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短編

【コミカライズ】偽物聖女は追放されました。



「お前のその瞳は紛い物だ!お前は聖女などではない!!」


──と、言われた聖女ミアは呆気にとられて目を見開いた。







聖女ミアは、平民上がりの聖女だ。

田舎の村で生まれた彼女は、物心がつくまでそこで暮らしていた。

聖女の証は生まれつき所持していたが、なにせ、あまりにも寂れた田舎町。

誰もが聖女の証など知らなくて、ミアを異端の子として忌避していた。


左右色違いの瞳(オッドアイ)

左目は、太陽のような紅い瞳。

右目は、月のような蒼い瞳。


それこそが、この国シェゼット国の聖女の証だった。


幼い頃は悪魔の子、忌み子、しまいには魔物の血を引いていると言われ、嫌悪されていたミアだが、その地に巡礼の司祭が訪れたことで状況は一変する。

司祭は、ミアの瞳を見ると、聖女だ!!と大声を上げ、あっという間に彼女を王都に連れて行ってしまった。


その間のことはあまりにもあっという間すぎて、あまりミアには詳細な記憶が無い。

ただただ、嵐のように目まぐるしい展開の連続に、途中で思考停止していたような気すらする。


家族とは引き離され、故郷の村から連れ出された彼女は、ひとりで神殿に放り込まれることとなった。

しかも、気がつけばこの国の王太子の婚約者になっているらしい。


(どういうことなの……)


それを聞かされた時、ミアは呆然としていたが、しかし、彼女の取り柄は図太いことだった。


(まあ、なるようになるでしょ!

衣食住が保証されて暴力も暴言も受けないなんて、最高!ゆっくり眠れるし!

お務めさえ果たせばお姫様みたいな生活ができるなんて、夢のよう~~!)


ミアは楽観的で能天気で、そしてかなり図太い性格をしていた。


神殿で聖女の役割や立ち位置、成すべきことなどを教えこまれ、聖女らしい振る舞いを身につけさせられても、彼女の性格は根本的なところは変わらなかった。


王太子──ジェラルドは、平民のミアを妃とすることに不満な様子だった。


ジェラルドには想い人がおり、それは高位貴族の公爵令嬢。

さらにふたりは想いが通じあっているようだ。

しかしそれを知った時ですら、ミアはあまり動揺しなかった。


ただ、王太子という立場に生まれてしまったがために政略結婚をしなければならないジェラルドにちょっぴり同情したのと、痴話喧嘩に巻き込まれるのは嫌だなぁと思ったのだ。


ミアの故郷はとんでもない田舎だ。

そして田舎の村は、情報の伝達が驚くほど早い。

それは音の伝播より早いのではないかとすら思うほどだ。


こっそり村人同士がキスなんてした日には、次の日には村中がふたりが恋人になったことを知っている、というような有様。

そんなわけで、浮気なんてしようものならそれも驚くほどの速さでバレるのである。


ミアは、痴話喧嘩で大喧嘩、しまいには刃傷沙汰になった人々を何人も見てきた。


ミアは婚約者に恋をしているわけではないし、件の公爵令嬢を害そうという気持ちも全くない。


だけど逆はそうでもないようだ。


公爵令嬢は、ミアを見る度に睨みつけてくるし、憎悪の念がありありと伝わってくる。


このままではいずれ、村で見たようにミアも彼女に刺されるのではないか……と彼女は冷や冷やしていた。


婚約者のジェラルドに、「あなたの恋人なんとかしてくれません~?」と遠回しに伝えてみても、彼は逆にミアが彼女を攻撃するのではないかと過剰に恐るばかりで全く取り合ってくれない。


「いくらお前が聖女といえど、元はただの平民。公爵令嬢のフランチェスカを害そうとしてみろ。お前はすぐさま聖女の立場を取り上げられ、監禁の上処刑だ!!」


と脅される始末である。


この国、シェゼット国は聖女を必要としているはずなので、いくらミアがなにかやらかしたとて、殺すはずは無いのだけど、ジェラルドは脅しの意味もあるのだろう。そう言った。


この国、シェゼット国の辺境では魔物がよく湧く。

魔物退治は騎士の仕事として、その瘴気を浄化するのは聖女の仕事だ。

ミアが聖女として取り立てられるまでは神官の祈祷で何とか凌いでいたが、それも気休めでしかない。

人々は瘴気に汚染された土地を捨てる他なく、しかもその瘴気はゆっくりと、だんだん場所を拡大してゆく。


そういったわけで、聖女ミアが最初にした仕事は、各地での浄化活動だった。


しかし、既にこびりつき、土地を深く汚染している瘴気はなかなか手強く、流石のミアも参ることが多かった。


それでも、彼女は大半の悩みは一日眠ると忘れてしまう質だ。


悩むより手を動かした方が早いと彼女はチャキチャキ浄化活動を進め、ようやく各地の瘴気は一旦落ち着きを見せたのだった。


そして、ミアが王都に戻ってきた直後、婚約者のジェラルドに呼び出された。

そして言われた言葉が、


「お前のその瞳は紛い物だ!お前は聖女などではない!!」


である。


(は~~~~?)


というのが、ミアの正直な感想だった。


つい数日前まで彼女は各地で浄化活動に勤しんでいた。あれが単なるパフォーマンスだと、彼はそう言いたいのだろうか??


無表情のまま黙り込んだミアに、ジェラルドは我が意を得たりと言わんばかりにしたり顔で言った。


「真実を言い当てられて言葉も出ないか」


「いいえ、あの、これは殿下の独断ですか?」


呼び出された場所は、王城の庭園。

回廊にほど近い場所なので、人通りもそれなりにある。


みな、興味を引かれるのだろう。ちらちらとひとの視線を感じた。


ミアの言葉にジェラルドは口端を持ち上げて笑った。


まるで、学のないものに教えを諭すような、そんな嘲りを含んだ顔である。


「それが何か問題か?お前は、神殿の人間がいなければ何もできないのだな」


ミアの後見は神殿である。

神殿は、王家にも意見できるほどの影響力を持つ。

ジェラルドはそれに納得がいっていない様子だった。


(そんなこと私に言われても困るんだけど~~)


ジェラルドは神殿が嫌い→神殿に守られるミアも嫌い→そもそもジェラルドには好きなひとがいる→ますますミアが邪魔。


という構図なのだろう、多分。


とはいえ、相手は曲がりなりにも王位継承権第一位の王子様。

聖女とはいえ、下手なことをいえば何をされるか分からない。


沈黙は金。


ミアは黙ることを選んだ。

こうしていれば騒ぎを聞き付けた衛兵なりなんなりが神殿の人間を連れてくるだろう。


貝のように口をとざすことを決めたミアに、腹が立ったのか、ジェラルドが「おい!」と庭園の奥に向かって声をかけた。


すると、奥からひとりの女性──公爵令嬢フランチェスカが現れる。


恋人同伴かよ……とミアは内心、ジェラルドの正気を疑った。

ミアはいわゆる雇われ聖女──雇い主は神殿なので、独断でどうこうする権限は無いのだ。


何かあれば神殿がミアを守ってくれるし、国王もミア寄りの意見を口にしてくれることだろう。


だけどそれはミアに非がないことが大前提である。

ミアは聖女だが、元平民というのはかなりのハンデだ。


フランチェスカの胸元には、ミアも見たことのある大きな緑の石が提げられていた。


(あれは……ええと、あれ?)


あれは、聖女にのみ渡されるグリーンダイアモンドのネックレスではないだろうか。


グリーンダイアモンドという石はとても希少だ。それを卵型の大きさともなると、その価値は国宝級。


聖女不在の時は神殿で保管され、聖女が現れると聖女にその証として渡されるという。


本来ならミアもそのネックレスをするはずなのだが、ミアは元は平民。

そんな国宝級のネックレスなど首に提げたくない。間違いなく自分の命より価値があるものだろう。


恐れおののいたミアはそのネックレスの着用を断ったのだが──それをなぜ、フランチェスカがしているのだろう。


思わず、ミアはジェラルドに尋ねていた。


「あのネックレスは、聖女にのみ伝わるグリーンダイアモンドでは?」


すると、ジェラルドは馬鹿にしたようにミアを見下ろした。


「ふん。偽物聖女のくせに偉そうな。あれは、高貴で美しいフランチェスカにこそ似合うものだ」


「…………」


別に、ミアは宝石に興味はなかったので横取りされても構わないのだが、神殿は怒るだろうなぁと思った。


反応の薄いミアにジェラルドはさらに苛立ったらしく、現れたフランチェスカの腰を強引に抱き寄せる。

フランチェスカはキャッと言ったものの、まんざらでもないようで、見せつけるように体をジェラルドに寄せた。


「あのね、ミアさん。私の目も、実はオッドアイなの」


「そうなのですか?」


どう見ても、フランチェスカの瞳はどちらも琥珀色である。

しかし、ミアの言葉にフランチェスカは笑って答えた。


「ええ。右は少しオレンジがかっていて、左は赤みがかっているのよ。太陽の下で見ると、よくわかるわ」


「…………」


そういう、よく見ればオッドアイ、というのは果たしてオッドアイというのだろうか……。


なんだか、無理やりすぎる。


だんだんこの話し合いに意味はあるのかとミアは疲労を覚えた。


このまま挨拶をしてさっさとお暇しようとしたところで、ジェラルドが「聖女ミア」とミアを呼んだ。

珍しく、聖女とまで付けて。


彼は睨むようにしながらミアを見た。


「お前には聖女の才はない。お前は嘘吐きの偽物聖女だ」


「お言葉ですが、なにか確証があってのことですか?私の力は、神官様や陛下が認めてくださっております」


「それこそが偽りだと言うのだ!お前はみなを騙している。現に、王都では死魘病(しえんびょう)が流行りだしている。これはお前のせいだな!?」


死魘病──それは、瘴気に汚染されると引き起こされる病気だ。

だんだん手足が黒ずみ、やがて腐り落ち死に至るという恐ろしい病である。


それから逃げるために、人々は瘴気で汚染された土地──故郷を捨てるのだ。


ミアはおかしい、と思った。


辺境の地こそ瘴気に汚染されていたが、王都はそうでもなかったはずだ。


それなのに死魘病にかかる?


ミアが違和感を覚えた時、ジェラルドは言った。


「お前の護衛騎士アシェルは重篤な死魘病にかかった。全て、お前のせいだ」


「はい?」


護衛騎士のアシェルは、寡黙であまり喋らないひとだ。

生まれは貴族で、平民のミアより断然高貴な人間なのだが、次男だか三男だかということで家督権はないらしい。

そのために騎士になったとミアは聞いている。

絶句するミアに、ジェラルドがせせら笑う。


「どうした。お前の大事な騎士が、お前のせいで死魘病にかかったのだぞ?お前が真実、聖女ならこの王都で死魘病になどかかるはずがない!!やはり、お前は偽物聖女なのだ!!」


叫んだあまり、語尾が伸びて「聖女ナノダー!」と宣言することになった王太子ジェラルドの声は、よく響いた。


恐らく、回廊の向こうにまで届いている。

周囲のひとの視線が厳しくなるのがミアにも分かった。

針のむしろのようだ。


だけどミアにとってそれはどうでもいいことであり、彼女はジェラルドに食ってかかるように迫った。


「アシェル様は今どこに!?なぜ放置しているのです!?どうしてもっと早く教えてくれないんですか!!」


逆に糾弾されることになった王太子は鼻白んでいたが、吐き捨てるように言った。


「隔離されている。感染を抑えるため、このまま処刑される手筈だ」


「なんてことを……!!どうして教えてくれなかったのですか!!」


それまで、どれだけ蔑まれても罵倒されても馬鹿にされても、あまつさえ聖女のためのネックレスを奪われようとも、のほほんとしていた(とミアは思っているが、周囲から見たらひたすら無表情だった)ミアの切羽詰まった様子に、ジェラルドが気圧された。

まるで、自分がとんでもないことをしたように感じたのだ。


「それは……いや、今教えただろうが!」


「なぜもっと早い段階で教えてくれなかったのか、と聞いています!死魘病は初期対応がもっとも重要なのです。初期の初期に治癒を受ければ、死亡率はぐっと抑えられるのですよ、王太子のくせにそんなことも知らないんですか!?」


まさか、まさかとは思うけれど。

ジェラルドはわざと、ミアの護衛騎士を死魘病に感染させたのではーー?


そう思ったら、それまで堪えていた様々な感情が堰を切ったように溢れ出した。

もはや、聖女としての体裁とか、そういうのはどうだって良かった。

明らかに王太子の素質を問いかける言葉に、愚弄されたと感じたジェラルドが怒りのあまり顔を赤くした。


「何だと!?たかが平民上がりの成り上がり聖女が!!口を慎め!」


「ジェラルドを馬鹿にするなんて、たいそう聖女様は偉いのね」


と、ジェラルドとフランチェスカがここぞとばかりに口撃してくる。

しかし、プッチンとしていたミアにはそれすらどうでもよかった。

もはや彼らは自身にたかる小蠅に過ぎない。鬱陶しいふたりに構っている暇はないと彼女は判断した。


「そうです、聖女は偉いんですよ。だから王様や神殿から特権をいただいています。そんなことも知らないんですか、公爵家のご令嬢なのに。それを鼻にかけて調子に乗るのは愚かなことですが、聖女はなぜ聖女と呼ばれるのか。特別な地位を戴いているのか。その高貴な頭で少しは考えてみたらいかがですか!!失礼します!!」


乱暴に言い捨てると、くるりとミアはその場から走り去った。

あまりの剣幕と、あっという間のことだったため、ふたりが反論する隙すら与えない。


ようやく我に返ったときには、もうミアはその場にはいなかった。

意図して目立つ場所を選んだため、野次馬の数が多い。

このままでは、フランチェスカとジェラルドは、聖女にしてやられた、と吹聴されることだろう。

言いっ放しで離脱したミアに屈辱を感じたジェラルドは叫ぶように騎士たちに命じた。


「聖女ミアを拘束しろ!!あれは聖女などではない。陛下や神殿を欺く悪魔だ。悪魔が聖女の名を騙るなど、我が国の恥だ。早く捕まえて、私の前に引き摺り出せ!!」


命令を受けた騎士たちは困惑した様子を見せたが、ジェラルドが一喝すると、それぞれその場を走り去った。……とは言っても、国王の意向を確認しに行っただけなのだが。


一方、ミアは自身の護衛騎士が収容されているという建物に向かっていた。

途中途中、ミアを捕まえようと騎士たちが駆けてくるが、ミアはその小柄な体躯と田舎育ちゆえの瞬足でそれを逃れた。


「聖女はどっちに行った!?」

「あっちだ!急げ!」

「偽物聖女はどこだ!?」

「国王陛下は聖女を拘束しろと仰せだ!」


と、情報系統も混乱しているのか、様々な命令が組み合わさり、いつの間にかミアは聖女の名を騙る罪人であり、拘束命令が出ている、ということになった。


まだ伝達を受けていない侍女を捕まえて聞きだしたところ、ミアの護衛騎士は王都外れにある建物に収容されているとのことだった。


ミアは金がなかったので、聖女の証である勲章を売っぱらった。

質の人間はそれがなんだかいまいち分からなかったようだが(聖女の勲章は特権階級の人間にしか周知されていない)、その精緻な刺繍、使用されている宝石が高価なものであることはわかったようで、それなりに高値で売れた。

それでも、本来の値打ちよりもぐっと低いだろうが。今のミアにとって必要なのは、馬を借りるだけの金銭であり、それ以上は求めていなかった。

ミアは小銭を得ると、それで馬を借り、目的地へと向かった。

ミアは田舎育ちなので、馬牛羊類には乗ることが出来る。


ようやく辿り着き、ミアは門番に無理を言って中に押し入った。

門番や騎士たちは、中にいるアシェルに接触して死魘病の感染を恐れ、ミアを追ってこれない。


アシェルのいる部屋を目指して、ミアは駆けた。




「アシェル様……!!」


「ミア、様?どうしてここに」


アシェルは、生きていた。

だけどようよう意識をつなぎ止めている状況で、意識も混濁しているようだった。呼吸は荒く、あと少し遅ければ間に合わなかったことは確実だ。

ミアは間に合ったことを神に感謝した。

指を絡ませ、神への感謝を伝えるとミアはすぐさまアシェルの足元に跪き、彼の容態を確認する。

アシェルは、簡素な寝台に乗せられていた。頭部や目元は包帯に覆われ、それは手足も同様だ。


死魘病が進行しているのだ……。


それに気がついたミアは必死に治癒を授けた。

聖力で診ると、王太子が重篤だと言っていた通り、重症化している。


ここから、快癒まで持っていくのは並大抵の技術ではない。


ここまで酷い死魘病の患者を癒した事は、いままでミアにはなかった。


できるかどうか、一瞬迷ったミアは、迷う時間が惜しいと聖力をありったけ注ぎ込んだ。


白い光が迸り、室内は神々しい眩さに包まれた。


しかし、それを見ているひとはおらず、アシェルは息も絶え絶え、ミアは力の行使でそれどころではない。


ミアは最大限力を行使した。

しかし、物事には限界というものがある──。


ついに、ミアの手から光の粒が消え失せた。

聖力切れを起こしたのだ。


こうなってはもはやミアに為す術はない。

呆然としていると、背後が何やら騒がしくなる。


何事かと思いきや、扉ががんがん叩きつけられた。


「罪人ミア!!聖女の名を騙り、人々を騙した罪をもって、あなたを拘束します!!」


しかし、彼らは部屋に入ってこない。

アシェルを恐れているのだ。

聖力のない人間が近付けば、死魘病になってしまう。


沸々とミアに浮かんできたのは怒りだった。


ミアは扉の取っ手を掴むと、一気に開け放った。

扉が開かれたことに彼らが怯む気配を感じる。

現れたのは、騎士たちだった。

ミアを追いかけてここまで来たのだろう。

ミアは彼らを睨みつけ、言う。


「なぜ、王都で死魘病者が出たのですか?本来なら、王都は安全なはずです!」


「あなたの不手際が招いたことです」


騎士のひとりが淡々と答える。

それを猛烈に睨みつけ、ミアはぶちギレた。


「本気で言ってるの!?辺境で散々浄化活動してきたっていうのに、嘘つき呼ばわり!?」


「……王太子殿下のご命令により、あなたを拘束いたします」


その言葉に、ミアはふんと笑った。


「やれるものならやってみなさい。ただし、大人しくついていく気はありません。陛下と神殿のひとを呼んでください」


「……手荒な真似になりますが──」


騎士がそういった時、ミアはまた言葉を続けた。


「聖女は、浄化の力を持つ。だけど逆に、今まで祓った分の瘴気も体内に溜め込んでいる、という話はご存知ですか?」


「…………は?」


呆気にとられた様子の騎士に、ミアはにっこりと笑った。


「真実、私が聖女として務めを果たしていたなら……今まで各地で祓ってきた瘴気を、体内に持っていることになりますね。それをここで放出したら、あら大変。みんな揃って死魘病!ちなみに私は、あなたたちを治す気はありません」


ミアは、今の自分は間違いなく悪役だろうと自覚した。

それでも、今のミアには守りたいものがある。

平民出身の聖女の護衛騎士など誰もがやりたくない中、彼だけがミアの護衛騎士についてくれた。

元平民だからとバカにすることも無く、ただただ彼は真摯に(というか物静かすぎて会話がなかっただけ)ミアに向き合ってくれた。


守りたいものなど今までなく、流されるままここまで来たミアだったけど、これ以上自身の力を搾取され、良いようにされるのは我慢ならなかった。


王太子ジェラルドは、自身の欲のためだけにミアの身の回りのひとを害した。

それは、到底許せることではない。


ミアは今まで散々な環境に身を置いていたが、彼女は自分が大切にしているものを傷つけられることを殊の外嫌う。

誰だってそうだろう。


村にいた時、ミアと仲良くしていた動物を村の子供が傷つけた時はお手製の弓矢をつがえて、やり返した。

幸いにも、動物の怪我は軽症で、すぐにミアは聖力を使用して傷を癒した。


ミアが嫌いだからといってその周囲を攻撃するなど、あまりにも卑劣極まりない行為だ。

怒りが収まらないミアは、子供たちの家周辺にミントを植えた。


それからすぐ、彼らは雑草駆除に追われることになった。

いい気味だとミアは今でも思っている。

ミントの繁殖力は凄まじい。きっと今でもあの子供たち──ミア同様成長したので今はもう大人だ。

彼らは、あの田舎の村でせっせと草取りに勤しんでいるに違いない。


のほほんとした性格のミアだが、今まで疎外されてきたためか、自分に優しくしてくれる(ように見えるひとも含む)人間を害されたと判断すると、途端、獰猛になるのである。


ミアの世界は常に、敵か味方かの二択しかない。



ミアの言葉に、騎士たちは震え上がった。

何せ、ミアの言葉が真実かどうか確かめる術が彼らには無いし、死魘病にかかったら、聖女の治癒でしか治すことはできない。


彼らが動揺したのも束の間、ミアを拘束しろ!と騒いだ張本人が現れた。


「何をもたついている!早く偽物聖女を連れてこい!」


王太子ジェラルドだ。

ミアはジェラルドを見つけて、強く睨みつけた。

その眼差しの強さに、一瞬ジェラルドが怯む。


「アシェル様が死魘病にかかっている理由を教えてください」


「お前が偽物だか──」


「わざと、アシェル様を罹患させましたね?」


王太子の言葉をぶった切ったミアは、もはやそうとしか思えなかった。


だって、おかしいのだ。

瘴気が充満していない王都で、病にかかるなど。

であれば、辺境に遠征でもしたのかとなるが、アシェルはミアの護衛騎士。

ミアが辺境に行く用事がなければ彼だって行くはずがない。


アシェルは、ミア同様、辺境での長旅直後だったため、長期休暇を取得していた。

それなら旅行で王都を出る可能性ももちろんあるがミアの護衛騎士である彼は、いつ何時だって早急に対応できるように王都にいなければならず、王都を出る時は、届出を出す必要があった。その彼が、死魘病に罹患するなど、そもそもがおかしいのだ。


確信を持った言い方のミアに、ジェラルドは口端をゆがめて笑った。


「ふん。知らんな」


「今言った方がよいですよ。先程言いましたが、私は浄化の他に、瘴気を放つこともできるんです」


「やはり悪魔じゃないか!」


言質を得たとばかりにジェラルドが愉しげに言った。

それに内心舌打ちをして、ミアは言う。


「言うのですか?言わないのですか?」


「聖女にそんな力があるとは聞いたことがない。ということはお前は悪魔だ。やはり、捕らえるしかない!!おい、お前たち、悪魔ミアを拘束しろ!」


ジェラルドは号令をかけるが、しかし誰も動かない。どころか、みな緊張の面持ちで、固唾を飲んでいるようだった。


そりゃあ、誰だって死ぬことが確定している病の元に近づきたくなどない。

今のミアはもはや、瘴気を詰め込んだ袋なのである。なんの拍子に破けるか分からない。


埒の明かない状況に苛立ったのはジェラルドだけではなく、ミアもまた、膠着状態に苛立った。

そのため、いつものように聖力を使用した。


途端、ぱぁ、と光が室内を覆う。


「ひっ……!!」

「い、嫌だ、呪われる!!」

「うわあああ!!」


その瞬間、悲鳴をあげて騎士たちが逃げ出した。

逃げ出していく足音はひとつやふたつではない。


「くそ、お前たち……!なぜ私を守らない!!」


ジェラルドの怒りと恐れに満ちた声が聞こえたのを最後に、部屋は無音になった。

光が収まった時には、部屋には誰もいなかった。


耳を澄ませても、物音ひとつしない。

それを知って、ミアは肩を落とした。


「……聖女にそんな力あるわけないでしょ。自分で言ってたじゃない」


瘴気を祓う力、神聖な力はいつだって瘴気とは相容れない。

ちゃんと勉強していれば聖女が瘴気を所有するなんて有り得ないとわかるはずなのに。

しかし、騎士たちとジェラルドはミアの言葉を信じ、結果、恐怖に耐えられずに逃げ出してしまった。


「……さて」


ちら、とミアは背後を振り返る。

そこには、変わらず眠りについている騎士がいた。

ミアは寝台に腰を下ろすと、彼の肩を揺さぶる。


「起きてください、アシェル様。まだ辛いと思うんですけど、とりあえずここを出ましょう」


重症が中症になったレベルだが、ひとまずの危険は去っただろう。あとは、ミアが死魘病の進行を聖力をもって抑えながら移動すればいい。

それくらいの聖力なら、気力を振り絞れば何とかなるだろう。何とかなるはずだ。根性論でミアは乗り切ることにした。


ミアは彼の包帯を解いた。

肌を黒く腐食させていた死魘病は一旦の落ち着きを見せ、肌の色もだいぶ戻ってきている。小康状態のようだった。

ミアは包帯をぱらり、と床に落とした。


(さながら眠れる森の美女……ならぬ美男?)


そんなくだらないとを考えていると、やがてアシェルのまつ毛が震えた。

黒曜石によく似たまつ毛が持ち上がり、現れたのは赤色の瞳。


ミアの片方の瞳と、アシェルはお揃いなのだ。


目が覚めた彼に、ミアは笑いかけた。


「おはようございます、アシェル様!」


起きたら突然ミアがいて、彼はずいぶん戸惑っていたが、悠長に説明している暇はない。

いつ騎士たちが戻ってくるか分からないのだ。

ミアは起き抜けの病人に明るく言った。


「逃げましょう!」









聖女ミアは聖女の名を語る偽物だった、としてジェラルドは自身の名でミアを追放したと公表した。

聖女が偽物だったことに国中が慄いたが、すぐにジェラルドの言葉は嘘だと知れることになった。


偽物聖女追放時、国王は王妃とともに慰安旅行に出向き、国には不在だった。

まず、国に戻った王は王太子の独断に烈火のごとく怒った。

そして、国を上げて聖女を探すよう命じたのだ。


王は、【真偽を確かめるため聖女ミアを探せ】と通達したのだが、その時点で『王太子ジェラルドの言葉は嘘だったのでは』という空気が出来上がっていた。


それを証明するように、ミアがいなくなった途端、辺境を中心に瘴気の進行がふたたび始まった。

人々は、病に侵される恐怖心から、王家に強い不信感を抱いた。


ついに、王太子は恋人を妃にするために聖女を追放したという情報がどこからか出回った。

国民の怒りはさらに深くなる。


王太子は、その立場を忘れて私的な理由で権力を振りかざしたのだ。


結果、割を食うのは国民だ。


ジェラルドが王太子であることを疑問視する声は増し、その声は日に日に強まった。


そしてついに、ジェラルドは廃太子されることが決まったのだ。


次の王太子は、他国に留学している第二王子である。

しかし彼は、ここ数年留学していた関係で、情報に疎い。

国に帰った途端王太子とは、彼も考えてもみなかったことだろう。


国王は、王太子ジェラルドの愚行を詫びた上で、聖女ミアに登城するよう周知した。


しかし、それでもミアは現れない。

辺境の土地は既に瘴気で汚染され、国民の多くはその故郷を追われていた。


このまま、耐え忍ぶしかないのか、と誰もが諦めた時。


新たな聖女が現れた。

そのひとは、どんどん辺境の瘴気を浄化していった。

彼女は、深く感謝した住民たちがどんなにお礼をしたいと言っても、固辞するらしい。


彼女は、黒のローブを深く被っており、顔は分からない。

ただ、声の感じから若い女性だという。


彼女は、いくら聖職者や軍部の人間が王都に行くよう伝えても、首を縦に振らないらしい。

それどころか、しつこく誘いをかけると、直ぐに去ってしまうらしい。


彼女の傍らにはいつも、彼女同様黒のローブに身を包んだ細身の男がおり、彼女に乱暴な真似をしようとしたりすると、抜剣し牽制するという。

その男の剣の腕前は相当なもので、聖女を無理に王都に連れ出そうとしていた若い軍人は怪我を負った。


その報告を受けた国王はすぐさま新たな王太子、ジュリアスを派遣させた。

内々に調査し、彼女の住処はあたりがついている。

王太子自ら出向くことなど、通常ありえないことだが今は緊急事態だ。今度こそ、王家は聖女を失うわけにはいかないのだ。


王家の愚行によって、聖女が消えてしまったことは、国民の深い怒りを買った。

同じ轍を踏むわけにはいかなかったのだ。


ジュリアスにとっても、これは責任重大なことだった。


暗部の人間から報告を受け、ジュリアスは聖女の家へと向かう。

そこは、山の麓に居を構えた、ちいさな一軒家だった。赤い屋根が可愛らしく、花壇には花が植えられている。

ジュリアスは花の種類に疎いのでそれがなにかわからない。

家の奥には井戸やちいさな畑があり、彼女はここで自活しているようだった。


何度も深呼吸を繰り返し、ジュリアスが扉を叩こうとしたその時。

前触れもなく扉が開く。

現れたのは、黒のローブを纏った男。


これが、例の。


息を呑んだジュリアスは、まずは敬意を示すべく、胸に手を当てて真っ直ぐに男を見た。


「……初めまして。私の名前は、ジュリアス・シェゼット。シェゼットの、王太子だ」


シェゼットと、王太子、という言葉に目の前の男がかすかに反応した気がした。






(さーて、どうしよう)


聖女ミア──いや、今はただのミアは、木の椅子に腰掛けながら、訪ね人を見た。

まさか、新たな王太子、ジュリアスが来るとは思ってもみなかったのだ。


ミアは、おやつのクッキーをさく、と噛んで、最後の一口を口にする。


(うん、美味しい)


ナッツとくるみのクッキーはミアのお気に入りだ。

これは、アシェルが作ったものだが、意外なことに(と言ったらアシェルに失礼だが)アシェルは手先が器用だった。

彼の料理はどれも美味しい。

ミアは元平民、特権階級の【聖女職】を挟んだものの、現在も平民。

それに加え田舎育ちなので料理ができないわけではないのだが、如何せんミアの料理の味は可もなく不可もなく、といった具合。


ミアは、【食べられるならなんでもいい】といった人間なので当然、料理の腕が上達することもない。


めんどくさいと感じると、彼女は生の野菜をそのままかじり出す始末である。


あまりのミアの食生活を見かねて、アシェルが料理をするようになったのだった。

ミアだって、美味しい料理が食べられるならそれに越したことはない。


ミアもアシェルを手伝うのだが、不思議なことにミアが手伝うと、途端味は微妙なものになる。


自然、ミアは具材を切ったり、皿に盛り付けたり、という係をさりげなくアシェルに割り振られることとなった。


面と向かって『下手くそ』とは言われないが、内心似たようなことは思っているのだろう。

それはミアにも分かった。無言の気遣いにミアは感謝した。




──あれから三年。


ミアは聖女をやめて、元の平民のような暮らしをしていた。もともとミアには、豪華な生活は性に合わなかったのだ。


付き合わせるアシェルには申し訳ないので、死魘病が快癒した後は内々に家に戻ってもいいと彼には言ったのだが、アシェルはミアと共に過ごすことを選んでくれた。


疎外されることには慣れているものの、それでもひとりぼっちは寂しい。

アシェルがここに残ると言った時、ミアは嬉しくなった。

三年が経った今、アシェルはもはや、ミアの家族のような存在だ。


アシェルは無口な人間だが、冷たいわけではなく、ただ口下手なだけであることをミアはこの三年で知った。


そして、極々たまに──笑うこと。


ふ、と彼が微かな笑みを見せるのはとても貴重だ。

ミアは彼の笑みを見るのが好きだった。


そんなわけでミアは楽しく平和に辺境で過ごしていたのだが、だんだんそうも言っていられなくなった。

ミアがお務めをやめたので、当然、瘴気は溢れ返る。


王太子ジェラルドには腹が立ち、二度と王家と関わり合いになってたまるか!と思ったミアだが、しかし国民に罪はない。

ミアは、辺境での浄化活動で彼女にいたく感謝していた人々のことを思い出した。


聖女ミアとしてふたたび王城に監禁拘束労働させられる日々はもう嫌だ。



自由でいたい。何にも縛られたくない。



そう思ったミアは、ある日決意した。


顔を隠して、新たな聖女となればいいのだ!!と。


同時期に聖女がふたり現れたことも、過去、なかったわけではない。ごく稀だけど。

ようは王城に行かなきゃいいのだ。


捕まりそうになったら逃げればいいし、ということでミアは人知れず浄化活動を始めた。……のだが。

あっという間に新たな聖女の噂は広がってしまった。

田舎の村ほど噂の周りは早い。それを知っていたはずだったのに……とミアは後から反省した。


ミアの話を聞いて、アシェルは護衛として同行してくれることになったのだが、何度彼に助けられたことか。

問答無用でミアを王都につれていこうとした軍人を思い出す。

必死に、王と会うべきだと訴えていた司祭を思い出す。


しかしミアはそのどれもを固辞したし、しつこいやつにはアシェルが牽制した。



そうして今日(こんにち)まで上手くやってきたのだが、ここにきて王太子本人が現れるとは……。


(王様もなりふり構ってられないって感じかな)


とはいえ、やはりミアは城に戻る気はサラサラなかった。

もう、二度とあんな生活は嫌である。

常に周囲の監視があり、取るに足らない噂話ひとつに左右される。

人の顔色を窺い、上辺だけの言葉を並べ立てる。

それは、とんでもなく疲弊することだった。


聖女に求められるのは浄化活動のはずなのに、なぜそれ以外の、社交に時間を割かれなければならないのだろう。

甚だ疑問だった。社交に疲弊して浄化活動に支障が出たら、それこそ本末転倒じゃないか。


どうしようかな、と考えていると、とんでもない言葉がミアの耳に飛び込んできた。


「恐れながら、お許しいただけるのであれば、聖女様を私の婚約者としてお迎えできないかと、そう思っております」


ぎょっとしてミアが見ると、王太子ジュリアスは真摯にミアを見つめていた。

アシェルがミアを窺った。


どうする?と尋ねているのがわかる。


ジュリアスもその反応を感じ取ったのだろう。

彼はおもむろに、玄関前に膝を突いた。

肩に羽織ったマントがはためいて、さすが王子様である。


確か……ジュリアスはミアの三つ下の十六歳。

本来ならまだ他国で留学していたはずの身である。それを兄の不祥事で呼び出され、突然王太子に任命されて……。

なんだかミアは、ジュリアスが気の毒になった。


白銀の髪や青の瞳はジェラルドと同じだが、受けた印象は全く違った。

ジェラルドからは圧倒的な自信を感じたが、ジュリアスからは不安が感じ取れる。


(失敗はできない、ってところかな……。まあ、兄があの有様じゃあね~~)


反面教師どころか、トラウマにすらなってそうである。

ミアはゆっくりと椅子から立ち上がり、指を手巾で拭った。指先にクッキーの欠片がついていたためである。

そして、アシェルのローブの裾を軽く引き寄せ、頷いて答えた。


部屋に入れよう、という意味である。


そして、ミアたちは、ジュリアスひとりを家に招いた。

近衛騎士は家の外で待っていてもらうことになる。流石にそれは、と顔を強ばらせる近衛騎士に、ジュリアスは問題ないと手を振って答えていた。


アシェルが剣を扱うことはジュリアスも知っているはずである。

それなのに、躊躇うことなく即断した彼に、ミアは少し彼を見直した。


そして──家の中は三人だけになった。

狭い一軒家なので、それだけで窮屈である。


ミアは王太子に椅子を勧め、彼女自身は反対の椅子に座ると。

ぱさり、と自身のフードを払いのけた。


薄茶の髪と、色違いの瞳が露わになる。


まさか、顔を見せるとは思わなかったのだろう。

ジュリアスも、そしてアシェルも驚いたようだ。


そんなジュリアスを見ながら、ミアは笑みを浮かべて首を傾げた。


王城にいた頃に比べると、髪はずいぶん短くなっている。


あの頃は、


『聖女とは長髪であるべき』

『御身は尊いのですから無闇に髪といえど切ってはならない』


としつこく言われ、髪を切ることすら許されなかった。

だけどここで自活生活をするとなってすぐ、ミアはざっくりと髪を切ったのだ。


その時の爽快感といったら。

ミアはあまりのことに感動した。

頭が、重くない!!と。


ミアは爽快感に打ち震えたが、あまりのざんばら頭にアシェルは絶句した。

そして、彼はその悲惨な頭を手直ししてやったのだ。




その経緯を知るよしもないジュリアスは、ミアの顔を見て驚きに息を呑む。


王が死にものぐるいとなって探している聖女ミアの肖像画によく似ている──いや、それどころか、そっくりだったからだ。


ジュリアスはからからに乾いた声で、彼女の名を呼んだ。


「聖女……ミア、様」


「初めまして、王太子殿下。私はミアと言います。ここでのお話は全て、秘密にしてください」


ミアは自身の口元に人差し指を当てた。

ミアは、ジュリアスの人柄を信用していた。


まず、軍を率いて押しかけるのではなく、ごくごく少数人でやってきたこと。(王太子という立場にも関わらず、だ)

そして、迷いなく近衛騎士を外したこと。

彼にとっては、命に関わるかもしれないのに。


ミアはジェラルドのしたことを一生許すつもりは無い。

後にアシェルに話を聞いたところ、やはり彼は意図的に死魘病に罹患させられたことが分かった。

アシェルは、ジェラルドの命を受けて辺境の調査に向かった。

聖女護衛騎士の彼が、休暇取得中に内密に命令を受けること自体がおかしいのだが、王太子命令だと言いきられれば、逆らうことは出来なかった。

そして、アシェルは気をつけて辺境の地の調査に向かったのだが、同行していたものが王太子の手先で──つまり、彼は嵌められた。

結果、アシェルは瘴気渦巻く辺境の地で、死魘病に罹患したとのことだった。


やはり、ジェラルドが画策していたのだ。

恐らくは、ミアを陥れるために。


ミアは今後一切ジェラルドを許すつもりはないが、しかしジェラルドとジュリアスは別の人間だ。

分けて考えるべきである。

ミアはさらに言葉を続けた。


「国王陛下へのご報告は構いませんが、私が過去、あなたがたが探していた聖女だと公表するのはおやめいただきたいのです」


ミアの言葉に、ジュリアスは何度も頷いていた。

まさか、新たに現れた聖女がミアだとは思いもしなかったようだ。


そこでジュリアスが、ハッとしたようにローブの内側に手を差し入れる。

見ていると、彼は小箱を取りだした。赤のベルベット生地に包まれた高価そうな箱だ。

ジュリアスはぱかりとそれを開き、ミアに差し出した。


「これをあなたにお返しします」


「これ……」


例の、グリーンダイアモンドのネックレス。

まさか、ふたたび目にするとは思いもしなかった。

ミアが目を丸くしていると、ジュリアスが淡々と言う。


「ご存知かもしれませんが、オールストン()公爵家のフランチェスカは、身分を取り上げられた上で修道院へ。オールストン家は降爵され、伯爵家となりました」


「…………」


ミアはじっとグリーンダイアモンドのネックレスを見つめる。

卵型の、大きな石は綺麗だ。綺麗なのだけど……。


「これはあなたのものです」


ジュリアスの言葉に、ミアは顔をあげた。


「要りません」


「え……」


言葉を失うジュリアスに、ミアは困ったように笑った。


「あんまり興味無いし、管理もできないので。それは次の聖女に渡してください」


ちなみに、聖女が同時期にふたり現れた際は、一人目にはグリーンダイアモンドのネックレスを、二人目にはグリーンダイアモンドの指輪を授けるようにしているようだ。

三人目は、今まで現れたことがないのでどうなるかわからない。

ミアが断ると、ジュリアスが動揺したように瞳を揺らす。

それを見てミアは微笑んだ。


「私は、これからも影の聖女として生きていきます。どうか、放っておいてくださいますか?これからも浄化活動は続けますので」


「ですが──」


「ミア様は王都にも、王城にも行きません。王にそうお伝えください」


そこで、それまで沈黙を守っていたアシェルが口を開いた。

弾かれたようにジュリアスがアシェルを見る。

アシェルは、フードを外した。

宵闇によく似た黒の髪がフードからこぼれ落ちる。それを見て、ジュリアスは驚いたような、納得したような、そんな声を出した。


「そうか……。聖女ミアを守っていたのは……あなただったんだね、アシェル」


アシェルは、ジュリアスの言葉には答えずに、ただ静かに彼を見つめていた。

ミアと片目だけお揃いの、赤い瞳で。


「前王太子が何をしでかしたか、あなたも知っているはずです。その上で、ミア様に求婚をされる気ですか。あなた方は、また、ミア様を傀儡の道具にしようと?」


淡々としているだけに、冷たさを感じる声音だった。

ジュリアスはその言葉に、まつ毛を伏せた。

彼自身、アシェルと同じ意見のようだ。


「そうだね。あなたたちの立場からしたら、これ以上ないほど無礼な物言いだった。失言を謝罪しよう。すまなかった」


頭を下げたジュリアスに答えたのは、アシェルだった。

彼は、やはり静かにジュリアスを見つめている。


「……このまま王都に戻れば、きっとあなたは聖女を連れてこられなかったとして、大きく批判されるでしょう」


「そうだろうね」


それはジュリアスもわかっていたようで、彼は苦笑した。

それに、アシェルは僅かに、眉を寄せた。悩むように。


「三年前、ジェラルドが断罪騒動を起こした当時、あなたは十三歳で他国に留学していた。兄の尻拭いを弟がしなければならない……という点には同情いたします。また、気の毒だとも」


「ありがとう。だけど、それも仕方ない。それが私の責務だから」


ジュリアスはそれだけ言うと腰を上げた。

どうやら、帰るようだ。


(ほんとうに帰るんだ……)


少しミアは驚いていた。

なんだかんだ言っても、ジュリアスはミアを王都に連れ戻そうとするのではないかと思っていたのだ。

それが、こうもあっさり諦めるとは。

ミアが目を瞬いていると、アシェルが言った。


「……辺境の聖女には既に恋仲の男がいると仰ればよろしいのです」


「…………は?」


ジュリアスは目を見開き、アシェルの言葉を理解したミアはギョッと彼を見た。

ぐるんっと首を動かしてアシェルを凝視するミアを無視して、彼はジュリアスに言った。


「そうすれば、そちらの『聖女を妃にせよ』という圧力は受け流せるかと思います。王家は、前回の失敗を二度と繰り返したくないでしょうしね」


「そ、れは。そうだけど」


絶句し、困惑した様子のジュリアスとは反対に、ミアはなるほど、と内心頷いていた。


(私に既に恋人がいることを伝えれば、確かにジュリアス殿下に無理を言うひとはいなくなるかもしれない。アシェル様頭いい~)


ミアは感心した。

そうこうしているうちにジュリアスは退室し、近衛騎士と共に帰って行った。


彼らを見送ったミアは、その後ろ姿が見えなくなってから、くるりと振り返った。


「すごいですね、アシェル様!確かにああ言えば、社交界の人たちも表立っては何も言えませんもんね」


感心しきりと言った様子のミアを見て、アシェルは微苦笑を浮かべた。


「でも、みんな驚くでしょうね~~。聖女に恋人がいる、なんて。だいたいの聖女はお勤めに夢中になるあまり、その殆どが結婚適齢期を逃してしまうらしいですよ。私もその例に漏れてませんし」


ミアが聖女時代、過去の聖女について調べていた時、知ったのだ。

代々聖女は晩婚である。

しかもその理由のほとんどが、お勤め──つまり、浄化活動に勤しむあまり自身の恋愛が二の次になってしまうのである。

聖女の力は子に受け継がれるものでは無いので、子を産むための結婚を急かされることはない。

政治絡みの理由で政略結婚をしたケースは何件か、過去見受けられたが。

しかし自発的に動く、つまり恋愛結婚となると聖女はみな二の足を踏みがちである。


ミアはほぅ、と息を吐いたがハッとなにかに気がついたように顔を上げる。


「あれ!?でも、私と付き合ってる、なんて誤解されたらアシェル様も出会いが無くなっちゃうんじゃ──」


そもそもアシェルは、外に出る時いつもローブを羽織り、顔を隠している。

そのため恋が芽ばえるタイミングそのものが存在しないのだが、それでももしかしたら!!あるかもしれないじゃない!!とミアは思った。


例えば、道で偶然女の子とぶつかって、その衝撃でフードが外れ、アシェルの顔が露になる。

アシェルは厭世的な色香の漂う青年なので、それに魅せられる女の子もきっと多いはずだ。アシェルは、社交界でも主にご婦人がたからの人気が高かった。

そこから芽生える恋だってあるかもしれない。

いさかか少女小説の読みすぎではあるのだが、まあ、確率的にないこともないのかもしれない。


アシェルに良い人ができた時、恋人の有無は大切な問題になってくる。

うんうん、とミアは内心頷いた。

偽物の恋人がいたら、本当の恋人もできないのだ。


(良識ある人間は恋人のいる男性に言い寄ったりなんてしないわ。アシェル様といい感じの女性が現れた時、私が障害になったら……)


そこまで考えて、今の生活からアシェルがいなくなることを考えたミアは言いようのない寂しさを覚えた。

それは、今まで当然だと思っていたものが失われるような。心細さと寂しさを運んでくる。


動揺するミアに、アシェルはちらりと彼女を見て言った。


「……確かにあなたと私は、いわゆる恋人関係ではありませんが」


「うえっ!?あ、はい!!」


考え事をしていたミアは素っ頓狂な声を上げてアシェルを見た。

アシェルはミアから視線を外すと、そのままキッチンへと向かいながら言葉を続ける。


「私があなたに想いを寄せていることは事実ですので、構いません」


「…………。…………へえ」


たっぷり間を開けて口からこぼれたのは、何とも間抜けな言葉だった。


それからまた数秒。

ようやくミアはアシェルの言葉の意味を理解した。


「ヘェアッ!?!?」


バッ!!と大慌てで顔を上げるが、しかし既にアシェルは奥のキッチンにいた。

奥から、彼の声が聞こえてくる。


「あ、ミア様。申し訳ないのですが予備の塩袋を取り出していただけますか?」


キッチンからはカチャン、と皿のぶつかる音が聞こえてきた。

恐らく、昼食の準備をしているのだ。それは分かったが、いや、わからない。


ミアは絶句し、あまりのことにあんぐりと口を開いた。

あまりにも石像と化すミアに、やがてキッチンからアシェルが戻ってきた。

水で濡れた手を手巾で拭きながら彼は苦笑した。


「驚かせてしまったようですね。……申し訳ありません。そんなに意外でしたか?」


こくこく、と何とかミアは頷きを返した。

それに、アシェルは困ったようにまつ毛を伏せ、笑んだ。


「……これでも、私は騎士職に就いていた身です。そう簡単に未婚の女性と同居などいたしません。あなたと共に生活する道を選んだのは、ひとえにあなたを想っているからです」


アシェルは、さらに言葉を続けた。


「ですが、気にされないでください。いつかは言おうと思っていた感情ではありますが、いたずらにあなたを困らせたいわけではない。今はただ、あなたの平穏な生活と、あなたが責務を果たす姿を見守らせていただけませんか」


それは、何よりも真摯な、愛の告白だった。


「──う、え……あぁあ」


ミアは目を回した。


聖女は代々晩婚で、自身の恋愛沙汰に疎い。

それはミア自身同様で──つまり、彼女に恋愛経験はない。


初めてのことに、ミアは言葉を失った。

頭がかつてないほど大混乱している。


その中で、唯一探し当てた感情があった。


それは。


ミアは恐る恐る、といった様子で手を差し出す。

それに、アシェルは微かに目を見開いた。

ミアは恥ずかしさが極限値を振り切って、彼から視線を逸らしながらも言った。

顔は、茹でダコのように赤い。


「……これからもよろしく、お願いします。私も、アシェル様と共にいたいと、そう、思っていますから…………」


たどたどしく告げた声は、語尾は掠れ消えていた。

ようよう伝えた言葉に、アシェルがふ、と笑う。


それはホッとしたようにも、彼女の様子を微笑ましく思っているようにも見えた。


そして彼はいつになく柔らかく、そして優しい笑みを浮かべ、差し出された手を取った。

そっと、その手を握り返す。


「ええ。……よろしくお願いします、ミア様」



こうして、ふたりの関係は少しだけ変化を遂げた。


優しい時が、辺境のちいさな一軒家に訪れる。



それは、田舎の村では『異端の子』と言われ、社交界では『成り上がり聖女』と呼ばれ、ひとりぼっちで孤独だったミアが、ずっと求めていた居場所だった。








fin.



お読みいただきありがとうございました!

先週くらいに見た夢を形にしてみたのですが、思ったより長くなった……

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― 新着の感想 ―
とっても良かったです!これがプロローグで~陰の聖女の浄化生活~なんてタイトルで、浄化行脚で起きる様々なことをミア様があーでもないこーでもないと解決に励んで、結果アシェルが糸口を耳打ちして解決する…みた…
ミアとアシェルに幸せあれ!二人とも頭もキレるし胆力もある一方、何かと可愛らしいですよね。家の外観が幸せな雰囲気を出してます。 面白かったです!
幸せになってほしいと思わされました。 故郷の村でも扱いが酷くて、聖女になっても冷遇されて、本人はやり返す性格だったけど、これからは今まで得られなかった分の幸せがあるといいな。
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