第6話 至近距離の横顔
洞窟の中を小さな冒険家が走っている。
リビングのソファに座って、スマホで和太郎さんの配信を開いていた。
壁の向こうの生声と、ボイチェンを通した配信の声。二つが微妙にずれて届く。もう慣れた。
『おいおいおい待て待て待て——あーーーっ!!』
冒険家が段差から落ちた。膝丈くらいの、段差とも呼べない窪み。それだけで画面が暗転する。
——ここだ。
和太郎さんのアバターの上に、ドット絵の「GAME OVER」がカタカタと一文字ずつ表示される。
最後の一文字が着地した瞬間、文字が爆発してばらばらに散った。チープな効果音がぽろん、と鳴る。
昨日の夜に作ったやつだ。
コメント欄が流れる。「なにこの演出www」「和太郎爆発www」——
壁の向こうで和太郎さんが笑いながら配信を続けている。配信の声に重なって、壁越しにアキラさんの笑い声も聞こえてくる。
——作ってよかった。
◇ ◇ ◇
配信が終わって、和太郎さんがリビングに出てきた。仕事帰りのオフィスカジュアルのまま、ブラウスの袖をまくっている。
「あれよかったよ〜!!! 受けてたね!」
「コメント欄、爆発のとこで一気に流れてましたね。リアクションもいい感じで」
「でしょ!? 草めっちゃ生えてた。ふふ、やったね」
和太郎さんがソファの向かいに座って、こちらを見た。
——少し間があった。
「ねえ、またこういうのお願いしてもいい?」
目が輝いていた。和太郎モードでもない。いたずらっ子の笑みでもない。見たことのない顔だった。
「……ぜひ。やりたいネタがあったら言ってください」
口元が緩んでいるのが自分でもわかった。
「いやー、ほんと私こういうの自分じゃ作れないからさ。頼れる人がいると助かるわ〜」
「……和太郎さんのアイデアが良かったので。作りがいがありました」
和太郎さんがソファの背もたれに体重を預けて、ふっと何かを思い出したように言った。
「紗雪ちゃんの配信ってさ、VRの背景がばーって変わって、ぐわーって動き回れるじゃん。あれすごいよね。ああいう場所ってどうやって探してるの?」
「えっと……公式Webで検索して、良さそうなのを——」
「え、見たい見たい」
防音室に戻って、デスクのPCを立ち上げた。検索画面を開く。英語のUIにワールドのサムネイルが並ぶ。
「へー、こんなのあるんだ」
和太郎さんが画面を覗き込んでいる。
「うぇー、英語ばっかだね……」
和太郎さんが、嫌いなものを食べた子供みたいな顔をしている。
「……フィルタかければ日本語のワールドも——」
「ちょっとマウス貸して」
手を伸ばしてきた。俺は椅子に座ったまま——和太郎さんが横から身体を入れて、マウスを握る。片手は俺の椅子の背もたれに置いて、体重を預けている。
——腕の中にいる、ような角度になってしまった。横顔が近い。
サムネイルを一つずつ、クリックしては戻し、クリックしては戻す。
「——あ、さっきのお返しとかじゃないんだけど。こういうのいくつかあるならさ、小さいのから回って、最後にドーンと広いとこ行く方が、リスナーは楽しんでくれるかも」
「……なるほど」
「あと、気になったとこで足止めて一言言うだけで全然違うよ。——勿論、紗雪ちゃん自身が楽しいのが一番大事だけどね!」
和太郎さんは完全に画面に集中していた。
——クリック音だけが響いている。
俺は返事をしそびれていた。さっきの子供みたいな渋い顔をしていた人が、今は楽しそうにサムネイルを選んでいる。
小さく鼻歌を歌い出した。——さっき配信でやっていたゲームのBGMだ。
鼻歌に合わせて揺れる髪から、かすかに甘い匂いがした。
——和太郎さんが、いきなりこっちを向いた。急に目が合い、心臓が跳ねる。
「紗雪ちゃんはどういうとこが好き?」
横顔を見ていたのがばれたかと思った。
「……元気なところ、ですかね」
——え。俺、今なんて言った?
「元気なとこね。おっけー」
——違う。ワールドの話だ。
和太郎さんはもう画面に戻っていた。俺が言った「元気」を基準に、サムネイルをスクロールしていく。
訂正するタイミングを逃した。
「——あ、これ元気そう!」
色鮮やかな広場のような場所を指差した。
「……確かに」
知っているワールドだった。サムネイルだけで、空気感を当てている。
「いいじゃん。それでいこうよ」
和太郎さんが笑って、椅子から立ち上がった。
「——なんか暑いね、この部屋」
和太郎さんが防音室のドアを開けた。リビングの空気が流れ込んでくる。
「じゃあ私そろそろ帰るね。——またお願いね、演出のやつ」
「はい。和太郎さんの配信、もっと楽しくしていきましょう」
「紗雪ちゃんのもね」
◇ ◇ ◇
玄関のドアが閉まった。
静かだ。
——さっきの話を忘れないうちに。
ヘッドセットを被った。和太郎さんが選んだワールドをいくつか回ってみる。小さいのから大きいの。
——確かに違う。ワクワク感が。
もう少し回ってみようと思った時、通知音が鳴った。
<ちとせ さんがJoinしました>
「紗雪ちゃん、やっほやっほ〜。久しぶり!」
声が降ってきた。目の前に——たこ焼きがいた。
六個入りの、立派なたこ焼きパック。たこ焼きパックに細い手足が生えている。
声に合わせて六個のたこ焼きがばらばらに上下している。
「……あ、ちとせさん、やほ〜」
「ねぇねぇ!新しいアバター見て~」
たこ焼きパックが喋りながら寄ってくる。
「……見てます。何ですか? それ」
「たこ焼き!」
「……なぜ」
「おいしそうだったから~」
六個のたこ焼きの上で、かつお節がぶわっと舞った。
「紗雪ちゃん今日なにしてたの? 新しいワールド巡り?」
「ちょっと配信用に下見を……」
「えらいな〜。私なんてもう全然配信してないよ。VR楽しすぎて」
——和太郎さんがいた数分前の静けさが、もう遠い。
目の前のたこ焼きは、かつお節を揺らしながら知らないワールドやVR友達の話をしている。
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