傘と喧嘩とあと一つのもので終わる幸せな日
男主人公/一人称
「ねえ」
彼女の声が誰もいない小さなファーストフード店に響いた。客は俺達の他にいない。もちろん店員も。
「あたし、傘を家に忘れてきちゃった。おとといに、あなたに貸したら壊れて帰ってきた花柄のやつ」
「……あの傘を手元に置きたい気持ちは分かるが、今言うことか?」
俺はうんざりしてそう言った。状況を気にせずに発言する、こういう所が少し面倒くさい女だ。
「今だから言うんでしょ? あれお気に入りの傘だったのに!」
「悪かったよ」
「誠意のない謝罪だわね」
しかめっ面で嫌味を言われる。
こんな日にお互い機嫌が悪いのはさすがに嫌だ。ふと窓の外を眺めて、喧嘩とは無縁そうに飛ぶ鳥を見つける。羨ましいな、と息をついた。
ダメかもしれないが、空を見て浮かんだ代案を言ってみる。
「次買って返すよ。お前がもっと気に入りそうなやつ」
落ち着かせようと思い彼女の手を軽く叩くと、幸いにしてすぐに笑顔になってくれた。
「ほんとに? 次も会ってくれるの? じゃあまた相合い傘してくれる? いつも恥ずかしいからイヤだって言うじゃない! 結局二人で一つの傘を差したのは一年前だけ。あの一回だけだったからあの傘、大切にとっておいたのよ?」
彼女の発言に俺は苦笑する。そりゃあ人目の多い所でねだられても困る。ただでさえ普通に二人で歩いていても『新婚さんねぇ』と冷やかされるのだから。
しかし、壊してしまったのは事故とはいえあの傘を大切にしていたことは知っているし、今日みたいな日くらいはサービスしよう。
そう決めて、キラキラした瞳を見返しながら
「当たり前だろ。次の人生も、お前の気に入った傘で歩こう。雨だろうと晴れだろうと付き合ってやる」
と微笑んでみせる。クスクスと愉快そうに彼女は笑った。
「二人きりになれてよかった。愛してるわ」
やっと楽しげに笑ってくれた彼女を見て安心する。
「俺も愛してるよ」
世界が終わる日に一緒にいれたことが本当に嬉しい。
外から聞こえる逃げ惑う人々の怒号を無視して、俺は彼女にキスを落とした。