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エピローグ/1

「そう……ですか……。これで大原さんも、安らかに眠れる……のかな……」

 ビリキナータへの突入から一週間。御守探偵事務所の応接室では、娘らがふたり向かい合って座っていた。

 晴夏はぐす、と鼻を鳴らすと、正面に座る夜子を見やる。

「それにしても、『家族』……ですか」

「はい。さっきも申しあげましたが、人狼達は『家族』と称する群れを形成して人間を襲っていたようです。彼らによって『狩られた』――人狼達は人間を襲うことを『狩り』と言っていたのですが――被害者の方達の身元は、警察の協力もあり、ほとんど判明しています」

 夜子が言うと、晴夏は「えっと、そうじゃなくて……」と口ごもる。夜子が小首を傾げると、晴夏は視線を落とし膝の上で指を弄んだ。

「どうかしました?」

 夜子が窺うように覗き込むと、晴夏はぽそりと「いいなって、思ったんです」と呟く。

「いい、とは?」

 眉をしかめながら夜子が訊く。晴夏は慌てて、「勘違いしないでください!」とぶんぶん手を振った。

「人間に成り代わるとか、人間を食べるとか犯罪に関していいなって話じゃないですよ、もちろん……! 私がいいな、って思ったのは……」

 ここで晴夏は一呼吸置き、宙に視線を泳がせる。そしてごくりとつばを飲み込むと、口を開いた。


「――種族の違う者同士でも、仲のいい家族になれるってところなんです」


(仲がいいとは、ひとことも言っていませんが)

 戦闘後、火之と善知鳥から聞いた話を思い出す。夜子はその話から、『仲がいい』とひとくくりにできるような間柄では無さそうだと感じた。――が、晴夏には何かいいたいことがあるのだろうと、黙って続きを促した。

「前にも御守さんにはお話したことあると思うんですけど、うちの職場、家族経営の食堂で……。社長と店長が実の父子なんです」

 夜子が相槌を打つと、晴夏はそっと目を伏せた。

「このふたり本当に仲が悪くて……。家族内の事情から経営方針まで、全部が全部合わなくて。お店だろうが、顔を合わせると必ず喧嘩するんです。働いている私達もその場面に遭遇すると、気まずくて気まずくて……」

「そういうものですか」

「ええ……。というのも、最近社長と店長が喧嘩してるの、従業員についてなんで」

「従業員」

「そうです。私が働いているお店――息子さんが任されているほうですね、このお店では異形の者を何人か雇っているんです。そのことについて社長、いつもカンカンで……。社長は古い人なんで……。その、差別主義者というか……」

「ああ」

 夜子が頷くと、晴夏はふう、と溜め息を吐く。

「異形の者の店員をすごく悪く言うんです。そこから話がどんどん拡大して、一緒に働く人間の従業員のことも、彼らを採用した店長のこともけなしてきて……」

一部の異形の者が人間と共存するようになってから、それなりに長い年月が経つ。だが、晴夏の言う社長のような人間はいまだ多い。

「種族が違ってもお互いを受け入れ、家族になっている異形の者がいる……。かと思えば、血が繋がっているのにいがみ合う人間もいる……。異形の者の家族がしたことは悪いことです。けど――」

 晴夏は膝の上に置いた手を握りしめた。

同僚の異形の者達がもっと働きやすくなればいいのに、店長が社長のことで頭を悩ませる必要が無ければいいのに、と願ってやまない。

 異形の者の家族のトップに立っていた者は、確かに『悪いこと』をした。けれど、『悪いこと』をしていない社長だって――決して『いい人』ではない。

(うちで働く異形の者の人達からしたら、もしかしたら今回排除された異形の者のほうがいい人に思えるのかな)


「興津さん」


 夜子は黙り込んでしまった晴夏を呼ぶ。その声は柔らかい。

「そのことに関して私から言えるのは、『人による』ということだけです」

「それは……。そうでしょうね……」

「異形の者だって同族しか認めない者もいるし、今回排除された者のように種を気にしない者もいる。自分以外を敵とみなし、ひとりでいることを好む者もいれば、共同体を作り協力し合う者もいる。――人間だって同じです。興津さんの勤務先の社長のような方もいれば、興津さんのような方もいる」

「ええ……。そう、です……」

「興津さんは皆が――種なんて意識せず――住みやすく働きやすくなればいいのに、とお考えなんですね。それはとても素晴らしいことですし、私もそう思います」

 言うと夜子は瞑目した。言葉を選んでいるようだ。

「――興津さんは多分、疲れてしまっているんでしょう」

「私が、疲れて?」

「はい。体ではなく心が。目の前で厳しい物言いの人を見続けて、ちょっとした希望を信じられない――は言いすぎですが、信じがたく思っているのかもしれませんね」

 晴夏が首を傾げると、夜子は「少し、私の話をしましょう」と微笑んだ。

「私はもともと孤児なのですが――」

 晴夏が目を見開き、「あっ……」と言いよどむ。夜子はそれに「まあ聞いてください」と返した。

「今、私には家族がいますが、家族は皆血が繋がっていません。種族だっていろいろです」

「それって……」

「件の『家族』と似ていますよね。でも私達家族は彼らとは違います。彼らと違うのは自浄作用がきちんと働くというところです。誰かが道を誤りそうになったら、引き留めてくれる者がいます。――まあ、彼らはもともと人を狩り、食べるために集まったので、自浄作用も何もないかもしれませんが」

 そこで言葉を切ると、夜子は自分の手に目を落とした。養父を筆頭に、家族の顔が頭に浮かぶ。


(――そう。私を止めてくれる人はいる。でも、私には私の考えもあるのだけれど)


「御守さん?」

「ああ、失礼しました。つまりはですね、血が繋がらなくたって、種族が違ったって、家族にはなれるんですよ。私はそれを私の養父のお人柄ゆえにだと思っています。ちなみに養父は人間です」

「……素敵な方なんですね、御守さんのお父さんは」

「はい。とても」

 夜子が目を細めて言うと、晴夏もようやくかすかに笑んだ。

「人の考え方って、簡単には変えられないものです。その考えに至るまでに、様々な経験や葛藤があるのですから。――今回排除された人狼も、考え方を変えてくれさえすれば、罪を償ったのち、『仲のいい家族』とやり直すことができたのかもしれません」

夜子は「でもきっと――」と言い添え、顔を顰める。大原の最期の言葉が頭に浮かぶ。

「きっと、そんなことにはならなかったでしょう。――彼には、彼なりの信念があって、それは私なんかが曲げることのできるものではなかったから」

 晴夏は黙って、夜子を見つめた。しっかりしている娘だとは思っていたが、今の夜子の姿は到底年下には見えない。それは外見の話ではなく、滲み出ている内に抱えているものの話だ。

「だから、興津さんのところの社長さんも、社長さんの経験や思想に基づいて思いをぶつけているのではないかと思います。そういうの、とてもお行儀悪いと思いますけど……。それはそれとして、その人の持つ凝り固まった思考――ある意味では信念というのかもしれませんが――それは外部の者が簡単に変えられるものでもない」

「そう……ですね」

「でも、そういう自分と考え方の違う人に対する付き合い方というのがちゃんとあるんですよ。――私はわかっていてもできませんが」

 言って夜子は「憎くは無いですけど、合わない人間っていうのはいるんですよねぇ」とわざとらしく顔を顰める。それがさっきまでの物言いと違い、あまりにも子供じみていたものだから、晴夏はつい吹き出してしまった。

「す、すみません……!」

「いえ、お気になさらず」

 夜子は軽く首を振る。

「興津さんのところの社長さんを批判したいわけじゃないですが……。まあ合わない人は受け流すが吉です。幸い、店長さんは話がまだ通じそうですし……。なんなら店長さんに独立するよう言ってみたっていいんじゃないです?」

「え、ええ!?」

「駄目、ですか?」

 夜子の提案はそう簡単にはいかないだろう空想でしかない。――でも、そうか。

「……うん、確かに私、疲れていたのかもですね。ずっと嫌な社長を見続けたから、そういう人しかいないような気になって……。いっぱいっぱいだったんだな……」

 嫌な社長、と夜子が復唱すると、晴夏は「あ、言っちゃった」と笑った。つられ夜子も頬を緩める。

「私がいいなって言った人狼の家族も……。話を御守さんからまた聞きすると良く思えたけど……。異形の者だからといって、同じことをやっても上手くいく保証はないし、今回の事件の中心人物が、たまたまそういう能力とか魅力のある人だったってだけ……。『人による』んですよね」

 夜子はこれには返事をしなかった。園田らの家族が上手くいっていたのかは、よくわからない。大原は探偵が邪魔しなければ――とのたまうくらいには満足していたようだが。

「『人による』……。人が変わればお店も変わる、のかな……。そっかそっか……」

 晴夏はぶつぶつと「社長はスルーして……」と呟いている。

(……少しは役に立てたのでしょうか)

 夜子は、自分が探偵業界以外の一般社会についてや、人の感情の機微に疎いという自覚がある。だからこそ言葉のひとつひとつが――懸命にひり出しはしたのだが――、この場にふさわしいものだったのか心配だった。――が、どうやらこれでよかったようだ。

「――ふふ、御守さんには二回も助けてもらいましたね」

「二回?」

 晴夏はこくりと頷く。

「ひとつはさっきのお話。それからふたつめは――大原さんのこと。私と大原さんは、ただの店員とお客さんってだけだけど……。それでもあの人が捕らわれたままなのは悲しいし」

「捕らわれた……」

「えっと、自分の姿を別の人に取られてしまったから、そう思ったんです。――御守さん、大原さんを解放してくれてありがとう」

 晴夏はぺこりと頭を下げた。横髪がさらりと首筋に落ちる。

「これが仕事ですから。――また何かあればいつでも相談に来てください。そんな日は来ないのが一番ですけど」

 夜子がいたずらっぽく言うと、晴夏はくすりと笑った。

「そうですね。『また』が無いのが一番です」

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