第1話 推しのおじさんは美女だった
推定五十代の、気のいいおじさんに会いに来た。
——昭 和太郎というVTuberの、中の人に。
男同士だ。気楽なもんだと思っていた。
和太郎さん指定のレトロな喫茶店。
目の前にいたのは、20代くらいの黒髪の女性だった。
白いワンピースに、小さなペンダント。
「待たせたな! 『昭 和太郎』の、中の人——水野アキラだぜっ!」
右手のサムズアップ。配信で何百回も見た、あのポーズ。
俺の脳が、完全にフリーズした。
「ええぇえええっ!?」
絶叫が、レトロな喫茶店に響き渡った。
周囲の客が一斉にこちらを見る。
俺は慌てて口を押さえ、ぺこぺこと頭を下げた。すみません何でもないです。
「まあまあ座りなって。注目浴びちゃってるよ?」
促されるまま、向かいの席に腰を下ろす。深呼吸。
焙煎の深い匂いと、古い木の匂い。落ち着け。
俺は結城昴、アラサーと言われる年齢。
ネット上では「夜空 紗雪」
——美少女のCGを被って、ゲームやVRの配信をしている。
いわゆるバ美肉VTuberだ。
ボイスチェンジャーで声を変えてはいるが、バ美肉は大抵すぐに見破られる。
見た目は少女、中身はおっさん。視聴者も承知の上。まあ、そういう芸風。
「へえ、紗雪ちゃんこんな感じなんだ」
興味津々にこちらを眺めている。いや、こっちの台詞だ。
画面の中の和太郎さんは、昭和のアニメから抜け出したような2Dアバターに、ゲーム機のペンダント。
渋い声と喋りが乗って、ひとつの世界ができていた。
——それが、ついさっきまで俺が知っていた「和太郎さん」だ。
昭 和太郎=この美女。この美女=あのおじさん。
頭の処理が追いつかない。
「落ち着いた?」
アキラさん——いや、和太郎さん?——は楽しそうにコーラフロートをすすっている。
仕草は完全に「綺麗なお姉さん」なのに、出会い頭の豪快な声が頭にこびりついて離れない。
「和太郎さんの、娘さん……?」
「違う違う。ほら」
スマホを向けられた。昨夜のDM。送信元は間違いなく「昭 和太郎」。
「……本物だ」
「でしょ? 改めまして……リアルネームね、水野アキラです。驚かせてごめんね」
両手を合わせて首を傾け、片目をぱちりと閉じる。おじさんとのギャップで混乱が加速する。
「あ……俺は、結城昴です」
「昴さんね。よろしく。——でも、紗雪ちゃんでいいよね? 私のことも和太郎でいいし」
「あ、はい。その方がしっくりきます」
「だよね」
なぜか、少しほっとした。
「にしても、画面越しだと1年半くらい? 長いよね」
肩を越えて背中に流れている黒髪が、喋るたびにわずかに揺れる。
「そうですね。……初配信のとき来てくれたのが最初だから」
「あー、あったね。無料ソフトのアバターで、めちゃくちゃ緊張してたやつ」
「覚えてるんですか」
「そりゃ覚えてるよ。コメント誰もしてなくて、見てらんなくなって書き込んだんだから」
『おっ、新人さんか! いい声してんな、頑張れよ!』
たった一言のコメント。それだけで、この活動が楽しいと思えた。
「……あの一言がなかったら続けてなかったと思います」
「大げさだなあ」
「大げさじゃないです。それに元々は、仕事で潰れかけてた時期に和太郎さんの配信見て、自分もやってみたいって思って——」
「——うん、それは前にDMで聞いた」
1年半ほど前の深夜。たまたま開いた配信で、和太郎さんは高難易度のレトロゲームに挑んでいた。
何度もゲームオーバーになりながら、笑って再挑戦し続ける。
『まあ気楽にいこうぜ、何度やられたっていい。人生なんとかなるもんだ』
ゲームの話をしているだけだ。それだけなのに、胸の奥がじんとした。
「……今でも覚えてるくらい、刺さったんですよ。あの一言」
「——嬉しいな、それ」
少しだけ、和太郎の声が混じった気がした。
「レトロゲームってさ、何回やられても最初からやり直せるじゃん。あの気楽さごと届いたらいいなって、いつも思ってるから」
「…………」
「届いてたんだ、ちゃんと」
コーラフロートの氷がからりと鳴った。
「こうやって顔合わせると、不思議な感じしない?」
「……しますね。初めて会った気がしないというか」
「わかる。ずっとやり取りはしてるからかな」
「まあ、普通会わないですからね。VTuber同士って。機材の件がなかったら会ってなかったかも」
「だよね」
和太郎さんの音声機材が逝った。
たまたま同じモデルの予備を持っていたので、恩返しのつもりで俺から貸し出すと申し出た。
「しかも和太郎さんの場合、リスク段違いじゃないですか。俺のバ美肉は周知だけど、和太郎さんは誰にも明かしてないわけでしょう」
「……うん、紗雪ちゃんが初めて」
「なのに、なんで俺と会おうって? 匿名配送でも送れたのに」
「機材がすぐに必要だったのと——前に通話でお互いの沿線の話したことあったじゃん。意外と近いんだなって」
「あ、ありましたね」
「あとは、紗雪ちゃんなら大丈夫かなって。勘だけど」
「……勘」
「あと、正直ちょっと驚かせてみたかったんだよね。画面の自分とだいぶ違うからさ、私」
「……十分驚きましたよ。だいぶどころじゃなく」
「あはは、期待以上のリアクションだった」
——それはそうと、ずっと引っかかっていることがある。
ボイスチェンジャーは大抵バレる。俺のバ美肉がいい例だ。
なのにこの人の声には、ずっと違和感がなかった。同業者として、それがどれだけ異常なことかわかる。
「ひとつ聞いていいですか。——あの声、どうやってるんですか」
「そこ気になる?」
人差し指を唇の前に立て、片目をつぶる。
「借りもあるし——特別に教えちゃおうか。墓場まで持ってってよ?」
「もちろんです」
アキラさんは姿勢を正した。
「ボイチェンはあくまで仕上げ。メイクみたいなもんでさ」
自分の喉を指差す。
「大事なのはここ。こう、グッと開いて——ドンッて落とす感じ?」
「……いや、ちょっと待ってください。グッと開いてドンッ、とは」
「だから、グッて——ドンッて」
(説明になってない)
「あとは気持ち。喋り方が女のままだとボロ出るから、魂ごと『和太郎』になるの。つまり——」
アキラさんは息を吸い込んだ。
「こうやって、腹の底から響かせるんだよ!」
声量は抑えている。喫茶店だ、当然。
なのに——瞬間、背筋を何かが駆け上がる。
声色だけなら、女性が低めに出しているだけだ。
なのに——間の取り方、言葉の乗せ方、息遣い。全部が豪快なおじさん。
まさしく「和太郎」だった。
ここにボイスチェンジャーを挟んで完成するのか。
「すごい……声の鳴りが根本から違う……!」
前のめりになっていた。女性への緊張なんか吹き飛んでいる。
目の前にいるのは、とんでもない才能を持った化け物だ。
(理屈はわかった。わかったが、「グッてドンッ」で実現できる人間がどこにいる)
「でしょ? 自信作」
アキラさんは澄ました顔に戻り、コーラフロートをすすった。
「紗雪ちゃんこそすごいよ? ボイチェンの設定、少しずつ調整してるでしょ。最近いい感じじゃん」
——図星だった。
(毎週少しずつパラメータを詰めてるのを、気づいてたのか)
「努力家だねえ、紗雪ちゃんは」
(「グッてドンッ」で完成させる人に言われたくない)
「……和太郎さんこそ」
互いの手の内を見せ合う緊張感。でもそれ以上に、ワクワクする。
(——この人は「わかる側」だ)
俺の孤独なこだわりを、言葉にしなくても理解してくれる。
そんな相手に、出会えるとは思っていなかった。
「……じゃあ、この秘密は墓場まで持っていきます」
「お願い。私の社会的な死に直結するから」
少しだけ表情を緩めた。
「その代わり、私も秘密にするよ。紗雪ちゃんの中身がこんな素敵な男性だってこと」
「——っ」
不意打ちだった。目を逸らす。
「か、買い被りすぎです……」
「あはは、顔赤いよ?」
アキラさんは、いたずらが成功した子供みたいに笑っている。
沈黙。けれど気まずさはなかった。誤魔化すようにコーヒーを口に運ぶ。苦い。
ふと、テーブルの脇に置いた紙袋が目に入る。
そうだ——今日はこれを届けに来たんだった。
「——で、今夜のコラボ、予定通りやれそうだね」
「はい、機材はそれ使ってください。ついでに、マイクの予備も入れときました」
「え、いいの?」
遠慮というより、純粋に驚いている顔だった。
「今使ってるのより声をよく拾うんで、良かったら。使い方は説明書きも添えてあります」
「わぁ!ありがと」
彼女は立ち上がり、ふと振り返った。
「——楽しみにしてる」
最後に浮かべた笑顔は、和太郎でもアキラでもない、どこか無防備なものだった。
◇ ◇ ◇
喫茶店を出る。推しのおじさんは美女だった。声を「グッてドンッ」で完成させる化け物だった。
そして俺は、その秘密を知る共犯者になった。
——で、その夜のコラボ配信で、俺はもう一つ気づくことになる。




