迷い人の行き先
未完成のままでいい
春。それは出会いと別れ、そして旅立ちの季節。この3つすべてを高校2年生にして、一度の春で経験する人もいて、おかしくはないだろう。
―あれ…このへんじゃないのかな?住所間違えてるのかな。
大きなトランクを引きずり、両手には大きなバッグを持つ一人の青年、田中奏汰は今道に迷っている。渡されたメモ通りに歩いているのだが、さっきからその目的地にたどり着けていない。奏汰は同じ場所を行ったり来たり、一周したりというのを繰り返している。まるで円を歩いているみたいに。
30分後
「もう…わっかんねえ…」
地面に顔をうずめてボソリとつぶやく。喉の乾きから声もカラカラである。バリカンも使わないオーソドックスなマッシュともいえないがマッシュっぽい髪型が地に刺さる。
―なんでないんだよー。もしかして家ごと逃げちゃったのか?足が生えたりして。
実際にそうなってたら大問題である。しかし用意に想像できてしまうのが面白い。奏汰は別に方向音痴というわけではないのだ。このメモが悪いのだ。建物の大体の名前と、正しい道を赤ペンでなぞっているだけの、写真。奏汰のお母さんが住まわせてもらう人から地図を預かっているとメールが来ており、それを頼りにしている。住所があればまだマップから調べられたのだが、住所も書いていない。字が丁寧なだけにもったいない。
―ほんと…どこの誰だよこんな適当なメモ。絶対変な人じゃん。どうしよ。めちゃくちゃゴミ屋敷とかだったら。でもこんな適当なメモ送るくらいだから私生活も絶対適当に決まってる!…
「大丈夫?」
突然声をかけられた。自分のことであるとすぐに気づいた奏汰は顔を上げる。そこには変な人ではなく、普通にどこにでもいる女子高生がいた。細身で、明るい銀髪のボブをふわりとたなびかせている。髪の左は青いリボンで止められており、それはチャームポイントとも言えるだろう。そして何より、その美しい顔。
「あ、はい!大丈夫です!」
―すごい可愛い人…。
とっさに敬語を使ったのだがこの人が年上か年下かもわからない。同級生という可能性もある。話しかけてきてくれた女子高生はしゃがんで、虫を観察しているかのように奏汰を見ていた。
「すごい荷物…どこから来たの?この辺じゃ見ない顔」
奏汰から目線がずれ、女子高生は奏汰を取り囲むようにおいてある荷物に目を奪われた。奏汰は体を起こし、目線の高さを話しかけてきた女子高生と同じにした。
「岡山から来ました」
「そんなとこから?!わざわざ遠いのに…。どうしたの?」
―すごいでしょ?!しかも夜行バスだよ?半日座りっぱなしじゃ腰も砕けそうになりますよそりゃ。しかもこっちついたと思ったらこのメモのせいで歩かされて。改めて考えても散々だな。
家を出たのは2日前の夜。夜行バスで深夜に出発して、一泊東京のホテルでしてから、今日歩いてここにいる。
「次の春から高校が変わってこっちに来ることになったんです。それで、居候する家のメモが分からなくて迷ってたんです」
「一緒に見てあげようか。ここじゃあれだから、ついてきて」
荷物も少し持ってくれるやさしい人。奏汰はそんな女子高生についていく。
―ついてきてって…一体どこに。
奏汰が歩いているのはさっきまで歩いていたところ。3回以上通っているため見慣れている。もう自分の景色も同然といったところだろうか。
―しかし改めて見ても、東京とは思えない。もっと高層ビルやマンションが立ち込めているのかと思ったけどこれなら地元でもよく見る景色だ。
奏汰が案内されたのは、とある喫茶店だった。看板には『メトロノーム喫茶』と書いてある。こじんまりとしている辺り個人経営だろう。里奈が戸を引くと、中は聞き心地の良いオルゴールメロディが耳に入り、濃い茶色のフローリングとテーブル、そして一人の店員がいる。老舗というには少しきれいだが、十分すぎるほどの趣きを感じる。
「適当に座ってまってて。荷物置いてくる」
里奈は奏汰を適当な席に案内した。
―置いてくるって…別に椅子において座ればいいのに。それにどこに置きにいくんだ?
「ん?あー里奈。お帰り」
「ただいまお姉ちゃん。すぐ準備してくるね」
「はーい」
―準備?一体何の準備だろう。
視界から消えるまで目で追い続けると、のれんで仕切られた場所へと入って行った。どうやら彼女の名前は里奈というらしい。
お姉ちゃんと呼ばれていた人は…恐らくというより絶対店員さん。さっきの女子高生と対象的にポニーテールでくくられた金髪だった。髪型が違うからかとても姉妹には見えない。師弟関係なのか、単純にそう呼んでるだけなのか。はたまた本当に姉妹なのか。
「お待たせー」
彼女はアルバイトだった。茶色のエプロンと白いカッターシャツが良い味を出している。胸元のネームプレートには『成田』と書いてある。ということはこの人の本名は成田里奈。店の奥(奏汰からみて右奥)にいる店員さんのネームプレートを見てみた。そっちにも成田と書いてある。これじゃ区別をつけづらいのでは…。
「成田さん?」
『はいどうかしましたか?』
―ほらいわんこっちゃない。これ、困らないのかな。まあ名前で呼ばれることなんて滅多にないか。いやまてよ?名字が一緒ってことはつまり?ほんとに姉妹じゃねえか!よく見たら顔もちょっと似てるし。髪色が違うとこんなに違うふうに見えるのか…
「メモ、見してくれる?えっと…」
「田中奏汰です」
「奏汰くん」
このとき初めて名前を言っていないことを思い出した。
そしてスマホの中に入れていたメモの写真を渡す。
「これ?」
「はい。どこに何があるのか分からなくて…」
「どうかしましたか?」
「…。」
メモを見た瞬間里奈はメモとにらめっこしたきり黙り込んでしまった。そして眉間にしわが寄っていくのはすぐだった。顎に手を当ててなにやら深刻そうな表情。
「里奈?なにそのメモ」
里奈のお姉さんが物知りたげに歩いてきた。その言葉にも里奈は反応しなかった。
「お姉ちゃん、このメモ」
ようやく反応したかと思えば深刻な状況なのか真面目なトーンへと声が変わっていた。
「私が書いたやつだ」
え?という声が奏汰の心の中と里奈のお姉さんの声とでリンクした。
―どういうこと?え?は?
奏汰の頭はこれほど少ない情報量でもパンクしそうだった。それほどまでに驚きのものだった。
さっきまで笑っていた里奈のお姉さんも、魂が抜けたようにポカーンとして「はい?」とはにわのような顔になってしまっている。
「ほら、この前居候人が来るって言ってたじゃない」
―あ、それ完全に俺ですね。
「え?その子今日来るの?」
ようやく表情筋が戻ってきた里奈のお姉さんはそう聞き返した。
―もしかして…この適当なメモって、こんな可愛い人が書いたってこと?
奏汰がこう思うのも必然的である。成田里奈はかなりの美人である。銀髪ボブの青いリボンがそれを強調しており、もちろん学校ではモテモテだ!…というわけでもないのだ。里奈は超がつくほど鈍感なのである。それに今まで恋愛経験もない里奈は未だにライクとラブの差さえわかるか怪しい。
「もしかして、奏汰くんが?」
「え?俺ですか?」
「あーホントだ。今日だ。カレンダーに書いてある」
店の奥に飾ってあったカレンダーにて日付を確認する里奈のお姉さん。
「てことは、俺、今日から里奈さんと一緒に住むってこと…?」
「そういうことー!」
急に里奈のお姉さんのテンションが上がる。
―どこにワクワクする要素あるんだよ…。嘘でしょ?俺今日からこんなかわいい人と一緒に住まなきゃ行けないの?夢じゃなくて?初対面にしては展開が早すぎる気がするけど。それに…困るんだよなあ。
「えっと…じゃあ」
明らかに里奈が困惑しているのが奏汰から見て取れた。そうなるのも当然だろう。カフェ(自分の家の前)にダンゴムシの如く伏せていた少年(初対面)といきなり同棲をするというのだから。
「案内するからついてきて」
互いに雲と青空の割合2対8.理科でいうと晴れといったどころか…。そんな顔だった。
「ここが家の入口。家に帰るときは、ここから入ってね。正面の入り口から入っちゃだめだよ」
いきなり店の外にでてなんのつもりかと猜疑の心があったが、ここへ来て納得した奏汰。
「向こうからじゃだめなんですか?」
「悪いわけじゃないんだけど…」
里奈は顎に手を当てて考え始める。
―なんで駄目なんだろう?お姉ちゃんに言われてそうしているけれど、ちゃんとした理由聞いてなかった。そういえば今日私は普通に正面から入っちゃった。でもお姉ちゃんは何も言わなかったし…。嫌今日のは特例?たまたまお客さんと一緒だったから?んー……
「あのー。もう大丈夫ですよー」
思考の沼に体の半分が沈んでいたところに助け船を浮かべる。彼女の図上に無数の文字羅列が並ぶのを奏汰は容易に想像したのだろう。
「とりあえず中に入ろ!」
澄んだ笑顔で里奈は玄関の扉を開けた。
中は喫茶店の面影はなく床のタイルの色は薄い橙色だった。色以上に温かみを感じるフローリングだ。
「手前から、トイレ、お風呂、お姉ちゃんの部屋、階段の隣の廊下の先がリビングダイニングキッチンだよ。2階は私の部屋があるの。奏汰くんの部屋も2階だよ」
「お姉さんの部屋は?」
「お姉ちゃんは別の家に住んでるの」
「え?じゃあ普段はほとんど一人暮らしなんですか?」
「いや。よく返ってくるの。一週間に2回3回くらい」
―それもうここに住んでるのとほぼ変わんないじゃん。
「じゃあとりあえず奏汰くんの部屋から案内するね。荷物とかもまとめたほうがいいだろうし」
「ありがとうございます」
「ところでなんだけど」
階段に一歩を踏み出した瞬間そう口走られた。
「奏汰くんはどこの高校なの?」
「白躑躅高校です」
「え?ほんとに?」
耳を疑った里奈は上の段に足をかけた状態で止まり振り返った。
「はい」
「何年生?」
「次2年生です」
「ほんとに?」
「ほ、ホントです」
―そんなに疑わなくたっていいじゃん。そんなに嘘つき顔に見えるかな。今すぐどんな顔してるのか鏡へ見に行きたい気分だ。
奏汰はじっと見つめられ、怖気づいたのか目を逸らしてしまった。この沈黙の時は初対面ならではと言った感じだろう。
「すごい。こんなことあるんだね」
「どういうことですか?」
「一緒ってことだよ。学校も、学年も」
晴れていた笑顔から曇天がぬけ、晴天へと変わっていった。もう里奈の笑顔に雲はない。
「え、つまり」
「もう、敬語を使わなくてもいいってこと」
人差し指を立てて、妙にワクワクとした表情を浮かべる里奈。
「そう、なの?」
癖でつい敬語を使いそうになってしまった。
「だって、同級生に敬語使われるのって嫌じゃない?」
「確かに」
「だからもう、タメ口でいいの!」
満面の笑みを奏汰に向けた里奈は満足した顔で階段を再び登り始めた。
階段を登ると向かい合わせに部屋がある。見渡す限り他にも部屋があるようだ。
「ここが奏汰くんの部屋ね。ベットとかはもう置いちゃってるし、まあ好きなように使ってよ。もうここは奏汰くんの家でもあるわけだから」
「ありがとう」
―角にくっつけられたベッド。そしてカーテンで隠れた窓のふもとに机。うん。これは捗りそう。机とベッドの距離も近いから、往復も簡単にできてよし。ってとこかな。
「それで、向かいが私の部屋で、あっちは屋根裏とか、屋根上につながる部屋。落ちないようにね。あそこ痛いから」
―あ、体験者なんですね。
里奈が指さした、階段の後ろの部屋。登るときには死角になって見えていなかった部屋だ。
「で、こっちはベランダ。まあ洗濯物干したりフツーに気分で使っちゃってよ」
屋根裏部屋と対にある部屋。どうやら生活必須の部屋はだいたい1階に揃っているようだ。
「じゃあ私バイト戻るね。終わったら帰ってくるからそれまで自由にしててよ」
里奈はエプロンを結び直した。そして階段を降りていく。
「あ、それともうひとつ。気楽にしててね」
「わかった」
もう奏汰の意識は里奈にはない。今あるのは、自分の趣味だけ。
「よし」
自分に喝を入れるようにそう吐き出すと、奏汰はダンボールから荷物をパッパラと整理していく。クローゼットに服を入れたり、適当に小物を飾ったり。そして奏汰が1番重要にしていたものを最後に取り出す。
「これがないと始まりませんよ〜」
奏汰がダンボールから最後に取り出したのは、パソコンとノートと筆箱。
「さてと」
と眼鏡(ブルーライトカット加工+目が悪い)をかけ、早速パソコンで作業を始める。
田中奏汰。彼は小説家である。それも売れっ子の。ペンネームは『天野望』
―えっと…
昔はほとんど読まれなかったのが、今ではタイアップを頼まれるほどの人気っぷりを魅せている。今はその貰ったシナリオからなんとなくのストーリー構成を考えているところだ。
書く仕事をしているときが一番ワクワクしていると言っても過言ではないだろう。部屋を少し暗くして、パソコン以外のものが視界に入らないように。そしてヘッドホンをつけて音を聞く。周りの雑音を排除することで自分の世界へと入り込むことが可能になるのだ。
書くと決めたはいいのだが、今リクエストとして貰った小説は奏汰、改め天野望にはとても難しい。今書こうとしているのは『恋愛小説』である。生まれてこの方17年目。スポーツ選手ではベテランもいいところだ。しかし奏汰には恋愛経験というものが一切ないのだ!よって恋愛小説というものを書くことは極めて困難なのである。
奏汰は様々なジャンルの小説を書いて来た。推理物や感動系、パラレルワードをモチーフにしたものや、現代社会の闇や災害など、書籍化とまでは行かなかったものの、それらはサイトで人気の小説の1つにはなっている。幾度となく避けてきた恋愛小説が満を持して今、リクエストとして現れたのだ。それは奏汰にとって禁忌と言っても過言ではない!
「もう、どう書けばいいんだよー!」
頭をかきむしりながらそう狂乱する。
そうして数時間の間、ただ薄暗い部屋で音楽を流していただけで、貴重な書く時間を水の泡にしてしまったのだ。