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悪女の選択――愛される資格などないはずだった  作者: 音香(Otoca )


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10/20

近づかないための冷たさ

朝の空気は、冷たく澄んでいた。


野営地に差し込む光は柔らかいが、

地面に残る夜の湿り気が、まだ消えていない。


点呼の列に並びながら、

リリアはいつもより深く息を吸った。



(……大丈夫)


そう言い聞かせる癖は、もう長年のものだ。


背筋を伸ばし、前を見る。


誰にも、悟られないように。


けれど――


一つだけ、どうしても無視できない違和感があった。



副団長が、こちらを見ない。

視線が合わない。

声も、かからない。


(……昨日までは)


昨夜のことを思い出しそうになり、

リリアは、ぎゅっと指を握りしめた。



思い出してはいけない。

考えてはいけない。

あれは事故だった。


そう言われた。


そう、理解している。



それなのに。



「本日の警戒任務を伝える」


オスカーの声が響く。


落ち着いていて、低く、よく通る声。


いつもと変わらないはずなのに、

なぜか胸の奥がざわついた。


「第三班は東側を担当。交代は二時間ごと。

 不要な私語は禁止だ」


淡々とした口調。

余裕のある立ち姿。

――“いつもの副団長”。


なのに。


「ローゼン卿」


名前を呼ばれ、反射的に顔を上げる。


だが、その視線は一瞬で逸らされた。


「第三班、後衛を任せる。以上」


それだけ。


それ以上、何もない。



「はい」


返事は空気に溶けた。


(……距離、取られてる)


そう思った瞬間、胸の奥が、ちくりと痛んだ。


分かっている。


副団長として、正しい距離だ。


でも―― 


一度、温もりを知ってしまうと、

元の冷たさが、余計に際立つ。


心が閉じるのを、拒否している。




任務は順調だった。


リリアはいつも通り、正確に、静かに役割をこなす。

魔物の気配を察知し、仲間に合図を送り、

必要とあらば、即座に剣を振るう。



「今の判断、助かった」

「さっきの位置取り、良かったな」


そんな声が、ぽつぽつと聞こえる。


一瞬、戸惑いが走る。


(……私に?)


今までなら、聞こえないふりをしていた。

良くは言われないから……


でも。


「……ありがとうございます」


そう答えた。


声に出すのは、少し怖かった。

拒絶される気がして。



けれど、相手はただ、短く頷いただけだった。



胸の奥が、ほんの少しだけ、緩む。




その様子を、オスカーは遠くから見ていた。


(順応してきてる)


周囲が、少しずつ変わっている。

それは、確かに良い兆候だ。


だからこそ。


(……俺は、距離を取ろう)


余計な感情を、ここに持ち込むわけにはいかない。



視線が合いそうになるたび、意識的に逸らす。


声を掛けたくなった瞬間、ぐっと飲み込む。


冷たく見えるなら、それでいい。



(……守るためだ)


そう、自分に言い聞かせる。



その変化を一番早く察したのは、サフィナだった。


(……あら)


副団長の態度。

リリアの表情。

昨日までとは、明らかに違う。


(避けてる。でも……完全じゃない)


ふとした瞬間、

副団長の視線が、

無意識にリリアを追っている。


ほんの一瞬。


本人も気づかないほどの、わずかな揺れ。



(……何か、あったわね)


サフィナは、確信する。


口元に、薄く笑みが浮かんだ。


(見つけた)


それが、自分が踏み込むべき場所だと。




夕方。


任務が終わり、夜営の準備が始まる。


焚き火の周囲では、

団員たちが自然と集まり、

食事や雑談の声が広がっていた。



リリアは、少し離れた場所で装備の手入れをしていた。



ふと、背後に気配を感じる。


「ローゼン卿」


団長だった。


「本日の任務、問題なかったか」


「はい。異常ありませんでした」


形式的な応答。


だが、ラルフは、彼女の顔色をじっと見た。


「……表情が、少し硬い」


その一言で、胸の奥が跳ねる。


「いえ……」


「無理に答えなくていい」


低く、落ち着いた声。


責める色はない。


「夜の見張りだが……」


一拍、置く。


「眠れそうか?」


その問いに喉が、きゅっと詰まった。



――夜。

暗闇。

押さえつけられた感覚。

必死に逃げた記憶。


(……平気)


そう言おうとして、声が出なかった。

ラルフは、それ以上追及しない。


「眠れなければ、言え」


「理由は聞かない」


それは、命令ではなく、逃げ道だった。


リリアは、ゆっくりと頷く。


「ありがとうございます……」


ラルフは一瞬、目を細めた。


(……師匠の孫)


弱みを見せることを、許されなかった環境で育った。


それでも―― まだ若い。


妹のようなものだ。


だから手を差し伸べる。


それ以上でも、それ以下でもない。





夜。


見張りの時間。


リリアは、自ら志願して外に立っていた。



眠れない。

目を閉じると、

恐怖が蘇る。


(……大丈夫)


剣を握り、必死に呼吸を整える。



遠くから、オスカーはその背中を見ていた。


(……気づいてる)


眠れていないこと。

無理をしていること。


でも。

今、声を掛けたら、距離が崩れる。



それはダメだ。


(……何も、できない)


そのもどかしさに、思わず目を閉じる。



その時。

リリアの隣に、静かに立つ影があった。


「代わる」


ラルフだった。


「焚き火の前で少し、休め」


リリアは驚き、それから、深く頭を下げた。


「……ありがとうございます」


ラルフは何も言わず、ただ剣を構え、夜を見張る。


その背中は、今のリリアにとって、何より心強かった。


リリアは焚き火の前に座り膝を抱え小さく丸まっていた。



オスカーは胸の奥で、確かな違和感が疼く。


余裕で抑え込めるはずだった感情が、

確実に形を持ち始めている。


それを、もう否定できなかった。

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