海を見たカエル
1 畑の井戸
カエルのポンキチは農家の広い畑にある井戸で育った。狭い井戸がポンキチ一家のすみか。どこにでも見かける普通のオタマジャクシだった。井戸の中で両親に泳ぎ方を教わったり、弟のナカと競争をして遊んだりする平穏な毎日であった。
やがてポンキチはカエルに成長して、井戸の近くの畑を遊び回った。跳ね方、泳ぎ方など、誰にも負けない小ガエルだった。幸せな毎日。太陽の下での元気な子ガエル。
その後ポンキチは遠くの畑にある学校に進学した。家族も学校の傍に住むことにした。そこで様々な動物と出会う事となった。
ポンキチやナカは学校で、トカゲやバッタなどと知り合った。ポンキチはその中で成績は良かった。同級生の賞賛と、やっかみで毎日が明け暮れた。
「おい、ポンキチ」初夏のある日に、何人かの動物に囲まれた。
「おまえ勉強ができるからって、調子こくなよ。しょせんあの小さな井戸で育ったカエルやないけ」
「・・・はあ? いつ俺が調子こいた。てめえらが出来が悪いだけだ。やっかむな」
「なにおう。クソガリカエルが!」
毎日喧嘩の明け暮れだった。憎しみが積み重なる、畑の毎日。
両親もナカも周囲との生活になじめず、摩擦の多い日々であった。井戸の中とは異なり、トカゲ達に頭を下げて食料を分けてもらったり身近な食料を探したりと、周囲に気づかいやストレスの多い環境だった。
しかしポンキチは勉強だけは真面目にした。初めて知る世の中のありさまに、学校の中だけでも自信はつけていった。両親は喜んだ。ポンキチの成績だけが頼みの綱みたいになった。逆に周囲はやっかみもあったのだろう。カエル一家に益々つらく当たった。激しく揺らぐ激情の畑生活。
やがてポンキチとナカは学校を卒業した。せせこましい畑はもはやうんざり。家族で丸木に乗って広い海に行こうと、話が決まった。行先は日本海とした。タラやイワシなどとの新しい生活が楽しみだった。家族そろって丸木の上で、あたりかまわず歌声をあげていた。
2 初めての海
広い海。遠くは水平線だけ。真っ青な青い空。磯の香りが珍しい。
塩の多い海水とは知らずに、家族全員で川から砂浜に降りて海へ飛び込んだ。
「グエエ。ギャアア」
海水に慣れていない家族は苦しみもがいた。ポンキチは砂浜にたたきつけられて足を痛めてしまった。
海からはイワシ達があざわらう。「海知らずのバカ達が」
やっと砂浜に逃げ上がった家族は、最初は茫然としていた。やがて恐ろしさが怒りに変わった。家族全員で当たり散らした。
「何だこの塩辛さは」
「父ちゃん。なんで下調べをしなかったんね」
「うるせえ。お前だって知らなかったじゃねえか」
「ポンキチのバカは、足が動かねえ」
「じゃあ俺は休んでるから、海に慣れてこい」
家族内で八つ当たりの怒号が響く。
最初に何とか元気を回復したのは、弟のナカであった。
「よし、俺様がイワシ達とケンカしてくる」
海水を体にかけた後に、ナカは威勢よく海に飛び込んだ。イワシ達はびっくり。大喧嘩が始まった。しかし多勢に無勢。海水に慣れないナカは、そのまま海中に沈んでしまった。
翌朝砂浜に打ち上げられたナカは、傷だらけの変わり果てた死骸となっていた。
目の前の思いがけない出来事に茫然と気落ちした三匹のカエルは、ただ無言で動かない。海からはイワシの大群が何事もなかったかのように平然と泳いでいた。
しかし嘆くだけでは生きれない。何か食べ物を探さなくては。海にそそぐ川に向かって水、水や草で飢えをしのいだ。
父カエルが突然苦しみだした。
「うう、く、苦しい」
「どうしたお父ちゃん」
「な、慣れないモノを食べたので、は、腹が」
見知らぬ土地の為、昔世話になったコオロギ医院の先生はいない。衰弱は急速に進んでいく。熱は出る。急変した容体に、手を下すだけ。
やがて父カエルは冷たくなってしまった。
母カエルは、茫然として何も出来ない。ポンキチも痛めた足をさすりながら途方に暮れている。
「ポンキチ、これから先、どうしよう」
やっと母カエルがつぶやいたが、答えようがない。川の流れを逆に泳いでまで、喧嘩別れをした故郷の畑には戻れない。そもそも足を痛めたポンキチは、もはや遠くには動けない。だいたい食べ物だってもはや分からない。何を食べれば良いのやら。
夜になって、川の近くの砂浜で寝る事にした。
ポンキチは日の出と共に目が覚めた。潮騒しか聞こえない海辺の朝。
ふと隣に寝ていた母ガエルに顔を向けて戦慄が走った。なんと母は血まみれになって倒れているではないか。手には小さな釘を持っていた。
「母ちゃん。どうした。しっかりせい」
返事はない。体はすでに冷たくなっていた。自らを釘で刺して絶命したのだろう。
あっけない最期。
ナカや父ガエルの死に、この先を悲観したのだろう。
「早まったことを」
ポンキチはつぶやくのがやっとであった。
たった一日で家族三匹を失ったのだ。
のどの渇きで我に返ったポンキチは川まで行って水を飲んだ。安全そうな食べ物を見つけて恐る恐ると食べもした。
ただそれだけ。ほかに何が出来る。家族はいない。足は治りそうもない。生きるだけで精いっぱい。
3.砂浜で
ポンキチは数日の間、何もしないで生きていた。もはや何をしようか考える気はない。ただ生きているだけ。
目の前の海ではイワシ達が勢いよく泳いでいた。
「俺たち家族は海を知らなかった。知ってれば、もっとましなことが出来たかも。待てよ。あのイワシ達だって、俺の故郷の畑では生きられない。知らずにやって来たら、すぐに死んでしまうだろう。知っていれば海の中で泳いでいるだけだ。畑のトカゲ達も海は知らない。知っていたら畑で一生を終えるだろう」
ポンキチは少し気が楽になった。自分に言い訳が出来たのだった。そのまま夜まで海辺の川で寝ころんでいた。
「じゃあおまえ達カエルは、一生をあの井戸で終わるのか」
驚いて声のした空を見上げると、空の満月がいかめしくつぶやいたのだった。周りの星たちもクスクス笑っている。
「おお、いいよ。井戸の中は楽しかった。時々畑で遊べたしな」
「食べ物はどうするのだ。トカゲ達に頼んで分けてもらうのか。畑で嫌われ者のお前たちが、そう長くは生きれないぞ」
「う、うるせえ。井戸の近くにも食うものはあったぞ」
「いつまでも井戸の近くの食い物があると思っているのか。おまえのその小川だって、食えるものばかりではないしな。おまえの親父は食あたりで一発で死んだしな。畑のトカゲ達とは仲の悪い家族だったしな」
星たちもこらえきれなくて、ゲラゲラ笑いだし、罵声を浴びせた。
「この世間知らずが」「井戸の中のカエルが」
「だ、黙れえ。イワシだって井戸や畑は知らんぞ。トカゲだって井戸の中身は知らん。それぞれだけじゃないか」
「わははは。負け惜しみ言ってらあ」
罵声の数々。
4.星のつぶやき
ある星がつぶやいた。
「しょせん生き物は自分に適した所しか住めないのだな。そこでも生きにくくなったら死ぬしかないのだな」
別の星が答えた。
「生き物にも人間ちゅう頭のええのもおるねん。海や川で船ちゅう乗り物に乗ってるでえ。陸では畑を耕して、食い物を栽培しとるねん」
「そうか、人間か。それは言えるな」
ポンキチはすっかり黙りこくって空から目を降ろした。
「俺達だって人間みたいにどこにでも行けて、どこにでも住みたかった。住みやすいところがきっと見つかっただろうに」
潮騒は静かな音でポンキチを包んでいた。空は気がついたら静かになっていた。
「人間の事は知っている。畑の学校で習った。でも人間だって勝ち負けはあるそうだし、殺し殺される悲劇があるじゃないか。人間も生き物である以上いずれは寿命を迎えるのだ」
風が吹いてきた。磯の香りが鼻につく。
「俺達家族だけじゃない。人間だって、海のイワシも、畑のトカゲも、みんなどうのこうので生きて 死ぬだけじゃないか。生き物はせめて寿命がある間だけでも幸せに充実した日々を送りたいのだが、それもささやかだけかもしれない。世間知らずの井戸の中の蛙だったが、しょせんそういう宿命で生まれて来ただけだったじゃないか。なにかしようと、知らないながらも試してみようとする事は、悪い事ではない。でもそれで成功するかは、運の良し悪しだけではないか。ただの結果論じゃないか。もし成功しても、死ねばそれでおしまいじゃないか」
ポンキチは腹の中で叫んだが、暗い夜は何も答えずにそのままであった。
5.その後
太陽が昇ったある日の早朝、砂浜には一匹のカエルが横たわっていた。飢えでやせ細っていたポンキチは誰にも気づかれずに息が絶えていた。
さぞかし苦しんだのか、動く片足で砂をかいた後が生々しい。
海辺では元気な声が聞こえる。人間の漁師たちがイワシを釣って食べていた。荒々しい海を上手に泳いでいたイワシ達は、串刺しにされて焼かれていた。
ポンキチの死骸は、満潮の海水がさらっていった。遠い故郷のトカゲ達はどうなったかは誰も知らない。
太陽はそのまま無言で、無表情に世の中を照らしているだけだった。
〈了〉