お出かけ
「楽しそうじゃん」
ルンルンにバイトの準備を進める奏汰に麻也が声をかける。
「聞いて驚け。俺調理場に立たせてもらえるようになったんだ!」
親指で自分を指すその姿はナルシストそのものだ。しかしそんな奏汰と対極に、麻也はがっかりそうな顔を浮かべる。
「なんでそんな不満そうなんだよ」
「だって。奏汰の接客めっちゃ面白かったんだもん。まじで笑える」
麻也は既に笑っている。
「まじで1回見て。自分でも絶対笑えるから」
―なんて薄情な奴…。
麻也はスマホを取り出して動画アプリから盗撮しておいた奏汰の接客ぶりを見せた。
『あ、お、お客様。こ、こちらへドウゾお越しくださいました』
入店した客へのこの言葉。客も笑っている。
『ご、ご注文は…どちらさまですか?』
オーダーをとるときのこの言葉。奏汰は唖然として見る。文字通り開いた口が塞がっていない。奏汰の繰り出す慌てっぷりはまさにお笑い劇場。不本意ながら下手な漫才師よりも笑いを取れていた。どことなく慌てた様子は里奈と似ているところがあったが、里奈も客に言葉を間違えるところまで酷くはなかった。麻也は意外にもすぐに慣れたようで今は楽しんでいる。
「俺こんなだったの?」
2足歩行の恐竜のように猫背になり、呆然と自分を指差す奏汰。青ざめた顔から自分の嫌悪さが、声色からは絶望が見て取れる。麻也は首を一度縦に振って「うん」と言った。その笑顔さはお菓子を買ってもらった幼稚園児のように屈託がなかった。
「まさか調理担当立てたのって酷すぎるからとかじゃないよな…」
奏汰は最悪の可能性を考えた。もしや自分がいたらマイナス分だったのでは、だから無理矢理調理場の手伝いに入れられたのでは、と。
「さあね。でも私らはよりも酷かったからわかんない」
―ガーーン!!大きく開いた口にはゆで卵な縦に2個は入りそうだ。
「はあ、これからバイトが楽しくなくなるわ…」
人の不幸は密の味と言わんばかりの態度。頭に手を置いて首を横に振る。
4月某日、実の提案で今日はお花見に行こうという話になった。車で近くにある公園に行けばたくさんの桜が見れるという麻也の情報により今、実が車を走らせている。助手席には妹の里奈。里奈の後ろに麻也。その隣に奏汰。
―麻也って意外とアウトドアなのか?
休日にカフェで会ったり、自分から花見に行こうと誘ったり、大人しめな性格からは一転、意外な一面を見せているこの頃。
「里奈がお弁当作ったの?」
助手席では兄弟の仲睦まじい会話が繰り広げられている。対して後部座席のふたりはスマホに夢中。
―んー。あれここどうすればいいんだ?
奏汰は仕事をしている。今週投稿分の小説が管制してないのだ。しかもその投稿は明後日!明日は学校でバイトなのであまり小説を書く時間がない。今日完成させるつもりだったがこの用事のせいであまり書けそうにない。故にこのような移動時間でしか書けないのだ。書き仕事ができないせいで少し不機嫌な奏汰。
「んん。奏汰君が作ってくれたの」
そして早朝からお弁当を作る始末。別に嫌じゃないから良かったらしいのだが。
「へえ。流石調理場に立ちたいだけあるねえ」
ミラー越しに目が合ってしまった。慌てて目をそらして見てないふり聞こえてないふり。あくまでも自分は小説を書くのに夢中になっていますよとスマホに視線を戻した。
「里奈も料理出来るようにならなきゃね。オムライスしか作れないようじゃお嫁に行けないよ?」
実がバイトのシフトを外している時のみ、里奈は厨房に立つことがある。その日は調理メニューにオムライスしか入れないスペシャルデー。しかしオムライスを作りすぎているだけあって味はそこそこ評判がいい。
「だって料理楽しくないんだもん」
奏汰も一度里奈が料理している所を見たことがあるがそれはまさに葬式そのもの。笑顔のえの字もない。厨房だから客からは見えないが、バイター全員にそれは知られている。
「まず出会いを探さないとね」
実が肘で小突く。里奈は頬を膨らませた。実は大学生、人生の夏休みと言われる季節だ。そこそこ出会いもあるようでそれで里奈をからかっているらしい。
今まで恋などしたことない里奈はまだあの感情を知らない。幼少期から少女漫画には触れてこなかった。小学6年生のときになんらかのきっかけで1冊本を読んだことがある。中学生の頃からネット小説サイトで奏汰の小説を見つけ、愛読している。そして現実では告白こそされるも、持ち前の鈍感を発揮してライクだと勘違いする。そしてありがとうと良い立ち去るのがテンプレート。こうしてきれいに恋愛ルートを避けてきた。結論、里奈が鈍感なだけ!
「実、まだつかない?」
しびれを切らした麻也が里奈の座席後頭部を掴んだ。
「まぁまぁ焦らない焦らない」
ふと奏汰が顔を上げた。既にそこはもう初めて見る景色。ほんの2週間前まではあのカフェも初めて見る場所だったと考えると時の流れを感じさせられる。画面を暗くして小説を書いていたので、窓からの日差しはいつもの2倍近く眩しく感じる。
―こいつ、自分から誘っておいて…。
あまりに待つのが苦手そうな麻也をみて半ば呆れる奏汰。しかし慣れているのか里奈と実は何も言わない
「もうすぐ着くみたい」
道案内をしていた里奈が言う。
「やったね」
麻也が薄らと笑顔をこぼした。