アガパンサス
※主人公視点
※2018年9月6日一部修正いたしました。
「…ここはどこだろう?」
目を覚ますと、見慣れた僕の世界とは違うまるでヨーロッパの町並みのような建物がズラリと並んでいた。
足元に視線を向けるとアスファルトではなく、びっしりと敷き詰められた石畳でなにやら物語の中にでも入り込んでしまったかのような感覚に陥る。
再び視線を戻すと町を歩く人々の格好も中世やそこらの年代で見るような古めかしさが感じられる。
一方で僕の格好は帰宅途中だったこともあり、普通にブレザーだ。
周囲から怪しむような目で見られるのは無理もなく、それまで感じていた物語の中に迷い込んできた感覚はあっという間にどこかへ吹っ飛んでいった。
「ど、どうしよう…怪しい者じゃないって説明したところで普通に怪しいよな。
というか、そもそも言葉は通じるのか!?
ってか、ここ本当にどこ!?」
キョロキョロと落ち着きのない動きはより怪しさを際立たせ、気づけば町の人たちがヒソヒソと内緒話をし始めたではないか。
その中の一人が近場にいた兵士の男性に声をかけているのが目に入る。
おそらくここに居続けたらまずい。
かといって、ここがどこかもわからないのに下手に動いたりしていいものなのだろうか。
いつも大ちゃんに判断を任せていたせいか、こういう時に自分がどういった行動に出ればいいのか判断しきれない。
下手に動いて状況を悪化させてしまったら、もっとややこしくならないだろうか。
不安からか思考は悪い方ばかりに傾き、あれこれと考えてしまってか頭の中はもうぐちゃぐちゃだ。
きっと今僕の顔はひどく青ざめているに違いない。
誰か、この場をどうにかしてくれないだろうか・・・。
町の人から怪しい男がいると聞きつけた兵士がじりじりとこちらに近づいてくるのがわかる。
(嗚呼、終わった・・・)
僕の二度目の人生はこれで終わりなのかもしれない。
半ば諦めかけたその時、背中に何か、いや誰かがぶつかってきた。
「す、すみませんっ!」
ぶつかってきた人物は薄い茶色のローブですっぽりと覆われていて、顔もよく見えないが、声と体格で女性だということがわかる。
僕の後ろは人一人が通れるほどしかない狭い路地だったようで、なにやら慌てた様子で走ってきた彼女は路地を抜けた先で突っ立っていた僕にぶつかってきてしまったらしい。
その慌てようから尋常ではない出来事に巻き込まれていることは明白だった。
彼女が通ってきた道を覗き見れば僕に近づいてきた兵士と同じ服装をした男たちが縦一列になって複数人追いかけてきており、彼女はどうやらその追手から逃げてきたようだ。
「あのっぶつかってしまって本当に申し訳ありません。
お怪我はありませんか?」
「だ、大丈夫です。それより貴女追われてるんでしょう!?早くここから逃げないと!」
自分のことより僕のことを心配する彼女が悪いことをしたとはとても思えない。
きっと追われていることには何か理由があるに違いないと思った僕は後先も考えず、彼女の手を取り、その場から勢いよく走り出した。
途中、背後から僕に近づいてきていた兵士が呼び止める声が聞こえるが今は関係ない。
この子を安全な場所まで連れて行かなければ。
「あ、あのっどうして・・・」
「見ず知らずの他人を心配するような人が悪い人だとは思えない。
それに困っている人を見過ごせるほど僕は人でなしではないつもりだからね。
僕、この土地に来るの初めてだから全然道とか分からないけど、とにかく追手が来ないところまで君を連れて行くよ!」
「!?それなら!行きたいところがあるんです!!
お願いです。そこに連れて行ってはくれませんか!?」
「分かった。けど、道わかんないから道案内は任せていいかな?」
走りながらだったこともあり、会話は少なめだったが、彼女には何か目的があることだけはわかった。
それが追われている原因に繋がっているのかはよくわからない。
けれども、彼女が今頼れる人間が僕だけだという事実が何も出来ずに一度死んでしまった僕にはとても価値があることのように思えた。
僕がこの子を全力で守るんだ。
だが、彼女を目的地まで送り届けるのは思っていたよりも大変なことだった。
彼女は追われる身であるし、僕の格好はここに住まう人たちとはまるで違っているため非常に目立つ。
そのため、出来る限り表通りを使うことは許されず、人気の無い道のりを彼女に道案内されながら進むほかなかった。
日の光がまったく差し込むことがなく、影がすべてを覆う。
日の光を浴びてカラカラとしている表通りとは真逆でじめじめとした湿気の中をひたすら進み続ける。
空気の通りもあまり良くないからか、なんだかとても息苦しい。
振り向けば後ろを付いてくる彼女もひどく疲れた様子で、呼吸が荒く、フードから僅かに覗く頬は赤く染まっていた。
「大丈夫?少し休もうか?」
「い、いえ、大丈夫ですので御気になさらず。
それよりも追手が来る前に目的地へ急ぎましょう。」
特にこれといって会話はなく、彼女が発する一言二言の道案内で僕らは進み続けた。
時折、どうしても表通りに出なければならず、足早に表通りを通り抜けることはあったが、ここまで見つかることはなく順調に目的地へと進めているような気がする。
むしろ順調すぎるくらいで胸の奥で本当に大丈夫なのだろうかという不安に苛まれることもあった。
だが、それも初めて足を踏み入れる土地の風景を目にするたびに薄れていったように思う。
僕が知らないこの場所について知りたい、そんな土地への興味が不安に勝ったのだろう。
「…ところで、ここはなんていう国?
僕の住んでいたところとは全然違うのだけど、ヨーロッパのどこか?」
「ヨーロッパ?
ヨーロッパというのはよくわかりませんが、ここはアリウム王国という国です。
とても小さな国なので、隣国と比べると国と呼べるほど力があるわけではありませんが。」
「アリウム王国か…聞いたこともない国だな。」
「地図上でも探すのが大変なくらい小さな国なので、知らなくても無理はないかと思いますよ。
貴方は見たところ異国の方のようですが、どちらのご出身で?」
「僕は日本っていう島国から来たんだよ。
どうやってこの国に来たのか自分でも全くわからないんだけどね…」
「まあ!それはさぞ苦労なされたのでは?
ここに来た記憶がないということはもしかして一時的な記憶喪失とかでしょうか?
けれど、ご自分のことはきちんと覚えていらっしゃるなら安心ですね。」
「うん…?記憶喪失というのとはまた違うような気もするけど、ひとまずそれでいいや。」
「ん?ところで日本という国はどういった国なのでしょうか?
その服装、こちらでは見たことのない作りをしていますし、この国に来たばかりならさぞ好奇の目に触れられたかと。
私も貴方の国は存じ上げないので、とても気になります!」
「えーと、服装についてはブレザーって言って学校の制服かな。
日本ではよくある服装だし、学校によって種類も豊富だよ。
あと、日本はアリウム王国とは違ってビルが多いかな。道もアスファルトだから夏場とか暑いんだよね…」
「ブ、ブレザー?ビル?ア、アスファルト?
それは呪文か何かですか?」
「それも知らない!?アリウム王国ってどんだけ発展しきれてないの!?」
最初こそ何を話したらいいのか分からず、だんまりを決め込んでいたが、思い切って話しかけてみて良かったのかもしれない。
彼女は親切に僕の知らないこの国のことを教えてくれたし、僕の話も真剣に聞いてくれる。
ついさっき知り合ったばかりだというのに彼女と過ごす1分1秒がとても心地よかった。
「あ、そろそろ目的地に着きそうですね。
本当はもっと人気の多い場所を通った方が早く着くのですが、私のせいで遠回りになってしまって…」
「い、いや僕の方こそ。
むしろ町の人たちから変な目で見られて逃げ出したかったところだったから、ありがたかったよ。」
「大変だったみたいですね。けど、お役に立てたのであれば良かったです。
巻き込んでしまったみたいで申し訳なかったので。
でも、ここまでの道中とても楽しかったですよ。」
「うん、僕も。」
名残惜しかったが、別れはすぐそこまで迫ってきていた。
彼女が行きたがっていた目的地は目と鼻の先。
楽しい時間はあっという間に過ぎるとはよく言うが、本当にその通りだった。
すると、そんな僕の気持ちを察してくれたのか彼女は最後にと、僕を連れて目的地にあるお気に入りの場所へと案内してくれた。
町から離れた人の気配のない小さな丘の上。
その丘を登りきったところから見えるのは今まで僕たちが歩いてきたアリウム王国の町と真っ赤に染まった綺麗な夕焼け。
それと彼女がどうしてもここに来たかった理由の一つである辺り一面に咲く花畑だった。
「今の時期がちょうど見頃なんです。
けれど、私はあまり家から出られない身なので。」
満開に咲く色とりどりの花を背に、こちらを振り向いた彼女は夕日に照らされてとても美しかった。
それまで目深に被っていたフードが振り向きざまにはらりと脱げ、隠されてきた素顔が露わになる。
ふわふわとウェーブのかかった銀髪は夕日の光を浴びて透き通っていて、翠色の瞳は宝石のようにキラキラと輝いて見えた。
にこりと微笑む表情は一面に咲く花のように綺麗で僕は胸の奥が自然と熱くなるのを感じた。
言葉が出てこなくなるくらい、その時の僕は彼女に釘付けだったと思う。
もしこの感情に名前をつけるのならば、恋だろうか。
僕は見知らぬ地で出会った彼女に一目惚れしてしまったらしい。
「そういえば、自己紹介がまだでしたね。
私はアン・アリウムと申します。」
「ぼ、僕は木村縁!縁でいいです!」
だが、僕は彼女の美しさに見惚れてしまって気づくのが遅かった。
彼女が追われていた理由も、どうして家からほとんど出ることを許されないのかも、その姓一つで理解できたというのに。
「…ここまで連れてきてくれて本当にっ、感謝、しています。」
「い、いえいえ。そんな改まらないでください!!
僕が自分でしたくてやったことですし。
それより息が荒いですけど大丈夫ですか?顔も赤いし…」
「だ、大丈夫です!心配は要りませんよ。
縁さん、ありが、とぅ…」
「っ!?アンさん!?大丈夫ですか!?アンさん!?!?」
顔色が悪くなったかと思ったら彼女はその場に膝をつくようにして倒れ込み、ゲホゲホと苦しそうに咳を繰り返していた。
僕はどうしたらいいのかわからずアワアワとするだけで、突然のことに頭が真っ白になって何も考え付かない。
そんな時、救いの手を差し伸べるかのように近場から声が聞こえてきた。
「姫様ー!!どこに居られるのですか?いらっしゃったら返事をしてください、姫様!!」
僕は神にも縋る思いでその声の人物に助けを求めることにした。
「すみませえええええん!!!助けてくださあああああい!!!!」
「!?どうかしましたか?どこにいらっしゃいますか!?」
「女の子が倒れてしまって!!!花畑の方です!早く来てください!!」
僕がこれでもかと発した大声に反応してくれた声の主は慌てて僕らの方に駆け寄ってきてくれた。
だが、なんとか助かったとホッとしたのも束の間、声の主である女性は僕らの方に視線を向けると一瞬言葉を失い、みるみるうちに凛々しい顔が青ざめていった。
「ひ、姫さまああああ!!大丈夫ですか!?何があったんですか!?!?
どうか返事をしてください、姫様!!」
今度は僕が言葉を失う番だった。
倒れているアンをゆさゆさと揺すりながら声をかけ続けている女性は彼女を確かに”姫”と呼んだのだ。
そこでようやく僕はアンから教えてもらったこの国の名前と彼女の苗字が同じであることに気がつく。
何かとんでもないことをしてしまったのではないだろうか…。
僕は頬に冷や汗が伝うのを感じた。
それだけではない。
一国のお姫様を連れ回した挙句に彼女が倒れ込んでいるこの状況は非常にまずい。
一度は落ち着いた焦りが再び全身を駆け巡る。
ふと、視線を感じて女性の方へと顔を上げれば、彼女が僕に対して鋭い眼光を向けているのがわかる。
(嗚呼、今度こそ終わった…。)
本日二度目となる身の危険に顔面蒼白だったことは間違いないだろう。
「お前っ…!!!姫様に何をしたあああああ!!!!」
そこからの女性の行動は早かった。
僕に敵意を向けると腰に差してあった剣を抜き、喉元に突きつけてきたのだ。
身動きも取れず、僕はただただ言葉を失うほかなかった。
アガパンサス ≪恋の訪れ≫