プロローグ/3
小さいといっても、うちのお店は本店と二号店の二店舗があります。本店は創立者である社長、二号店は社長の長男さんが店長をやっています。家族経営のお店なんです。
――私は、二号店でウエイトレスとして働いています。
だから、成り代わられてるかも……っていうお客さんも二号店のお客さんなんですが……。
大原さんっていう中年の男性です。もう結構長いことうちに通ってくれていて……。私が就職してすぐにいらっしゃるようになったから、四年は経つかな。常連さんなんですよ。
物静かで、いつもお店にはひとりでいらっしゃいます。
口数が少なくてお喋りをするような人じゃないんですけど、暗いとかミステリアスという感じでもなくて……。なんというか、本当に普通のおじさんなんです。
そんな人なので私達店員とも話はしません。だからどういうお仕事をしているのかとか、どこにお住まいなのかとかはわかりません。
でも、感じのいい人ではありました。どことなくいつも穏やかな空気をまとっているような……。
すみません、わかりづらくて……。
ええと、成り代わりが起こったのかも、と思ったのが、なんだか最近大原さんの雰囲気が変わったなってところからなんで、そのお話をしたほうがいいかなと思いまして……。
「――雰囲気が変わった?」
はい、そうなんです。一ヶ月前でしょうか。大原さんがお店にやって来た時、ふといつもと違うような気がして……。髪型を変えたとかそういうことでも無さそうだし、機嫌が悪そうでもなかった。いつもと同じ大原さんだったんです。
でも――。どこかがこの前見た大原さんと違うと思ったんです。
さっきもお話したように、大原さんは店員と話すようなタイプの人ではありませんでしたから……。こちらも何かありましたか?なんて聞けなくて。結局その日感じた……違和感、とでもいいますか。それはうやむやになってしまったんです。
ですが……。また大原さんがお店に来た時に感じるんです。なんだか雰囲気が違うって。
それで同僚に、大原さん雰囲気変わったねって話してみたんです。でも同僚はよくわからないみたいで……。
あ、その同僚っていうのが、異形の者と人間のハーフなんです。うちの店には何人かいて、本店には異形の者も働いているんですよ。
……同僚は異形の者の血を引いてるからか、私なんかより鋭いし、もしかしたら気づいてるかもって思って……、話したんですけど……。
「成り代わった異形の者は、例え同じ異形の者だったとしても見た目からでは、成り代わっていることになかなか気づけません。異形の者はそれくらい完璧に姿を写すことができます」
そうなんですね……。
「だからこその『勘』です。あなたの覚えた違和感は、きっといい線いってると思いますよ。この言い方は少々不謹慎ですが。――さ、お話を続けてください。興津さんがうちに来たのは、その勘だけが理由ではないのでは、と私は思っているのですが」
は、はい。実は……、そうなんです。なんだかおかしいな、くらいだったら、多分探偵さんに相談に行こうとは思いませんでした。実際、一ヶ月近く気にしすぎなんだと思うことにして放置してましたから……。
――それが……。このまま放っていていいんだろうか、って悩むきっかけになることが、十日前にあったんです。
十日前、お店に来た大原さんのお会計を私がしたんですが……。その日、大原さんのポイントカードが全部貯まったんです。
あ、うちの店、お客さんにポイントカードを作ってるんです。五百円ごとにスタンプを一個捺すんですけど、そのスタンプを二十個集めたら次回来店時五百円引きするサービスをやっていて。
その日、大原さんは二十個目のスタンプが貯まりました――。
それで私、いつもありがとうございますって言って、大原さんのポイントカードをレジのなかにしまおうとしたんです。
…………。
「どうしました?」
……いえ、すみません。えっと、大原さんはそんな私を見てぽかんとしました。なんで返してくれないのかって顔で……。でもすぐに、ちょっとだけ「あっ」っていう顔をして、よろしくお願いしますって……。言ったんです……。
私、それにすごくびっくりして……。なんでって……。その日はそのあと仕事が手に付きませんでした……。
「なぜ驚いたのかきかせてもらえますね?」
はい……。実は、大原さんはどうせまたすぐに来るんだからって言って、ポイントカードが貯まったら、いつもカードを店に預けて帰るんです。本当はやっちゃいけないことなんだと思うんですけど、大原さんは常連さんだし、お店に出ているメンバーもいつも大体同じだから、大原さんのカードを預かっているってことは共有できてますし。
大原さんがスタンプの捺されていないカードを出してきた時は「ああ、今日は割引の日だな」っていうのが皆のなかで共通認識としてあるくらい、このことは浸透してるんです。
……だから私も、いつも通りそうしただけなのに……。大原さんのほうがびっくりした顔するものだから……。
大原さんは、やっぱりもう……、大原さんじゃないのかもしれないって……。
◇◆◇
すべてを話し終え、晴夏は膝の上に一粒の雫を落とした。
――これまで胸のなかで燻っていたものを吐き出すことができ、安堵に近い感情が湧き上がってくる。
「お話ありがとうございます。お茶をどうぞ召し上がってください。落ち着きますから」
夜子に言われ、晴夏は目の前に置かれていたお茶を一口飲んだ。夜子が出してくれたお茶は、もうすっかり冷めてしまってはいるが、なかなかの味で――いい茶葉で淹れてあるのだろうと思った。
「美味しいです……」
「それはよかったです」
夜子は薄い唇にうっすらと笑みを浮かべた。そして机の上に置かれた書類の束を手に取ると、パラパラと紙をめくり――なかから一枚選び取り、それを晴夏に手渡した。
渡された紙には『捜査の流れ』と書かれている――。
もしかして、と思ってここを訪ねたのは自分の意思だが……。やはりそうなのか。晴夏はハッとなって夜子を見やった。
――夜子は、感情の読めない澄まし顔で言う。
「お話を伺い、捜査の必要有りと判断しました。――この大原という人物は成り代わられた可能性が高いです」
がくりと、体の力が抜けていく。夜子の言うことはつまり、自分の知っている大原は、もう『食べられてしまった』というのと同義だ。
「残念です。ですが、あなたが大原という人のことを気にかけていたおかげで、新たな被害者は出ないかもしれません」
「……はい」
「あなたがうちに来てくれたおかげです。――あなたの勇気が、誰かを救います」
「そう……なんでしょうか」
晴夏が言うと、夜子は大きく頷いた。
「はい。御守探偵事務所所長《御守夕》に代わり、御守の弟子の私が――必ずあなたの勇気に報います」
夜子の瞳は力と自信に満ち、美しかった。晴夏は彼女のこの目を信じ、頭を下げる。
「どうか、大原さんの無念も晴らしてください――」