第5話 アキラ和太郎
「電源タップ、足りなくないですか」
和太郎さんのゲーミングノートがデスクに居座ってから数日。コンセントが埋まって、俺の機材と取り合いになっている。
「あー、確かに。PCとレトロゲーの実機で2個使っちゃってるもんね」
「買い足しましょうか。ついでに結束バンドも欲しくて」
「じゃあ一緒に行く? ここの近くにホームセンターあったよね」
配信のない日の昼下がり。和太郎さんはコラボ告知の画像を作りに来ていた。
いつものソロ配信じゃない、コラボのための凝った作業は、さすがにスマホでは難しいらしい。
紗雪でも和太郎でもない、素の時間。
外に出る。
4月も終わりの風がぬるい。和太郎さんはボーダーのカットソーに肩紐のついたベージュのワイドパンツ、白いスニーカー。
裾が広くて、歩くたびにふわりと揺れる。
住宅街の路地を並んで歩く。和太郎さんの歩幅は意外と大きい。少し早歩きで、俺が半歩遅れる。
「ここ曲がるんだっけ」
「あ、はい。この先です」
ホームセンターの自動ドアが開く。
◇ ◇ ◇
電材コーナー。和太郎さんが電源タップを手に取って、差し込み口の数を数えている。
「6個口で足りる?」
「いや、10個口の方が——和太郎さ——」
口を押さえた。
声が、出かけた。店内に他の客がいる。今の、聞こえたかもしれない。
「……ッ」
和太郎さんがこちらを見た。一瞬の沈黙。
それから——ふっ、と口の端が上がった。
「危なかったね? 昴さん?」
——昴さん。
あの喫茶店で一度だけ交わした、本名。それをさらっと使ってみせた。
いたずらっ子の笑みではない。室内の和太郎さんとも違う。外の世界で、さらりとリードする顔。
「……水野、さん」
絞り出した。それ以外の選択肢が見つからない。
「え~、アキラでいいのに」
——無理だ。下の名前は、無理。
「…………」
「あはは、昴さん固まってるし」
和太郎さんが電源タップを棚に戻して、結束バンドの棚に移った。こっちの動揺をよそに、買い物は続く。
それ以上、お互い名前の話はしなかった。レジを済ませて、外に出る。
◇ ◇ ◇
夕方の住宅街。ホームセンターの袋を提げて、行きと同じ道を戻る。
横並びで歩く。俺の右側に和太郎さん。信号待ちで隣に立つと、肩紐が視界に入る距離。
「そもそもさ」
和太郎さんが、歩きながら言った。
「『しょうわ・たろう』って呼ばれがちなんだよね、初見の人に」
「あー……確かに、素直に読むとそうなりますね」
「安直に決めた私が悪いんだけどさ。VTuber名って難しいよね。ひらがな・カタカナ多い方がいいとか、検索で引っかかりやすい名前がいいとか、後から色々知ってさ」
「何が正解かはわかんないですけどね……。紗雪も最初、似た名前の人がいて検索に埋もれて」
「あるある。あと難しい漢字つけて、コラボ相手が読めなくて気まずくなるやつ」
「SNSで名前変換できなくて、ファンアートのタグが表記揺れだらけとか」
「ね。——それでいくと紗雪ちゃんは覚えやすくていいよ。夜空紗雪。語感がいい」
「ありがとうございます。和太郎さんも、一回聞いたら忘れないですよ。昭 和太郎」
「でしょ? インパクトはあるんだよ。読みさえ間違えなければ」
二人で笑った。
さっきの気まずさが、どこかに流れていく。住宅街の道は人通りが少ない。こういう話ができるのは、この帰り道くらいだ。
「——あ、そういえばさ」
和太郎さんが、思い出したように言った。
「和太郎の苗字、昭って書いて、あきらって読むんだよね」
「……はい」
「外だと水野さんって呼んでくれてるけどさ。昭さんでよくない? 活動名だけど、苗字だし」
——昭さん。
あきら、さん。
(音が——同じじゃないですか)
和太郎さんの本名は、水野アキラ。
「昭さん」と呼ぶたびに、「アキラさん」と呼んでいるのと同じ音が口から出る。
「…………」
「昴さん?」
「水野さん、で。水野さんでお願いします」
「えー、なんでー」
和太郎さんは心底不思議そうな顔をしている。——本当に気づいていないのか、わかっててやっているのか。
どちらにしても、無理だ。
「水野さんで、大丈夫です」
「ふーん。まあ、いいけど」
肩をすくめて、ホームセンターの袋を持ち替えた。
しばらく、二人とも黙って歩いた。住宅街の道が夕日で少しだけ赤い。
「昴さんって普段の休みは何してるの? 配信がない日」
「……機材いじってるか、配信の編集してるか」
「仕事みたいじゃん」
「フリーランスなんで、あんまり境目がないっていうか」
「あー、わかる。私も忙しい時期入ると、休みの日も仕事のこと考えちゃうし」
何でもない会話。でも「配信の話」ではなくて、「お互いの生活の話」だった。
和太郎さんが不意に足を止めた。
「——あ、いい匂い」
立ち止まって、鼻をすんと鳴らした。
「春だねぇ」
——和太郎の間合いだった。女性の声なのに、息遣いと抑揚だけがあのおじさんになる。ボイチェンを通す前の、生身の和太郎。
和太郎さんはそれだけ言って、また歩き出した。
——言われてみれば、生垣のどこかから、甘い花の香りがする。何の花かはわからない。気づかなかった。
アパートの外階段を上がって、玄関の前。鍵を出す。
ドアを開けた。
「「ただいま」」
(——ん?)
二人して顔を見合わせた。和太郎さんは澄まし顔で小首を傾げている。
——何でもない。靴を脱いだ。




