魔術師の追跡
ベッドの外は、重力のある空だ。そのままだと、下へ下へ落ちてしまう。僕は急いで玄関マットを広げ、自分とハートの下に滑り込ませた。ようやく落下が止まり、マットは船のようにぽっかりと浮かんだ。
見上げると、スプリングが魔術師と戦っていた。魔術師が手をかざすと、果敢に斬りかかっていたスプリングの体が動かなくなった。夜馬が大きく口を開けて、スプリングの顔にかじりつこうとした。
「ねえ、ヴォイス! このマット、移動することはできるの?」
「できるよ」
「よかった。合図で逃げて!」
それから、ハートは魔術師に向かって叫んだ。
「ハートはここよ! 捕まえてごらんなさい!」
夜馬がこっちを向いた。魔術師はスプリングを放って、僕らを見ているようだった。
「今よ!」
僕はマットの縁をつかんで強く念じた。マットは滑るように空を裂いて、魔術師から遠ざかった。
魔術師が追いかけてくる。マットに乗った僕らは飛んで逃げたけど、夜馬も飛んで迫る。
「怒ってるわ。なんとしてもわたしを捕まえようとしているわ……」
その時、僕はふと不思議に思った。
「どうしてあいつは、君をそんなに狙っているんだろう?」
「そんなの……わたしに分かるはずがないじゃない!」
ハートがいらいらして叫ぶ。
「あいつの心が読めるんじゃなかった?」
「気分は分かるわ。わたしへのしゅうねん深さも。でも、なんでなのかは分からないのよ!」
ハートは今にも泣き出しそうだ。
僕は前を見つめた。
「もうすぐ、世界の果てだ……」
「何それ?」
「夢の世界が終わる場所だよ。そこから飛び出したら、現実の世界に行ってしまう」
「行ったらどうなるの?」
「さあ、二度と戻ってこられないかもしれない。僕らは夢の世界でしか生きられないんだ」
「ほんとに? ほんとにそう?」
背後の魔術師を気にしながら、ハートは激しく言った。
「現実も、夢も大して変わらないわ。体があって、心がある。生きるのにはそれだけで十分じゃない?」
僕は思わず、ハートを見つめた。マットが減速したことにも、しばらく気がつかなかった。
「君がどこから来たのか、ちょっと分かった気がする。君は人間なんだ。たまたま、夢の中で迷っちゃったんだ。……いつか現実に戻らなきゃ」
「何ですって? わたしは……」
ハートは否定しようとして、ためらった。
「ううん、でも……わたし……」
「見つけたぞ、ハート」
魔術師が追いついていた。ハートに向かって、黒い手を伸ばす。僕はハートの前に立った。
「どけ、小僧」
「いやだ」
一本足の夜馬が威嚇した。不思議だね。慣れてしまったのか、今じゃちっとも怖くないんだ。
「お前も、わしのコレクションに加えてやろうか?」
魔術師が僕のあごをぐいとつかんで、持ち上げた。その時、僕は初めて、魔術師の顔を間近で目にした。
肉づきのない、がいこつそっくりのような顔だった。緑の目が、鬼火のように燃えていた。不揃いな歯がのぞく口からは、腐った肉の匂いがした。