表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

現流妖怪譚

作者: Mana

時は、1955年――高度経済成長期。


とある都会からそれほど遠くない下町に、人形のように端正な顔立ちの、おかっぱ姿の女童(めのわらわ)がいた。

女童が歩くたびに、カラコロカラコロと下駄の音がして、髪留めに付けている小鈴がチリンチリンと鳴る。鮮やかな、血の色のような着物が印象的である。


商店街を歩いた先に、ビルの建設現場が目に入る。

コーンで部外者が入らないように境界線を引き、『立ち入り禁止』と書いた立札。工事の人たちの元気のよい声と、ガタガタと大音量で音を立てるけたたましい機械。

この工事の人間たちも、明日に希望を見出して、今仕事をしているのだろうか。戦争という、あの真っ暗な時代から抜け出したからであろうか。(よど)んだ目の色の者は少ない。


しかし…

(森上様が住んでおった土地じゃ)

そこを縄張りとしていた妖怪を思い出した。顔は人の好い(じじい)だが、身体は木が枯れたような妖怪だった。

しかし、その名の持ち主の気配は、すでに無い。逃げて引っ越ししただけならいいが、無法者の人間が知らず知らずのうちに、その存在を荒らし消され――と、ふと嫌な想像をしてしまった。


此処(ここ)は、どんどん、住みづらくなるのぅ…)

女童は、ふぅ…と息を吐いて、(きびす)を返して商店街を抜け、なんとはなしに住宅街に足を運び、路地の行き止まりに突き当たってしまった。

そこで、壁に頭を押し当て、なにやらブツブツと独り言を言っている一匹の河童(かっぱ)を見つけた。

河童は、本来は体中鮮やかな緑色をしているはずだが、この河童は何故か半分茶色に変色している。


()れ、何をしておるのじゃ?水辺に居なくていいのか?」

女童は、ツンツンと、河童の背を指で突いた。

河童は、ギギギ…と、油の差していない壊れかけの機械のように、女童のほうに顔を向けた。

「……おいらの住んでいた川は、埋め立てられたんだぁ…もう住む場所がなくなったよぅ…」

目に涙を溜め、鼻水をずるずると垂らしながら、河童は喋った。

「そう弱気になるな。引っ越しすればいい」

「簡単に言うなよぉ…先祖代々住んでいた川なんだよ。おいらの命より大事な川だったんだよぅ…」

妖怪は、人間が居ない場所では存在できない。今まで人間から(おそ)れられていた事で存在できていたのだ。その人間が、妖怪を否定するならば、いつかは消えて居なくなるのだ。

「お主の住んでいた川と心中するのは、それは構わぬが…」

「いやいやいや!やっぱり死にたくないよぉ―――!!!!!」

突然叫びだした河童に、女童は呆れた顔を見せた。


「ほれ、これでも(しょく)せよ。落ち着け」

女童は、駄菓子屋の女主人から「商品にならないからあげる」と、もらった飴袋の中から、ちょっと溶けてしまってベチョッとしている紫色の飴を、河童に差し出した。

「なんだぁ?これは面妖な」

「ぐれーぷ味という。いらないのか?」

河童は、返事の代わりに飴を手に取った。

女童は、橙色(だいだいいろ)の『おれんじ味』の飴を、口に頬張った。

着色しているだけなのか『おれんじ』の味は全くしないが、甘い味が口いっぱいに広がっていく。


「あんたは何者なんだい?」

目立たぬように人通りのない路地裏に行き、女童と河童は木箱の上に座り、話を始めた。

もっとも、二人の姿は人間には見えない事の方が多いが、『見える』人間も中にはいる。駄菓子屋の女主人も『見える』一人だが、まさか女童が妖怪だとはさすがに思わないだろう。

時間は昼時なのか、味噌汁の煮立つ匂いが、民家の窓から漂ってくる。


「見てわからぬか?(わらわ)は人間になりきれなかった半妖じゃ。こんな()りでも、数百年は生きておるぞ」

すでにこの世ならざる妖怪に『生きる』という表現は、本当は変なのだが。

「ふーん、人間になりたかったのかい?」

「……いや、人間という生き物は、まどろっこしくてかなわぬ」

「ま、そうだろうなー!人間だけには絶対に、なりたくないよなー」

ケラケラ笑う河童に対し、女童は、多少ムッとした顔をしたが、それを流すことにした。


「この町は空襲で焼けなかっただけ、良かったのか…あの一帯の妖怪はひとたまりもなかったじゃろ」

「確かになぁ…あの時代は、ひどかった。今は良い時代になったなぁ」

河童は呑気に返すが、女童は違った。

「良い時代…果たしてそうなのか。古き良きものは、『ださい』と追いやられ、人々は新しいものを追い求める。時代が移り変わるたびにそうじゃ。そんなものじゃ。そうやって人々は文化を発展させていった。しかし…今度は、根こそぎやられてしまうかものぅ」

「何がなんだ?お嬢ちゃん」

女童は、お嬢ちゃんはやめてほしいと思ったが、ひとまずそれは黙っておいた。

見た目は子供でも、心は年季の入った老婆である。この若い河童も例に漏れず、外見で判断するタイプのようだ。

「数百年…いやもっと前からか。この国の人間が潜在的に持っていた心の憑代(よりしろ)じゃよ。愚かなことに、人間は失ったことにすら気が付かない。そんなものじゃ。………でも、それでいいのかもしれない」

「お嬢ちゃんの話は、難しすぎてわからん」

ま、この若い河童に理解なぞ無理か、と女童は思った。さっきのぼやきは、ただの独り言だと思うことにした。


もう一個くれ、と河童から飴を催促される。河童は、緑色の『めろん味』、本人の体と同じ色の飴を所望した。

「人間は珍しいモノを食ってるんだな。俺、初めてだよ、こういうモノは」

そうじゃの、と女童は軽く頷いたが、直後、突然の土砂降りの雨のため、話は中断した。

河童は「ふおおおー!!!」と妙に嬉しそうな叫び声を上げ、大雨の中、狂喜の小躍りをし始めた。河童という妖怪にとって、水が恵みで、生命力そのものなのだ。河童の半分茶色の身体が、あっという間に瑞々(みずみず)しい緑に生まれ変わった。


「さらばじゃ、河童よ。達者でな」

女童は別れの言葉を河童に伝えたが、河童はどうやら気が付いていないようだった。



夕刻――

数時間前はこの土地を濡らした大雨もすっかり止み、女童の双方の(まなこ)には、綺麗な夕日が移っている。

ここは、町が一望できる小高い丘の上である。

先ほどは、引っ越しの前に、随分と面白い河童に出会えたものだ。


(人々の基本的な営みは、今も昔も大して変わらぬ。だが……)

これからもどんどん産業が発達し、便利な暮らしを手に入れる。その発達とともに、人々は大事なものを置き忘れてしまうだろう。この時代の流れと共に。


女童の左手には、風呂敷包みを持っている。この中には、女童がずっとずっと昔、まだこの現世(うつしよ)に存在し始めて間もないころ、母親代わりともいえる女性からもらった大事な形見が入っている。

(もう、一族は途絶えてしまったが――)

ふと、世話になったその人たちの事を思い浮かべた。


(わらわ)も、あとどれだけの命かのぅ?」

残り何年か――いや、もしかしたら数日後には、消えて居なくなるかもしれない。

別にこの世に未練はないのだが…


数百年生き続けた女童は、長年住んでいたその場所を丘の上から眺め、そして去っていった。

この国の行く末を、ほんの少し、案じながら――

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ