アルバイト
「誰」
階段の下にいたのは青髪ロングの女子だった。何処か見覚えのある服に身をまとい、目力というのを感じない。結われていないものの手首にはゴムがまいてある。普段はくくっている証拠と言える。
「誰って…。そっちこそ」
居候しているのは奏汰のみ。里奈がいい忘れていない限りここにいる女子はこの家のものではないということになる。
「もしかして…不審者。110番する」
「待って!」
携帯を出す手を必死に止める。厄介事だと眉をひそめる。
―警察呼ぶのこっちのほうだろ…早く里奈さん来てー…このままじゃ犯罪者になっちゃうよ。てかどこいったんだよ。もう店にいるのか?すいませーん。不審者はいってまーす。
「まず君は何者?」
「里奈の友達」
言葉は淡々と述べられる。感情のないそれはまるで機械のようだった。
「じゃあ里奈さんに聞いてよ。俺がほんとに居候人だってわかるから」
「証拠見せて。部屋とか」
―まずい!部屋には小説用のパソコンが…。しかも閉じた記憶がない。それに自分で書いた小説の原稿が部屋には…
しかしここで断れば確実に110番。奏汰は警察に連れて行かれ取り調べを受ける。裁判で敗訴し逮捕される。小説家として名が出ているため公表される。社会復帰は不可能となるだろう!…というわけにはならないだろうが寝起きで頭の回っていない奏汰には無罪の証明ができるものを探すのは難しかった。」
「へ、部屋はちょっと。プライバシーとかもあるし」
「何。やましいものでもあるの」
「別にそういうわけじゃ…」
「じゃあいいじゃん」
思ったよりグイグイとくる里奈の友達に劣勢だ。部屋を見られることより小説家という正体がバレることが嫌だ。なぜなら高校生小説家となるとどこかイタイ小説やポエムを書いていると誤解を生んでしまう。実際そんなものは書いていないのだが、恥ずかしいものははずかしい。
「見せないと」
携帯を見せられる。文字通り弱みを握られた。
「…わかったよ。じゃあこっち来て」
渋々答える。女子は素直に階段を登ってきた。扉の前で再び入れるべきかと悩んだ。
「どしたの」
「いや、なんでもない」
部屋に入れると決心をして首をふる。扉を開けると案の定パソコンは開けっ放し。ただ自動的にシャットアウトされており幸い中身はすぐに見れなくなっている。しかし机の上きは奏汰の書いた本と、原稿用紙がある。
「ここが君の部屋」
「そうだよ。これでもう十分でしょ。はい、出てった出てった」
「まあここまで見せられたら認める」
―なんでそんな上から目線なんだよ。勝手に疑ったのはそっちの癖に。
女子は腕を組んで首を数回縦に振る。そんな彼女を奏汰は薄めで見た。そして大事なことを聞くのを忘れていたと
「そういえばなんでここにいるの。こんな朝っぱらから」
と女子に尋ねた。
「だって私今日バイトだもん」
「バイト?どこで?」
「ここで」
食い気味に返答される。こんな無愛想な顔で無表情な奴がバイトなんてできるのかと、奏汰はまた薄めで睨む。
「麻也?何してるの?」
階段下から里奈の声がして、奏汰は胸をなでおろした。
里奈はなにやら不味そうな顔でこちらを見ている。
「あ、里奈。部屋に不審者」
「あ、いやそのこれは…」
わかりやすい動揺である。一度は信じていた麻也も、里奈のこの姿を見て意見を変えたように奏汰を睨みつける。
「やっぱり」
「違うってば!」
前のめりになると麻也は一歩引いた。とんでもなく警戒されている。
「じゃあ里奈の動揺っぷりは何」
「それは、俺に言われてもわからない」
耳打ちしてくる麻也。聞こえてないようで里奈はまだ目を泳がせている。
「麻也には言っておくべきだったね」
里奈の目の焦点がようやくあってきた。いままで文字通り右往左往していた。
「この子、昨日から私の家で住むことになったの。田中奏汰君」
「奏汰」
目だけで奏汰を見る麻也。里奈から説明を受けたというのにまだ疑っているようだ。
「里奈さん、助けて」
「麻也、奏汰くんのこと許せる?」
麻也は即座に首を横に振る。そんなにふると取れてしまうくらいだった。
「じゃあ何したら許してくれる?」
麻也よりも少し背の高い里奈が、麻也に目線を合わせる感じで膝を軽く曲げている。それはまるで。幼い子供をあやす親のようだった。
麻也は考え込んでしまった。表情の変わらない彼女はまるでずっとお面を被っているようだった。奏汰と里奈の視線が麻也に吸い付いて離れない。
「わかんない」
出た答えにふたりとも転げてしまいそうだった。
―あれだけ考えてわかんないって…。
「それより奏汰くん。制服置いてるから、着替えておいで」
「わかった」
「奏汰も働く?」
ふたりを背にしてあるき始めた奏汰は背中をさされる。
「うん。お手伝いさんみたいな感じかな」
気にせず階段を下る。
「さ、私達も戻ろ。準備しなきゃ」
奏汰はバックヤードに入った。そこには制服がかけてある。里奈や麻也が来ていたものと同じ、白シャツに焦げ茶色のエプロン。The喫茶店といった制服。
「何なんだあの人は…」
―のこのこと現れて不審者扱いして里奈さんが来た途端渋々許すとか…。ありか?ちょっと待てよ?バイターは今里奈さんと里奈さんのお姉さん、麻也に俺。他にバイターがいなかったら…俺男一人?大丈夫かな。
今まで人との交わりがあまりなかった奏汰はアルバイトということさえしんどいのに、話も合うかわからない女子3人衆と一緒に働かされるのだ。もちろん接客業なんて愚か友達なんて片手で数える程度。困難、いや無謀。いや、不可能と言っても過言ではない!色味を帯びてきた現実に冷や汗が止まらなくなる。
「お待たせぇ…」
恐る恐る店に入る。店内は当然ながら客は誰もいない。昨日もお世辞にも多いと言える数ではなかったが、それに比べてやはり寂しさが充満している。1つだけしかないレジにふたりがいた。
「おかえりー。似合ってるじゃん」
「ありがと」
少し頬を赤らめる奏汰は後頭部をかきながら里奈たちの元へ歩み寄る。
「何」
「何って、見られてたのこっちなんだけど…。そっちこそ何」
じっと視線を感じた奏汰の目が向く先には細目で奏汰を見つめる麻也がいた。いかにも嫌味を言いたげな顔だった。
「似合ってる」
「あ、ありがとう」
思わぬ返答に心のなかでは飛び上がるほどたまげた。対して麻也の表情は変わらない。里奈はニコッとしていた。
「それで、俺は何をすれば」
照れを戻し業務の内容を聞き出す。
―オーダーだけは無理オーダーだけは無理オーダーだけは無理オーダーだけは無理
「んー。今日はお姉ちゃんがいないから、とりあえずオーダー取ってくれる?」
―がーん。
口が大きく空いて首が下がる。1番できないものを初日から任されるなんて最悪だ。奏汰ができるのは調理のみ。逆に言えば調理なら何でもできる。よく小説を書くときのおつまみや夜食を作っていたものだ。そのうち料理の楽しさにも気づくようになった。
「あの…調理じゃだめかな?」
「どうして?」
「接客なんてやったことないし…」
「んー。流石に初日の人に任せるのはちょっと」
少し考えた後里奈は冷静に答えた。奏汰はまたがっかりした。
またさっきかいたような冷や汗をまたかく。地獄が始まることを想像する。
―絶対オーダー失敗するもん。絶対テーブル間違えるもん。絶対声裏返るし、笑顔なんてできないし、あの男店員変だったぞとか絶対言われるもん!あー嫌だー!
「そんなに嫌なのかな」
「なんか面白い」
ふたりの傍観者をものともせず自分の世界で絶望に浸る。頭をかきむしりのけぞる姿はまるでブリッジのようだ。
「まあすぐ慣れるよ。私も最初できなかったし」
「最初の里奈はひどかった」
「麻也も酷かったじゃん」
プクリと頬を膨らませた里奈が麻也の肩をつつく。
麻也の言うことも、里奈の言う事も正しい。ふたりとも最初はカタコトになったり出す手と足が同じだったりとそれは見るも無惨な姿だった。他にもオーダーは間違えるは運ぶテーブルは間違えるはレジ打ちは失敗するは、数えきれない失敗を重ねてきた。実もふたりをクビにすることを何度も考えたという。
「まあ大丈夫だよ。いずれ慣れるし、お姉ちゃんに頼めばすぐ調理も任せてもらえるようになる」
そう言われても…と中々前向きになれない。
喫茶店の閉店時間になり、店内にいたお客さんもいなくなって里奈は店の鍵を閉める。ふうっと息を吐き疲れを感じ始める。空はすでに薄暗くなり始めていた。
「ふたりともお疲れ。今日はもういいよ」
振り返ると、机に頭をぶつけて倒れる奏汰がいた。
「あー、疲れた…」
疲れとか関係なくなるくらい鈍くて大きい音がした。顔が上がらず傷の有無を確認できないが、額が赤くなっているだろうということは容易に想像できる。店の奥にある従業員以外が入れないところ(家につながる扉)から焦げ茶色のエプロンを外した麻也が声をかける。
「お疲れ」
「よくこんなきついことできるな…」
声が机に反射して耳に届く。
「さっきも言ったけど、すぐ慣れるから大丈夫だよ」
里奈たちも、この仕事に慣れるまで1ヶ月と時間は要さなかった。里奈の場合はお姉ちゃんがいたからとも言えるかもしれないが、そこまで忙しい訳ではないので奏汰でもすぐ慣れることはできそうだ。
「今日見る限りは心配だったけどな」
麻也が針を刺すように言う。里奈は核心をつかれたように黙り込んでしまった。
「手と足は同じのだすし」
「うぐ…」
「オーダーも商品運ぶテーブルも違うし」
「うぐ…」
「カタコトだし」
「うぐ…」
奏汰の頭上にいろんなものが溜まっていくのが見える。
「自分バイト辞めるのいいですか…」
頬がしぼんだ奏汰が里奈に手を差し伸べてきた。その姿はまるでゾンビのようだ。
「だあめ」
にこりと笑って奏汰に現実を突きつける。