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悪女の選択――愛される資格などないはずだった  作者: 音香(Otoca )


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15/22

戻れない場所、戻らない選択

目を覚ましたあとも、

リリアの時間は、すぐには現実に戻らなかった。


身体は重く、指先ひとつ動かすにも、意識が要る。


天井は白く、柔らかな光が差し込んでいる。


(生きてる……)


考えが浮かんでも、それ以上、続かなかった。


思考が、途中で途切れる。



「……無理しないでください」


穏やかな声。


視線を動かすと、治癒師が立っていた。



「ここはアルトシュタイン領の保養地です」

「今は、目を覚ましただけで十分ですよ」



リリアは、小さく瞬きをした。


(……領地)


団長の顔が、一瞬だけ脳裏をよぎる。


それから、血の匂いと、黒い靄。


腹部に走った、鈍い痛み。


――刺された。


はっきりと思い出した瞬間、胸の奥が、冷たくなった。



「フェルスナー卿は」


かすれた声。


治癒師は、少し驚いたように目を瞬かせる。


「……無事ですよ」

「軽い打撲だけです」


それを聞いて、胸の奥が、ほんの少しだけ緩んだ。


(……よかった)


自分のことより、真っ先に浮かんだ名前。



それに気づいて、リリアは少しだけ戸惑った。





身体を起こせるようになった頃。



ドアが、静かに叩かれた。


「……入るぞ」


聞き慣れた声。


ジーク・フォレストだった。



その後ろに、


ノル・フェルスナーの姿もある。



二人とも、どこか硬い表情をしていた。


「……調子はどうだ」


ジークが、ぶっきらぼうに聞く。


「……まだ、少し」


リリアは正直に答えた。



沈黙が落ちる。



先に口を開いたのは、ノルだった。



「……すみませんでした」


深く、頭を下げる。


「俺が、足をもたつかせなければ……」

「ローゼン卿が、あんな……」


声が、震えている。


リリアは、少し困ったように目を伏せた。


「私の…判断です」


静かな声。


「フェルスナー卿が悪いわけじゃない」



「でも……!」


ノルが顔を上げる。


「俺、あの時……何もできなくて……」



その言葉に、リリアはゆっくりと首を振った。



「……下がれって言ったの、聞いてくれました」

「それで、十分です」



本心だった。


あの場で、一番怖かったのは――


誰も、指示を聞かず、混乱することだった。



ノルは、唇を噛みしめ、それから、深く息を吐いた。


「……俺、変わります」


真っ直ぐな目。


「もう、指示を無視しません」

「戦闘でも、それ以外でも……」



リリアは、少し驚いた。


そして、ゆっくりと頷く。


「期待します」


短い言葉。


だが、ノルはそれだけで、背筋を正した。


「はい!」



その様子を、黙って見ていたジークが、咳払いをする。


「……俺もだ」


低い声。


「前は、お前に当たってた」

「正直に言うと……」


一拍置いて。


「何を言っても、何をされても」

「何も感じてない目で見られるのが、気に食わなかった」



率直すぎる告白。


リリアは、言葉を失った。


ジークは続ける。


「……でも最近」

「挨拶もするし、礼も言うし……」


視線を逸らしながら。


「普通に、人だった」


その言い方が、少し不器用で、優しかった。



「……飴、好きだろ」

「また、持ってくる」



リリアは、一瞬、戸惑ってから――



「ありがとうございます……」



小さく、そう言った。


「あっ、あとその敬語も無しだからな!」


ジークは、それだけで満足したように頷き、踵を返す。



ノルも、深く一礼して続いた。




二人が去ったあと、部屋には、静けさが戻った。


その静けさの中で。


リリアは、ようやく“現実”に触れてしまった。


――自分は、刺された。

――そして、生き残った。



誰かが、助け、運び、看病した。



ぼんやりと、その事実が胸に沈んでいく。


今まで通りでは、もう、いられないのかもしれない。


嫌でも、人の中に引き戻される。



窓の外を見る。


庭は静かで、風が木々を揺らしている。


生きている。


その事実だけが、確かだった。




サフィナは、屋敷の廊下を歩いていた。


噂は、もう使えない。


団員たちの目が、確実に変わっている。


(……庇われて、英雄扱い、ね)


口元に、笑みが浮かぶ。


だが、その目は冷たい。


(……でも)


“生き残った”という事実は、次の材料にもなる。



サフィナは、静かに次の一手を考え始めていた。





朝の回廊を、リリアは、杖を頼りにゆっくりと歩いていた。


まだ長くは歩けない。


けれど、閉じこもっている方が、かえって息が詰まった。


曲がり角の向こうから、ひそひそとした声が聞こえる。



「……聞いたか?」

「え? 何を?」

「グランシア卿の件だよ」


心臓が、ひくりと鳴った。


(……サフィナ)


足が、無意識に止まる。


「処分ってほどじゃないらしいけど……」

「物資管理から外されたって」

「しばらく、前線任務は見送りだってさ」



声は、噂話の延長のように軽い。

けれど、その内容は明確だった。


――制限。


「理由は?」

「調査中、だとよ」

「団長命令らしい」



団長。


その名前が出た瞬間、リリアは、ゆっくりと息を吐いた。


(……動いたんだ)


誰かが守ってくれている、とは思わない。


けれど、“見過ごされなかった”ことだけは、確かだった。


歩き出そうとした、その時。



「ローゼン卿」



低い声。


振り返ると、そこにいたのはオスカーだった。


「大丈夫か?」


いつもの問い。

だが、その声音が、ほんの僅かに揺れている。


「はい。歩く練習を」


そう答えると、

オスカーは一歩、距離を詰め――そして、止まった。



「無理はするな」


「はい」



沈黙。



以前なら、この距離に、安心を感じていたかもしれない。


今は、違う。


胸の奥が、落ち着かない。


(……あの日のこと)


思い出したくなくても、記憶は勝手に浮かぶ。


触れられた手。

抑えきれない熱。

必死に理性を保とうとしていた、副団長の表情。



「副団長」


思わず、声が出た。


「何だ」


即答。


「……グランシア卿のこと、聞きました」


一瞬、空気が張り詰める。


「……そうか」


オスカーは、視線を逸らした。


「処分、なんですか」


「まだだ」


短く、切る。


「正式な判断は、これからだ」


リリアは、頷いた。


それ以上、聞かなかった。



オスカーは、リリアを見下ろしながら、

内心で歯を食いしばっていた。


(……触れたい……)


目の前の少女は、まだ傷が癒えきっていない。

身体も、心も。

守るべき存在であって、求める相手ではない。


分かっている。


――分かっているのに。



彼女が一歩、よろめいた。


反射的に、腕が伸びる。


「……っ」


リリアの身体を、抱き止める形になる。


リリアの呼吸が、近くで聞こえる。


温度が、伝わる。



「……すみません」


すぐに、リリアが謝る。


その言葉が、胸の奥を強く締めつけた。


「謝るな」


声が、思ったより低く出た。


オスカーは、ゆっくりと彼女を離す。


「……支えが必要なら、呼べ」


それだけ言って、踵を返した。


背中を向けた瞬間、拳を強く握りしめる。


(……ダメだ……)


一線が、見えている。


踏み込めば、もう戻れない場所が。




その日の午後。


団長執務室。


ラルフは、机に並べられた書類に目を通していた。


「……進捗は」


「証拠は揃いつつあります」


オスカーは、淡々と報告する。


「物資点検記録、魔力触媒の入手経路、

 夜間行動の不自然さ」


「決定打は?」


「……まだ」


正直に答える。


ラルフは、書類を閉じた。


「時間はかけられない」


「分かっています」



沈黙。



「……お前」


ラルフは、視線を上げた。


「私情が、入りすぎている」



直球だった。


オスカーは、否定しなかった。


「……自覚しています」


ラルフの声は、厳しい。


「副団長として、そして、一人の男としてもだ」


オスカーは、目を伏せた。


「お前が踏み越えれば、彼女の居場所が歪む」



その言葉は、何より重かった。



「……はい」


オスカーは、深く頭を下げた。




一方。


サフィナは、自室で一人、座っていた。


表向きは、何も変わらない。


笑顔も、立ち居振る舞いも。


けれど、確実に、追い詰められている。


(……副団長)


あの視線。


疑いを、確信に変え始めている目。



(……面倒ね)


サフィナは、指先でテーブルを叩いた。


まだ、切り札はある。

まだ、終わっていない。


むしろ――


(……ここからよ)



静かに、本当の悪意が、動き出した。

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