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1話

数寄屋(すきや)! ビールがなくなりましたわ! 新しいものを持ってきてちょうだい!」

 空き缶や脱ぎ捨てられた衣類で雑多に散らかった六畳間。その扉をわずかに開けて、芳野椰(よしの・やし)は廊下に向かって叫んだ。

 その声に反応して、隣の部屋からメイド服の若い女、数寄屋が、のっそりと姿を現した。その顔には呆れとも諦めともつかない複雑な表情が浮かんでいる。

「お嬢様。昼間から飲みすぎですよ」

「チッウッセーナまだロング缶四本ですわ。そういう説教は二桁行ってからにしてちょうだい」

 床に直接寝そべって、ぼさぼさの髪を整えようともしない主人の姿に、数寄屋は頭の痛くなる感覚を覚える。

「せっかく大学生の春休みは二か月もあるんですから、このまとまった時間を使って何か自分を高めたりしたらどうです」

「スマブラとスプラと雀魂のレートを高めてますわ」

「人間としてのレートは下がる一方ですね」

 足元に転がるゲーム機たちに、思わずため息が漏れる。

 屋敷に住んでいた頃から不規則だった椰の生活習慣は、大学の寮に入ってからの一年間で、とめどなく悪化した。講義のある日は数寄屋が無理やり叩き起こして講義室へ引きずって行ったりしていたが、夏休みと春休みは、寝たいときに寝て眠れないときは起きている、という生活が続くようになっていた。 

「今日は新しい寮生が来るんですから、第一印象くらい良くしようと思わないんですか」

 お母さんになったような気分で、腰に手を当てて尋ねる。

「まったくもって思いませんわ」

「せめてジャージを脱いで、外行きの服に着替えるとか」

「寮内では、これがわたくしのドレスコーデですの」

「寝癖を整えるとか」

「ナチュラルヘアーですわ。巷で流行っていますの」

「…………こんのクソ屁理屈引きこもり小汚ニートが」

「言葉選びがメイドのそれじゃありませんわ!」

 駄目な子供を前に心の折れた目をする数寄屋。

 椰は不貞腐れたように半開きの扉から廊下を見やった。

「そもそも、わたくしだけ取り繕ったところで、この最底辺廊下を見られたら意味がありませんわ」

 そこらに置きっぱなしにされている私物の数々。ポスターが壁に貼られ、本棚が勝手に外に設置され、靴が乱雑に散らかっている。自室では使用不可とされている寮生各々の炊飯器は廊下のコンセントに繋がれて埃をかぶっている。

 自室にしても、椰のように扉をきちんと閉めて住む者ばかりではない。ドアを開け放し、プライバシーを常に公開している寮生も少なくない。

「入寮して丸一年経つのに、その最底辺の人たちとすら打ち解けられていないのは誰ですか」

「しょ、庶民と慣れ合うなど金持ちのすることではありませんわ! そんなことより喉が渇いたわ早くビールを持ってきてちょうだい」

 早口でまくし立てる。

「少しは水を挟んでください。下手な飲み方すると病院送りになりますよ」

「酒でぶっ倒れたとしたら、それはわたくしがクソ雑魚だっただけのことよ。酒は悪くないわ」

「誰が悪いかなんて話はしてませんし結局はメイドの私の責任問題になるんですよ」

 そんな話をしていると、ぴーんぽーんと、寮のチャイムが鳴った。

「おーい、芳野。お前の妹君だ。玄関来い」

 寮長が駆け足で椰を呼びに来る。

「お嬢様。出番ですよ」

「わたくしは末っ子ですわ。妹なんていなくてよ」

 姉妹制度。寮に残る、伝統という名の時代遅れの風習である。

 上回生と新入生の一対一で姉妹となり、お姉さまが妹君に対して寮のルール、大学の過ごし方などを指導する制度。

 姉妹と言っても、結局のところお嬢様学校でも何でもない、ただの田舎の大学の学生寮だ。タイが曲がっていてよと上回生がタイを整えたりはしない。

 ただネーミングが重いだけの、緩いつながりだ。

「たしかに寮のシステム上仕方ないとはいえ、末っ子として甘やかされわがまま放題に育ってしまったお嬢様を姉扱いしなければならないとは、新入生の子が可哀相すぎますね」

「やかましいですわ! でもその通りそもそも寮のシステムが間違っていますのよ。人は一人で育っていくものですの。なんでもかんでも姉貴分に教えてもらわなきゃいけないような人間は寮に入ってくるべきではないのですわ」

「ならビールくらい自分で取りに行ってください」

「クソ面倒ですわ~~~~~~~~。ビールも妹君も。数寄屋、代わりに行ってきてちょうだい」

 ごろごろと床を転がる……ようなスペースもないので、じたばたと手足を動かして駄々こねる。

「お嬢様。そろそろいい加減にしないと禁酒法発令しますよ」

「横暴ですわ! 我々庶民を不当に弾圧する政治家に裁きを!」

「メイドを雇える庶民がどこにいるんですか。ほらほらさっさと立ち上がる」

「ぐえー」

 両手をつかまれた椰が、幼児のように引っ張り上げられる。

「すみません、寮長も手伝ってください」

「あいあい。君ら二年生になっても相変わらずだな」

 苦笑しながら、慣れた様子で椰の右手を取る。

「本当、困ったものです」

 数寄屋は椰の左手をがっちりとつかみ「ぐえ」二人で部屋から引きずりだした。

 ずるずる。引きずって玄関へ。

「いやーごめんね、お待た、せ?」

 寮長の対外的な明るい声の末尾に、困惑の色が混じる。

 足元の大きなキャリーバッグに加え、パンパンに詰め込まれたリュックサックを背負ったショートカットの新入寮生。

 彼女は興味津々といった様子でキョロキョロと周囲を見回しながら、もっちゃもっちゃと肉まんを食べていた。

「おふぁひひはっふ!!」

 彼女は寮長と数寄屋、その後ろで引きずられる椰の姿に動じる様子もなく、笑顔で敬礼した。もぐもぐしたまま。

「君さっき肉まんなんて持ってたっけ?」

「食べたくなって、コンビニ行ってきたっす!」

「行動力の化身だねぇ……」

 若干引いたような寮長の反応。

 コンビニは確かに寮から走れば一分もかからない距離にある。が、初めて来たであろう土地で、寮長が外している間に行こうという発想には普通ならないだろう。

「ほら、お嬢様。妹君の前ですよ。せめて自分の足で立って挨拶してください」

「わかっていますわ。ふぅ……」

 すっと立ち上がり、長い黒髪を右手でぱさっと広げる。先までの醜態は幻覚だったのではと思わせる、高貴な立ち振る舞い。

「…………………………あ、えっと、ご、ごきげんよう。わたくし、その、芳野です。といいますわ……」

 正面向いて挨拶しようとすると、声が出なくなった。コミュ障特有の習性。そそくさと数寄屋の陰に隠れて、ぎりぎり自己紹介を済ませる。

「芳野先輩っねす! よろしくっす!」

 そんな椰の変貌ぶりにも動揺することなく、彼女は敬礼姿勢のままハキハキと自己紹介した。

「ボクは間豊色(はざま・からー)っす。豊かな色って書いてカラーって読むっす」

 一人称がボクだったり、とんでもないDQNネームだったりで、思わず恐々とする。

「私は数寄屋といいます。椰お嬢様のお目付け役ですので、カラーさんも何かあったら私までご報告ください」

「数寄屋先輩っすね! 先輩ってメイドさんなんすか?」

 庶民的な大学の、普通にボロい寮にメイド服の女がいたらそれは気になって当然だろう。一年前、椰たちが入寮したときも相当訊かれたことだ。

「ええ。そうですよ。と言っても私もただの二回生なので――」

「メイドさん! すっげー初めて見たっす! あれっすか? この寮の使用人みたいな?」

「いえ、私はあくまでお嬢様のお父様に雇われた、専属のメイドです」

 顔色悪く後ろに隠れる椰を指して、粛々と自己紹介を進める。

「え、それじゃあもしかして、芳野先輩ってめっちゃすごいお金持ちなんすか?」

「芳野グループってご存じですか? そこの令嬢です」

 芳野グループ。日本でも有数の財閥であり、日本人なら誰もが知る名前。

 ゴミと洗濯ものであふれた汚部屋に寝そべり、五本目のビールを自分で取りに行くでもなくメイドに持ってこさせようとする自堕落酒クズ大学生(昨年度取得単位一桁)である芳野椰こそが、その芳野財閥の末っ子であった。

「わー! たしかに、言われてみるとそんな感じあるっすね!」

 あるか? とその場の人間全員が思う。

「お嬢様ってやっぱあれっすか? 腕を組んで見下しながら『庶民と一緒にしないでくださる?』とか、ファミレスで『こんな豚の餌食べられませんわ!』とか言ったりするんすか!?」

 やたらと興奮した様子。リアルお嬢様であると知ると大体の人が驚きつつ距離を取り、少数がお金目当てに近づいてくる。が、カラーはそのどちらとも違うというか、ただただ『お嬢様』というキーワードに興奮しているような感じだ。

「お嬢様は見ての通り庶民派ですから、そういうことは言いませんね。ですが、無駄にマウントを取りたがるので、キレた時は権力を振りかざしてきますよ」

「そうなんすね! 先輩ちょっとキレてもらってもいいっすか!?」

「え、や、いきなり言われても…………」

 突然雑に振られて、返答に窮する。

 キラキラと好奇心に満ちた目を向けられ、喉に異物の詰まる感覚を覚える。

「ちょっと数寄屋。この子なんなんですの。どうにかしなさい」

 腕にしがみつき、小声で助けを求める。

「よかったじゃないですかお嬢様。お友達ができそうで」

「数寄屋にはこの出会いからお友達になる未来が見えますの!?」

「だってお嬢様への好感度爆上がりですし」

「わたくし何もしていませんわよ?」

「友人関係というのは、打算で組み上げるものではありませんから。気づいたらなっているものなんです」

「なんか良いこと言った風ですけど、これそういう流れじゃありませんことよ?」

 小声で延々とやり取りしていると、

「そんじゃ芳野。妹君に寮の案内をしてやってな」

 面倒くさくなったのか、数寄屋がいるから大丈夫だと判断したのか、寮長はそれだけ言って去っていった。

「えー……」

 残された三人。え、どうしろと。

「どうしろもこうしろも、寮内を案内してあげれば良いのでは? とりあえずカラーさんのお部屋まで案内してあげましょう」

「おなしゃっす!」

 相変わらずテンションが高い。こういうノリ苦手ですわぁと思いつつ、「……しゃーないですわね」観念する。

 歩き出そうとして、ふと気づいた。

「…………それで数寄屋、間さんのお部屋はどこですの?」

「お嬢様の隣ですよ。一週間くらい前から張り紙してあったでしょう」

 そうだったかしら、と首をひねる。

「それと、寮内を案内しようにも、わたくしもあんまりこの寮のことわかっていませんわ」

「基本部屋とトイレの往復ばかりですからね……。仕方ないので私が二人まとめて案内して差し上げます」

「わたくしはどうせ使わない場所ばかりですから、案内する必要はありませんわ」

 なぜか胸を張って偉そうに言う。

 事実、炊事洗濯その他もろもろの生活に必要な行為はすべて数寄屋がやってくれているため、椰は入寮してからの一年、自室とトイレと風呂場と玄関以外には立ち入ってすらいない。

「お嬢様が覚えていないせいで私がカラーさんを案内することになっているんですが?」

「可哀相ですわね」

「同情するならきちんと寮のことを覚えてください。ともあれ、まずはお部屋への案内です。お嬢様、カラーさんの荷物持ってあげてください」

 ぎっしりと詰まったリュックを背負い、足元には大きなキャリーバッグ。カラーの小柄な体格では、より一層重そうに見える。

「大丈夫っす! 自分で運ぶっす!」

「遠慮なさらないでください。お嬢様は甘やかすといくらでもつけあがるので、多少厳しいくらいがちょうど良いんです」

「使用人が主人を顎で使おうとしますの……」

 不満を漏らすが、こういう時の数寄屋は梃子でも考えを変えない。結局椰がキャリーバッグを引っ張っていくことになった。

「も、持ち上がりませんわ……」

 階段を前に、挫折した。

 ニンテンドースイッチより重いものを持ったことがない椰には、限界まで詰め込んだキャリーバッグが巨石のごとく感ぜられた。ぜぇぜぇと息を切らす。

「日ごろからろくに身体を動かさないからそんなに貧弱になるんです」

「スプラトゥーンでは縦横無尽百鬼夜行の大活躍ですのよ」

「お嬢様には体育だけでなく国語の授業も必要そうですね」

 数寄屋は椰が悪戦苦闘したキャリーをひょいと持ち上げ、スタスタと階段を登っていく。

「これがボクの部屋っすか」

 備え付けの机と椅子、ストーブ以外何もない、がらんとした六畳間を見まわして、少しだけ嬉しそうに言う。

「椰先輩は、やっぱり入寮したとき『こんな豚小屋に住めと言いますの!?』みたいなこと言ったんですか?」

 なんかやたらとキラキラした目で尋ねられる。玄関でぐいぐい来られた時もそうだったが、彼女はお嬢様やメイドといった非日常的なものに強い関心を抱いているのだろうか。

「豚小屋とまでは言いませんでしたけれど、牢屋か何かかなと思いましたわ」

「おおーっ、お嬢様っぽい!」

「っぽいですか……?」

 数寄屋の疑問をよそに、カラーは一人で興奮する。

「それより数寄屋、早く寮内を案内しなさい。わたくしは忙しいんですの」

「忙しいって、どうせソシャゲのイベント期間中で周回しまくっているだけでしょう」

「無課金で課金勢とまともに戦うには、時間を湯水のごとく消費する必要がありますの。時は金なりですわ」

「先輩、お金持ちなのに無課金勢なんすか?」

「他人の金で成り立つゲームにフリーライドするのが至極の愉悦ですもの」

「その割にはお嬢様、そのゲームでよくブチギレてますけどね」

「うっさいですわ。さっさと案内なさい」

「はいはい。それでは間さん、疲れているところ申し訳ありませんが、寮内の案内をしてもよろしいですか?」

「お願いするっす! あ、そうだ」

 思い出したように言う。怪訝そうな顔の椰と数寄屋に、再び頭を下げる。

「これから、よろしくお願いします! 芳野先輩、数寄屋先輩」

 はつらつとした声。

「ええ。よろしくですわ。間さん」

「よろしくお願いします。カラーさん」

 こうして、間カラーを妹君として迎えた椰の、大学二年生、入寮二年目の生活が始まった。


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