クチナシ
※主人公視点
それはある日の配達途中のことだった。
「あれ?」
「あっ、縁さんお久しぶりです!」
町中で偶然にもアンに遭遇したのは。
宮殿の中にいる時とは違い、町の人たちの中に溶け込むかのように落ち着いた色合いのワンピースを着て、長い髪も三つ編みにして邪魔にならないように後ろでまとめたアンはベンチにちょこんと腰掛けていた。
「どうしたの、こんなところで?」
「今日はお忍びで町にやってきました!」
今日は体調も良かったのだろう。
とても嬉しそうに出歩けることを語るアンは顔色もよく、特に無理している様子も見られなかった。
「おっ!姫さん今日はお忍びかい?」
「こんにちは、エルベルトさん。
先日は一晩泊めていただいて本当にありがとうございました!
父も母もとても感謝していましたよ。」
「困っている時はお互い様だからな、気にしないでくれ。」
「それでも救われたことに変わりはありませんから。
改めてお礼をしたいので、今度は是非宮殿にも遊びに来てくださいね。」
「あぁ…気が向いたらな…。
それより一人じゃつまんないだろうからコイツ貸してやるよ!」
「エ、エルベルトさん!?僕は物ですか!?!?」
「ありがたくお借りしますね。」
「姫様まで!!」
エルベルトさんは僕にこっちに来いと手招きすると小声で「頑張れ」とアンと過ごす時間を与えてくれた。
何もそこまでしてくれることないのにと思いつつも、内心喜んでいる僕がいるのも事実。
僕はありがたくアンと過ごせる時間を楽しむことにした。
しかし、当然のことながら彼女が一人で来ているはずもない。
以前のように抜け出してきたわけではないので、彼女の傍には護衛がバレないように潜んでいた。
いつもは穏やかな町の中が少しだけピリピリする。
ふと視線の先を辿るとカフェで本を読んでいるフリをした中年ほどの男性がじっとこちらを見ている。
何かしたら一発でアウトだ。
僕は何か仕出かさないようにとだけ心がけることにした。
というか、もう少しバレないように努められないものだろうか。
あんなにじっと見られていたのではバレバレである。
当然のことながらアンは護衛がいることくらいわかっているはずだろうが、久しぶりに町に出てきたことが嬉しいのかあまり気にしている様子はない。
まあ、普通にしていれば厄介なことに巻き込まれることもないだろう。
僕はため息を一つこぼしてアンにどこへ行きたいのかを尋ねた。
「ここを移動する前に少しだけ待っていてくれませんか?」
「ん?」
「連れがお手洗いに行ったまま戻ってこないので。」
「連れ?」
「すっ、すみません姫様ぁ~!!お待たせしました~!!」
「ナーディア!?」
「あっ、いつかのチューリップの人!!」
「木村縁です…」
噂の連れとはメイドのナーディアのことだったらしい。
僕はてっきりマリエッラだと思ったのだが、今日は彼女の姿は見られない。
その代わりに小さなメイドさんがアンと同じように目立たない服装で僕の前に立っていた。
「珍しいね、アンがマリエッラを連れていないなんて。」
「忙しそうだったので。その代わりにナーディアに来てもらったんですよ。」
「マリエッラさんほど有能ではありませんが、私だって姫様のお世話をさせていただいていますからね!」
「すっごいドヤ顔で言ってるけど本当に大丈夫なの?
なんか不安しかないんだけど…」
「失礼ですね!!私だっていざとなったら姫様をお守りすることくらいできますよ!」
「ちなみにナーディアは何が出来るの?
マリエッラみたく武器とか持ってないよね?」
「ふっ!私に武器など必要ない。なぜなら私そのものが武器だと言っても過言ではないのだから!!」
もしかして見た目によらず格闘技とか出来ちゃったりするのだろうか。
僕よりずっと年下に見える彼女が姫様付きのメイドなんてやってたりするのだから何かあっても不思議ではないかもしれない。
実は凄く強くて、頼りになるとか!?
僕はナーディアのことを侮っていたかもしれないと彼女に対する評価を改めた。
「見てなさい!この何人たりとも寄せ付けない足をっ!!!!」
「…………」
なんだこれ…
気がつくとびゅーんという効果音が似合うほどに遠くの方まで走り抜けるナーディアの姿があった。
武器っていうかただ単に逃げ足が速いだけなのではないだろうか。
「これ、役に立つの?」
「さあ?」
隣でニコニコとしているアンにもナーディアの俊足が役に立つかはわからないようだった。
まあ、万が一アンが倒れたりしたら医者を呼びに行くのには使えそうだが。
しばらくして勢いはそのままに特に息が上がっているでもなく余裕の表情で戻ってきたナーディアは僕の前に立つと再び渾身のドヤ顔を決めてきた。
無性に腹が立ったので、僕はその辺に落ちていた木の棒切れを拾うと「取って来ーい」と彼女の真後ろに投げてやった。
するとどうだろう。
特に反発するでもなく、投げられた棒切れを追って走り出したではないか。
僕はぽかんと口を大きく開けたまま固まるほかなかった。
「ねぇ、お前犬なの?」
「走らせておいてなんなのそれ!?失礼にも程があるわよ!!
せっかく拾ってきてあげたのに、感謝くらいしなさいよ!
って何これ!?ただの棒じゃない!!!!」
「……なんかごめん…」
あまりにも残念すぎるナーディアの姿に僕は「やっぱお前バカだろ」と言いかけた口をそっと閉じた。
純粋、そうとても純粋な子だと思おう。
僕は残念すぎる彼女に色んな意味を込めて謝罪した。
それからナーディアを含めた三人で僕らは町を歩いて回った。
町一番の市場は活気付いていて、人で溢れんばかりで。山々に囲まれたアリウム王国で採れた山菜や近くの村々で採れた新鮮な野菜に果物が色鮮やかに並んでいる。
時々、アンに気づいた町の人たちがお土産にと品物を分けて与えてくれて、彼女がどれだけ町の人たちに愛されているかを思い知らされる。
同時にお忍びなのにそんな簡単にバレてしまっていいのかとも思ったが。
僕たちが歩いた少し後ろの方には護衛の兵士たちが近すぎず遠すぎずの距離を保ちつつ歩いている。
時折、仕事中の彼らを労うように差し入れを配る町の人たちの姿も見られた。
市場の次には大きな噴水の前で戯れる子供たちに混ざって歌ったり踊ったり、たくさんお喋りをして過ごした。
アンが来た瞬間に子供たちが一斉に集まってくるあたり、町の大人だけでなく、子供たちからも愛されているのであろう。
その後も町の中を歩くたびにアンは町の人たちに声をかけられていた。
目の前に広がる優しい世界はきっと国王陛下や王妃様が築き上げてきた国民との信頼関係やアンの人柄の良さがあってこそ作り上げられたものだろう。
よそ者の僕がその輪の中に入るのは少しばかり勇気がいる。
僕もその一人になれるだろうか。
少しばかり抱いた不安を取り除くかのように彼女は僕に笑顔を向けてくれた。
「そろそろあの場所に行ってみませんか?」
アンの提案で僕らは彼女と最初に訪れた丘の上の花畑へと足を運んだ。
ちょうど見頃だったと言っていた以前と比べると少しばかり咲いている花は少なく感じられたが、爽やかな風が色とりどりの花びらを運ぶ光景はいつ見ても綺麗なものだった。
風で舞った花びらは僕らが先ほどまでいた町に降り注ぐかのように視界に映りこみ、遠くに見える国を囲む山々や辺り一面に広がる緑が自然の豊かさを感じさせる。
あの時のようにオレンジ色に染まった空に照らされ、幻想的な空間に僕は酔いしれた。
「やっぱりここは綺麗な場所だね。」
「ええ。なんと言っても私の一番のお気に入りの場所ですからね!」
僕の隣に立つそのさらに隣に立っていたナーディアはあまりの美しさに言葉を失っていた。
いつもの騒がしさはなく、瞬きを忘れるほどに目を輝かせる姿は思わず笑ってしまうほど。
小さく笑った僕にナーディアは気づきもしなかったが。
「ここは、私の兄が教えてくれた場所なんです。」
「へぇ~、アンにお兄さんがいたなんて初めて知ったよ。」
「私も今初めて話しましたから!」
「こんな素敵な景色を教えてくれるなんて、きっと素敵な人なんだろうね。」
「それはどうでしょう。
けれど、いつか縁さんもお会いになれる時が来ると思いますよ。」
「じゃあ、その時を楽しみにしとくよ。」
名残惜しくも僕らは沈み行く夕日を背に花畑を後にした。
あの時と違うのは、隣で笑ってくれる彼女がいるということ。
僕はようやくあの時の彼女の願いをちゃんと叶えてあげられたような気がした。
クチナシ ≪とても幸せです≫