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御守夜子/1

「さて――」

 事務スペースに戻った夜子は、自身のイスに深く腰掛けると、晴夏の話を書き留めたメモを眺めた。

(予定していたより相談時間が長くなりましたが……。話をたくさん聞けてよかったです。ですがこれはもう、ほぼほぼ――)

 じっと考えながら、夜子は眉根を寄せた。そしてふるふると小さく頭を振ると、とりあえず少し休憩すべきだ、とメモ書きを机に置く。

 何か飲み物でも用意しよう――そう思い立ち上がろうとした時だった。

「お疲れ様。相談の結果はどうだった?」

 上から声が降ってくると同時に、湯気を立てたマグカップが机に置かれる。顔を上げてみるとそこには、がっしりとした体つきの男がへにゃりと笑いながら立っていた。

「鈴切」

 夜子が男の名を呼ぶと、彼は「うん」と嬉しそうに答える。夜子とは最低でも十は年の差がありそうな大人の男が、呼び捨てられ嬉しそうにしているのは、なんだかおかしな光景だった。

「クロですよ、これは。依頼者の話からはどうもクロとしか思えませんでした」

 言って、夜子はココアをすすった。疲れた体に優しい甘さが染み入る。

「夜子ちゃんがそう思うんなら、そうなんだろうね。でも捜査はするんでしょ? いきなり排除はないよね?」

「もちろん。捜査はしますよ。いくらほぼクロでも、それは探偵のルールみたいなものですから」

「そっかぁ。じゃあ僕が《助手》につこうか? 琴浦さんの仕事、今落ち着いてるから」

 鈴切がにこやかに言えば、夜子の向かいの席から「おいおい」と声が上がる。そしてすぐにパソコンの横から、ぬっと男が顔を覗かせてきた。

「確かに俺の仕事はひと段落ついたっつーか、俺だけで十分だけどよぉ。何もそんな嬉しそうに言わなくてもいいだろ」

 言って男はガシガシ頭を掻き毟る。

「――鈴切、俺にもコーヒー頼むわ」

「はい。琴浦さん」

 琴浦は骨を鳴らしながら大きく伸びをし、一言「疲れたぁ」と呟くと机に突っ伏した。

 夜子はそんな彼を呆れた目で見やり、嘆息する。

「兄さん……。一応仕事中ですよ」

「いやもう、朝からずっと同じ作業してるからよぉ……。体が限界……」

「だとしても。職場なんですから。背筋を伸ばしてください」

「へいへい」

 琴浦はうっとうしそうに返事をすると、背筋を伸ばし目頭を揉んだ。鈴切はインスタントコーヒーを淹れながら、そんなふたりのやりとりをくすくす笑う。

「仲良いですねぇ。おふたりは」

琴浦の机にマグカップを置くと、鈴切は楽しそうに目尻を下げる。

 そしてついでに淹れた自分のコーヒーに口をつけると、ひょいと琴浦のパソコンを覗き――「わあ!」と声を上げた。

「もう少しで終わりそうじゃないですか。琴浦さん、頑張りましたね!」

「まぁなぁ」

「さすが大企業で検査リストの枚数とんでもなかったですもんねぇ。――夜子ちゃん、琴浦さんすごく頑張ってるよ!」

「頑張るのは当然です。検査系は兄さんの仕事でしょう」

 夜子がツンとした物言いをすると、琴浦は息を漏らして笑った。

「どうせ俺は、排除がある現場には向いていませんよぉ」

「そんな言い方しても可愛くないですから」

 夜子が言うと、鈴切もその通りだと笑う。

ふたりを交互に眺め、琴浦がやれやれと言いたげに嘆息する。――と。

 ガチャリ、と事務所の扉が開いた。

「あらあら、楽しそうねぇ」

「あ、山本さん。おかえりなさい」

 入ってきたのは、還暦をとうに迎えているだろう女性だった。柔和な笑みを浮かべている彼女の手には、買い物袋がふたつ下げられている。

 鈴切は山本に駆け寄ると、「お帰りなさい」と彼女の買い物袋を受け取った。

「陽ちゃん、お仕事は終わったの?」

 山本は羽織っていたカーディガンを脱ぐと、琴浦に訊く。『陽ちゃん』と呼ばれた琴浦は、「うん」と短く答えた。

 ――その言葉につっこみを入れたのは、夜子だった。

「終わっては無いでしょう。もう少しで終わりそうって、さっき鈴切が言ってたじゃないですか」

「うるっさいなぁ……。もう少しで終わりそうっていうのは、俺にとっちゃあもう終わったようなもんなの」

 琴浦はのろのろとパソコンのキーボードを叩きながら言う。

「そう言ってちょっとだけ仕事を残して、あとで大慌てしなくちゃいけないんですから。今終わらせればいいでしょうに」

 言って夜子はイスから立ち上がると、「山本さん」と振り返る。

「晩御飯を作りに三階に行くんですよね? 私も手伝います」

「夜ちゃんのお仕事はいいの?」

「はい。食べてからやりますので」

 山本は夜子の言葉を聞くと、嬉しそうに顔の皺を深くした。そして買い物袋を持っている鈴切に向かって、「鈴切君も食べて行くわよね?」と首を傾げる。

「はい、いただきます! ――へへ、なんだかいつもすみません」

「いいのよいいのよ。人が多いほうが私も作り甲斐あるからね」

 さ、いきましょうか――と山本が言って部屋を出ると、まず鈴切、次に夜子があとに続いて出ていく。

 部屋の扉を閉める直前、夜子はくるりと振り返り、「ご飯ができたら呼びますので。兄さん、それまで頑張ってくださいよ」と目を細めた。

「わーってるよ」

 溜め息まじりに琴浦が言うと、夜子は満足そうに頷き、扉を閉めた。


◇◆◇


「で、結局どういう捜査をするんだ?」

 かぼちゃの煮つけを口に放り込み、琴浦は夜子に訊く。夜子は少しだけ考える素振りをすると、

「基本に忠実にいきます。とりあえずは張り込みをして、大原の行動を把握する感じですかね。興津さん……、依頼者の話から食堂を訪ねる日は大体わかったんですけど、それ以外の行動を知りたいです。仕事をしているのかとか、家族構成も」

「じゃあ僕は、夜子ちゃんが学校のあいだに大原についていればいいのかな」

 鈴切が箸を止めて問う。

「そうですね。いつものようにお願いします。私も学校が終わり次第合流するので」

「わかった」

「できればどのような異形の者かも知りたいところですが……。そこまでは難しいかもしれませんね……」

 顔を顰め、夜子は口をつぐんだ。この依頼は晴夏の話を聞くかぎり、あとは排除に向けて用意をしていけばいいだけに思える。だというのに、夜子はなぜだかすっきりしないものを感じていた。

「夜ちゃん、ご飯の時はそんな難しい顔しないの。――もう、家族皆が同じ仕事をしてると、食卓にまで仕事の話を持ちこんじゃうんだから」

 山本がふくれて言うと、夜子は申し訳なさそうに苦笑した。

「ごめんなさい、山本さん。つい」

「ふふ、わかればよろしい」

 ――山本は夜子にとって、母のような存在であった。

それは琴浦も同じで、このふたりは山本にどうも頭が上がらない。

「ところで先生は?」

 茶碗を片手に夜子が訊くと、山本は「御守さん? 御守さんなら――」とどこか遠くを見る。

「ああ、そうそう! 御守さんは今日お食事会なのよ。探偵協会の会長さんと」

「ふうん。――最近なかなか家族全員揃いませんね。先生がいない時は私がいなかったり、兄さんがいなかったり」

「皆それぞれ忙しいから。陽ちゃんも夜ちゃんも、ひとりで立派にお仕事できるようになったしね」

 山本がふんわりと笑うと、夜子はそれもそうか――と頷き、少しだけ寂しそうに目を伏せた。


 御守探偵事務所は、家族経営の事務所だ。

 所長である《御守夕》のもと、探偵として彼の子供の《琴浦陽一》と《御守夜子》が所属しており――助手には御守の長年のパートナー《山本京子》と新人の《鈴切佐助》がいる。


 ――御守には、多くの子供達がいた。


 だがその子供達は、誰ひとりとして彼の血は引いていない。

異形の者により親を亡くし、生きていく場所を失った子供達――彼はそのような境遇の子供を引きとり、自らの家族として迎え入れていた。つまり御守の子供は、皆養子だ。

琴浦も、そして夜子も――実の親を亡くし御守の養子となった。

 御守に引き取られた子供達は、彼を《先生》と呼び慕い、御守の指導のもと探偵や助手となった。そしてその子供達のほとんどが独立し、御守の教えを受け継ぐ子らは今、それぞれ業界内で活躍している。

 琴浦と夜子は、事務所に残った最後の子供達で――夜子は御守家の末娘だ。

 末娘の夜子は、家族のなかで一番、『父』であり『師』でもある御守を尊敬し――。妄信していた。

 自分が今生きているのは先生のおかげ、だから自分が先生に尽くすのは当然のことなのだ――と。

 この考えのもと、夜子は『御守の助手』として頼りにされるよう、探偵の知識や技術を習得していった。結果、彼女は年若いながらも『優秀』と称される探偵へと成長していく。

 体に見合わない大型のガントレットを手に圧倒的な戦いぶりを見せる夜子は、今や大人顔負けの、一人前の『探偵』だ。

 故に御守の他の子供達と同じく、夜子は将来有望とされ周囲から期待されている。

 ――だが夜子はそんな期待など、毛ほども関心が無かった。

 夜子が期待に応えたい人物は《先生》だけ。それ以外はどうでもいい。


 少女の体に空虚を内包した者――それが、御守夜子だった。

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