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悪女の選択――愛される資格などないはずだった  作者: 音香(Otoca )


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差し伸べられた手

朝稽古の時間になっても、そこにリリアの姿はなかった。



いつもなら、誰よりも早く訓練場に立っている。


剣を構えもせず、ただ静かに、命令を待つように。



その姿が――ない。



ラルフは、整列する騎士たちを一瞥してから、

副団長の方へ視線を向けた。


「……オスカー」


名を呼ぶ声は低く、短い。



「はい」


「ローゼン卿が来ていない」


それだけで、オスカーは察した。


理由ではない。


“異常”であることを。


「様子を見てきます」


ラルフは頷いた。


それ以上の言葉は必要なかった。




オスカーは、騎士団宿舎の廊下を急いだ。




目的の部屋の前に立ち、軽くノックする。


「ローゼン卿?」


返事はない。


「……入るぞ?」


そう声をかけ、静かに扉を開けた。



――熱気。



部屋に足を踏み入れた瞬間、

むっとした空気が頬に触れた。



ベッドの上に、リリアが横たわっている。


苦しそうに息をし、額には汗。



「……ひどいな」



オスカーは思わず呟いた。


昨夜、自分で巻いたのだろう。


額と足首に、濡れたタオルが当てられている。


だが――


手を伸ばして触れた瞬間、オスカーは目を見開いた。


「……熱い」


額も、足首も。


異様なほどに熱を持っていた。



「……無茶しやがって」


小さくため息を吐き、リリアの頬に手を添える。



「今、治癒師を呼んでくる」



反応はない。


それでも、はっきりと告げる。


「だから……もう少しだけ、頑張れ」



オスカーはそう言い残し、部屋を後にした。




治癒師たちが集まる部屋。


「副団長様、申し訳ありませんが……」

事情を説明すると、

治癒師たちは困ったように視線を逸らした。



「本日は予定が立て込んでおりまして……」


「……何を言っている」


オスカーは眉を寄せる。


「今、手が空いてるだろう」


「いえ、その……これから予定が……」


言葉を濁すその態度に、

オスカーははっきりと苛立ちを覚えた。



その時。


扉が開き、一人の治癒師が戻ってきた。



「副団長様、どうなさいました?」


柔らかな声。


だが、芯のある眼差し。



王族専用治癒師――ルーク・エルシオンだった。



オスカーは、簡潔に事情を説明した。


話を聞き終えたルークは、一瞬も迷わず言った。



「……急ぎましょう」



リリアの部屋に入った瞬間、ルークは息を呑んだ。


熱と怪我。


それだけなら、治療は容易だ。


だが――



「……これは」


ルークは、そっとリリアの手首に触れ、脈を取る。


「……体力が、なさすぎる」


治すための“土台”が、存在していない。



「……栄養失調ですね。かなり、進んでいます」



オスカーは、歯を食いしばった。



ルークはすぐに回復魔法を施した。


高熱が引き、足首のひびも、綺麗に塞がれていく。


それでも、ルークの表情は晴れない。



「副団長様」



静かな怒りを湛えた声。



「……これは、どういうことですか」


オスカーは、深く息を吐き、一から説明した。



噂。

扱い。

食事。

治癒を拒まれたこと。



ルークは、一言も遮らずに聞いた。



「……騎士団は、弱肉強食の世界です」



最後に、ルークはそう言った。


「ですが……助けも求めず、

 ここまで一人で耐えさせる理由は、ありません」



細身の身体。

熱にうなされながらも、声をあげなかった少女。



胸が、締めつけられた。



「明日、また診察に来ます」


そう告げ、ルークは一礼して部屋を後にした。



オスカーは料理長のもとへ向かい、

事情を話して粥を用意してもらった。



再び、リリアの部屋。


扉が開く音に、リリアがびくりと身体を動かす。


起き上がろうとして――


「っ……」


力が入らず、崩れ落ちそうになる。


「おっと」


オスカーが咄嗟に支えた。


その時、小さなため息を吐いた。


――失望だと思ったのだろう。

リリアの身体が、硬直する。



「……も、申し訳ありません……」


掠れた声。



オスカーは、思わず息を止めた。


粥を机に置き、ベッドの端に腰掛ける。



そっと、額に手を当てた。



「……熱は下がったな」


次に、足元を見る。


「足は……まだ痛むか?」


心配する声。


リリアは戸惑いながら、足を少し動かした。



――治っている。



「……大丈夫です。ご迷惑を、おかけして……」


「もういい」


オスカーは、はっきり遮った。



「謝罪はいらない。 ……粥、食べられそうか?」


「……はい」


小さな返事。


スプーンですくい、差し出す。


「口、開けて」


「……?」


リリアは、完全に固まった。

どう反応すればいいか、分からない。


「ほら。あーん」


優しい声。


口に入った瞬間、

温かさが、身体の奥に広がった。


――あ。



次の瞬間、


ぽろりと、涙が落ちた。

止まらない。


泣くつもりなんて、なかったのに。


オスカーは、一瞬驚き、すぐに理解した。



書類で、生い立ちは知っていた。



「……大丈夫だ」


何も言わず、背中を撫でる。


「……すみません……」


声にならないほど、小さな声。



悪女?

違う。


こんなになるまで、

助けを求めず、

反論もせず。


――ただの、傷ついた子だ。


オスカーは、そう思い始めていた。



食べ終え、部屋を出る前。


オスカーは、そっとリリアの頭を撫でた。


「また明日、来る」

「今日は……ゆっくり休め」



扉を閉めた。


その後、料理長に礼を言い、団長のもとへ向かう。


「どうだった」


ラルフが問う。


「怪我と熱は治癒しました。ですが……栄養失調です」


「……そうか」


「それと……治癒師ですが」


オスカーは、正直に話した。


「……ルークか」


ラルフは、少し考え、


「周囲の対応は、俺が処理する」


「……ありがとうございます」





深夜。


執務を終えたラルフは、廊下を歩きながら、

一人の少女を思い出していた。


師匠の孫。


細く、虚ろな目。

だが、剣だけは本物だった。



「……様子を見るか」


団長として。



扉を、軽くノックする。


「……はい……」


小さな声。


「失礼する」


肩が、びくりと跳ねた。


「……団長」


「体調はどうだ」


「……もう、大丈夫です……」


大丈夫な人間の姿ではなかった。



ラルフはベッドの端に座る。


「ちゃんと、食べろ」


「……はい」


会話が途切れる。



リリアの両手が、強く握られているのが見えた。


ラルフは、そっと手を重ねる。



「強く握りすぎだ」

「……爪が、食い込んでる」


ゆっくり、力が抜ける。


その仕草を見て、ラルフは胸の奥がわずかに痛んだ。



「今日は、休め」

「邪魔して悪かった」


そう言い、軽く頭を撫でる。



リリアは、何も言えず、ただ頷いた。



ラルフが去ったあと、

リリアは布団に潜り、火照った頬を押さえた。


――どうして。


心配されることに、

胸がこんなにも、苦しくなるのだろう。



そのまま、深い眠りに落ちていった。

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