【アップ】男山教会2022年10月9日礼拝説教/YouTubeシナリオ
初めまして、天川裕司です。
ここではシリーズでやってます『夢時代』と『思記』の原稿を投稿して居ります。
また、YouTubeドラマ用に仕上げたシナリオ等も別枠で投稿して行きます。
どうぞよろしくお願い致します。
少しでも楽しんで頂き、読んだ方の心の糧になれば幸いです。
サクッと読める幻想小説です(^^♪
お暇な時にでもぜひどうぞ♬
【アメーバブログ】
https://blog.ameba.jp/ucs/top.do
【男山教会ホームページ】
https://otokoyamakyoukai.jimdofree.com/
【YouTube】(不思議のパルプンテ)
https://www.youtube.com/@user-vh3fk4nl7i/videos
【ノート】
https://note.com/unique_panda3782
【YouTubeドラマにつきまして】
無課金でやっておりますので、これで精一杯…と言うところもあり、
お見苦しい点はすみません。 なので音声も無しです(BGMのみ)。
基本的に【ライトノベル感覚のイメージストーリー】です。
創造力・空想力・独創力を思いっきり働かせて見て頂けると嬉しいです(^^♪
出来れば心の声で聴いて頂けると幸いです♬
でもこの条件から出来るだけ面白く工夫してみようと思ってますので、
どうぞよろしくお願いします(^^♪
※過去にアップしたものを再アップしております^^
【本日のメッセージ】
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=Xh9E7F8w9EA&feature=youtu.be
【ブログ】
https://ameblo.jp/yujiteiou/entry-12769272879.html
(ブログを見てくださると聖書と歌詞も閲覧できます)
前奏
招詞 哀歌3章22~25節
詩 編 歌 24番(2節)
開 会 祈祷
主 の 祈り(週報裏面)
十戒・祈祷(週報裏面)
子ども説教
子どもと親のカテキズム問4
「教会の生活を大切に」
こどもさんびか
たたえよ、このひ[改92(2節)]
牧 会 祈祷
聖書
使徒言行録14章14~20節(新P241)
詩編103編6~13節(旧P940)
説教
「真の神の証しを見つつ~恵みの時、救いの日に」
宮武輝彦
祈 祷
讃 美 歌 525番(1節)
みことばの交読文
イザヤ書40章28~31節
感謝のささげもの・祈祷
頌 栄 539番
祝 祷
執り成しの祈祷
報 告
2022年10月9日 礼拝説教 中心聖句
しかし、神は御自分のことを証ししないでおられたわけではありません。恵みをくださり…あなたがたの心を喜びで満たしてくださっているのです。
使徒言行録14章17節
天が地を超えて高いように慈しみは主を畏れる人を超えて大きい。東が西から遠い程 私達の背きの罪を遠ざけてくださる。
詩編103編11,12節
はじめに
宣教開始50周年を記念する今日、神の御意志に適う道を祈り求めたい。
1
「神は過ぎ去った時代には、すべての国の人が思い思いの道を行くままにしておかれました」と、使徒パウロは、服を裂いて飛び込んだ群衆の中で、叫んで言う。それは、身を挺して偶像礼拝の罪を押し留めたパウロにとって、時代の一線を画する言葉。使徒ペトロは聖霊降臨の日に、「邪悪なこの時代から救われなさい」(使徒2章40節)と命じた。それは、主イエスが十字架に掛けられた時、その悲惨と闇を知る者たちの中で、救いの道を明らかにする。パウロの言う「過去」も、キリスト到来以前のの過去。それは、キリスト到来の光に照らせば、「すべての国の人が思い思いの道を行くままにしておかれた」時代。決して、神が人々の放任されていたのではなく、むしろ、その罪を悲しみつつ、時の来るまで忍耐しておられた(創世記6章5,6節)。「主の憤りの前に、誰が耐ええようか」(ナホム1章6節)と時の預言者は、全世界と歴史の主であるまことの神を恐れないアッシリアの首都ニネベの崩壊を告げた。
2
「しかし(しかも、それでも)、神は御自分のことを証しないでおられたわけではありません」とは、神の御意志と啓示についての真実を知ることへの導入(ローマ1章18節)。続けて「(神は)恵み(良きもの)をくださり、天からの雨を降らせて実りの季節を与え、食物を施して、あなたがたの心を喜びで満たしてくださっている」と言う。神はどのような時代においても絶えず良きものを与えておられる。「被造物は虚無に服していますが、それは、自分の意志によるものではなく、服従させた方の意志によるものであり、同時に希望を持って」(ローマ8章20節)。それは、ただ、キリストの到来ゆえに、完全な聖化と栄光に至る道における「今日まで、共にうめき、「共に産みの苦しみを味わって」(同8章22節)いく時代を指す。創造主なる神は「わたしに聞き従えば良いものを食べることができる。あなたたちの魂はその豊かさを楽しむ」(イザヤ55章2節)と約束される。「神がお造りになったものはすべて良いものであり、感謝して受けるならば、何一つ捨てるものない」(テモテ第一4章4節)。使徒パウロは、創造主なる神の恵みを明らかにし、人間が罪深い行為によって、それを汚すよりも、正しく感謝を表すこと、まことの神礼拝への道を備えようとする。
3
「こう言って、二人は、群衆が自分たちにいけにえを献げようとするのを、やっとやめさせることができた」とは、ともかくにも、人々が、パウロの言葉を聞き、罪深い行動を止めたことを証しする。キリストの光に照らせば、「偶像礼拝に向かう世の中の熱狂」(カルヴァン)は、何らかの代償的行動をやむことなく欲する。しかし、神の御意志を満たすことは決してできない。それほどに、堕落した罪は重く、その代償は計り知れない。「ところが、ユダヤ人たちがアンティオキアとイコにオンからやって来て、群衆を抱き込み、パウロに石を投げつけ」た(コリント第二11章25節)。パウロはこの死の危険から弟子たちの祈りの中で「起き上がって町に入って行」き、「翌日、バルナバと一緒にデルベへ向かった」(コリント第二6章2,3節)。
おわりに
神の愛と慈しみは、父の子への憐れみに形容される。それは、回復された父子の姿。キリストの命と光の中で、恵みの時代を感謝して覚え、救いを求めたい。
(Mynote)
二〇二二年一〇月九日(日曜日)、今日も自宅礼拝を守らせて頂いた。この環境が与えられて居る事を神様に感謝する。
(子供説教)
『子供と親のカテキズム 問4』
〜教会の生活を大切に〜
「問 神様の子供として歩む生活で、大事なことは何ですか?」
「神様が、ご自分の子供として集めてくださった教会の生活を大切にすることです。毎週、主の日に神様を礼拝し、祝福をいただき、世界に送り出されて神様に仕えて歩むことです。」
(公同礼拝)
『使徒行伝』(第一四章一四〜二〇節)
『詩篇』(第一〇三篇六〜一三篇)
「真の神の証を見つつ〜恵みの時、救いの日に」
「神は過ぎ去った時代には、全ての国々の人が、それぞれの道を行くままにしておかれたが、それでも、ご自分のことを証しないで居られた訳ではない。即ち、あなたがたの為に天から雨を降らせ、実りの季節を与え、食物と喜びとで、あなたがたの心を満たすなど、いろいろの恵みをお与えになって居るのである」(『使徒行伝』第一四章一六〜一八節)。
教会にも歴史が在り、人々にも歴史が在り、その時代々に於ける恵みが必要なだけ神様は人々の為にお与えになって居る。時代は確かに人々の自由が漲り溢れ、戦争や様々な事件、邪悪な物事が起きて居る。その上で教会は人々から注目されない事もあるかも知れない。しかしキリスト到来の時代に生かされて居る事は事実で、キリストの証は全ての人々に示されて居る。今生かされて居る事がそれで、身の周りに在る万物、自身を形作り、支えて居る全ての人に共通の恵みが与えられて居る。この事に全身を以て、全ての人々は気付き、知らねば成らない。
これは過去も現在も未来も、共通の神様に依る恵みでありキリストの証である。
「主は全てしえたげられる者の為に、正義と公正とを行われる。主はおのれの道をモーセに知らせ、おのれのしわざをイスラエルの人々に知らせられた。主は憐みに富み、恵み深く、怒ること遅く、いつくしみ豊かで居らせられる」(『詩篇』第一〇三篇六〜八節)。
人間の堕落が、神様の慈しみや愛や恵みを、見辛くして居る。堕落して、思うままに生きようとするからキリストから離れる事があり、それにより何が正しい事なのか分からなくなる事がある。クリスチャンである我々は救いの日を待ちながら、既にその救いの日々を過ごして居り、神様、キリストの恵みを充分に受けつつ、全ての人々に、神様が喜ばれる形で布教して行かなければ成らない。
人は誰でも、自分を満たしてくれるものを求める。その満たすものが何なのか?それにより「それぞれの道」が変わって来る。そこで正しい救いを見付け、その救いを「自分を満たすもの」に認めねば成らない。
天と地の位置。天は神様でありキリストである。地は人間である。この天の地の位置は過去から未来永劫変わらない。
偶像礼拝をしては成らない。恵みを与えられる神様とキリストから離れる事に成り、恩を仇で返す仕打ちと成り、人本来の道から大きく離れるからである。人は恵みを与えてくれるものを崇め過ぎて、崇める対象を間違える事がある。パウロのバルナバと、二人を慕い崇めた群衆との関係がその良い例に在る。そしてその崇める対象は、特定の人々には崇められるが、その崇めを奪うかの様に、欲望により、また特定の人々により非難され攻撃される事がある。イエス様の時もそうだった。他の十二弟子の時もそうだった。
周りを見れば、季節を見れば、神様から与えられる恵みに簡単に気付く事が出来る。神様から得られる恵みな、正しく感謝する事が大事に在る。
男山教会も五十年の歴史を歩んで来た。全ては神様に支えられ、恵まれながら。この事を忘れては成らない。教会は、教会が建つ前から在る。これは福音宣教と呼ばれた。御言葉を宣べ伝える機会を設ける事。子供を養育する為にも本当に大事な事。教会のビジョン、信徒個別のビジョンを図る上で二つは同一、真と始め人々は、自己吟味する姿勢で信仰生活に臨まねば成らない。
パウロとは足の萎えた人に「自分の足で、まっすぐに立ちなさい」と大声で言った。すると彼は踊り上がって歩き出した。群衆はパウロのした事を見て、声を張り上げ、ルカオニヤの地方語で「神々が人間の姿をとって、私達の所にお下りになったのだ」と叫んだ。彼らはバルナバをゼウスと呼び、パウロは主に語る人なので、ヘルメスと呼んだ。そして、郊外にあるゼウス神殿の祭司が、群衆と共に、二人に犠牲を捧げようと思って、雄牛数頭と花輪とを門前に持って来た。
この時点でパウロとバルナバは自分の服を引き裂き、群衆の中に飛び込んで行き「何故こんな事をするのか!?私達もあなたがたと同じ人間である。そして、あなたがたがこの様な愚にもつかぬもの(偶像)を捨てて、天と地と海と、その中の全てのものをお造りになった生ける神に立ち帰るようにと、福音を説いて居るものである」と教えた。
人間は何か自分達を驚かせたり、理想を満たす為に嬉しい事をされると、すぐに人を崇めて神格化してしまう事がある。でもその対象は飽くまで人間であり、それは偶像礼拝に成る。パウロとバルナバは、その真逆の恵みを人々に満たす為に宣教して居た。本当の神様、イエスキリストにあって初めて信仰出来る生ける誠の神に立ち返るように尽力して行く。神格化を思わす感動を覚え、自分をそうした対象に向き合う時こそ注意が必要である。人はそれだけ曖昧な土台しか持たず、信仰に於いて頼り無い者である。偶像礼拝とは、人が自力でする事に在り、罪が為させるものに在る。
以前のものは過去のものと成る。イエスキリストが神様により人々の元に遣わされ、そのため過去のものは過去のものと成り、人々は新しい人生・時代を生かされる。これは至高の恵みに在る。神様が新しい時代を備えられた。これにより人々は救われた。新しい福音の時代。これを知らねば成らない。パウロはその事を自認し「過ぎ去った時代…」と言った。その時代の間にも、神様は絶える事なく人々に恵みを与え続けた。本当に必要なものは、それぞれの人に、神様が前もってご用意されて居る。その事を人は自分の生活に於いて、各自で知って居る。それを忘れては成らない。クリスチャンだけに恵みが与えられるのでなく、ノンクリスチャンにも平等に与えられる。クリスチャンの元だけに恵みの雨が降ったりしない。「なぜ雨が降るのか?」と気象学的に解明しようとし、低気圧が来たから…台風が来たから…等と言うが、その低気圧・台風を作ったのは誰か?と言う問いに始まり、どんどんその根を追究して行けば、人には理解できなく成る。総じて初めから「神様がその様にご用意されたから」これに尽きる。何事も説明付けようとする処から傲慢が生まれたり、信仰から離れる姿勢が生まれたり、更には邪教・偶像礼拝が生まれたりする。これは全て人間がする事に在り、罪・欲望・サタンが為す事に在る。人の理想とは時に欲望そのものに成る事があり、これに注意し、その時何をして居るかを知る必要がある。即ち神様に向かい、正しく感謝する事が大事である。
【日本キリスト改革派 男山教会】
https://otokoyamakyoukai.jimdofree.com/
【最寄りの教会検索用】
https://www.rcj.gr.jp/
Table Caffe〜
榎本保郎牧師 ミニ説教19 「イエス・キリストを身近に」
https://www.youtube.com/watch?v=MCyjy8BuIIw
「私があなたがたに最もたいせつなこととして伝えたのは」
https://www.youtube.com/watch?v=lbm8N7ZZRMY
スペシャルWEB配信 無観客ライフ・ライン、世の光のつどい
https://www.youtube.com/watch?v=WtWo_wXvLAI
ハーベスト・タイム・ミニストリーズ
https://www.youtube.com/@HarvestTimeMin
不思議のパルプンテ
https://www.youtube.com/@不思議のパルプンテ/videos
(お暇な時にぜひどうぞ)
少しでも楽しんで頂き、読んだ方の心の糧になれば幸いです。
サクッと読める幻想小説です(^^♪
お暇な時にでもぜひどうぞ♬