第2話 配信の騒音、6割の声
その夜。
『今夜もレトロゲームチャレンジ! 紗雪ちゃん3回目の挑戦、今回はこれだ!』
コメントが流れる。「待ってました!」「紗雪ちゃんまたやられるぞw」
ゲストがレトロゲームをプレイし、和太郎さんがアドバイスする人気コラボ企画。
コラボは驚くほどスムーズだった。和太郎さんの声もヒートアップしていく。
『嘘だろ紗雪ちゃん! ここ俺でも3回死んだぞ!? いやすげえ、すげえって!』
和太郎さんの声を聞くたびにアキラさんの顔がちらつく。
が、不思議と配信のテンポは崩れない。
(——正体を知ったのに、いつもと変わらない)
——ドォォン!
(……っ!?)
和太郎の音声の裏で、地響きのような低音が鳴り響いた。
(……何だ、今の?)
◇ ◇ ◇
コラボ配信が終わり、通話に切り替える。ボイスチェンジャーはお互いそのまま。
通話でも配信の声。
俺の紗雪ボイスは和太郎さんほどの完成度はないが、自分なりに「かわいい」を追求している。
正体を知った今でも、この声のまま話す方がしっくりくる。
「いやー楽しかったな! 紗雪ちゃん、レトロゲームの腕上がってないか?」
「えへへ、そうですか? 3回目ともなると多少は……」
他愛ない話が続く。自然だ。この距離感は変わらない。
——ただ、一つだけ気になっていることがある。
「……あの、さっきの配信中の音、なんでした? ドォン!って」
「あぁ——あれな。気にすんな気にすんな!」
軽い。あまりにも軽い。
だが、それ以上踏み込む理由もない。
「……そういえば、登録者また増えてましたね。1,350人近いんじゃないです?」
「ホントありがたいよなぁ。個人でやってる中でここまで来れたのは、リスナーみんなのおかげだよ」
VTuberというと、大きなライブをしたり、テレビにも出るような華やかな世界を想像するかもしれない。
あれは企業が本気でプロデュースしている、プロの世界だ。
紗雪も和太郎さんも、そういうのとは全く違う。
機材も企画も配信も、全部自分でやる。業界では「個人勢」と呼ばれている。
「1,000人のとき、記念配信やってましたよね」
「あの時はありがとな、紗雪ちゃんも沢山コメントくれたよな」
数万人以上いると言われている個人勢。
その中でチャンネル登録者10,000人を超えられるのは、ほんの一握り。
1,000人だって十分すぎるほどに高い壁だ。
「コメント欄お祝いで埋まって、和太郎さん声詰まらせてたじゃないですか」
「……あれは、うん。嬉しかったなぁ」
照れたように笑った気配がした。
個人勢にとっては、それくらい特別なことなのだ。
「紗雪ちゃんも順調じゃないか。配信始めるまで大変だったろ?」
「それはもう……配信の申請してから丸一日待たないと配信開始ボタンすら押せないって、全部準備した後に知って……」
「がはは、あるある! あの24時間トラップ、みんな引っかかるんだよなぁ」
そんな話をあれこれしているうちに、気づけば日付が変わりかけていた。
配信後の通話が長くなるのは珍しいことでもないが、最近、和太郎さんとはいつもこうだ。
——通話が終わる。
モニターから目を離し、天井を見上げた。
(……気にすんな、か)
あの音が、どうしても引っかかる。
◇ ◇ ◇
数日後。和太郎さんのソロ配信を開く。
いつものレトロゲーム実況。渋い声が心地よく響く。コメント欄ものんびり流れている。
この日の和太郎さんは好調だった。高難易度ステージに差し掛かり、声にどんどん熱が入っていく。
『よっしゃあ来い! ここからが本番だぜ!』
コメント欄も盛り上がる。「よっしゃあ行け和太郎さん!」「声量www」
——その瞬間だった。
ドォォン!
コメントが一気に加速する。「今の何?」「地震?」「音割れした?」
『おっと……ふっ、演出だよ演出。臨場感ってやつ? クライマックスにはこれくらいの迫力がないとな』
コメント欄が笑いで埋まる。「和太郎らしいw」「演出凝ってるw」
リスナーは納得した。和太郎さんの芸風なら、ありえなくはない。
——でも、俺は気づいてしまった。
(……演出なんかじゃない)
あの喫茶店で聴いた、腹の底から響かせるあの声。盛り上がるほど声量が上がる。
そして、もう一つ。
さっき、声量が跳ねた瞬間。ドォォン!が来る直前の、ほんの一瞬。
和太郎さんの声が——
(……あの一瞬だけ、別人みたいだった)
何が違うのか、うまく言えない。声量だけの問題じゃない。
声の芯が太くなったというか、響きの底が深くなったというか。
配信が終わるのを待って、PCのチャットアプリを開いた。
◇ ◇ ◇
『和太郎さん、お疲れ様です。——あの、貸したマイク使ってくれてるんですね』
『おう、すごいなあれ! 声の拾い方が全然違うぜ』
『……ですよね。それで、さっきの音も拾っちゃった、ってことですか』
少し待つが、返信が来ない。
代わりに、通話の着信が鳴った。
「……やっぱ気づいた?」
和太郎ではない。アキラさんの声だった。
「あれね……隣の人の壁ドン」
「壁ドン……」
「壁叩かれる衝撃音が、ボイチェン通すとあの重低音になるんだよね。魔王降臨みたいでしょ」
笑えない冗談だった。
「配信で興が乗ると、気をつけててもつい声が出ちゃって。……迷惑かけてるんだよね、隣の人に」
「前のマイクだと配信には乗らなかっただけで、壁ドン自体は前からあって。そりゃそうだよね、こっちがうるさいんだから」
——俺が貸したマイクが、見えなかった問題まで拾ってしまった。
「一応、時間帯は気をつけてるし、吸音材も貼ってるんだけどね。壁が薄いからそこまで効果もなくて」
「……そんな中で、工夫してたんですね」
「うん。声もなるべくセーブして、6割くらい? 迷惑かけないようにって意識してたら、抑える方が普通になっちゃった」
6割。息を飲む。
ずっと聴いてきた。あの声に救われた。あの声が好きで、自分も活動を始めた。
——あれが、抑えた状態だった?
「……最近、壁ドン増えたりしてます?」
「んー……まあね。活動始めた頃より声出るようになっちゃって。気をつけてるつもりなんだけど、つい」
「しかもね、配信とは別に練習もしてて。ボイチェンの乗りを良くするために、喉を開いて低い声を出すんだけど——さすがに夜は布団かぶってやってたの」
——あの喫茶店で見せてくれた「グッてドンッ」。あれを、布団の中で一人で繰り返していたのか。
「そしたら賃貸の管理会社から連絡来ちゃって。『天井から夜な夜な不気味な唸り声が聞こえる』って」
「天井から……?」
「下の階の人が通報したみたい。布団かぶって横の壁は気にしてたんだけど、床は盲点だったっていう……」
(……っ)
不謹慎にも笑いそうになる。だが、笑えない。
「まあ、それもあって今は抑える方に努力してるんだけどね」
——抑える方に、努力。
あの声の持ち主が、声を出さないことに全力を注いでいる。
さっきの配信で、壁ドンの直前に聴こえたあの一瞬。
あれが蓋の外れた和太郎だったのか。
(じゃあ本気の和太郎さんって、どんな声なんだ)
聴いてみたい。ファンとして、純粋に。
「紗雪ちゃんは? 防音、どうしてるの?」
「ある程度DIYしてますが、俺は……たまたま物件の構造が良くて。2階建てで隣が事務所、夜は無人なんです。下の階はまるまる倉庫で」
「……何それ、恵まれすぎじゃん」
「本当にたまたまなんですけどね。——あの、防音カーテンやマットとかの選び方なら教えられますよ。写真も送ります」
「……うん」
沈黙が少し長かった。
「……ねえ、紗雪ちゃん」
「はい」
「不躾なお願いなのはわかってるんだけど——一回、見せてもらってもいいかな。その部屋」
「……えっ」
「見学。見学だけ。どんな環境で配信してるのか、見た方が早いかなって」
——願ってもなかった。
さっきの配信の一瞬が、まだ耳に残っていた。
蓋が外れた、あの響き。あれの先を、この部屋で聴けるかもしれない。
「もちろんです。いつでも来てください」




