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第3話 全力でどうぞ

 休日の昼前。掃除機をかけ終えて、部屋を見回す。


 奥の洋室が作業部屋。防音カーテン、モニターと音声機材。


 ケーブルはまとめ直した。デスクの上も拭いた。

 リビングに戻る。シンクに食器はない。ローテーブルも拭いた。


(推しが来るだけだ。落ち着け)


 冷蔵庫を開ける。お茶とミネラルウォーター。他に何か要るだろうか。

 いや、防音設備を見に来るだけなんだから。


 スマホが震えた。


 『あと10分ほどで駅着くぜぇ!』


 通知の横に、見慣れた和太郎(わたろう)さんのアイコン。


 靴を履いて、外階段を駆け下りた。


◇ ◇ ◇


 駅前のロータリーに、黒髪が揺れていた。


 淡いベージュの薄手のシャツにデニムのワイドパンツ。袖をラフにまくっている。

 喫茶店で会った時とは少し違う、休日の軽い空気。


 片手に車輪付きの大きなキャリーバッグ、もう片方に小さめの紙袋。


「お待たせしました」


「全然待ってないよ」


 キャリーバッグが目に入る。サイズからして——


「それ、配信用のPCですか?」


「そうそう、ゲーミングノート。試さないと意味ないかなって」


「ここまで持ってくるの大変だったでしょう」


「転がしてきただけだよ。車輪ついてるし」


 そうは言うが、冷却ファンを2基積んだゲーミングノートだ。電車の乗り降りだけでも相当なはずで。


「ここからは俺が持ちますよ。階段あるんで」


「……ありがと、紗雪(さゆき)ちゃん」


 駅を出て、住宅街の路地に入る。四月の風が少しだけぬるい。


「紗雪ちゃんの家、この辺なんだ。静かだね」


「駅から少し歩くんですけど、その分——」


「——家賃が安い?」


「……はい」


 和太郎さんはふっと笑った。


「わかるわかる。私も似たようなもん。1Kで駅徒歩15分」


「防音とか、どうしてたんですか。今の部屋で」


「やれることは全部やったよ? 壁に吸音材貼ったり、カーテン二重にしたり」


「それでもダメだった」


「うん。で、最終兵器に手を出したの。頭だけ囲むタイプの防音ボックス、知ってる?」


「ありますよね」


「DIYの解説動画見ながら自作したんだけどさ。——暑い」


「……暑い?」


「夏場、配信用ノートPCも一緒に入れるから、5分で蒸し風呂」


「うわぁ……」


「もともとエアコン調子悪かったのもあるけどね。しかも板の接合が甘くて隙間から音漏れるし、防音効果も微妙で」


 淡々と語っているが、全部試行錯誤の重さがあった。


「結局バラして押入れの奥。あれ置きっぱだと、マジで生活スペースが無くなっちゃう」


「わかります。機材って場所取りますよね」


「ほんとそれ。足の踏み場がなくなって、でも捨てるに捨てられなくて——あ、紗雪ちゃんの防音ってどんな感じなの?」


 歩きながら、こちらの顔を覗き込んでくる。


「見たらわかります」


「おっ、自信あり?」


「自信というか……着けばわかるので」


「はいはい、お楽しみね」


 角を曲がると、2階建ての小さな建物が見えた。


「ここです」


「……こぢんまりしてるね」


「1階が丸ごと倉庫で、2階に三部屋です。隣はその倉庫を使っている事務所で、夜と休日はほぼ無人です。そのさらに隣にもう一世帯」


「えっ——じゃあ」


「はい。夜は壁の向こうに誰もいない状態です、結果的に」


 和太郎さんの足が止まった。


「……紗雪ちゃん、それめちゃくちゃ恵まれてない?」


「物件の構造がたまたまそうなだけで。——中、どうぞ」


 外階段を上がり、端の部屋の鍵を開ける。


「お邪魔します」


 玄関で靴を脱ぐ。和太郎さんはリビングに入ったところで紙袋を持ち上げた。


「あ、これ。お邪魔しますの気持ち」


 中を覗くと、焼き菓子の箱だった。


「わざわざすみません」


「それはこっちの台詞。無理言って見学させてもらうんだし、このくらいはね。——で、防音室は?」


 ローテーブルに紙袋を置いて、奥の作業部屋へ案内する。


 和太郎さんは入った瞬間、ゆっくりと部屋を見回した。


「……すごい」


 防音カーテン。リフレクションフィルター。デスク上のモニターに機材一式。


「窓の防音カーテンは自分で入れました。あとリフレクションフィルターで反響を抑えてます。ただ一番効いてるのは、さっき言った建物の構造で——」


「試していい?」


 説明を遮って、和太郎さんが言った。目がもう、配信者の目になっている。


「——もちろんです」


 部屋の中央に立つ。軽く息を吸い、胸の前で手を組んだ。目を閉じる。


 ——そして。


「よっしゃあ来い! ここからが本番だぜ!」


 壁が震えるかと思った。震えなかった。


 あの声だ。腹の底から響かせる、和太郎の全力の声。喫茶店で一瞬聴いたのとは比べ物にならない。

 声量の蓋を外した、本物の和太郎がここにいた。


 和太郎さんの目が開いた。


 沈黙。2秒。3秒。


「——漏れてないかな?」


「このくらいなら余裕です」


「もう一回やっていい?」


「どうぞ」


「——全力でいくよ?」


「全力でどうぞ」


 深く息を吸い込む。


「ハッハッハ! これだよこれ! 声ってのはなぁ、腹から出すもんだ! わかるかお前ら!」


 配信そのものだった。目の前に視聴者がいるかのように、身振り手振りを交えて和太郎が喋っている。

 声は天井に跳ね、壁に吸われ、どこにも漏れない。漏れたところで隣人もいない。


 ——そして。


 和太郎さんは急に黙って、両手を頭の上に持ち上げた。


 くるり。


「——やったっ……!」


 和太郎じゃなかった。


 声が変わっていた。低音のおじさんボイスでもなく、喫茶店で聴いた丁寧なアキラさんの声でもない。


「ここなら全力で出せる……! 声、全力で出せるよ紗雪ちゃん……っ! ひゅ~ぅ!」


 ただ嬉しくて、抑えきれなくて、両手を上げてくるくる回っている。


 新しい遊び場を見つけた子供みたいに、防音カーテンの前で回っている。


 ——声を抑えて配信してきた人が、初めて枷を外した瞬間。


(ミュージカルみたいだ)


 小さい頃、親に連れて行かれたやつ。ヒロインがこんなふうに回ってたのを思い出した。


 ここにはスポットライトなんてない。蛍光灯の下の、防音カーテンの前。それだけの場所なのに。


「そんなに喜んでもらえるなんて思いませんでした」


 なんだかつられて、こっちまで身体が揺れる。


◇ ◇ ◇


 興奮が落ち着いてから、和太郎さんはキャリーバッグからゲーミングノートを取り出した。


「せっかくだから、ボイチェン通した状態でも試していい?」


「もちろん。セットアップ、手伝います」


 デスクにPCを置き、マイクを接続。通話ソフトを立ち上げる。


 俺は隣の部屋に移動して、ドアを閉めた。スマホで通話アプリを開く。


 ——数秒後、スピーカーから和太郎さんの声が届いた。


『どうもどうも! 昭 和太郎だっ! 今日は本気でいくからなぁ!うぉおお!』


 いつもの挨拶。いつもの声。なのに——何かが違う。


 声の厚みが、段違いだった。


 普段の配信も十分に良い。ずっと好きだった声だ。


 でも今聴いている和太郎さんは、その上にもう一段ある。

 声の底に余裕がある。抑えていたものが全部乗っている。


(……化けた)


 技術とかの話じゃない。同じ人の声が、場所が変わっただけでここまで変わるのか。


 ドア越しに、くぐもった生声がかすかに聞こえている。

 スマホからはボイチェンを通したクリアな和太郎の声。同じ人間の声が、二つの経路で届いている。


「——和太郎さん。これ、配信で聴いたらリスナーびっくりしますよ」


『マジか? そんな違うか?』


「全然違います」


『……へへ』


 照れたような笑いが、ボイチェン越しでも漏れていた。


◇ ◇ ◇


 リビングのローテーブルに焼き菓子の箱を広げた。


「いただきます」


「どうぞどうぞ」


 和太郎さんがソファに腰を下ろして、お茶を手に取った。


 ——このソファに自分以外の誰かが座るのは、初めてだった。


「にしても、2DKかぁ。一人暮らしで2部屋あるの、いいなぁ」


「仕事部屋が要るんで」


「だよね。私も部屋がもうひとつあったらなぁ」


 それ以上は聞いてこなかった。


 窓の外が暮れ始めている。


 フィナンシェは最後のひとつになっていた。和太郎さんが迷わず手を伸ばす。


「いい場所だね、ここ」


 何気ない一言だった。


 ——さっきのくるくるが、まだ頭に残っている。

 あの声を、あの全力を、防音ボックスの中で殺していた人が。解放されて舞っていた。


「和太郎さん」


「ん?」


「……よかったら、配信にも使いませんか。夜遅くなりすぎない範囲で、ですけど」


 和太郎さんのフィナンシェを持つ手が止まった。


「……いいの?」


「見学だけって言ってたのは知ってます。でも——さっきの全力の和太郎さん、配信で観たいと思っちゃいました」


 ファンとしての本音だった。それ以上でも以下でもない。——たぶん。


「……ありがと、紗雪ちゃん」


 窓の外はもう暗い。


 焼き菓子の甘い匂いが、まだ部屋に残っていた。


新連載、始まりました!今度はVTuberテーマのラブコメです。

ただし、華やかな企業勢ではなく、アマチュア「個人勢」と言われる人に焦点を当てています。


もし面白かったら☆や感想など是非よろしくお願いします!

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― 新着の感想 ―
第3話、最高にエモくて熱かったです! 防音室でリミッターを外したアキラさんが、和太郎ボイスで「全力でどうぞ」に応えるシーンの迫力。そこからの、素に戻って「やった…!」とくるくる回るギャップが可愛すぎ…
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