第4話「あざと可愛いガッツポーズ」
チャイムが鳴って、玄関を開ける。和太郎さんだ。
オーバーサイズのカットソーにレギンス。髪はざっくりひとつに束ねている。
「おじゃましまーす。はい、これ」
差し出されたのはコンビニの袋。中を覗くと、プリンが二つと炭酸水。
「炭酸水、紗雪ちゃんこれ好きだったよね」
靴を脱いで、迷いなくリビングに上がる。和太郎さんが週に二、三回、ここで配信するようになった。
最初は「今週ももう一回使っていい?」と遠慮がちだったのが、いつの間にか「明日行くね」に変わっている。
遠慮しなくていいのに、とは思う。こっちだって全開の和太郎さんの配信を間近で聴けるんだから、お互い様だ。
プリンを冷蔵庫に入れて、防音室で配信前の機材チェック。マイクの位置を確認して、リビングに戻る。
和太郎さんはソファでスマホを操作していた。
「紗雪ちゃん、この前の配信のアーカイブ見てたんだけどさ」
「はい」
「登録者500人のお礼リアクション。フルトラでやってたよね。あれすごいよね~! 全身の動きが反映されるんでしょ?」
「そうなんですよ。没入感が全然違うし、自分も紗雪になれた気がするっていうか」
「うんうん」
「和太郎さんは声だけで完全に別人になるじゃないですか。俺は機材に頼ってるぶん、まだまだで」
「いやいや、身体ごと入り込んでるのは紗雪ちゃんの方がすごいって。——そう、入り込むの大事なんだよね」
スマホの画面をこちらに向けた。紗雪のアバターが両こぶしを握ってガッツポーズしている。
「で、このポーズなんだけどさ。元気いっぱいで可愛いんだけど、紗雪ちゃんのアバターあれだけ可愛いんだから——ポーズも合わせたらもっとやばいよ。破壊力段違い」
(……考えたことなかった)
アバターの見た目は美少女でも、中で動いているのは俺の身体だ。意識しないと男の動作がそのまま出る。
「こういうのはなぁ——」
和太郎さんが声の調子を変えて立ち上がった。部屋の真ん中に立つ。
「——こう」
両手を胸の前に上げた。こぶしを外側にふわっと開いて、肘を内側に入れる。
小首をかしげて、少しだけ膝を曲げる。
「脇を締めて、こぶしは外向き。肘を内側に入れると女の子のラインになるんだぜ」
声が和太郎モードに入っていた。低音で、コラボのゲストにアドバイスするときの口調そのまま。
「で、ここで顎を引いて、視線は上目遣い」
——なのに。身体は、完全に女性の仕草だった。
指先の開き方。首のかしげ方。重心の落とし方。
どれも自然で、身体に染みついた動きだった。
「どうだ、これで完璧だぁ!」
和太郎の声で、アキラさんの身体が可愛いポーズを取っている。
配信者の目が分析する——肘の角度、重心の位置。なるほど。
ファンの目が反応する——推しが直々に教えてくれている。
——もうひとつの目が、黙った。指先が、テーブルの端を掴んでいた。
「紗雪ちゃん?」
「……あ。肘の角度、なるほどです」
「でしょ? ちょっとしたことで全然変わるんだよ」
和太郎さんは涼しい顔で座り直した。
(女性だから、こういう動きは自然にできるんだろうな)
「じゃあ紗雪ちゃん、やってみ? 配信前に練習しとこうよ」
「……え」
「さっきの。あざと可愛いガッツポーズ」
フルトラのセンサーを身につける。モニターの紗雪が、俺の動きに合わせて動く。
——普段はひとりだ。
この部屋で、誰にも見られずにやっている。アバターが可愛く動けばいい。
中の男がどんな格好をしているかなんて、カメラにも映らない。
今、後ろに和太郎さんがいる。
(……見ないでほしい)
「さっきのポーズ、やってみて」
両手を上げる。こぶしを外に——肘を内側に——
「肩、力入ってるよ」
「……わかってます」
「もっとふわっと」
——だめだ。
見られている。アバターの裏で美少女ポーズを取ろうとしている男の姿を、そのまま見られている。
その絵面が頭に浮かんだ瞬間、腕が下がった。
「……今日は、無理です」
「えー。もうちょっと——」
「次までにやっときます。ひとりの時に」
和太郎さんは、くすっと笑った。
「フルトラは大変だよねぇ。全部出ちゃうもんね。——私は2Dだからポーズは映んないけどさ」
少しだけ声のトーンが変わった。
「声に乗せるために身体ごと作ってたから、気持ちはわかるよ」
(身体ごと——)
「グッてドンッ」を思い出した。あの喫茶店で、腹の底から声を出してみせた瞬間。あれも身体ごとだった。
声のために身体を作る人と、身体が全部出てしまう人。同じ悩みの、裏表だ。
◇ ◇ ◇
和太郎さんの配信が先。防音室のドアが閉まると、リビングにくぐもった声が届く。
リビングのソファに座って、スマホで和太郎さんの配信を開いた。壁の向こうの生声と、スマホから流れるボイチェン越しの声。
二つの声を同時に聴きながら、さっきのポーズのことを考える。肘の角度、重心の位置。ひとりになったら練習しよう。
交代して、紗雪の配信。VR空間の新しいワールドを探索する回。ゆるく、穏やかに。
配信を終えてリビングに戻ると、和太郎さんがソファに沈んでいた。
さっき冷蔵庫に入れたプリンが、ローテーブルに二つ並んでいる。スプーンも二本。
「おつかれー。開けていい?」
「お疲れ様です。どうぞ」
カラメルが舌の奥でほろ苦い。高級でもなんでもないコンビニのプリンが、配信の後だと妙にうまい。
そのまま、今日の配信の振り返りが始まる。
「今日のコメント欄見ました? 『最近の和太郎さん声の張りすごくないですか』って」
「見た見た。嬉しいねぇ。紗雪ちゃんのおかげだよ」
「部屋の構造のおかげです」
和太郎さんがプリンのカップを逆さに傾けて、残ったカラメルを口に流し込もうとしている。——落ちてこない。
「……あと、紗雪の方も最近コメント欄に新しい人が来てくれるようになって」
「いいじゃん。コメント同士で盛り上がってくれると、自分の配信が居場所になってる感じするよね」
「そうなんです、それです」
配信後にこうしてお土産を食べながら振り返りをする。
いつの間にか、そういう時間ができていた。静かな部屋に、二人の話し声だけが響く。
(……いつからだっけ)
和太郎さんがキャリーバッグにゲーミングノートを詰め直している。レトロゲーの実機が入ったポーチ、キャプチャデバイス、ケーブル類。丸めて、押し込んで、ファスナーを閉じる。
「毎回セッティングに20分かかるの、地味にきついんだよね……」
独り言みたいな呟きだった。
重いキャリーバッグを引いて電車に乗り、ここまで来て、セッティングして、終わったらまた全部詰めて帰る。それを週に二、三回。
「……置いていきます? デスク、空いてますし」
言ってから、自分でも驚いた。でも撤回する理由が見つからない。
和太郎さんの手が止まった。
「……いいの?」
「毎回運ぶ方が大変でしょう」
ファスナーに手をかけたまま、和太郎さんはこちらを見た。
「——じゃあ、お言葉に甘えようかな。配信以外は基本、スマホで済むし」
ファスナーが開いた。閉じたばかりのゲーミングノートが、また出てくる。
デスクの上に置かれた瞬間、部屋の重心が少しだけ変わった気がした。




