2.国外逃亡
馬車に揺られて街道を走る。うちの領地はけっこう僻地だからある程度距離を移動するのに、今どき脚竜車じゃなくて馬車ってんだから、カッコつけのストーン侯らしい。でも馬車だと足が遅いから今日中には王都に着かないな。途中で宿を取るか、それとも野営でもするんだろうか。
まあ野営だろうな。街中だと人目につくから暴れるわけにもいかないし、私が逃げ出して路地にでも隠れれば見つけられなくなるでしょうし。
つうか王都の侯爵邸から馬車差し向けてるってことは、縁談を受けて私が家に戻るのを見越して動いてたってことじゃない。チクショウ全部ヤツの手のひらの上かよ!ああなんかムカつくぅ!
そんな事を思いながら窓から街道の景色を眺める。その視線の先、遠くに見える森の入り口のあたりに一騎の騎馬ならぬ騎竜が目に入った。
ん、あれ?今のオスカーさんじゃなかった?ずいぶん遠くて青豆の粒ほどにしか見えなかったけど、咄嗟に魔術で[感覚強化]して目を凝らしたから、多分見間違えじゃないはず。
しかもこっち見て笑ったような気がするんだけど!?気のせい?気のせいじゃない?どっち!?
と思ってもう一度見たときにはそこにはもう誰もいなかった。何なんだろう一体。見間違えじゃないとして、もしかしてまだ私を追いかけて来てるの?実家バレしたくないって私言ったよね!?
結局その後はそれらしい姿を見ることもなく、夜になって一行は街道から逸れて森の中で野営の準備を始めた。案の定街で宿を取るつもりはないようだ。まあ私設騎士だけで十数人いるからね、それだけの数を泊まらせるだけの資金も渡されてないんだろう。
ていうかさ、これ、コイツらが私を襲う気になれば軽くピンチなんだけど?まあさすがにご主人様が嫁にしようとしてる女を襲ったりはしないだろうけど、目撃者は出ないだろうし口裏を合わせればどうとでもなりそうな。襲うったってエッチな意味じゃなくて殴る蹴るの方だってあり得るしね。
まあそうなればこっちとしても存分に冒険者としての実力を披露するだけだけどね!武器も鎧も持ってこれなかったけど、いざという時に備えて隠した暗器はちゃんと懐にあるし。普段からソロで動いてるんだから、そういう備えはいつだってあるのよ。ふふん。
………とか思ってたのに、何事もなく普通に食事が用意されて別に毒も入れられてなかった。なんか拍子抜け。
「すいませんねお嬢さん。こんな暗い森の中で不安でしょうけど」
私設騎士のひとりが、私に食事を運んできた際にそう言って申し訳なさそうに頭を下げた。なんだ、アレな侯爵の私設騎士なのにマトモな人もいるじゃない。
「大丈夫よ。私慣れてるから問題ないわ」
なんで慣れてるのかは言わない。私が冒険者をやってるってことは社交界ではひた隠しにしてあるから、末端の私設騎士が知ってるはずもない。
まあ察してる勘のいい貴族はいるかもだけどね。〈賢者の学院〉の“力の塔”出身で、勇者候補の「候補」に挙がったことがあるって経歴は周知されてるから。
ていうかストーン侯の狙いもほぼ間違いなくそれだろう。力の塔の卒塔者ってだけでも国家の柱石となれるレベルの人材だし、それが卒塔後2年も出仕せずに結婚もしないでフラフラしてるんだから、それを押えれば自分の権勢をさらに増せると考えててもおかしくない。
まあそれならそれで真っ先に陛下が動くはずなんだから、少し考えればなぜ私がフリーで遊んでられるのか分かりそうなもんだけどなあ。
ま、それが分かんないからあのボンボンは駄目なのよね。
「え、慣れてるんすか」
「そうよ。うちは辺鄙な田舎領地で森も野山も多いし、無駄に領地も広いから護衛たちと一緒に視察途中で野宿ぐらいするもの」
「ああ、そうなんすね」
私設騎士はそれだけで納得したのかそのまま下がっていった。多分この人平民の出だなー。いい人だけれど、そんなんじゃコロッと騙されるよ君?世の中世知辛いんだからね?
とまあ、そんな事はさておき私は据え付けられた仮設テントに潜り込んだ。これは私のために用意された寝所で、ちゃんと毛布も用意してある。そしてさすがに中までは騎士たちは入ってこない。だから個室だ。
まあ入って来られたら、それはそれで大問題だけどね。
テントに入る際にそれとなく周囲の様子を伺ってみる。騎士たちはそれぞれ寝袋を用意して潜り込んだり、火の番をしたり見張りに立ったりと色々だ。隊長の姿が見えなかったので、多分アイツは馬車で寝るんだろう。
いや間違ってるだろオイ。護衛対象(連行対象ともいう)の私をこそ馬車に入れとくべきだろうが。
まあ文句を言っても始まらないので、寝るか。
毛布に潜り込みつつ夜が更けるのを待っていると、案の定というか周囲が騒がしくなる。馬の嘶きと人の怒号、それに剣戟の響き。
ホントに来たんだ。何の実入りもないだろうに、ご苦労様だねえ。
てなことを考えつつ待っていると、テント入り口の合わせ布を突然はぐられた。
「おいアンジェラ、無事か」
聞き覚えのある低いバリトンボイス。中を覗き込む豪奢な金髪。マインだ。
「わざわざ来なくたって良かったのに」
「それが助けに来た相手に対する言葉か。いいから行くぞ」
だってあの侯爵が相手だし。逃げちゃったら色々面倒なのよ?しかもアンタってばブロイスの人間でしょ。仮想敵国に来て騒ぎを起こしてるって自覚ある?
私が動きが鈍いからか、痺れを切らして入ってこようとするマイン。だからそれを手で制して立ち上がる。乙女の寝所に許可なく踏み込むんじゃないわよ。
「まあいいわ。で?この後どうするの?」
「それはまずここを脱してからの話だろう。早く来い」
「はいはいそうですねーっと」
仕方ないからテントを出る。出てすぐに片手剣を手渡された。
あらやだ、準備いいじゃない。
「近場の街で買った数打ち物だが、お前なら充分だろ」
「いやあ、何人か斬ったら終わりでしょコレ」
「文句を言うな」
「分かりましたよ」
そんな悠長に喋っている間、誰も私たちに向かってこない。それもそのはずで、テントの外では縦横無尽に暴れ回るオスカーさんに騎士たちが面白いくらいに翻弄されていた。
いやアンタ達たったひとりに不甲斐なくない?さてはあれか、普段は格下を寄ってたかってイジメるような仕事ばっかりで強敵との戦闘経験皆無な感じ?なんだよハリボテかよ!
そしてそんなへっぽこ騎士たちは、私たちが参戦したものだから一気に総崩れになる。隊長が必死になって立て直しを指示していたけど、熟練者級冒険者3人を相手に劣勢が覆るはずもない。
ていうか私昇格試験をサボってるだけで事実上もう凄腕だし、今まで見た感じだとマインも凄腕級の力はある。なので全く危なげないし、正直負ける気は全然しない。
オスカーさんが森に隠してた騎竜を二頭曳いてきて、マインとともにそれぞれ跨る。私は隊長の馬を分捕ってやった。
「よし、逃げるぞ」
「ま、待て!」
マインの言葉に追い縋ってきた隊長の言葉が被った。
「貴様ら、こんな事をしてただで済むと思うな!」
「ほう、ではどうするつもりだ、言ってみろ」
マインがそう言って睨むと、隊長は目に見えてビビる。もう絶対敵わないのは骨身に染みてるはずだとはいえ、ちょっと弱々すぎるぞおっさん。
「まあタダで済ますつもりがないのはこっちも同じよ」
「な、なに?」
「だからあのボンボンに伝えてちょうだい。アンタのせいで私は国を出るハメになった、って」
私の言葉に隊長の顔が驚愕に歪む。
「な……まさか貴様…、祖国を捨てる気か!?」
「そうさせたのはアンタのご主人様。で、学院卒塔生の国外流出は国家の損失。ということはよ?」
わざわざ一旦言葉を切ってやる。
そして隊長が意味を飲み込んだのを見計らってから宣言してやった。
「その損失を招いた元凶を、陛下がお許しになるかしらねえ?」
そして馬首を巡らして駆け出す。その両サイドにマインとオスカーさんの騎竜がサッと並ぶ。まるで私を護衛するかのように。
「ま、待て!待ってくれ━━━!」
隊長の懇願には、もう誰も応えなかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「女王陛下にご報告を申し上げます」
昼下がりの宮殿のテラスでお茶を楽しんでいた女王の元へ、親衛騎士の伝令がやってきた。
小柄な老女王は表向きは何の反応も示さない。ただカップを持った手が止まったから、分かる人にはきちんと話を聞くつもりなのが分かる。そしてそのことは同席している伯爵夫人にも、伝令の騎士にも正確に伝わっている。
「グロウスター伯爵家の本邸にストーン侯の手の者が押し入りました」
騎士は淡々と事実を告げた。
だが老女王からは反応はない。我が家を襲撃されたと聞かされたはずの伯爵夫人も平然としている。まるでそれが予想された既定事実であるかのように。
「女王陛下」
「許可します」
伯爵夫人は一言だけ、女王に向かって発言の許可を求め、女王はそれを一言で許可した。彼女が何を聞きたいのかは分かっているのだ。
「我が家の損害はいかほどですか?」
伯爵夫人は伝令騎士の方に顔を向け、問いを発した。この場で分からないのはそれだけだったし、それはこの騎士に聞かねば分からない。
「は、グロウスター家の損害は人的物的ともに軽微………ただ、アンジェリーナ様が連れ去られた模様で」
「アンジェリーナ以外の被害は?」
「人的被害の報告はございません。物的には正門の門扉とアンジェリーナ様のお部屋の扉が壊されたとかで」
「あら、じゃあ被害は皆無ね。良かったわ」
伯爵夫人はそう言って、両手をパンと合わせて破顔した。どう見ても連れ去られた我が娘を損害勘定に入れているように見えなかった。
親としてそれはどうなのか。騎士が胡乱な目を向けるが、すぐにそれは失礼だったと気付いて目を伏せた。女王から手だけで退出を命じられ、騎士は拝跪してからそのままテラスを後にしていった。
「陛下、予想通りになってしまいました。大変申し訳ございません」
「いいのよサマンサ、あの子はあれでいいの。だから貴女が気に病む必要はないわ」
サマンサと呼ばれた伯爵夫人が、女王に対して着席したまま上半身だけで頭を垂れて謝罪するが、女王はそれを笑って許した。
「それにあの子なら、好きな時に勝手に逃げ出すでしょうからね」
「ええ、相変わらずのお転婆娘でお恥ずかしい限りでございます………」
「あら、あの子は単に私からの命令を守っているだけよ?」
2年前、16歳になって〈賢者の学院〉を無事に卒塔したアンジェリーナは、他のアルヴァイオン出身の卒塔生たちとともに女王への謁見報告式に出席した。そして同年の国内最高成績を女王自身から誉められ祝福され、女王のお茶会に招待される栄誉を賜った。
そのお茶会で「おそれながら!」と緊張に震える面持ちで訴え出た彼女の顔を、声を、今でも女王は鮮明に憶えている。
彼女は自由に生きたいのだと訴えた。アルヴァイオン国民、女王の臣民としての立場まで捨てるつもりはないし、実家や祖国の迷惑になるようなこともしたくはないが、それでも「自分の自由」を優先させて欲しい、その許可を頂きたいと、彼女は真剣な目で訴えたのだ。
その我儘を通すために彼女は学院でも必死に頑張ったのだと言う。我儘を言っても許してもらえるほど、それが認められるほどの高い成績と実力を身に着けて、自身の有能さを示すことで、その努力の対価としての自由を求めたのだ。
だから、女王はそれを許可した。
出仕は不要、貴族としての義務の履行も不要。ただ女王の臣民としての立場を忘れずに、何かあれば女王の「お願い」を聞くこと。
それが、女王が彼女に出した条件だった。
以来彼女は、在野に身を置きながら女王の私的な手駒として様々な情報を上げてくる優秀な諜報員となったのだ。そしてそのことは、彼女の家族も了承済みである。
ただ当然ながら国内には周知していない。だからこそストーン侯も彼女を手に入れようと動いたのだろう。
「しかし面倒なものに絡まれたわね、貴女の娘は」
「以前にも一度婚約の打診をされたことがございまして、当然断ったのですが。まさか諦めていなかったとは思いませんでしたわ」
「さてあの子はどうするかしらね?やはり国外に逃げるかしら?」
楽しそうに女王は笑う。そうなったらそうなったで、今度は国外の情報を集めてもらうだけだ。
「あの子の性格を考えればそうでございましょう。おそらくは先輩の伝手を辿ってエトルリアあたりでしょうか」
「わたくしとしては、いっそブロイス方面へ行って欲しいのだけれど」
またも女王は笑う。だが彼女にそれを伝えるつもりはなさそうだ。
あくまでも彼女が自分で選んだその結果を、女王は成果として受け取るだけのつもりらしい。
その時、音もなくテラスに降り立った影がある。それまで気配も何もなかったのに、気付くとその影は跪いて頭を垂れていた。
伯爵家の侍女服に身を包んだまま現れたのはオーロラだ。
「ご歓談中申し訳ありません。陛下におかれましてはまことにご機嫌麗しく」
「前置きはいいわ。用件を申しなさい」
王宮まで侵入しておいて型通りの挨拶をしようとする隠密に、女王は穏やかに用件を促す。彼女が誰で、何のために現れたのかすらお見通しであるかのように女王は余裕の笑みを浮かべている。
「我が主、アンジェリーナ・グロウスターからの密書をお届けに上がりました」
オーロラは懐から取り出した親書を主人の母であるサマンサに手渡した。サマンサはそれをやはりオーロラが持参したペーパーナイフで開封し、中の便箋だけを女王に差し出した。
女王はそれを受け取って一瞥する。ふふ、と笑みをこぼしたのは、内容が予想通りだったからだろう。
「やっぱりあの子、エトルリアを目指すのですって」
「やはりそうなりましたか。本当に申し訳ございません」
「いいのよ、先ほども言ったけれど、あの子は自由でいいの」
ああして自由に楽しくやっているのを見るだけでも気持ちが若返る気がするわ、と女王は微笑った。きっとそれが彼女の我儘を許した最大の理由だったのだろう。
ダイアナ・アレクサンドリナ・メアリー・オブ・アルヴァイオン大公爵、御年87歳。老いてますます盛んな女王の若さの秘訣は、案外そういうところにあるのかも知れない。
「では、このオーロラをあの子の供に付けさせますわ」
「まあ、それはいいわね。さすがに知らない土地でひとりきりだとあの子も寂しがるかも知れないわ」
そう言いながら、絶対そんな事にはならないだろうと確信するかのような表情を浮かべる女王である。彼女の逞しさは誰よりも女王自身がよく知っていた。
サマンサから許可の視線を受けて、オーロラは「これにて失礼致します」と一言残して音もなく消えた。
「優秀な隠密を持っているのね伯爵家は。羨ましいわ」
「あれはアンジェリーナが拾ってきた子ですわ。だからあの子の指示がなければ我が夫にすら従いませんの」
「あら、そうなのね」
自身の能力だけでなく、人を見る目も備えているアンジェリーナに目を細める女王である。どうやら彼女への寵愛がまた一段と深まりそうだ。
「それはそれとして、ストーン侯には少しお仕置きが必要かしらね」
女王は手を叩いて人を呼ぶ。それに応えて現れた侍従長に、女王はストーン家の先代侯爵を呼び出すように伝えた。
息子の不始末を親に片付けさせるつもりである。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
二頭の脚竜と並んで夜の街道を駆ける。隊長の乗っていた黒の鬣馬はなかなかの名馬のようで、脚竜のスピードにもちゃんとついて行く。
本人へっぽこだったくせに良い馬もらってんじゃないの。速さは風馬並みで丈夫さは風馬の比じゃないなんて、くそう、この馬ちょっと欲しいかも。
まあ侯爵家の隷印が入ってるから乗り捨てないと足が付くけどね!
「追手はどうやら無いようだな」
マインがそう言ってスピードを緩める。それに合わせてオスカーさんも私も襲歩から駈歩に落とす。
そのついでに、彼に疑問をぶつけてみた。
「ねえ、どうして助けてくれたの?」
「助けたらまずかったか?」
「んー、まあマズかったと言えばそうだし、助かったのもそうなんだけど」
そこで言葉を切ってみるけど、先を促すように朱色の瞳で見つめられた。
「ぶっちゃけ貴方達になんのメリットもないのよね。逃亡幇助のお尋ね者になっちゃったし、国外に出たら少なくとも再入国は無理だと思うんだけど」
「メリットならある」
マインは私を見つめたまま言う。
いやそのキリッとした顔で見つめられるとなんか恥ずいんだけど。
「お前が他人のものにならずに済む」
……………え?
驚いて彼の顔を二度見すると、何だか顔色を隠すように背けられた。
えっ待って?顔赤くなってない?
え?
いやいやいや、マジで?
予想だにしなかった彼の反応が、じわじわと心に沁み込んできて、一気に顔が火照る。
えっホントに?嘘じゃない?からかわれてたりしないよね!?
答えを求めてオスカーさんを目だけで窺うと、何とも言えない表情で微笑んでいた。
いやいやその反応も解釈に困るんですけど!?
お願いだから誰かハッキリ教えて〜!
「さあ、急ぐぞ。このまま飛ばせば、夜明けには船までたどり着けるはずだ」
誤魔化すようにマインが脚竜の手綱をしごいて一歩前に出る。すかさずオスカーが続いて、混乱したままのアンジェラも慌てて追いかける。
混乱したままの彼女は、マインの進む先が港町の方向ではないことに気付いていなかった。ただ今見たものと言われた言葉の整理をつけるので精一杯で、周りを確かめる余裕などすっかりなくなってしまっていた。
だから、なのだろう。
大きな失敗をしてしまったことに彼女は気付かなかったのだ。