呪いの終わり
ある夜、リリアはいつものように、疲れて眠ってしまったゼノンの着替えを手伝っていた。
ふと、彼の胸元に刻まれた「呪いの紋章」に目をやる。それは以前、禍々しくのたうち回っていた黒い鎖のような痣だった。
「……あれ? 少し、薄くなってる?」
以前は触れるだけで指先が弾かれるような拒絶感があったが、今はリリアの温かい手が痣に触れても、魔力は静かに凪いでいる。
リリアはふと思いつき、その痣にそっと唇を寄せた。
「陛下、お疲れ様です。いつも美味しいって食べてくれて、ありがとうございます」
その瞬間、リリアの体から今までで最も純粋な、淡いピンク色を帯びた黄金の光が溢れ出し、ゼノンの紋章を包み込んだ。
光に包まれたゼノンが、ゆっくりと目を覚ます。
その瞳は赤から、本来の美しい深い碧色へと変わっていた。
「……リリア。今、何をした」
「えっ、あ、すみません! 寝顔があまりに綺麗だったので、つい……」
ゼノンは自分の手を見つめた。いつもなら感情が動いた瞬間にパキパキと音を立てて周囲が壊れ始めるのに、今は驚くほど心が静かだ。
「呪いが……消えかけている。なぜだ。魔界最強の呪い師ですら匙を投げたこの孤独の呪縛が……」
そこへ、騒ぎを聞きつけたロロ(魔導技師)が駆け込んできた。彼はゼノンの体を魔道具で測定し、驚愕の叫びを上げる。
「陛下! 呪いの核が溶けています! これは……『浄化』なんてレベルじゃない。リリアさんが毎日料理に込めていた魔力が、陛下の体内で『耐性』となり、呪いそのものを無害なエネルギーに変換してしまっているんです!」
ロロの解説によれば、リリアの料理は単なる栄養補給ではなかった。
「美味しい」と感じるたびに、魔王の心には幸せな感情が芽生え、リリアの聖なる魔力がその感情と結びついて、内側から呪いを浄化し続けていたのだ。
「つまり、陛下がリリアさんのパイを『美味しい』と思い、リリアさんを『愛おしい』と思った回数だけ、呪いは弱まっていたということですな!」
フェンリスが涙を拭い、カミラが
「なんてロマンチックなの……」
とドーナツを片手に感動している。
ゼノンは顔を真っ赤にし、リリアの肩を掴んで自分の方へ引き寄せた。
「……言い換えれば、貴様が毎日私を餌付けしていたせいで、私の威厳が台なしになったということか」
「あはは、そんな言い方ないじゃないですか。でも、もう暴走の心配はないんですね?」
ゼノンはリリアの額に自分の額をそっと押し当てた。
以前なら周囲を吹き飛ばしていたはずの距離。しかし今は、ただ心地よい温もりだけが伝わってくる。
呪いの象徴だった黒い霧が晴れ、魔王城の窓から、魔界には珍しい澄み渡った朝焼けが差し込んでいた。




