魔王の初デレ
翌朝、リリアは朝日と共に目を覚ました。与えられたのは「客室」という名の豪華な牢獄だったが、彼女はさっそく厨房へと向かう。
「さて、昨日の陛下はかなりお疲れだったし……今朝は胃に優しいお粥にしましょうか」
リリアが鼻歌まじりに野菜を切っていると、背後で重厚な扉が音もなく開いた。
「……何をしている」
低く響く声。振り返ると、そこには昨夜の威圧感はどこへやら、少し気まずそうに視線を泳がせる魔王ゼノンの姿があった。
髪は少し乱れ、その手にはなぜか、昨日リリアがパイを乗せていた空のお皿が大事そうに握られている。
「あ、陛下! おはようございます。お皿をわざわざ下げてくださったんですか?」
「……勘違いするな。この皿に毒が残っていないか、検分しに来ただけだ」
(嘘おっしゃい。ピカピカに舐めるように綺麗じゃない……)
リリアは笑いを堪えながら、
「そうですか。では、検分のついでに朝食もいかがですか?」
と誘う。
ゼノンは
「ふん、気が向いたら食べてやらんこともない」
と、椅子を引いて座り込んだ。
リリアが差し出したのは、魔界の滋養強壮に効くハーブを加えた、とろとろの野菜粥。
ゼノンは一口食べると、ふっと目元を緩めた。
しかし、リリアと目が合った瞬間、慌てて鉄仮面のような無表情に戻る。
「……味が薄い。昨日のパイの方がマシだった」
「あら、残されますか?」
「……。……毒の成分を確認せねばならん。完食するのが私の義務だ」
そう言って、彼は皿の底を削るような勢いで粥を平らげた。
食べ終えた後、彼はボソッと、蚊が鳴くような声で呟いた。
「……悪くない。……次は、またあの……甘い、サクサクしたやつを作れ」
「蜂蜜パイですか?」
「名前などどうでもいい! ……許可なくこの城から出ることは許さん。貴様は……私の監視下に置く必要があるからな」
それは、魔王なりの「ずっとここにいろ(=お前の料理をまた食べたい)」という、精一杯の告白だった。
魔王が満足げに(顔は怖いままだが)厨房を去った直後。
入れ替わるように、一人の男が転がり込んできた。
「失礼する! 陛下が……陛下が自ら厨房に足を運ばれたと聞いて……ッ!」
人狼族の耳をピンと立て、血相を変えて現れたのは、魔王軍長帥のフェンリスだった。彼はリリアの姿を見るなり、その手を取って激しく揺さぶった。
「貴女か! 陛下に食べ物を食わせた聖女というのは!」
「は、はい……。リリアと申します。あの、手が痛いです……」
「ああ、すまない! 私はフェンリス、陛下の側近だ。……信じられん。陛下はここ数年、栄養剤のような魔法薬しか口にされていなかった。それが今朝は、足取りも軽く『毒味の続きだ』などと言って厨房へ向かわれるなんて……!」
フェンリスはリリアが作ったお粥の残りの香りを嗅ぎ、その場で膝をついた。
「この清らかな魔力……。リリア殿、お願いだ。報酬は何でも出す。どうか、陛下の胃袋を……そして、不機嫌の極みで城を壊しまくるあの御方のメンタルを救ってくれ!」
彼は懐から、使い古された胃薬の瓶を取り出し、悲痛な面持ちでリリアを見上げた。
「私の胃壁が限界を迎える前に、どうか……!」
リリアは苦笑いしながら、フェンリスの肩を叩いた。
「分かりました。まずはフェンリスさん、あなたにも温かいスープを作りますね」
「……女神か。ここに女神がいたのか……!」
こうしてリリアは、魔王だけでなく、その側近の心までをも胃袋から攻略し始めたのだった。




