厚顔無恥な訪問者
リリアがいなくなった人間界の王国は、悲惨な状況にあった。
リリアが毎日、無意識に大地や水源を「浄化」しながら料理を作っていたおかげで保たれていた豊穣は、彼女の消失と共に消え失せた。
畑の作物は黒く腐り、家畜は病に倒れる。かつての活気は消え、宮廷の晩餐会に出される食事さえも、泥のような味がした。
「……不味い! なぜこんなものしか出せぬのだ!」
第一王子エドワードは、目の前の豪華な(しかし、魔力が枯渇し腐敗臭のする)肉料理を投げ捨てた。隣に座るミレーヌも、自慢の金髪をパサつかせ、焦燥に駆られている。
「エドワード様、やはりあの女……リリアの呪いに違いありませんわ! 彼女を連れ戻し、無理やりにでも浄化の儀式をさせれば、すべて元通りになりますわ!」
自分たちの無能を棚に上げ、彼らはついに魔王城へ「聖女返還」の使者を送ることを決めたのだ。
数日後。魔王城の謁見の間に、エドワード王子の差し向けた使者たちが現れた。彼らは魔王の威圧感に震えながらも、王の書簡を読み上げる。
「魔王ゼノン! 我が国の聖女リリアを不当に拘束している罪を問い、速やかな返還を要求する! 彼女は我が国の『財産』であり、彼女が戻らねば、これは宣戦布告と見なす――」
謁見の間が、氷ついたような静寂に包まれた。
フェンリスの額には青筋が浮かび、カミラは今すぐ首を撥ねようと剣の柄に手をかけている。
しかし、玉座に座るゼノンは、ただ冷たく、退屈そうに鼻で笑った。
「返せ、だと? ……貴様ら人間は、ゴミのように捨てたものを『財産』と呼ぶのか」
「な、何を……! 彼女は聖女だ、国を支える義務がある!」
「義務だと? 彼女が毎日、誰にも気づかれずに泥をすすり、石を拾い、貴様らのために祈りを込めて鍋をかき混ぜていた時、貴様らは何をした。……彼女を罵り、生贄として差し出したのは、どこの誰だ?」
ゼノンの瞳に、真紅の魔力が宿る。その殺圧だけで、使者たちは腰を抜かし、石床に這いつくばった。
そこへ、厨房からエプロン姿のリリアが、焼きたてのクッキーの香りを漂わせて現れた。
「あら、お客様ですか? 陛下」
「リリア! 戻るのだ!」
使者が叫ぶ。
「お前がいなくて国が滅びかけている! 今すぐ戻って浄化をしろ! さもなければ――」
リリアは少しだけ悲しそうに、けれどきっぱりと微笑んだ。
「……お断りします。私は、私の料理を『美味しい』と言って食べてくれる人のために作りたいんです。陛下やフェンリスさん、カミラさんは、私のパイを食べて笑ってくれました」
リリアはゼノンの隣に歩み寄り、その大きな手をぎゅっと握った。
「私はもう、ここの『専属料理人』なんです。……陛下、そろそろおやつの時間ですよ?」
ゼノンはリリアを引き寄せ、使者たちを見下ろして言い放った。
「聞いたか。彼女は私のものだ。……帰って主に伝えろ。今後一切、彼女に触れようとするなら、その国ごと焼き尽くして『塵の味』を味合わせてやると」
追い出されるように城を去る使者たち。
彼らはその後、リリアが作った「保存の魔力がこもったクッキー」を、魔族の門番たちが美味そうに食べているのを見て、絶望することになる。
リリアのいない王国には、もう二度と「美味しい食事」が戻ることはないのだ。




