもないですが、私自身焦がすという選択肢はないものの、生焼けだと決めつけてましたからね。
まぁ、つまりはいつもは焼きすぎて焦がしてしまっていた私が、怠惰により焼き時間を短縮することによって、焼きすぎなかった。結果としてきれいに焼けた。みたいな感じなんですかね? 結果オーライです。
「ふふ。いいですか、人は誰もみな成長する生き物なのですよ。お姉さんの様になりたければ努力をすることが大事です」
この子の中で私の株は今、急上昇していることでしょう。ああ、ありがとう怠惰! 私は一生あなたと仲良く過ごしていくことを誓います。
という一生の誓いをたてた直後。こんな偶然は何度も続くことはなく、私は自分の食べる分を見事に焦がしてしまいました。怠惰、やっぱり駄目ですね。
「いただきます」
「いただきまーす」
まぁ、しかし、焦がしたとはいえ何とか片面だけはマシな仕上がりにできたので見る分にはきれいです。口に運ぶ度に、ホットケーキにそぐわない苦みが口内に広がりますが……これは大人の苦みというやつです。
そんな大人なビタースイーツを頬張る私の向かいには、シロップの力により至高のスウィーツとかしたホットケーキを召し上がる子がいます。
「うんっ! すごくおいしい!」
けどまぁ、自分の作ったものをここまで褒め倒しながら召し上がってくれるというのは満更悪い気分でもありません。
「そんなにおいしいですか?」
「うんっ! もう、小梅と結婚する!」
あら、このタイミングででちゃいましたか。こどもの必殺技、結婚宣言。くったくのない顔で嬉しそうに言っちゃって。知ってますか? 君が結婚できる年齢の時に私はもう女の子な年齢ではなくなっているんですよ?
けどまあ、こんなセリフも悪い気はしないもので。ここは、保育者として――いえ。
「女の子として、今言ったプロポーズは真に受けといてあげます。忘れちゃだめですよ」
若い内ですから、若気の至りという事で了承してあげる事にします。けれど――
「……小梅はもう女の子って年じゃねーだろ」
直後のこの発言はいかんせん許しがたいものでした。気付くと私は両掌を軽く握りしめ、甥っ子のこめかみにドリルしていました。
この時のひり出された懺悔の言葉はプロポーズの言葉などより格段に心地よかったです。
こんな私でも、保育士ですが、なにか?
終
お楽しみいただけたら嬉しいです。
よければ感想などお願いします。
あと、差支えなければ年齢と、こんなお話が読んでみたい!などのリクエスト?があれば教えてください。