休日
―奏汰くん、だいぶ緊張してたな。昔の私もあんな感じだったなんて信じられない。自分ではすごく頑張ったつもりでいたのに、周りの人からしたら何もできてないなんて。
里奈は仕事の制服を着替えながらそんなことを考える。自分はすぐに慣れたものの、奏汰にとってここはまだ落ち着ける場所じゃない。知らない人といきなり住むことになって、苦手だと言っていた接客業もやらされて。ストレスがかかるに違いない。ちゃんと仕事ができるようになるのかと心配なのだ。反対の部屋の更衣室に奏汰がいる。2枚向こうの扉越しに彼を見る里奈の目は不安そうだった。
着替えが終わり、更衣室から出た。向かいの更衣室にはまだ明かりがついている。そこに映る影はロッカーにおでこをぶつけて腰から完全に曲がってしまっている。
―やっぱ相当苦手なのかな。お姉ちゃんに無理言ってでも調理担当任せたほうが良かったかも…。後でお姉ちゃんに頼んでみよう。
―なんの小説書こうかな。次の話のテーマはっと…。
一枚壁を挟んだふたりの思考はまるで食い違う。
奏汰はただ今連載している小説の続きの構成を考えていただけだ!別に仕事内容で悔やんでいるわけではないのだ!
「奏汰くん…」
しかしそんなことを知る由もない里奈にとって奏汰は反省のできる偉い人。ただ疲れて頭が回らず楽な体制を取っていたらたまたま反省しているように見られてしまっただけ。この先何が待ち構えているかというと…。まるで某芸人コンビのようなすれ違いだった!
「里奈さん。今日夜ご飯、俺が作ってもいい?」
冷蔵庫の中身をかくれんぼの鬼のような目で食材を捜索する里奈はえ?と冷蔵庫を半分閉じた。
―そんなに接客嫌なの?男の子って料理するのかな…。わざわざできないことをしてまで接客嫌いなの?
「ど、どうして?」
「だって、料理できないんでしょ?毎日出前とかだと栄養も偏っちゃうし」
―そういうこと…
と1度は納得しかけた里奈だが、吐いたため息が鵜呑みにするなと知らせてくれたかのように一瞬にして疑心暗鬼になる。
―いや、もしかしたらそれは建前?言い訳に言い訳を重ねて調理担当に行くつもりなのかも
考えすぎだ。考える人と名の付いた銅像も割れて崩れてしまうほど。
「奏汰くん、調理担当に行きたいのはわかるんだけど、流石にまだ早いっていうか、うちにはもうお姉ちゃんがいるから…」
里奈が調理担当を奏汰にさせたくないのにはちゃんとした理由がある。里奈のお姉ちゃん、もとい実の料理の腕のおかげで常連さんが増えて、密かに人気を浴びるようになったのだ。つまり実の料理がなくなればこの店に足を運ぶ人は減ってしまうと里奈は考えている。
「どういうこと?」
奏汰がそういうのも当たり前。視線が斜めに下がる里奈を見て首を傾げる。
「だって、調理担当になりたいんでしょ?だからここで料理して認めてもらおうとしてるんじゃ…」
「違うよ」
きっぱりと言伝を切られ今度は里奈が首を傾げる。
「元々料理好きだから、調理担当に行きたかったってだけ。それに前の家でも料理ずっとしてたから、ここでもしたいと思っただけ」
「え?あ、そうだったの。そういうことなら全然いいよ」
―なんだ、普通にしたかっただけだったのね。
店の危機を救いは胸をなでおろした。しかしそう思ってるのは里奈だけだというのを彼女は知らない。
「ほんと?じゃあ今日の夜は俺作るよ」
奏汰はスキップしながらキッチンに向かう。幼い子供のようだ。
―よっぽど料理したかったんだね
―そういや、この本読んでみようかな。
奏汰が越してきて数日、だいぶ環境も落ち着いてきたある日の休日。里奈はベットにうつ伏せになり足をバタバタさせて休日を謳歌していた。昨晩、天野望の本を読んでいた奏汰を羨ましそうな目で見ていると読む?と気を利かせて貸してくれた。天野望の小説をよく読む里奈がまだ出会ったことのない作品。
―奏汰くんも天野さんの作品読むならこれからも貸してもらえるし結構アリかも。それにしても本当になんで恋愛小説がないんだろう。私が1番書きたいジャンルなのに。こんなに上手なら書けてもおかしくないはずなのに。でも…私もかけないんだよね。
里奈も奏汰と同じく恋愛の経験はない。当事者にならないとわからないような気持ちや湧き出る感情も里奈は理解し難い。そればかりは読んで完全理解できるものではない。死の体験談を聞いても実際の怖さに勝ることがないのと同じように。
―奏汰くんは、恋とかするのかな。もししてるんだったら聞いてみるのもいいかな。小説書くのに参考になるかもしれないし。これでも学年の中では学力はいい方だから小説の文くらいならかけるはず!書いたことないから知らないけど。
今朝から奏汰はなにやら荷物を持ち出かけていった。夜ご飯までには帰るという。奏汰が出ていったのは9時すぎ。夜ご飯の時間まで約10時間。この地に来てまだ学校もまだない。故に友達ができているわけではない。探検なら里奈を連れていけば手っ取り早い話。だいぶ気になることではあるが里奈はそんなこと気にならなかった。しかし直後、里奈は
―あ、今聞いてみれば…。あ!そっか。奏汰くんいないのか。あれ?なんで出かけたんだろ。知り合いなんて麻也くらいしかいないはずなのに。
この有様である。しかし今更気にしてもしょうがないとけじめをつけワクワクした気持ちで本を開いた。
「里奈さん。ちょっとでかけてくる」
「わかった。気をつけてね」
「夜ご飯までには帰るようにするから」
「はーい」
まるで結婚仕立ての夫婦のような会話だ。里奈はなんの疑う素振りも見せなかった。何ならこの会話もほとんど無意識でしている。辛うじて『でかける』『夜ご飯までには帰る』といえワードが残っていたおかげで慌てずに済んだのだ。
―せっかくの休日なら、集中して本書ける場所に行かないと損だよな!
奏汰は喫茶店に来ていた。Free Wi-Fiで、一人席の確保できる所を事前にリサーチしていたのだ。その結果なんとか徒歩圏内に見つけることができ、今奏汰はルンルンで歩いている。
カフェについて早速ココアとワッフルを注文してカウンターに座る。パソコンとスマホのFree Wi-Fiを接続してもう準備万端。ちなみにスマホでは音楽を聞くためにFree Wi-Fiを繋いだ。
『おはようございます望さん。書籍化が新たに決まりました。おめでとうございます!引続執筆活動頑張ってください!』
奏汰、改め望の担当さんである神谷美香からのメールだ。
―え?書籍化?なんの作品だろ。
その旨をメールに打ち込む。するとすぐに返信が来た。
『覚えていないんですか?』
―覚えてないです。
『コラボみたいな感じで作ったじゃないですか』
―え、あれ書籍化されるんだ。
あまり自信のない作品だった。読者からたくさん届いたシナリオの中から自分で面白そうなもの、物語として書けそうなものを選定して短編集として出したのだ。ジャンルは様々だがその分たくさんの短編を投稿した。そしてそれがコラボ的な感じで他の作家のものと合体して、書籍化されたと神谷さんは言う。
『あの中からたくさん読まれたものを4作品合わせて一冊にしました!』
―てことは…
『なので4作品のジャンルはバラバラです!あ、安心してください。どの作家さんからも1つずつしか選ばれてませんから』
―ですよね〜。それ本屋に並ぶときどうするんだろう。でも書籍化されたことは嬉しいからいっか。
『これからも頑張ります』
と返事を返しメールを閉じる。今の数分でも時間がなくなる。湧いてきたアイデアを早く書かないともったいない。奏汰は急いでアプリを開き執筆を開始した。
―えっと…次も短編か。オリジナルのストーリーにあわせて同じジャンルを一冊にするのか。なるほどねえ。
試行錯誤の末奏汰が今回テーマに上げたのは『愛』様々な愛の形がある中で『親が子にもつ愛』『飼い主がペットに持つ愛』『ぬいぐるみへの愛』『恋人への愛』の4種類を今から書き、バッド・エンドにはなるもののそれに伴い感動のある作品にしようというのだ。恋は書けずに愛は書けるはこれいかに。
―んー。どこから書こう。親と子供のやつは最後だよなあ。1番最後に温まるストーリー持ってきて、感動もして泣けちゃいますよっと。
「『あの日、私のすべてが無くなるような。そんなことが起こった。たった一つの損失が、私の心を虚無にする。それはあの冬の凍りつきそうな冬の日だった』へえ。なにこれポエムかな。『誰かに言っても信じてもらえない。でもホントにあった出来事。それは5年前のことだった。』」
いつのまにか奏汰の肩の近くまで来ており、小説を読み上げる麻也。
「うわあ!な、何誰殺される?!」
麻也に気づいた奏汰は勢いのまま閉じたパソコンに覆いかぶさった。
「たまたまいたから。何してんだろうなって」
麻也は奏汰が喫茶店に入る前からこの喫茶店に来ていたのだ。彼女も彼女で春休みの課題を集中してするために来たのだが、奏汰が近くの3つとなりのカウンターにいるのを見かけたのを皮切りに宿題に身が入らなくなりひっそりと近づいたらしい。
「もしかしていまの読んだ?読んでないよね」
勢いよく奏汰は詰め寄る。椅子を回転させパソコンを背に麻也の方を向く。よほどバレたくないのだ。
「読んでない。5年前とか虚無とか凍りつきそうだとか冬の日だとか全然知らない」
「はあ…。読んでるなら読んでるでいいから」
がくんと首が下がる奏汰。
―もう、最悪。これじゃ二の舞いじゃないか…」
「奏汰、小説家」
「…ちがうよ」
たまたま空いていた奏汰の隣の席に荷物を移動させてきた麻也。コーヒーを一口飲む。湯気はすぐさま消えていく。カップを置く音までが鮮明に聞こえるほど、周りは静かなのかと感じてしまうほど奏汰は緊張している。
「書籍化されてるのに」
「そこまで見てたの?!」
「うん」
はあ…とため息を付き頭を掻きむしる。
―なんでこういうときに限って知り合いがいるんだよお!もうほんと最悪。どうする?今からでもごまかせるか…。いや書籍化されてるところまでバレてるなら難しいか…。絶対こいつもそうだ…
「笑えよ」
「なんで」
「面白いだろ。馬鹿にしたいだろ。しろよ。笑えよ!」
「確かに、面白い。こんなに身近に小説家がいて実際に書くとこ見たんだもん。でもそれはばかにするのとは違う」
「嘘をつけ。人はこういうとき絶対笑うんだ。ばかにするんだ」
「だって、それが好きでやってるんでしょ。それに高校2年生で書籍化って。しかもさっきの反応、初めて書籍化されたって感じじゃなかった。てことは高校1年生のときから出版してたってことかもしれない。馬鹿にする要素ないじゃん」
―あれ、こいつって意外と
「でも、見つかったときのあたふた具合は面白かった」
「なっ…!」
「あれは最高傑作」
麻也は肩を必死に震わせて声を荒らげて笑うのを我慢している。
「うるさいぞ」
壊れたゼンマイみたいな麻也を治そうと頭をコツンと叩く。
「それで、ペンネームとかは」
「え、言わないとダメスカ」
「言わないと○す」
―ええ…怖
「あ、天野望って…知ってる……?」
「天野望…。え、あぁ、里奈が好きな作家じゃん」
「思ったより驚かないんだな」
「まあ…私本読まないし。里奈からも偶に聞くくらいだし」
頬杖をついてコーヒーをひとくち飲む麻也。
「里奈は知ってる」
「え?嫌流石に言ってない。あ、他の人には言うなよ」
「里奈にも」
「当たり前だろ。何なら1番駄目」
―なんでいいと思ったんだ。でもまあ好きな作家とか推しが近くにいるのって案外知ってたほうが?イヤイヤそんなことない。推しは輝いてるからいいんだ。知らないことの方がいいことも世にはある。
「すごい、結構売れてる」
「え…まぁボチボチ」
頬杖を解かず、さっきから何かを調べている麻也だが、奏汰の小説のことを調べていたらしい。
「顔出しはしてないんだ」
「まあね。まだ高校生だし。だからアイコンとか、絵師さんに描いてもらったんだ」
「へえ。アイコンとだいぶ違うけど」
麻也はスマホに映し出されたアイコンと奏汰を並べた。
「や、やめろ。しょうがないだろ顔見せずに描いてくださったんだから」
「メガネもしてないし、こんなマッシュっぽい髪型でも無いし、服装はまあ似てるか。んー、似ても似つかない」
「そ、そんなに言わなくても…」
「別に奏汰がブサイクって言ってるわけじゃない」
麻也はスマホを机に置いた。若干しかめっ面になっていた奏汰も普通の表情に戻った。
窓から見える外は桜が舞っており、通行人に身を委ねるもの、素直に地面に落ちるもの、その中にもすぐ落ちるものや中々落ちないものなど様々。
―結局集中できなかった…。最悪だ。なんとか早く完成させないと。
普通、小説家には締切というものが存在するのだろうが、奏汰には締め切りなんてものはない。それは奏汰の投稿頻度がかなり早いことで必要ないなと美香が判断したためだ。