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悪女の選択――愛される資格などないはずだった  作者: 音香(Otoca )


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悪女の仮面

薄く差し込む光で、リリアは目を覚ました。


天井は白い。


王宮の治療室だと、すぐに分かる。


身体をゆっくり起こしてみる。


――痛みは、ない。


叩かれた箇所も、押さえつけられた腕も、

熱を持っていた皮膚も、すべて静かだった。


治癒魔法の痕跡だけが、かすかに身体に残っている。


(……消えてる)


傷は、消える。


あっさりと。


だが、消えないものもある。


視線を落としたまま、呼吸を整えていると、

柔らかな声がかかった。



「お加減はいかがですか」


ルークだった。


いつもの穏やかな微笑み。


だが、その目は医師のそれだ。


状態を観察し、微細な変化を見逃さない目。


「大丈夫です」


自然に言葉が出た。


嘘ではない。


本当に、身体は問題ない。


ルークは数歩近づき、軽く魔力を流す。


淡い光が、リリアの周囲に広がる。


「……痛みの反応はありませんね」


「どのくらい寝ていましたか」


「丸一日ほどです」


一日。


思ったより長い。


「そうですか」


ルークは少しだけ間を置いた。


「身体は回復しています。ただ、

 あまり無理はなさらないでください」


“身体は”。


その言い方に、リリアは気づいた。


だが、何も言わない。


「ありがとうございました」


ベッドから降り、深く一礼する。



ルークは、ほんのわずかに目を細めた。


「副団長は、何度か様子を見に来られていましたよ」


その一言で、胸がかすかに揺れた。


だが顔には出さない。


「……そうですか」


それだけを返し、治療室を後にした。



廊下は静かだった。


王宮の石床は、足音をよく響かせる。


一歩、また一歩。


身体は軽い。


だが、歩いているうちに、昨日の光景が断片的に浮かぶ。



王妃の笑み。


鞭の音。


オスカーの、冷たい声。



(副団長)



任務だった。


分かっている。


誰も間違っていない。


自分も、選んでそこにいた。


それでも。


胸の奥に、わずかなざらつきが残っている。


廊下の角を曲がったとき、足が止まった。


壁に背を預けていたのは、オスカーだった。


腕を組み、いつもの副団長の顔。


「……起きたか」


「はい」


数歩の距離。


それ以上も、それ以下もない。


「問題ないか」


視線が一瞬だけ下がる。


傷のあった場所へ。


「治癒師が問題ないと」


短い返答。



沈黙。



「……悪かったな」


唐突だった。


リリアは瞬きをする。


「任務です」


即答。


オスカーの喉が、わずかに動いた。


「加減はした」


それだけ。


「分かっていました」


その一言で、空気が変わる。


オスカーは目を逸らし、壁から離れた。


「無理はするな」


「はい」


「呼び出しがあれば、俺が入る」


「承知しました」


業務のやり取り。


それ以上は、踏み込まない。


「送る」


「大丈夫です」


「副団長命令だ」


わずかな間のあと、リリアは頷いた。


並んで歩く。


触れない距離。


扉の前で止まる。


「休め」


「はい」


扉が閉まる。


廊下に一人残ったオスカーは、深く息を吐いた。


それだけだった。




自室に戻ったあとも、リリアはすぐに横になる気にはなれなかった。


静まり返った部屋の中で、ベッドの端に腰を下ろす。


指先を、そっと握る。


もう痛みはない。


ルークの治癒は完全だった。


だが――


(……昨日)


目を閉じると、王妃の姿が浮かぶ。


荒れ狂うように叫び、泣き、そして。


あの小瓶を飲んだあと。


明らかに変わった。


「……」


リリアはゆっくりと顔を上げた。


王妃は、朝は必ず頭痛を訴えていた。


侍女が薬を持ってくる。


それを飲む。


しばらくして。


焦点が合わなくなり、

そして、壊れたように感情が暴れ出す。


(昨日の、あの目……)


妖艶で。


濁っていて。


こちらを見ているのに、見ていなかった。


副団長を見ているようで、違う何かを見ていた。



「……」



リリアは立ち上がり、鏡の前に立つ。


そこに映るのは、侍女の姿をした自分。


だが――


王妃が見ていたのは、“侍女”ではなかった。


「……支配」


小さく呟く。


王妃は言った。


支配する姿に、興奮すると。


ならば。


(副団長である必要は、ない)


誰が支配するかではない。


“支配があること”が必要なのだ。


ならば。


こちらが――


主導権を握ればいい。


リリアの瞳に、わずかに光が宿る。


犯人は、王妃の変化を知っている。


小瓶を運ぶ。


タイミングを見計らっている。


つまり――


その流れを、変えればいい。


鏡の中の自分を、まっすぐ見つめる。


「……悪女」


世間はそう呼んだ。

理由は知らない。

知る機会もなかった。


だが。


「……今なら」


ゆっくりと息を吐く。


「なれるかもしれない」


本物に。



守られる側ではなく。

支配する側に。


決意は、静かに固まった。


リリアは部屋を出た。



迷いなく。


向かう先は、一つだった。


オスカーの部屋の前で、足を止める。


ノックをする前に、扉が開いた。


「……ローゼン卿?」


驚いた声。


「副団長」


リリアはまっすぐ見上げた。


「皆様を、集めていただけますか」


オスカーの目が、細くなる。


「理由は」


「作戦があります」


沈黙。


わずか数秒。



だが、その間にオスカーは理解していた。


この目は。


止まらない。


「分かった」


低く答える。


「今夜、ここに集める」


「ありがとうございます」



その夜。


部屋には、クラウス、ノル、ルーク、

そしてオスカーが揃っていた。


机の上には、それぞれが集めた証拠。


裏帳簿。

入城記録。

診療記録。


全てが、繋がり始めていた。


だが――


決定打がない。


沈黙の中、リリアが口を開いた。



「一つ、案があります」


全員の視線が集まる。


リリアは、一人ずつ見た。


副団長。

兄。

仲間。


そして――


最後まで計画を話した。


部屋の空気が凍りついた。


最初に口を開いたのは、オスカーだった。



「それはダメだ」


即答だった。


迷いはない。



「危険が伴う」

「失敗した場合のリスクが大きすぎる」


拳が握られている。



「……リリアさんの問題になります」


ノルも、顔を強張らせた。



「賛同できません」


ルークも、静かに言う。


当然だった。


誰も、彼女を危険に晒したくない。


だが。


リリアは、動じなかった。


「承知の上です」


静かな声。


だが、揺れない。


「リスクのない作戦など、存在しません」


そして、オスカーを見る。


「それは、副団長が一番ご存知のはずです」



「……」


言葉を失う。


オスカーの拳が、さらに強く握られる。


反論できない。


そのとき。


「――やればいい」


全員が振り向いた。


クラウスだった。


表情は、変わらない。


「お前が決めたなら」


静かに続ける。


「お前の周りは、俺たちが支える」


一瞬だけ、兄としての目。


微かに、口元が緩む。


「だから、好きにやってみろ」


沈黙。


ノルが息を呑む。


ルークが目を伏せる。


オスカーは―― 目を閉じた。


深く、息を吐く。


そして。


「……分かった」


低く言う。


「条件がある」


リリアを見る。


「俺が、全て管理する」


副団長の声だった。


「お前一人にはさせない」


それは、許可であり、譲歩であり、そして――

守るという意思だった。


リリアは、小さく頷いた。


「ありがとうございます」



作戦は、動き出す。



悪女は、自ら、その仮面を選んだ。



――もう、誰のためでもなく、自分の意思で。


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